ここ20年以上、日本は息詰まっていると感じている人がとっても多い。閉塞感を感じている人がとても多い。それは、言葉を変えれば、原理や信念を失って、不安に思い、眼に見えるモノ以外の目的をなくしちゃっている、ということでしょう。
p96第3パラグラフ。
宗教的文化では、たとえば、中世みたいなら、平均的な人は、神は自分を助けてくれる父親であり、母親であると見なすであろうことは確かでしょう。でもね、同時に、神を厳格に受け止めもしましまたね。それは、人生の最高の目的は、神の戒めに従って生きる、という意味ですし、他のすべての活動を従属させる最高の関心事を「救い」にする、という意味です。今や、こんなに努力するものはありません。日常生活は、現在は宗教的価値とは別物になっています。今の日常生活は、生活が便利になるため、受けがいい人間になるための努力になります。俗世で努力する原理は、無関心と自己中心の原理です(無関心は「個人主義」と呼ばれ、自己中心は「個人の独創性」と呼ばれます)。本当に宗教的文化の人は、8才の子どもたちと比べることができるかもわかりません。8才の子どもたちは、助け役として父親が必要ですが、自分の生活に、自分が教えてもらったことや戒めを、当てはめだします。現代人は、3才児のごとく、必要な時には父親を泣き求め、その他、遊んでいられる時には、全く自己満足している、といった具合です。
日常生活と宗教は別物になった、とフロムは考えました。それで日常生活は、自己中心となりました。日常生活から倫理と目的が消えちゃったのは、宗教が日常からなくなって、日曜礼拝や礼拝の時に限られちゃったこととイコールですね。
現代人は、神が死んだ後で、日常の便利さに自己満足しているのですが、実際は非常に不安定な日々を送っていることを忘れてしまっています。そして、大地震や大水が出る時に、ハッと気づくんですね。「自分は、脆い暮らしをしていたんだ」と。
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