私どもも、人生を賭けることが出来るヴィジョンをハッキリと意識したいものですね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p75の10行目から。
このようにして、未来のパートナーや親となる人は、その社会で提供される教育の仕方はどんなものでも、経験することになるかもしれませんし、働く場で最低限必要なことを、技術の面でも、人間関係の面でも、学ぶかも知れません。私どもがこの時期に宛がってきたは、この時期特有の人間関係の心理的危機です。すなわち、industry インダストリー 「自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ」に傾くのか、それとも、inferiority インフェリオリティー 「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」に傾くのか、ということです。すなわち、道具の世界の掟にも、皆で共同してやる時のルールにも、計画し、あらかじめ日程が決められた手続きの中で、上手に自分の感じを合わせて活動できる、という根源的な感じの始まりです。
エリクソンのライフサイクルは、臨床から生まれたものですから、いかに実践的で臨床的か分かりますでしょ。小学生から、いい大人やお年寄りまで、自分の感じをきちんと出せるし、そのことを悦びにできることって、大事でしょう。その時には、自由に話してもいいし、その話はみんなで話し合うためにあるはずですね。日本軍や東芝、東電、大川小学校、西武学園…のように、自由にものが言えない、と感じていたら、もう「インダストリーのある人」ではありません。インダストリーは、「勤勉であること」ではないんですね。ですから、そういう人は、年恰好や身なりが「いい大人」であっても、小学生の発達危機である、industry インダストリー 「自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ」に傾くのか、それとも、inferiority インフェリオリティー 「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」に傾くのか、で、後者の方に傾いてしまったことです。すなわち、小学生の危機をうまく乗り切ってない人、ということになります。
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