アイデンティティ、自分を確かにさせることは、この世の栄華においては、出来ない…。
Young Man Luther 『青年ルター』p194の第2パラグラフの下から10行目途中から。
確かに、実存的な絶望を、システィナ礼拝堂で、永遠の地獄に直面する時以上に、強烈に感じる時はないし、人が避けては通れない、尊厳のある悲劇を、ミケランジェロのピエタを見た時以上、じかに感じることもありません。その他のルネッサンス期の聖母マリアを見れば、イエスが陽気に決然として、自分の足で立つ努力と、この世に手を指し延ばす努力をしていることが分かり、ミケランジェロの、この世のものとも思えないし、歴史を超えている感じもする彫刻の偉大さが分かるに違いありません。その彫刻は、永遠に若い母親が、その膝に、犠牲で亡くなった、大人となった息子を抱いています。永遠に対する1人の人のトータルな応答は、人生の一時に話した言葉にあるのではなくて、人生を通して、様々な言葉を述べた、その最後に話した言葉の中にこそあります。心理学的に申し上げれば、ルネッサンス期の人は、心の中にいくつもの矛盾を抱えていました。その矛盾とは、あらゆる道徳の重荷です。歴史が一致するのは、まさに、新たな価値の創造が、問題を新たに征服することにピッタリと呼応し、しかも、そこに関わる人々が歴史の傍らに落っこちちゃう時なんですね。
ルネッサンス期の人々は、自由を手にしていましたし、人間の絶望も、悲劇も、知っているばかりではなく、それを絵画や彫像にして表現するのにも長けていました。それでも、人が葛藤を覚えるのは、様々なことに上手に対処できるのに、自分にとって最も根源的な課題、どう生きればいいのか? ということに答えが見つからない、ということです。
あなたはその答えを見つけていますでしょうか?
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