幼いころにむごい体験をしたら、脳は壊される言うは易し、行うは難し きよしこの夜 今日はクリスマスイヴ。どんな夜を過ごされましたか? クリスマス礼拝に行って、ご馳走を食べて来た人......
発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は収入によっていろいろです。世帯所得によって,ワンセッション500円(家庭保護世帯,母親のひとり親世帯など)~30,000(年収1,000万以上)
今夜は, Young Man Luther『青年のころの ルター』 P.220,第3パラグラフ。
ルターが復活するために言い換えをしたこと(訳注:悪い良心に支配されて,過去がいつも裁かれ,毎日が「最後の審判」という,文字通り,地獄の辛苦をなめる毎日から,今現在にスピリットが,スピリットのために初めからことをなすことが,心身ともに復活することだ,神学的なコペルニクスの転回をする中で,言い換えをおこなったこと)の中には,心理学的真理が隠れていますね。「よく働く自我」がある人が,良い仕事をするのは,その人たちが,自分がやらなければならない務めを,「スピリットが働く自由を認めて」,なんとかできた場合(訳注:だけ)だ,ということです(理由いかんにかかわらず,誰のためかも無関係に)。これは,容易に巡ってくるものではありません。どんな神々の手を使ってもね,ですから,私どもは「強い自我」なんて言葉は,口先だけで使っちゃダメですね。
スピリットが働かないと,どんな仕事もいい仕事にはなりません,というのが,エリクソンの主張ですね。肝心なのは,いつでも,目的です。資本主義の精神スピリットは,プロテスタントの人たちの「心の習慣」の中にありますよ,と言ったのが,マックス・ウェーバーですね。ですから,それは,聖書の神様ということです。もっと言えば,人類,あるいは,森羅万象を遍く含んだ全体像,と言い換えることもできるでしょう。「聖書の神様のため,あるいは,全人類(森羅万象,全体像)のために,という目的が働く自由を認めて」やる仕事が,どんなお仕事でも,いい仕事になる,ということです。
また,「自我の強さ」なんて,本当は言えない,ということも,エリクソンは言っていると私は考えますね。自我は,エリクソンの言うように,無意識に支配されているからです。自我がやったことは,意識できても,自我そのものは意識しづらいものですよ。ですから,たとえ,その人が「良い仕事」ができたとしても,関根正雄先生や野村実先生みたいに,1つも自分を誇ることなく,こんなに謙虚な人がこの世の中にいるんだぁ,と感心するくらいになるんでしょう。
あなたはどう考えますか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます