丸山眞男教授のことは、先日、当ブログでも、シリーズで学んだところです。「自覚なき独裁 無責任な私たち」から「「つぎつぎになりゆくいきほひ」と 私どもの無責任」まで、この7月中旬から下旬にかけて、6回シリーズでお届けしましたね。覚えておいででしょうか?
それは、主として、岩波書店が出した、初版の『丸山眞男集』を基にして、主に、日本の政治、組織の無責任体制を考えました。この『丸山眞男集』は、国立の増田書店に注文して買ったのを思い出しますね。増田書店のおやじさんから買いました。増田のおやじさんの、確か次男坊が、国立のリトルリーグ「サンダース」に入っていて、彼が三小、私が一小だったけど、同学年で、仲が良かったので、何度か遊んだことがありましたっけ。
『丸山眞男集』は全集ですが、それに収めきれなかった著作があるようですね。『丸山眞男集別集』(岩波書店)、『丸山眞男講義録』(東大出版会)、『丸山眞男話文集』(みすず書房)等があります。
今晩は、『丸山眞男講義録 政治学1960』から、個人と組織の関わりについて考えます。
個人は英語では、individual 組織はorganizationですね。それについて、丸山眞男教授が触れている箇所がありますので、それを引用しておきましょう。
「日本では、組織とはorganizeされた受動的なものと捉えられ、それを自分で組織していくもの、アクティヴなものとしてとらえられていない。これは我々の政治経験の未熟さから来ている」(前掲書,p.23)
全くお見事でしょ。日本人のよくある行動パターンを的確にとらえていますよね。本物の学問は、清々しいですね。
ですから、法律や条例などのルールも、その「法の精神」や「立法趣旨」とは無関係に、文字通りに適用しようとするお役所仕事や、制度を「制度をつくる精神」を考えずに、運用するというお役所仕事が蔓延る訳ですね。組織や団体も、既製品としてとらえて、「民主化」「民主主義的発展」を考えない訳ですね。でも、それだと、丸山眞男教授によれば、「政治経験の未熟さ」がもたらす幼稚な行動だ、ということですね。
でも、その手の幼稚な人に限って、「俺様(私)がこんなに我慢しているのに、あんなに(「アクティヴに」=「わがまま勝手に」)行動するなんて、許せない」と不満をこぼす場合が、非常に多い。その不満を、アクティヴに活動している人のせいにして、否定的情動が染みついた体験を他者に「投影」している訳ですね。組織を既製品として受動的に受け止めているから、その既製品に自分の身体を無理に合わせて、我慢しているから、不満と怒りが募るし、その否定的感情がベッタリの体験を、他人に「投影」しやすくなるわけですね。
私どもも、そのような「投影」をみすみす起こすような、幼稚園な政治行動を一日も早く卒業したいものですね。
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