個人の心における時間と空間 ⇔ 社会の文化における時間と空間ロバートは先生にも恵まれていたので、本当に良かったと思います。「自分から物事をはじめても良いという感じ(自発性)」が、「自分は...
一人の子どもの遊び。たいていは、それにあまり重きが置かれないものではないですか? しかし、今日のエリクソンに従えば、それは社会変革か革命にも匹敵するポテンシャルを秘めていることになりますね。
なぜか?
それは、子どもはその遊びを通して、自らの再生を、無意識裏に計ろうとします。そこには、自分の心的な時間と空間がハッキリと示されます。しかし、それは単に、子どもの心の中にある時間と空間にはとどまらないのです。社会を構成している時間と空間と結びついた時間と空間でもあるのですね。すると、その遊びを通して、その時間と空間が、その子どもにとって、より人間らしい時間と空間に再生すると、そのことを通して、子ども一人分の社会を構成している時間と空間が、より人間らしい時間と空間に再生することも、同時に意味します。
ですから、遊びは「単なるお遊び」では決してない。
しかし、「それだけでは足りない」ということをおっしゃる方もいるに違いありません。そう言う言葉を聞いても、私はマザーテレサに倣ってこう申し上げたいと思います。
「それでもね、最高をプレゼントするのよ。
Give the world the best you’ve got anyway.」
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