エリクソンのエピジェネティックな見方は、インドの4住期の見方と重なるところがあるのは、人の人生の巡り合わせに共通点があるから。
p225第4パラグラフ。
(エピジェネティックな見方は、インドの4住期の見方と重なるところがあるのは)不思議でも何でもありません。というのも、1つの発達の舞台の潜在可能性を、一人の人が実現できるような、適切な対人関係と、頭と心は一緒に発達するからです。頭と心が良い人間関係と共に発達することから、道徳的に言ったら、世間に言えないようなことをしでかした後であることも多いのですが、若者は最高の正義という誰にでも分かる原理をイメージできるようになるんですね。青年が理解しだすことは、時間の流れ、一貫した形で将来を見通すこと、いろんな考えを理解し、いろんな理想の良しあしを見極めること、つまりは、価値としての位置を理解することです。それは、青年期以前の子どもの頭では、出来ない話です。
これは自分の頭で考える、という基本ができている、という前提にあります。すると青年期になれば、理想の価値が分かるようになる。でも本当にその理想の価値が分かる、と言えるのは、あくまで、その理想を生きてみる、ということが大事ですね。つまりね、「理想を信頼して、それに賭けてみる」、ということ。
加藤周一さんが言うように、ほとんどの日本人にとっては、自分が得をするときだけ信じることが、「信じること」。ですから、「理想を信頼して、それに賭けてみる」、という態度の人は、絶滅危惧種ですね、日本では。
でもね、内村鑑三の番組の再放送を求める声が少なくない 今。
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/5/
「理想を信頼して、それに賭けてみる」、が求められている時代でもある訳ですよね。
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