#聖書の神様 と #悪い良心 #間に立つ者 と #上に立つ者#役に立たない実証研究 #知る前の感性が問われる 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてか......
「発達トラウマ障害」Enpedia
をご参照ください。
また不思議な声が,聴こえましたので,久しぶりに,ジョアンの文章を。The life cycle completed, extended version から。7ページの第4パラグラフ。今朝は5行目から。
もうお判りでしょう,英知とは,自ら関わる世界にこそあるのですし,自分から関わる世界は,私どもは五感を総動員して初めて繋がるんです。ですから,五感を実感しているからこそ,見たり聞いたりすることを通して,相手の立場に立つことができますし,五感は香りや味やタッチのおかげで,豊かになり,確かなものになるわけです。と申しますのは,生きとし生けるものは,五感というギフトを,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)から,ひとりびとり割り当てられているからです。心の習慣が生まれる気高い源は,時が経てば,善くなる,ということでは必ずしもありませんからね。目覚めた魂があれば,毎日繰り返し,心の習慣を,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様(サッカーなどの応援の合言葉,オッレー,オッレーオッレーオッレーの神様))から心の習慣を何度でも頂けますよ。
こちらも暗号解読をすると,以上のようになります。
この前の日曜日,「こころの時代」でケネス田中さんのお話をまた伺って,1年前に伺った時には気付けないことに目覚めることができました。
目覚める魂だけが体得底で信頼できる,のであって,単に教義を鵜呑みにする魂は,単なる学得底の偽物の信頼しかできない,ということが,その1つです。
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