ティグ・ナット・ハンさんの二回シリーズの番組。一か月もたたないうちに、NHKが再再放送をしました。いま、ティグ・ナット・ハンさんのお弟子さんたちが来日中ですから、いっそう反響が多かったからかもしれませんね。
日本は、先が見えなくしてくれた自民党のおかげで、「閉塞感」が瀰漫してますしょ。些細なことで腹を立てて、しかも、それを自分の心に治めることができずに、外にぶちまけてしまう人が、実に多い。「臨床心理士」と言う資格があっても、やはり、自分の怒りをコントロールすることもできず、それを怒りのきっかけになった人にぶつけることもできないから、結局、「悪口」「陰口」になり、「嘲り」にして、怒りを解消したつもりになっている者もいますよ。そんなことをしても、結局は一時のことで、それが繰り返されれば自己嫌悪になる場合もあるでしょうし、いっそう多くの場合は、ご当人も知らないうちに、「本当の自分」を傷つけて、知らないところでその傷を繰り返し抱え込むことになります。
怒りは、単一ではないんです。怒りはその場だけの怒りでないから、厄介なんですね。あるいは、「今ここ」を生きられなくなるから、自分の人生、「本当の自分」を生きることができなくなるから、厄介なんですね。ティク・ナット・ハンさんも、№2の番組の中で言ってましたが、未解決の過去の傷に伴う、たくさんな怒りに、知らぬ間に引き戻されて、そのたくさんな怒りと一緒にぶちまけることになっちゃうんですね。ぶちまけた本人は、そんな「昔の名前」で出ていることも気づかないんですね。意識としては「腹が立つから、陰口でも言わない限りは、腹の虫が収まらない」くらいに思ってんでしょ。でもその「腹の虫」は「陰口」を言ったくらいでなくならないし、返って、その「陰口」を餌にして増殖しちゃう、ってことも分からない。
吸う息に意識を集中することを、ティク・ナット・ハンさんは勧めておいでです。それは、吸う息に意識を集中することが、「怒りの解消」(陰口、嘲りなど)に意識を集中することから、解放してくれるからでしょう。しかし、もちろん、それだけではありませんね。息は、ヘブライ語でルアーハ、ギリシャ語でプシケー、インドのウパニシャッド哲学の言葉で、サンスクリット語に由来する言葉では、アートマン。息を吸うことは、自分が生かされていること。死んじゃった者は、2度と息を吸えませんでしょ。ルアーハ、プシケー、アートマンを生かすことは、息を吸うことを意識することでしょ。ルアーハ、プシケー、アートマンが死んでれば、息も上がってきますよ。深呼吸しただけでも、脈が下がり、血圧が下がり、気持ちも落ち着いてきますでしょ。深呼吸も意識しなきゃぁ、出来ませんものね。意識して呼吸すりゃあ、体操の後の深呼吸ほどではないにしても、やや深呼吸になりますものね。息に集中していれば、自分のいろんな気持ち、思いも整理されます。すると、怒りを、激しい怒りを外にぶつけなくなります。
あなたも息を吸うことに意識を向けて、自分が豊かにされてくださいね。
ゆっくり息してみて、
その息を意識してみて…ね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます