人生の出来事を受け止める参照枠=見当識 エリクソンと加藤周一積み木遊びには、作った子どもの心の中の時間と空間だけではなく、その子の社会の文化における時間と空間も映し出されていることが分かりました。また、学校の日常...
実に不思議なとこですよね。多くは1時間にも満たない時間でこしらえた積み木遊び(箱庭、コラージュ…)。そこに、その人の、その後の何十年にも渡る人生の方向性、道行き、色合いがハッキリ示されているなんて! 多くの人、実際に経験のない人は、「信じられな~い」と言う人がても、ある意味当然だと感じますよ。
でもね、これは「本当のこと」、「真実なこと」なんですね。そう言うものだと実感のある私どもでも、「実に不思議だなぁ」という実感は変わりませんね。まるで魔法を見ているかのようです。
なぜそうなっているのかは、不思議で魔法に見える。しかし、そうなっていることを知ることによって、私たちの生き方を、より人間らしいものにすることができます。それは哲学の基本中の基本であると同時に、心理と真理の基本中の基本です。つまりそれは、「自分自身を知る」です。ソクラテスの「汝自身を知れ」。あれですね。
自分の人生には、心の中に、眼には見えないところに、指針が隠れている。それが「見当識(定位)」と呼ばれる、人生のオリエンテーションorientationなんですね。
ですから、それが、「あっという間」とまではいかないまでも、1時間も掛からない間にできるとしたら…。
自分の「指針」orientationをハッキリと知り、意識しながら、≪生きて生きたい≫ものですね。
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