生きている実感、生きる手応え、その2種類
若者の良心がマヒするのは、まさに権力(政治的権力だけではありません。親や教員などの大人が権力になることに、注意!)から嗤われる時だとするエリクソンの指摘はとても重要でした。なぜな...
1968年以降、あるいは60年代の後は、日本でも、欧米でも、「現状肯定」の時代がきました。
「現状肯定」も、「肯定」ですから、肯定的な側面もあるはずです。生活の安定は、その肯定的な側面なのかも、分かりません。しかし、今の日本の様な、露骨に「勝ち組」、「負け組」などと言われ、また「倍返し」などという、とっても下品な言葉が流行る時代です。少なくない人々が、息苦しさ、行き詰まり、生き辛さを感じているじゃないですか。ですから、チェインジ、世の中が根っから変えなくちゃならない、と感じている人々も、相当数いるはずです。
「秋葉原無差別殺傷事件」の様な事件、「誰でもよかった」と言って、他者を傷つける事件が、なくなるどころか、むしろ、増えていませんか? これは、息苦しさ、行き詰まり、生き辛さを感じながら、自分がその状況を変えられないばかりか、世の中が「現状肯定」であるからではないでしょうか?
誤解なきよう、予め申し上げるのですが、私は何も事件そのものを、「肯定」しているのではありません。むしろ、如何なる事情があったにせよ、他者を傷つけることは、あってはなりません。しかし、政治が、「現状肯定」を追認するだけなら、人々の絶望は、遠からず、マックスに達するでしょう。
ですから、チェインジの道が必要です。チェインジの道は、たくさんあるのかもしれません。私は、日々の生活の中で、弱い立場の人が、より人間らしい暮らしを実現することと、それを支援することが、社会全体のチェインジ、に繋がっている、という視点が、とっても大事だと、確信しています!
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