ルターの登場は、さながら、こんな夜明けでしたでしょう。幸いなるかな…。
ルターはギリシャ語もヘブライ語も読んで分かったから、宗教改革を起こすことになっちゃった…。
Young Man Luther 『青年ルター』p199の3行目から。
しかし、私どもが最初に関心を持ったのは、「聖書という母体」についてマルティンの考えが生まれて来たことでしたね。当時の聖書注解は、旧来の定説を、学問的に苦し紛れに、しかも、原典に基づかなくとも、証するのが役割でした。旧来の定説とは、旧約聖書はキリストの生死を予言するものだ、ということでした。世界史は聖書の御言葉にありましたから、『創世記』は、創造物語であるだけではなくて、キリストの受難のクライマックスに至る聖書全体に隠れされた、しかも、寓話的な歴史的方向でもありました。聖書注解は、カトリック教会が教会史を新たな神学的な方向性に従って、聖書的に予言する、価値を巡る駆け引きとなりました。すなわち、聖書注解は、高度な知的で言語学的な訓練でしたし、学問的な名人芸が示されたものとなりました。ところが、それには一つのルールがあって、ある程度の教育とある程度の頭の回転がないと、聖書注解を正しいものにできない、という事情がありました。
中世カトリックの聖書注解、学問は硬直化してたんですね。それは習慣、慣習を見直す、新鮮な心の動きを見失っていたからですね。ルターは病気のおかげで、その習慣、その慣習に馴染めなかったんでしょう。それが新鮮な心構えで、学問に、聖書に向かう契機になったはず。中世カトリックの間違いだらけの聖書翻訳と、それに基づく間違った聖書注解を打ち破って、バイブルから再び命を戴けたのは、ローマカトリックではなくて、ルターとルターに続くものでした。
いまも同じです。
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