この内的力が無意識下の力。「恵みであると同時に呪いである」と言ったのが、かの有名なユング。
p234下から2行目途中から。
私は男女の話を、女性の持ち味について一言も申し上げないまま、離れる訳にはいきません。黄金律は、最も古い形では、大事なやり取りにおいて、女性たちを本音で仲間として含めるつもりがあるのかどうか、を問うてみてもいいでしょう。今日人生を研究しても、男性のイメージに一番妥当する所で、女性には、あいまいな場しか、いまだ用意できていませんね。女性たちは、政治的権利を平等に認められ、知的にも、心理的にも、男と同等だとされてるのは本当です。しかしながら、女性たちがいまだ手に入れていないのは、1つは女性たちがそれを欲しいと願ってこなかっこからでもあるのですが、持ち味をうまく活かしたり、人間の進化において、持ち味を生かすために、得難い権利を行使したりする、「男女同等の権利」です。
女性が女性として、自分の持ち味を生かすこと、その権利を行使していない点をエリクソンは指摘してんですね。これはまさにその通りでしょ。
今の日本、たとえば、女性が仕事をしようとすればどうでしょう。女性が出産し、子育ての主たる担い手でしょ。でも、今の日本、仕事を続けようとすれば、子どもを産むことを諦めてる女性は少なくないでしょ。また、女性でも、男並みに仕事をすることを求められるから、二重、三重に保育を用意しなくちゃならない。そのしわ寄せが子どもに行ってるとも、知らないで、あるいは、知ってはいても、視て視ぬフリして…。
ですから、今の日本を「人間らしい暮らし」を実現する社会にするためにも、女性が女性として、生きやすい社会を作ることが、男たちや子どもたちにとっても、良い、という訳ですね。
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