自我を意識的と思っていたあなた、エリクソンが無意識レベルをも、自我が含むと聞いて、?と思いませんでした? エリクソンは自我心理学の一派に含む人もいますけれども、「意識的な自我と無意識」と考える自我心理学の人たちとは、エリクソンは明らかに異なると言えるでしょう。無意識的な自我を、自覚的な≪私≫に育てていく点を重視した点で、むしろ、ユングに近いと言えるでしょう。そして、自覚的な≪私≫(「意識的な≪私≫」としたのでは、不十分)を強調したところに、アイデンティティが生まれるのであって、自覚的な≪私≫がいかにもエリクソンのエリクソンたる所以です。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p42の第2パラグラフから。
こういったことすべての関して、姿勢に関する(そしてまた、身体の使い方に関する)言葉の力は、成長している子どもを守ってくれる保証人のようなものなんですね。何を守ってくれるって、経験を自分でコントロールする「その子ならではのやり方」(その子の自我のまとまりの付け方)は、1つの集団が自分を確かにさせることに成功するいろんなやり方の一つですし、その集団が持っている、時空と人生に対する計画と一致しています。これについては、また後ほど触れますね。
姿勢に関する言葉、たとえば「しっかりと立つ」や、身体の使い方に関する言葉、たとえば、うんちやおしっこを「ガマンする」などは、姿勢や身体の使い方を示しますが、同時に、気持ちや生きる姿勢を示しますでしょ。
そんなことを日ごろ意識しませんでしょ。かく言う私も、臨床心理学、特にエリクソンを繰り返し読む前は、そんなことを考えたこともありませんでした。姿勢や身体の使い方が、実は、所属集団との関係にも、その人の生き方にも、深く深く関係しているんですね。不思議でしょ。
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