発達の中で、キリスト教倫理が身に付くようになる、とエリクソンは言います。しかも、クリスチャンに限らずに、キリスト教倫理が身に付くと、エリクソンは言います。ですから、育ちがうまくいけば、人は、自ずから倫理的に生きることができる訳ですね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p58の第3パラグラフから。
世代の巡り合わせについて私がお話するのに対して、私はSudhir Kakar スディール・カカに、「care (低みに立たされている者を大事にすること)に相当するヒンズー語は何といいますか」と尋ねました。すると、カカは、care 「低みに立たされている者を大事にすること」に相当する言葉は1つに限っていないようです、でも、大人は自分の務めを全うするのは、Dama(Restraint、自分の気持ちをコントロールすること)、Dana(Charity、自分が損しても、アンパンをあげること)、Daya(Compassion、人の苦しみを自分のことのように感じること)を果たすことだと言われます、と応えてくれました。この3つの言葉は、日常生活の言葉で翻訳するなら、「to be care-ful、相手の気配りをすること」、「to take care of、相手を大事にすること 」、「to care for、相手の世話をすること」とやるといいでしょうね、と応えるのが精いっぱいでしたね。
子どもをはじめ、次世代の人々を育てるためには、様々なcare、ケアが大事な訳ですね。自分をコントロールするためには、無意識の暴力から自由になることが大事でしたね。そうすると、無意識の暴力から自由になりますとね、相手に対する気配りもできてきますし、そうなれば、相手を具体的に大事にすることも、相手を世話することもできますでしょ。
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