エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

改訂版 セラピー、ないしは、心と心が響くこと

2015-09-15 07:26:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪約束≫
 巨大な遊び場 自主独立の人になる場2013-09-14 04:11:40 | エリクソンの発達臨床心理ア...
 

 
 今晩は、セラピーについて考えます。同じことだと私は感じているのですが、心と心が響くことも考えたいと思います。

 セラピー。カタカナ言葉。英語では、therapy。研究社の『リーダーズ英和辞典 第2版』には、「療法、治療」とあります。もともとは、ギリシア語の名詞θεραπεια セラペイア 「①奉仕、世話(中でも特に医者による)、治療の奉仕、治療、手当て」、「②仕える人々、召使いたち、家の者」などとあります。また、このθεραπειαは、さらには、動詞のθεραπευω セラペウオー「①奉仕する、仕える、②(医者が)治療する、手当てする、看病する、(治療を行った結果)癒す、健康を回復させる」と出てきます(いずれも、織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』から)。つまり、セラピーとは、「仕えることで、健康を回復させることだ」と言えそうですね。

 健康、ヘルス healthが、もともと、全体 all, wholeと同じ言葉であったことを考え併せますとね、自分を全体に向けで、広げることでしょう。全体というのは、内的に言えば、≪本当の自分≫のことですね。あるいは、外的に言えば、全人類、ないしは、神羅万象全て、ということでしょう。内的に言えば、今まで意識したり、受容したりすることができなかった自分を、意識し、受容することですね。それは、別の言葉で言えば、カッコ悪い自分であったり、みっともない自分であったりする場合がほとんどですね。渡辺和子さんの言葉で言えば、「ふがいない自分」になります。「ふがいない自分」も大事に、いとおしい存在として、受け止めることです。外的に言えば、今まで気に入らなかった人とも、イジメていた相手も、仲間として認めること。考えもしなかった、自然のこと、地球のこと、宇宙のことまでも意識して、暮らしていくことです。

 セラピーは、それをたった一人でするのではありません。セラピーは一人ではできないからですね。必ず相手が必要です。エリクソン Erikson, E.H.は、そのセラピーの関係を≪礼拝≫ritualization リチュアライゼーションと呼びました。そして、その関係は、心と心が響き合う関係 syntonic シントニックな関係と呼びました。これは自分と≪本当の自分≫の関係であると同時に、セラピーをする人同士、礼拝をする者同士の関係でもあるんですね。

 つまり、礼拝をする者が、セラピーを司るものが、自分の全体性、健康を回復したいと願う人に、仕えて、心と心を響き合う関係が出来ると、その相手の人も、≪本当の自分≫を、今の自分を≪超越≫する者として大事にすることで、心と心が響く関係を保つことができる訳です。礼拝するものが、セラピストが、相手を自分を≪超越≫するものとして大事にして、心と心が響き合う時はじめて、その相手も、自分と、自分を≪超越≫する≪本当の自分≫と、心と心が響くあって、≪本当の自分≫になれる、という訳です。

 ですから、≪本当の自分≫といつでも何度でも、響き合う関係でいることが、いつでも何度でも、大事になります。

 

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