≪真実の関係≫の基本の「き」あの世とこの世を分けるルターの考え方は、問題アリでした。 Young Man Luther 『青年ルター』p.235の第2パラグラフ、下から5行目途中から。 ......
ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、p.45。ナウェンさんのお話の続き。重たい知的障害の青年アダムから教えて貰ったということの続き。
最後に、アダムが私に教えてくれたことは、まとまりのある集団ですね。「何かを共にすることは、1人でするよりも大事だ」ということです。私は1人でことをなすことに関心がある世界から来ましたけれども、今はアダムと一緒にいますでしょ、アダムはとても弱く、脆く、人なしにはいられません。私はアダムをホットケマセンもんね。私ども2人は、あらゆる人が必要です。…一番弱い人が私達を繋げるみたいに、アダムがまとまりのある集団を作り出すんですよ。アダムが私どもを1つにしてくれます。アダムはいろんな人を世話されなくてはなりませんし、脆い存在ですから、私どもは、本物の、人を大事にする、まとまりのある集団になることができます。
日本にも「子は鎹(かすがい)」という諺がありますね。弱い存在が、人と人を繋ぐ要になる。
石原慎太郎や、津久井やまゆり園の事件の犯人は、「弱い知的障害者には、存在価値がないから殺せ!」と言いますでしょ。人と人がまとまりがあること、やり取りする悦びを知らないから、そんなバカを言えるのでしょうね。
ナウェンさんは、
弱い立場の人が、人と人を繋げて、まとまりのある集団を作り出す、
という真実を見つけることができました。
逆に言えば、
人が集団を作るのは、助け合い、補い合うためだ、
ということもハッキリ分かりますね。
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