エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: παρακαλῶ παρά 近くに + καλῶ 呼ぶ  頼む,元気づける,慰める

2017-05-10 06:54:32 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
最初が肝心
    現在も生きる、ルターの学びと、学びを通した気付き  ルターも、その実、お勉強家でした。 Young Man Luther 『青年ルター』p198......
 

 今朝の聖書の言葉は,παρακαλῶ パラカロー,頼む,励ます,慰める,です。

 παρακαλῶは,παρά 近くに + καλῶ 呼ぶ の組み合わせですから,そばに呼ぶ,という意味になります。人がそばに誰かを呼ぶのは,何かを頼む場合もあれば,誰かを助ける場合とがありますでしょ。παρακαλῶは,その両方の意味がある訳です。

 私はサイコセラピストですから,仕事柄,誰かを助ける場合がよくあります。また,波乱万丈の人生ですから,人からも善く助けてもらってきましたね。ですから,παρακαλῶの両方の経験がかなりあります。

 その経験から申し上げれば,助けを必要とする人と関わるのは面倒くさい。ですから,善きサマリア人の譬えで出てくる宗教指導者のように,面倒くさいし,仕事に遅れちゃいけないので,遠巻きにして,出来るだけ関わらない,というのが,むしろ,普通です。

 それに対して,神様は,「いつもあなた達と共に居る」とおっしゃってくださるところに,神様は,παρακαλῶの姿勢が貫徹していますでしょ。

 しかし,それだけじゃないんですね。このブログの読者ですと,すでにご存知かもしれません。人の心,良心は,「共に見る」,という意味ですけれども,それは,共に居る」ことが前提になりますよね。人が遠巻きにして,出来るだけ関わらないのは,その相手が弱い立場の人でしょ。ところが,神様は,その弱くされた人と共に居てくださいます。むしろ,先回りして,ガリラヤに居てくださいますからね。そこで,παρακαλῶ 助けて,慰めて,元気づけてくださいますね。この良心を育む関わりの初め「共に居る」際のすべてが,παρακαλῶ,という訳ですね。

 面白いでしょ。

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