桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

新しい友

2016年09月01日 18時19分31秒 | 地域猫

 久しぶりにブログの更新ができました。

 更新はしていなくても、毎月八日の薬師詣では休むことなくつづけていて、毎月毎月、写真も資料も溜まって行くばかりなので、今月こそ、今月こそ、と思いながら、なぜか、途中で気力がプツンと途切れて、已む無く更新放棄……という毎月がつづいてきました。
 薬師詣では小外出をするので、近隣にお寺があれば寄って行こうと思います。またくるかどうかわからないと思えば、もう少し先にあるお寺、さらに先と欲張って、結局は訪ねる寺の数が多くなると、ブログに書くときには資料調べやなんやらで疲れてしまう。

 で、台風10号が去った
昨八月晦日、近場の散策をしたのをブログにしておいて、ブログ更新のクセをつけておこうと思ったのです。

 我が庵から歩いて13~4分のところに寶蔵院というお寺があります。
 そこに新しい友ができたので、様子を見に行くことにします。



 無人の小殿。我が庵の一番近くにある神社仏閣がこの天満宮です。

 お寺巡りをすることはあっても、神社には滅多に足を向けないのに、この天満宮に参るのは慶林寺参拝と並んで私の日課の一つです。この日もお参り。

 天満宮を過ぎると、緩い下り坂が始まり(急坂の径もあります)、下り切ると、富士川がつくった緩やかな谷が広がっています。
 人家もありますが、多くは畑と草叢です。



 坂の一つを下り切ったところ。

 右手に葛(クズ)が主体の草叢があります。蔓草の特性で、葛は絡まって上れる樹や電柱があれば、どこまでも上ろうとします。電信柱の支柱にへばりついて、ついに頂上を極めました。ガチャピン&ムックの巨大なムックみたい。ほとんど怪獣です。



 少し前、やはり寶蔵院に向かって歩いていたとき、草叢の向こうで「メェ~」という鳴き声がするのが聞こえました。こんなところに鳴き声の主がいるはずはなく、空耳かと思いましたが、一歩二歩と歩くと、やはり「メェ~」という声が聞こえます。

 歩く方向を変えて、声のするほうへ行ってみました。
 草叢を廻り込んだら……こんなん出ましたけど。



 別のところからも鳴き声が聞こえた気がしたので足を進めてみると、草叢に窪地のようなスペースがあって、なおもこんなんが二頭もいました。

 近くには農家はありますが、山羊、どころか、鶏を飼っている家すらありません。屋根もないここが山羊小屋であるはずはなく、翌日、翌々日と行ってみると、ロープが残されているだけで、姿はありませんでした。結局、この山羊たちがどこからきていたのか、わからずじまいです。



 怪獣のような葛の柱の足許に戻って、草叢を右に見ながら、富士川を渡ります。

 橋の長さは10メートルほどしかありませんが、この先合流する坂川が利根川を水源としているので、こう見えても一級河川なのです。

 いまの時期の富士川は夏草に覆われて、あまり川面が見えません。この川を渡ると、松戸市から流山市に入ります。



 富士川に沿った流山市側の田んぼ。すでに稲穂は頭を垂れています。



 栗林の栗もたわわに実を実らせ、台風の余波の強風にわさわさと枝を揺らせています。
 


 富士川の対岸も高台です。松戸市側はほとんど宅地化されてしまっていますが、こちらは雑木林の中。

 この径をこのまま進み、寶蔵院前も過ぎてさらに行くと、高台が切れるところに、いまは公園になっている前ヶ崎城址があります。

 流山市の施設案内によると、前ヶ崎城は、
「16世紀なかばに大谷口城の出城として築城されたといわれています」とありますが、別の資料には「1478年(すなわち15世紀)、太田道灌と長尾景春・千葉孝胤の争いに巻き込まれ、十一月三日に落城」
 という記述があります。

 施設案内の字数は限られていて、説明が尽くせないこともあるものですが、額面どおりに解釈してしまうと、16世紀なかば以前にはこの地に城はなかった、と理解する人もいるかもしれません。

 私が歩いている径については文献はありませんが、そのころ、すでに形づくられていた径ではないか、と聞いたことがあります。



 寶蔵院に着きました。

 山門横に建てられた標識には、
「創建は不詳。江戸時代初期の石造物がある真言宗(しんごんしゅう)の寺院。山号は開光山(かいこうさん)。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。巡拝塔群(弘法大師像88体)やサルスベリなどの保存樹木がある」
 とあります。 



 本堂左手に寺務所兼庫裏がありますが、無住のお寺なので、人の姿はありません。



 本堂前へ進むと、どこからか新しい友がスルスルと出迎えに出てきてくれました。
 頭頂部を柵にこすりつけて、歓迎のポーズです。


 この猫は「ママ」と呼ばれていて、呼び名のとおり、母猫です。
 
耳に不妊治療の施された印があります。猫たちの面倒を見ている近在のご婦人が病院に連れて行ってくれたのだそうですが、私はまだそのご婦人を見たことがありません。



 こちらは「シロ」(♂)。ママの子どもだそうです。



 五月ごろまではこんなのもいて、「茶々」と呼ばれていました。やはりママの子。

 三匹の中ではとりわけ警戒心が強いので、♀かと思っていたら、♂でした。

 ところが、このところ、とんと姿を見なくなりました。
 ときおり顔を合わせることのある男性によると、もう三か月も姿を見ていないということですから、私のカメラに収まった直後に姿を消したようです。

 誰かに拾われているのならいいのですが、警戒心が強かったところを思い返すと、そうそう簡単に人に心を許すとは考えられないので、心配です。



 かつてはこんなふうに三匹揃って食事をしていました。

「ママ」と「シロ」は真っ先に食べ出すのですが、「茶々」はいつでも逃げ出せるような姿勢を取りながら近づいてくるので、得られる分け前が尠いのです。
 二匹の猫が満足して首のあたりを掻いたり、顔を洗っているころには一所懸命食べ残しを捜しています。

 下が「ママ」。



 帰ってくると、アパートの入口にこんなものが転がっていました。
 まさかこんなところで羽化するとは考えにくい。台風の余波の強風で、どこかから飛ばされてきたのでしょう。

 先月の二十日ごろから風邪をひいています。
 風邪ひき慣れっこの私は、風邪をひくこと自体驚きもしませんでしたが、今回の風邪ひきで初めて体験したことは、眠れば眠るほど症状が悪化しているということでした。
 最初は、これまでのパターンと同じで、体調がスッキリしてきて、食欲も出たので、買っておいた握り飯を頬張る。そして薬を服んで午睡をとる。体調が悪くなっているとは考えてもみずに眠りこけています。
 そして目覚めを迎えると、ものすごい体調の悪さです。

 こうして、治りかけたな、と思いながら、いつの間にか深みに沈んでいる。
 週が開けてなお、よくなっていなければ、病院に行こうと思っているのに、月曜日になると、治ったかなと錯覚する体調。そして週が進むうちにいつの間にか深みにはまって行く。


 そんなこんなで、今日四日に到るも、咳と洟水に悩まされています。
 ブログも当日(八月晦日)は無理としても、翌一日には更新できると思っていたのに、今日四日になってしまいました。で、とくに理由はないのですが、更新の日時は一日のままにしておきます。

コメント (3)
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猫スポットを歩く

2012年02月24日 11時17分46秒 | 地域猫

 昨朝、庭にメジロのつがいが遊びにきました。隣室との境に植えられている樹の赤い実をついばみにきたようです。
 窓越しに葉が小刻みに揺れているの見て、なんだろうと立ち上がって気づきましたが、窓を開ければ逃げられると決まっているので、窓越しに見るだけでした。よって、画像はありません。
 赤い実をつけた樹は、私が引っ越してくる前からあったものです。去年の冬も赤い実を見たので、万両か千両か、ともかく藪柑子のたぐいだろうと思っていましたが、メジロが去ったあと、葉を一枚摘んで植物図鑑と照合してみると、万両、千両、百両、十両、どれも当てはまらない。
 今朝はジョウビタキがきました。



 散歩で本土寺裏の坂を下り、少し歩いたところで初めて見かけた猫殿です。風は冷たいのに、陽だまりにいるので、いかにも暖かそうです。
 散歩のときは鞄にドライキャットフードを詰めた容器を忍ばせています。それを取り出して、カシャカシャと振ってみましたが、この猫殿はそれが餌の音だとは知らないので、動じる気配はありません。見たところ、この家には三匹の猫が飼われているようでした。

 いつも私が散歩するコースには五か所の猫スポットがあります。庵を出て最初にあるスポットを過ぎると、本土寺の裏手にある石段か急坂を下ります。
 そこから次のスポットまでは、少し距離があるので、筑波山を望める高台に出たあと富士川の土手に出るか、高台には上らず、直接富士川の土手に出るか、通るところは日々気まぐれです。
 この猫殿のいる家はどっちへ行くか、その二股にあります。いつも雨戸が閉まっているし、表札にはガムテープが貼られているので、空き家かなァと思いながら見過ごしていた家でした。猫殿がいるのに気づいてよくよく見れば、一か所だけ申し訳程度に雨戸が開いていました。

 ついでながら……不景気だからか、それとも我が庵の周辺だけの特異な状況なのか、非常にたくさんの空き家があります。表札がかけられたままの家もあり、すでに取り外された家もあります。まだ新しそうな(といっても、二十年は経っているのでしょうが)家もあります。雨戸の閉まった家の前を通り、留守かなと思って屋根の上を見上げると、地デジ対応のテレビアンテナがないので、空き家なのだとわかります。あるいは夏であれば、草茫々となっているのに、いまの時期は草がないので、庭を見るだけではわかりません。
 その一方で、畑地や野原、林が潰されて、新しい家や住み心地のよさそうなアパートが建てられて行きます。

 富士川べりに出ます。川に近づくと、てきめんに風が強くなり、冷たくなりました。富士川を渡ると、松戸市から流山市に入ります。富士川に架かる葉ノ木橋か、上流に架かる羽中橋で川を渡るのがいつもの散歩コース。
 寒いけれども、天気はいいので、土手の上をたくさんの人が散歩したりジョギングしたりしています。



 無患子(ムクロジ)の樹のある家でこんな実を見つけました。もしかして釈迦頭(シャカトウ)か! と小躍りしながら近づいてみたら、釈迦頭の実にしては小さ過ぎるし、第一、熱帯から亜熱帯にかけての樹木が日本にあるはずがありません。
 庵に帰ったあと、樹木図鑑ひもといてみたら、どうやら三椏(ミツマタ)のようです。
 図鑑をひもといてみるまでもなく、私は去年の四月初め、満開になったこの花を見ています。見ただけではなく画像をブログに載せています。すっかり忘れ去っています。



 蝋梅の高木。樹高は4メートルほどあります。



 二つ目の猫スポットは小春の生息するところ。三つ目うさ伎(うさぎ)です。

 いつもの散歩だと常磐線のガードをくぐり、四つ目が富士丸。平賀川に架かる橋を渡る直前で再び松戸市に入って五つ目にはマユをはじめ、何匹もの猫が飼われているアパートがります。
 しばらく行っていないところがあったので、五つ目のスポットには帰りに寄ることにして、そのまま上富士川沿いに進みます。



 前方に国道6号線をくぐるガードが見えてくるあたり、再び松戸市になります。



 250メートルばかり歩くと、また流山市になり、道がしだいに上り坂になって行きます。途中、ここから「柏市」になる、という標識があります。坂を200メートル弱上って目的の行念寺に着きました。



 浄土宗の行念寺。



 今冬は寒さが厳しかったせいで、梅の開花が遅れているようです。



 行念寺を開いた經譽愚底さんのお墓。持参の線香を上げました。



 堀出の池を前に祀られているのは境内社の厳島神社。今日はここで引き返します。



 十数匹の猫殿が暮らしているアパート。五つ目にして最後の猫スポットです(逆回りで歩くこともあるので、そのときは当然最初のスポットとなります)。
 去年九月に生まれた仔猫三匹のうちの一匹が窓に姿を現わしました。



 ほかの猫たちに餌を置いたら、一丁前に首を突っ込んできましたが、まだ成猫用の餌は食べられないようです。外に出られるようになったとわかっていたら、仔猫用のミルクを買っておいたのですが……。手前からチビ(♂)、仔猫(性別不明)、フウ(♂)、右に離れているのはトラ(♂)。今日はマユはいませんでした。



 日脚もすっかり長くなりました。
 これは夕方五時に撞かれる東漸寺の鐘の音を聴きながら、富士川の対岸に映る私自身の陰を撮したものです。少し前までは五時といえば、すでに真っ暗でありましたのに……。

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立春猫日和

2012年02月04日 11時19分35秒 | 地域猫

 今年の冬は変な冬です。
 一月に限っていうと、冬日(最低気温が氷点下の日)は去年が三日だったのに対して今年は二日。去年は10度は越さなくても、9度台という日が三、四日はつづいたものですが、今年はそういうことがない。ただ、暖かいと思えた日は一日だけで、いってみれば中途半端な寒さの日がつづいています。

 今日は立春。陽が上るまでは寒かったけれど、陽射しが出れば、ポカポカと暖かい。猫たちも日向ぼっこと洒落込んでいるであろうと散策に出ました。



 時計回りコースで散策に出ると最初に会う猫殿です。
 右の黒いほうは黒兵衛と名づけていますが、左は最近出てくるようになった猫殿なので、まだ名はありません。
 二軒並んだメゾネット形式のアパートで飼われていますが、日によって右の家の前にいたり、左の前にいたりするので、実際はどっちの家の猫なのかわかりません。 



 つい数日前に発見したばかりの新しいスポットにいる猫殿です。三匹いるうちの一匹。こちらもまだ名はありません。 



 このあと、富士川を渡ります。
 無住の寺・寶蔵院に詣でたり、無患子(ムクロジ)の樹の下を通ったり、季節が初夏であればあじさい通りへ足を延ばしたりしながら、三番目のスポットを目指しますが、最近はパスすることが多くなりました。かつて小春と名づけた茶虎猫殿がいたのですが、最近は見なくなりました。天国へ旅立ったのかもしれません。



 在りし日の小春です。 



 第3スポットから第4スポットまでは200メートル弱。香取神社というお宮さんの前を過ぎ、常磐線のガードへ下って行く坂道の途中に、うさ伎(うさぎ)の出没する梨畑があります。
 ドライキャットフードを食べる姿勢にもそれぞれの個性があります。ドライキャットフードはアスファルトの上に置きますが、人間でいうと、小春は後ろ足を立てたままの立ち食い、うさ伎はちゃんと坐ってお行儀がいい。



 うさ伎のいるところから200メートル強で第5スポット。富士丸と名づけている猫殿。首輪をしています。
 最初に見たのはこの場所とは背中合わせになった民家で、去年の真夏でした。首輪をつけていたので、その家の飼い猫かと思って、家をよくよく見れば、表札が剥がされて、住む人のいない廃屋でした。
 次か、その次の機会であったか、廃屋と背中合わせになったこの家のブロック塀の上で日向ぼっこをしているのを見かけました。ふと見ると、その家の表札は猫の形にくり抜いたものでした。ハハァ、この家の住人(住猫?)であったか、と思いましたが、まだ確証はつかめていません。



 第6にして最後のスポットは老嬢が十数匹の猫を飼っているアパートです。左からマユ、黒い背中だけ見えているのがトラ、アメリカンショートヘアのようなシマタロウ、一番右にいるのがヒロ。



 我が庵があるのは平賀中台という台地で、周辺を歩くと、結構アップダウンがあります。台地の陰になったところは、多分これまで一度も陽が当たったことがなく、先月二十四日に降った雪がまだ残っていました。

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一日早いお年玉

2011年12月31日 21時49分08秒 | 地域猫

 流山の天形星(てんぎょうせい)神社に棲む野良の黒猫(黒介)に、一日早いお年玉を持って行くことにしました。明日、元旦は形ばかりですが、初詣に出かけるつもりです。黒介に会いに行くことはできないので、一日早いけれど、お年玉です。どうせテキは一日早いんじゃないの? などとは思いません。

 昨三十日は陽射しこそありましたが、久々に風の強い日でありました。いつものように買い物ついでに近隣の散歩に出て、富士川沿いの径に出ると、ことのほか川風が冷たくなります。ここしばらくは雨もなく、いまの時期は何も栽培していない畑も多いので、強い風が吹くと、土煙が舞ったりします。
 富士川岸に出る前に、猫の黒兵衛を慰問し、富士川を渡ってうさ伎(うさぎ)、さらにマユと訪ねたあと、北小金駅前のスーパーで買い物をして帰る、というのが私のいつもの散策コースです。
 お正月だからといっても、お雑煮をこしらえて、お屠蘇代わりに焼酎を引っかけるぐらいのことしかしませんが、そのときの買い物で買い忘れたものがあったので、夕方、再び買い物に出ました。風は熄まないどころか、いっそう冷たくなっているようでした。ふと黒介はさぞ寒かろうと思ったのです。
 黒介と同じ黒猫の黒兵衛がいるところまでは、我が庵からほんの二~三分の距離です。うさ伎とマユのいるところも、直行すればそれぞれ十数分ですから、雨だったり、所用があって出掛けねばならぬ限りは散歩のついでに通ったります。日によっては二度も通るということもあるのですが、黒介に会いに行こうとすると四十分もかかるので、よっしゃ行くか、と決心しないと行けません。

 黒兵衛もうさ伎もマユも、初めて出会ったころは野良か、と思っていたのですが、徐々に飼い猫であったと知れてきました。黒介だけは確実に野良です。



 黒介の棲む天形星神社へ行くのにはふた通りの道があります。今日は坂川の放流口が見える道を通ります。



 金乗院。
 台地の端っこにあるので、もしかしたら筑波山が望めるかも……と思って足を延ばしてみたのですが、分け入っても分け入っても、前には小規模ながらも林があって、筑波山を見ることはできませんでした。



 天形星神社です。私がこの天形星神社へやってくるのは、いつの間にか参拝ではなく、黒介に会うことが主目的となってしまいました。



 黒介に連れ合いができたのは前回・今月五日の訪問で知りました。
 浜崎あゆのように、ほとんど一年で別れてしまうことの多い野良のことなので、いずれ離れるだろうと思って、名はつけずにいます。今日はこの連れ合いがいただけで、肝心の黒介の姿は見ませんでした。



 帰りは春山寺に寄って行くことにしました。道沿いにこんな御堂があったのを初めて知りました。



 春山寺本堂です。

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うさ伎も一周年

2011年12月15日 21時47分42秒 | 地域猫

 柏のほうから乗った常磐緩行線の電車が北小金駅に近づいて、スピードを落とし始めるあたり ― ほんの一瞬ですが、進行方向右手に猫の小春が棲息している香取神社、つづいて同じく猫のうさ伎(うさぎ)が棲息している梨畑が見えます。
 昨十五日、所用があって柏へ行って帰ってきました。十一月中旬並みの気温という暖かい日でした。そういう日だと、うさ伎が梨畑に寝そべっていることが多いので、今日もいるかしらんと電車の中から見ていると、果たしていつもいるあたりに、鮮やかな緑色の洋服を着た若き女性が坐り、その足許に黒と白の毛並みの小さきものがいるのが見えました。

 うさ伎は人懐っこい猫殿なので、去年、私が初めて出会ったときのように、通りかかったその若き女性に「ニャー」と呼びかけながら、覚束ない足取りで近寄って行ったのでしょう。
 走り去る電車の中から見えるのはほんの一秒ぐらい。まして私は乱視、であるのに、外を歩くときは眼鏡を用いない……そういう眼で見るのですから、本当のところは女性が「若き」だったのかどうかはわかりません。
 眼鏡なしの乱視であっても、男か女かはわかります。では、老いか若きかはどのようにして判別できるのかというと、先入観です。おばさんは忙しいので、猫とつきあっている暇なぞない、と踏んでいるからです。
 おぢさん(私です)は暇を持てあましているので、猫とつきあう時間はありますが、おぢさんと猫が仲良さそうにしていても絵になりません。しかし、若い女性であれば絵になります。



 その日の私は所用で柏に行っていたので、いつも鞄に入れている猫殿用の餌を持っていませんでした。
 一旦家に帰り、ドライキャットフードのカルカンとモンプチをミックスさせたおやつを持って梨畑に向かいました。電車で見かけたときから三十分近く経っていましたから、すでに「若き」女性は立ち去って、枯れ草の中にうさ伎が寝ていました。
 


 梨畑は真冬に備えて枝の剪定も終わっているので、陽光が降り注ぐ地面は暖かそうです。



 寝ているのを起こさぬように抜き足差し足で近づいて写真を撮ったあと、パンパンと両手を叩くと、ムックリと起き上がって、かすれた声で「ニャー」と鳴き、私に向かってポンポンと飛び跳ねるように走ってきます。



 この猫殿を初めて見たのは去年の十二月二十三日でした。
 そろそろ一周年です。
 首輪もしていないので、最初は野良の仔猫かと思いましたが、野良にしては随分人懐っこい。やがてすぐ近くに棲む老嬢の家で飼われているらしい、と知るようになりました。
 私がうさ伎と一緒にいると、近くに住んでいる小学校に上がる前らしき女の子がやってくることがあり、その子から聞いたのです。



 うさ伎が日向ぼっこをしている梨畑のすぐ横を、常磐線の電車が猛烈な風を巻き起こしながら走り去って行きます。今年の六月ごろまで、うさ伎は電車がくるたびに、近くに停めてある軽自動車の下に身を隠していました。



 金網の横にはレールを使った鉄柵が設けてあります。腰を下ろすのにちょうどよいので、キャットフードを置いたあと、私はここに腰を下ろして食事をするうさ伎を眺めています。
 食欲も旺盛になりました。



 私が鉄柵に腰を下ろすと、茅の輪くぐりをするように「8の字」を描きながら私の足許を廻っています。私が見下ろしているだけだと、ときおり私を見上げて「ニャー」と鳴きます。
 コミュニケーションをとりたいのだなと考えて、初めて抱き上げてみました。ところが、案に相違して嫌がるので、すぐ解放しましたが、抱き上げてみて、うさ伎は♀であったことがわかりました。



 去年もこの場所で菜の花が咲いているのを見ました。随分気の早い菜の花があるものだと思い、もしかすると菜の花に似ているが、菜の花ではないのかもしれぬと思ったものですが、気の早い菜の花なのではなく、苺の受粉のため、この時期に咲かせているのだとわかりました。



 付近には苺農家がたくさんあり、ハウスも林立しています。



 無患子(ムクロジ)の樹はほとんど裸になりかけています。



 富士川にはおびただしい真鴨の群れがやってくるようになりました。これだけ多くの鴨の胃袋を満たすだけの魚がこの小さな川にいるんだろうかと思いますが、やってくる以上はいるのでしょう。



 寒さはこれからが本番、と思うのに、白木蓮の樹はすでに春に向けて、猫柳そっくりな芽を育んでいます。

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野良の黒介一周年

2011年12月05日 12時53分37秒 | 地域猫

 昨三日まで、わずかに花弁を残していた我が庵の石蕗(ツワブキ)でしたが、今朝見たら散っていました。



 今日、十二月五日は去年、天形星神社というところで暮らしている黒の野良猫殿(黒介)を初めて見かけた日からちょうど一年です。記念して会いに行くことにしました。



 風は強いけれども、陽射しは強く、暖かでした。しばらく川に沿って歩くことになる富士川にはおびただしい数の鴨がいました。

 流山市に入ると、まだ未舗装の道が残されています。雨は二十四時間前に上がっていて、我が庵周辺のアスファルト道路はすっかり乾いていたのに、この径では凹んだところはすべて水溜まりとなって残っていました。



 東側から見た天形星神社です。高い杉木立の間から見る社殿はずっと昔に訪れたことのある箱根神社を思わせます。




 天形星神社ではちょっぴりうれしくなるようなことが待っていました。


 どうやら野良の黒介に茶虎の連れ合い(左)ができたようなのです。

 黒介は身を隠していた植え込みの中から姿を現わして、しばし私を凝視したあと、私がまさに私であると認めて、小走りにやってきました。そのあとに現われ出たのが左の茶虎殿です。
 普通なら初めて見る私のほうに近寄ってくるはずがないのですが、黒介の知人らしい、と安心したのでしょう。スタスタと歩いてきました。

 小さいので見えないかもしれませんが、紅葉を撮した前の画像で、二本ある楓のうち、左の樹の下に茶虎殿の横っ腹が映っているのです。
 黒介だけが餌を食べているので、連れ合いの前にも餌を置いてやろうと近づくと、さすがに私を避けようとします。しかし私が離れると、また黒介のそばに戻って、黒介が食べるのをじっと見ています。



 黒介家は「かかあ天下」であるようです。先の画像を撮ったとき、黒介だけが食べているみたいですが、実は餌を置いたとき、あたかも「君から食べろよ」とでもいうように、黒介は一瞬も二瞬も間をおいたのです。茶虎殿が遠慮したのか、警戒したのか、食べようとしなかったので、黒介は渋々腰を上げた、という感じでした。



 夫婦となったか、まだ恋人同士か連れ合いか。別の場所に餌を置くと、茶虎殿は遠慮することなく食べてくれました。




 流山の里山。




 天形星神社からはるばると歩くことおよそ四十分。いつもの梨園に着くと、うさ伎(うさぎ)が梨の樹の根元で眠り込んでいました。




 10メートルほど離れた道路で、パンパンと両手で音をさせると、うさ伎は飛んできてくれました。
 歩き方はポンポン弾むようで、まるで猫になったシーズーが歩くのを見ているみたいです。

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ミー、ヒロ、マユ&シマタロウ

2011年06月17日 23時22分24秒 | 地域猫

 十六日、また内視鏡の検査を受けました。
 消化器系なので、行くのは湯島の検査センターではなく、前に入院したことのある新松戸の病院です。検査は十一時過ぎから。電車で一駅なので歩いて行くことにしました。




 予約表には、指定時間の十五分前においでください、と書いてありますが、検査も診察もこちらが忠実に時間を守っても、時間どおりに始まるということはまずありません。



 内視鏡室は病院の一番奥にあって、レントゲン室、エコー検査室などが並んでいます。
 一昨年の十一月、這々のていでこの病院に辿り着いて診察を受けたら、緊急扱いといわれてストレッチャーに載せられ、レントゲン室、内視鏡室と引き回されることになりました。
 そして、あれよあれよという間に「入院」ということになってしまったのですが、ストレッチャーに仰向けで寝ている私の眼に入るものは病院の天井しかなかったし、呆然としているうちにコトは運ばれたので、レントゲンを撮るために運び込まれたのはこの部屋だったのかどうかも定かではありません。

 内視鏡検査そのものは十五分程度で終わります。
 前の検査では一時間後に水を飲み、異常を感じないようなら食事をしてよいといわれましたが、この日は検査をするために胃の組織を採ったので、制限時間が二時間と長くなりました。
 前回(四月)の内視鏡検査のときはブスコパンという注射を打たれましたが、今回は喉の麻酔薬を服んだだけです。部屋は前回は明るいままでしたが、今回は暗くなりました。

 診察の予約が入っていたのは二時間後です。
 前夜から何も食べていないので、腹が空き始めていましたが、食事ができるのは診察を終えてから、ということになります。
 コーヒーを飲むことはむろん、何も食べられないのですから、喫茶店に入って、診察が始まるまでの時間を潰すわけにもいきません。近いので家に帰る時間はありますが、水すら飲めないのでは、帰ってもしょうがない。

 どこか適当に散歩しながら時間を潰そうと思い、あじさい通りへ行くことにしました。



 開花する株がふえるのにつれて見物客もふえてきました。



 このあじさい通りでは「※住宅街の中にあるため車での来訪はご遠慮ください」とありますが、そのように書かれているのは流山市役所で出している観光マップだけです。現地にはなんの表示もないので、遠慮なしに車が入ってきます。
 まぁ、このへんの住民は「自転車は降りて通行してください」という注意書きが出ていても、100%降りないのですから、相手ではなく、自分にとって面倒な所作を伴う表示であれば、守ろうとする気はないので、何か掲示を出したところで、無駄なことではありますが……。

 車がすれ違うのはやっと、という感じの狭い道ですが、普段は地域住民が利用するだけですから、一方通行にはなっていません。勝手を知らぬ車も入り混じって、そこらじゅうで角突き合わせていました。

 ここに紫陽花(アジサイ)があると知って、初めてきたという人ならしょうがないと思いますが、すれ違った車の運転席で「ほら、きれいだろ、この先にもまだ咲いているんだよ」と助手席に乗せた彼女に自慢している(自分が育てたわけでもないのに)輩は、どう考えても確信犯です。
 やれやれ。先の大震災で日本人全員が他人を思い遣るようになり、優しくなった、と感じたのは私の見当違いだったようだ。そう思いながら、あじさい通りを離れました。

 キウイ畑のある坂を上り、坂を下っても、思ったほど時間は経過していない。猫を見に行くことにしました。



 この猫の名はミー。ほかの猫がいないときでも、この猫だけポツンといることがあります。しかも少し離れて……。
 元は飼われていたのに(飼われる前は野良だったようですが)、なぜか家に馴染もうとはせず、再び野良化したのだそうです。かといって、遠くへ行ってしまったりはしないらしい。つかず離れずという感じ。干渉されたくないけれど、もらえるものはもらいましょうという姿勢のようです。
 おやつを与えるためにしゃがみ込んでいたら、元飼い主の老嬢が出てきて教えてくれました。先日、顔見知りになりました。全部で十五匹も飼っているそうです。



 上のミーにおやつを与えていると、いつも真っ先に出てくるのは左のヒロ(♀)と右のマユ(♂)。
 二匹は兄妹です。ヒロは身体が小さいので、てっきり仔猫かと思っていましたが、つい先日二匹の赤ちゃん猫の母になったばかりです。



 これは何日か前、ヒロの名をヒロとは知らぬころに撮った画像です。美女です。



 アメリカンショートヘアが混じったようなのには、確かにアメリカンショートヘアの血が入っているそうで、名はシマタロウ(♂)。手前は名と性別を聞いたように思いますが、憶えられませんでした。



 これも名前は憶えていません。

 次から次へと出てくるものだから、飼い主である老嬢も「エエッと、これはなんだったかな」と、わけがわからんようになってきているので、私に到っては完全にわけがわからん状態です。
 時間潰しの散歩の途中ですから、手帳など持っていない。あれもこれもと欲張ることは最初から諦め、この日は四匹の名前だけ憶えて、あとは憶えないことに……。無理に憶えようとすると、全部忘れてしまいます。

 やがてヒロが産んだばかりという体長15センチほどの仔猫(二匹)まで出てきましたが、撮そうとしたらカメラは無情にも電池切れ。
 画像はまた次の機会に……。

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慶林寺の花と猫五題

2011年04月22日 17時20分30秒 | 地域猫

 松戸市役所へ出向く用があった帰り、新松戸で降りたあと、庵までは歩いて帰ることにしました。
 途中下車したのは北小金のスーパーでは手に入らないもの(ガーリック入りマーガリン)が新松戸のスーパーなら置いてあるからなのです。



 新松戸駅から我が庵までは2キロ少々、三十分もかかりません。
 途中の呑み屋街には十匹近い猫殿が棲息している一画があります。この日、見かけたのは三匹。去年四月ごろから通っていないので、メンバーは入れ替わっているものと思われます。



 常磐線と武蔵野線を結ぶ武蔵野貨物線に沿って歩き、常真寺という日蓮宗の寺の横を北小金の高台に向かって上って行きます。



 上り切ったところにこんな猫殿が待ち構えていました。あまり通ることのない道でもあり、初めて見る猫殿ですが、私がおやつを持っていると見抜いたものか、私が立ち止まると歩み寄ってきました。



 しゃがみ込んでおやつを置いていたら、いつの間にか左の猫殿も現われました。
 次から次へと猫殿が現われるのはうれしくもあり、愉しくもありなのですが、呼び名をつけている暇がありません。



 慶林寺前に差しかかると、すでに北小金駅も間近です。慶林寺の住持様はまだお顔も見たことがありませんが、花が好きな方のようです。

 50メートルほどの参道には珍しい花もあり、これはその一つの紅花常盤万作(ベニバナトキワマンサク)。中国原産の常緑樹だそうです。挿し木で繁殖するそうなので、剪定の時期ににでも訪ねて、枝をいただこうかと考えています。



 もう一つは御衣黄(ギョイコウ)桜という、これも珍しい花です。開花初期の花色はもっと緑がかった色で、貴族が着る萌葱色の衣服に近いことから、その名がついたといわれています。

 どんな花を咲かせるものか、まだ葉を出したばかりなので想像もつきませんが、別名を「おたふく」とも呼ばれる渦紫陽花(ウズアジサイ)も植えられています。

 つづけて猫に会ったので、もしかしたらうさ伎(うさぎ)に会えるかもしれないと思い、北小金駅を通り抜けて遠回りすることにしました。



 北小金駅からおよそ600メートルほどの距離のアパート前に蓬(ヨモギ)の猫殿がいました。おやつを置いてふと気づくと、いつの間にか右の猫殿が姿を現わしていました。
 左の緑色の金網の向こうは奥行きが40メートルほどもある広い駐車場です。そこにはなんと五匹もの猫殿がいました。

 このアパートからうさ伎の棲息している梨畑までは350メートルぐらい。小春の棲息する香取神社までは400メートルぐらいです。



 会うのは何日ぶりになるのか、うさ伎もいました。



 こちらは五回に四回は会うようになった小春です。



 キウイの花の蕾。間もなく開花を迎え、ゴールデンウィークのころには咲き揃うそうです。

 今日は二十四節気のうち、穀雨です。我が地方では今朝の日の出は四時五十九分。六月なかばまで、日増しに日の出の時刻が早くなります。

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猫のうさ伎と紫陽花の群落

2011年03月30日 18時54分50秒 | 地域猫

 今日、二十五日ぶりにうさ伎(うさぎ)に出会えました。

 


 うさ伎は私が腰を下ろしたところを、私の脛のあたりに身体をこすりつけながらグルグルと回るのが好きなようです。
 今日はなんとしても顔を撮ってやろうと思ったので、しばらく立ったままでおりました。私が腰を下ろさないので、恨めしそうな表情をしているように見えます。

 撮ってきた写真を改めて見てみると……口の周りに雀斑(そばかす)のような模様があるし、顔や身体に比すれば耳が大きい。「うさ伎」と名をつけたのは間違っていませんでした。

 次に小春がいるはずの香取神社へ足を向けましたが、いませんでした。今日はほかに目指すところがあったので、長居はせず、定例の場所(拝殿の欄干下)におやつを置いて、立ち去ることにしました。



 いないと思った小春が別のところにいました。

 香取神社前から国道6号線に出る細い径を歩いていたら、背後で「ニャー」という鳴き声がした、と思う間もなく私の足許にまつわりつきました。どこにいたのかわかりませんが、後ろ姿だけで私だとわかったのです。
「へえ、偉いもんだなぁ」と声をかけたら、「そんなことはどうでもいい」とばかり、おやつを催促して「ニャーニャー」と相変わらずうるさいやつです。
 鞄からおやつを入れたタッパーウェアを取り出すと、蓋を外すのも待ち切れずに鼻を突っ込んでくるのもこやつだけ。うさ伎も湯屋の近くの飼い猫殿も、私がおやつを置き終わるのを静かに待っているというのに……。

 うさ伎と小春の縄張りは隣同士ですが、二匹とも同じ日に出会えた、というのは初めてではないかと思います。大概はうさ伎がいないことのほうが多いので……。

 うさ伎に出会う前、ドッグランに兄弟コリーがいるのを見ました。最後に見たときからほとんど四か月が経っています。
 遠くから見つけて、「いたいた」とうれしく思い、足早に歩いたのですが、途中で視界の遮られるところがあります。そこを抜けると……アリャリャいなくなっている。
 ドッグランの出入口がある道路に回ると、50メートルほど先を去って行くのが見えました。私が見つけたときはちょうど帰るところだったのでしょう。

 追いかけて行って話しかけるほどのこともないので、去って行くのを見送りました。

 兄弟を連れているご婦人が病気でもしているのではないか、と心配していたことをブログに書いたら、ドッグランで元気そうな姿を見かけた、というコメントをくださった方があり、長い間見かけなかったのは、たまたまタイミングが合わなかっただけなのだと得心しましたが、実際に自分の目で元気そうな様子を見て安心しました。
 それだけでいいのです。

 小春ががっついていて気づかれないうちにそばを離れ、国道6号線に出ました。七分ほど歩くと名都借(なづかり)交差点。
 その直前に前ヶ崎城址公園前から国道6号に抜けてくる道があります。かつて(といっても戦国期)名都借谷津と呼ばれた谷の跡で、南柏駅~流山免許センター~南流山駅を結ぶミニバスが走り、そこそこに交通量も多い道路です。その道路端に「東部あじさい苑」と名づけられた紫陽花の群落があると知ったので、季節的には早過ぎるけれども、下見に向かったのです。

 


 短い坂を下ると、右手に流山市東部公民館。その前に紫陽花の群落がありました。
 二月二十三日のブログに書いた、あじさい通りとは繋がっていませんが、すぐ近くです。「本州団地元気会」という木札が建てられているところを見ると、どうやら同じメンバーによって手入れがなされているようです。

 


 幅10メートルほどの斜面いっぱいに紫陽花の樹がありました。

 あじさい通りが長さ250メートルほどあるのに対して、こちらは100メートルほどと短い。しかし、斜面の幅は倍近くあるので、本数的には遜色がないのではないか。どちらが見応えがあるでしょう。ひと月前にあじさい通りで見たときに較べて、若葉も随分大きくなりました。
 あじさい通りは流山市の観光マップに載っていますが、東部あじさい苑は載っていません。あじさい通りには、もう一か所見所がありますよ、という案内はないので、折角近くまできているのに、見逃す人がいたら残念です。
 我が庵からは二十分ほどと距離がありますが、季節がきたら、できるだけ歩いてみようと思います。
 
 ひところよりかなり暖かくなりました。ことに今日などはセーターを着ていると、汗を浮かべるほどでした。しかし、私の血の巡りは相変わらず改善されず、肩と首の周り、手の指先だけは冷たいままなので、散策時にはまだスヌードと手袋は欠かせません。

↓あじさい通りと東部あじさい苑のマップです。
http://chizuz.com/map/map87028.html

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うさ伎がいた!!

2011年02月02日 20時57分34秒 | 地域猫

 昨日、うれしいことがありました。
 もういなくなったと思っていた野良のうさ伎(うさぎ)がいたのです!!

 暮の二十六日に見かけたのが最後でしたから、三十六日ぶりです。こんなに長い間見なかったので、まさかいるとは思いませんでした。
 それに、それだけ顔を合わせていなかったのに、うさ伎のほうではちゃんと私を憶えていて、私が見つけるより先にニャーと鳴いて挨拶をしてくれました。

 暮れから正月初めにかけて、プラスチック容器に入ったいなばのチャオと牛乳と、牛乳を注ぐために100円ショップで買ったプディングをつくる容器を持って訪問していましたが、二十六日を最後にぷっつりと姿を見せなくなっていました。
 年が明けてしばらくは帆立貝の食器にドライフードだけを置いて帰り、翌日行ってみるときれいになくなっているので、姿は見せなくても食べていてくれるのだな、と考えていましたが、食器が遠くに飛ばされてひっくり返っていることがあるのを見るうち、もしかしたら餌にありついているのはうさ伎ではなく、鴉メなのではないかという疑念が湧き始めました。
 気のせいか、私が餌を置いて帰ろうとすると、鴉メがアホーアホーと啼いて、餌を狙っているように思えたのです。

 


 何はともあれ、よかったよかったと私は涙をこぼさんばかりに感動してしまいました。



 腹を空かせていた、と思われるのに、身体が小さいせいか小食です。食器に一盛りの餌だけで満足してしまったようです。
「あとでおなかが空いたときに食べなさい」といって、もう一盛り載せましたが、見向きもせず、私とのコミュニケーションをとりたいのだというように、近くにしゃがみ込んだ私に身体をこすりつけながら、周りを何度もグルグル。
 時折私を見上げてはニャーと鳴きます。



 名前はうさ伎で、正体は猫なのに、狐目です。
 私が立ち去ろうとすると、かぼそい鳴き声をあげながら、私のあとを追ってきました。一緒に行きたい、という素振りです。

 迷います。
 もう少し広い家で、私に外出せねばならぬ用事のあるときでも、誰か面倒を見てくれる人があれば……と思うのですが、イヤ、人間の身勝手でそんなことを考えてはいかんいかんとみずからをたしなめます。



 ついてくるな、と私がいっているのがわかったのか、そっぽを向きました。寂しそうな後ろ姿です。
 私が腰を下ろすとまた近寄ってくるので、私は立ったまま。時折私を振り返って、悲しげな声でニャーと鳴きます。

 画像のアスファルトが斜めに切れているところが常磐線に沿って前ヶ崎の香取神社に上って行く香取坂(私の勝手な命名)です。想像するに、ここまでがうさ伎の縄張りなのでしょう。
 坂道に出るところでは急に用心深くなって、周りを見回していました。



 うさ伎と別れたあと、サティに寄ったら、ミニ鰹節がおまけについたチャオの四個パックがありました。早速持って行ってやろうと購入しました。

 そして今日……。
 私も飲んでいる明治ラブをマグボトルに入れ、一緒に昼飯にしようと自分用の握り飯をこしらえて行ったのですが……そうは問屋が卸さない


 


 うさ伎のいないうさ伎坂。この坂の名も私が勝手に命名。しばらく待っても現われなかったので、帆立貝にチャオとは別の餌を置いて立ち去ることにしました。



 前ヶ崎の香取神社へ行ったら、こちらには小春がいました。
 いつもなら餌を置くやいなや一心不乱にがっついて、私のことなどどうでもよいようなのですが、今日は私が立ち去ろうとすると飛んできて、足許を歩き回っています。
 随分早食いだなぁと餌を置いたところに戻ってみると、すべて食べ切っていないのです。

 昨日、うさ伎が身体をこすりつけたのと同じスラックスを穿いていたので、臭いでも感じとったのでしょうか。
 まあ、確かに小春に初めて会ったのは十一月。うさ伎は十二月になってからですから、わずか一か月の差ながら、小春のほうが付き合いは長いということになります。
 浮気は許すまじ、といいたがっているような気にもなりました。

↓うさ伎が棲息しているあたりの航空写真を載せました。
http://chizuz.com/map/map83192.html

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春がきたよと猫殿が鳴く

2011年01月29日 18時37分06秒 | 地域猫

 昨日は朝から家の周りで「ウヮーォウヮーォ」という♂猫殿の呼び声。
 まだまだ寒さはつづいていても、自然界では春が近づいているのだなと、嘘寒い両肩を抱いて寒さをこらえながらも、ほんのりとうれしい気持ちになっています。

 獣医先生の話だと、猫殿の発情は日照時間によってコントロールされているそうです。日照時間が長くなると、発情が誘発され、日照時間が短くなると終結するのだとか。つまり、「ウヮーォウヮーォ」という鳴き声は猫殿が春を感じとっている証拠なのです。
 群れをなして生活している猫殿は、一匹が発情すると、発情の同期化という現象が起きて、初めはバラバラだった周期が徐々に同時期になってくるのだそうです。どうやら発情した猫殿の臭いを嗅ぎとることによって、そういうことが起きるらしい。

「ウヮーォウヮーォ」という鳴き声に誘われたのか、いつもなら我が庭に出没する前の家の飼い猫しか見ないのに、周辺で見慣れぬ猫殿を四匹も見ました。
 発情は二週間から三週間つづくらしいので、姿を現わせば食事を提供しようと待っていたのですが、独特の鳴き声は昨日一日で終わってしまいました。それとともに見慣れぬ猫殿も姿を消してしまったみたいです。



 猫殿がウロチョロしていた間、我が庭に飛んでくることのなかった鳩がやってきました。いつ買ったものだかわからない押し麦を庭に撒いています。



 ホワイトアスパラのように見えますが、まだなんの芽かわかりません。富士川べりで見つけました。



 うさ伎のいる近くで、道路を猫殿が走っているのを見かけました。
 遠くで見たときは、すわうさ伎か、と思ったのですが、一段高くなった栗畑に逃げ込んでから私のほうを振り向いたところを見ると、全然違う猫殿でした。
 私はどちらかというと面喰いなのですが、美形の猫殿にはなかなかお目にかかれません。

 うさ伎を見かけなくなって、いつの間にか一か月以上経ってしまいました。



 前ヶ崎の香取神社には二日間顔を見せなかった小春がいました。
 餌を食べ終える瞬間を、せっかちな私としては気長に待ちつづけ、初めて前からの撮影に成功しました。
 へのへのもへじのような顔をしていて、お世辞にも美形とはいえません。しかし、私を見つけるやいなやニャーニャー鳴きながら走り寄ってくるあたりは限りなく愛おしいものです。



 小春におやつを与えていた間に、鳴きながら走り寄ってきた新参の猫殿。この猫殿
も初めて見ました。
 小春のほうはおやつしか眼中にないようですが、こちらは小春を気にしながら食べています。仲良し、という関係ではなさそうです。

 香取神社から国道6号線に出て、信号のないところを横断。
 上り下りとも車の流れの絶えることがないような国道ですが、ときおりエアポケットのような瞬間ができます。近道を辿ってまず行念寺へ。



 前にこの近道を行ったときには気づかなかったのですが、ずいぶんモダンな家があるもんだと思ったら、この地区の自治会館のようでした。



 旧水戸街道沿いに在る行念寺。今日は境内に入らせてもらって、当山開山・經譽愚底(きょうよ・ぐてい)さんのお墓にお参りしました。
 ブロック塀越しに見える黄色と青色の建物はマツモトキヨシ流山中新宿店。その角を曲がって富士浅間神社へ。



 この神社は少林寺と萬福寺を訪ねたときに初めて知りましたが、先を急いでいたので、ほとんど通り過ぎただけでした。
 改めて参詣、というより、前回見かけた美形の猫殿がいないかと思って寄ってみたのですが……。



 かたわらに建てられた説明板には、建立の年代ははっきりしないが、五百年以上の歴史がある、と記されています。
 里の伝えによると、この地にあった朽ちた大杉を発掘したところ、金の像を得たので、それをご神体として祀り、地形が富士に似ていたので、富士浅間神社として祀った、とありました。ただ金の像がいかなる像なのか、説明はありません。
 小山になった林に張りつくようにしてある小さな社、と思っていたら、林全体が境内で、敷地は千三百坪もあるそうです。社殿右には集会場のような建物と専用駐車場もありました。

 ここから坂道を少し上って
下ると、富士川の水源(大清水湧水)探索に初めてチャレンジした去年の夏、支流を本流だと勘違いして迷い出たところです。
 そのまま道を進んでも、麗澤大学の前に出るだけで、今日はその先に目指すところとてないので、夏は川沿いに上ってきた径を下って行くことにしました。



 川の名前はあるのかないのか。橋があっても、短過ぎるからか、橋の名もありません。民家の軒先をかすめながら流れています。



 落ち葉が沈んで、夏とはすっかり趣の異なる流れです。
 水源はどこなのかわかりませんが、地図で見る限り、麗澤大学の敷地内のようです。湧き水でもあるのか、透き通ったきれいな水です。



 川の左岸は廣池学園(麗澤大・高・中)の広大なゴルフコースです。

 このあと再び旧水戸街道へ出て、ちょっと胸をわくわくさせながら北小金駅北口の慶林寺を目指しました。



 胸を躍らせたのは、もしかしたら慶林寺門前の河津桜がほころんでいるのではないか、と期待したからですが、連日陽射しはあっても冷気が厳しく、夜の気温は氷点下というのでは、どうやら今月中にほころびることはなさそうでした。

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猫の小春と忘年会

2010年12月30日 19時33分36秒 | 地域猫

 今日三十日の天気予報は、昨日の段階では晴のち雨。ところが、朝になったのにいつまでも暗いので、空を見上げたら、厚い雲に覆われていました。天気予報を見たら、ちゃっかり曇のち雨と変わっていました。
 庭を見ると、霜柱もなく、霜が降ったのもほんの少しだけと、ここ数日では暖かいようなのですが、陽の光がないので薄ら寒く感じます。

 家で寒い寒いとぼやいているよりも、早足を心がけた散策に出たついでに、野良のうさ伎(うさぎ)に会いに行きました。
 が、今日も会えませんでした。
 冬至の日に初めて見かけてから、九日間つづけて行っているのですが、二十六日を最後に三日つづけて姿を見ていません。
 帆立貝の食器もいつもとは少し離れた場所にありました。昨日は風が強かったので、風で飛ばされただけであればいいけれども、私が危惧しているように、おやつは鴉メに食べられてしまったのではないか。
 しばらく立ち止まって待ってみましたが、うさ伎が現われる様子はありません。



 香取神社へ足を延ばすと、昨日はなかった国旗が樹てられていました。

 うさ伎に会えなかった代わりに小春に会いました。
 こちらは闖入者らしい三毛と縄張りを主張し合っていた冬至の日以来ですから、九日ぶりです。会ったのはうさ伎より古いのに、まだ三回目です。姿は見なくても、三日に二日ぐらいの割合でおやつを置いて帰っています。

 いつものようにおやつを置いてやって帰ろうと香取神社の国旗と鳥居をくぐったところ、まさかいるとは思わなかった小春がいたので、ちょっと愕きました。
 私と顔を合わせるなり「ニャー」と挨拶してくれました。
 たった三度しか会っていないのに、憶えていてくれたのでしょうか。行けばおやつを置いて、次に行くときれいになくなっているので、そのつど食べていてくれるとは思うのですが、小春にとっておやつの贈り主は志賀直哉さんの「小僧の神様」みたいなもので、誰が置いて行ってくれたのかはわからぬはずです。
 ともかく私がどこの誰だかわかっていない限り、親しみを込めて「ニャー」とは鳴いてくれぬはず、と思えばうれしい気がします。
 バッグからおやつを入れたタッパーウェアを取り出しながら、「あっちへ行こうか」と、いつもおやつを置いておく定例の場所を示すと、スルスルと走り出しました。



 拝殿の欄干には五本の支柱がありますが、私がおやつを置くのは一番奥の支柱の陰です。
 いつもの場所に行くまで小春は私を見上げて「ニャーニャー」と催促しながら欄干の下を歩き回っていましたが、私がおやつを置くと、ものすごい勢いで突っ走ってきて、前脚で蹴散らかしてしまいました。
 昼間だからか、やはり猫は目がよくないようです。遠くに飛ばした(といっても、せいぜい20センチほどなのに)おやつは目に入らないのです。「ほら、ここだよ」と飛び散ったおやつを指で指してやると、鼻から先に近寄ってようやくきれいに食べ終えました。

 この日、初めて気がつきました。首輪をしていました。野良殿ではないのに、猛烈な食欲です。

 


 ちょっと悪戯心を起こして、おやつを欄干に置いてやりました。

 おやつの姿が見えぬのに、頭上から好ましい匂いが漂ってくるのが不思議なのか、上を見上げたり私を見上げたりしながら、「ニャーニャー」と鳴いています。
「ここにあるんだよ」といって、指先で板をトントン叩いてやると、やっと気づいて伸び上がりました。
 が、小春には背伸びしてわずかに足らぬという高さで、伸び上がったまま食べようとすると、鼻先でおやつを押してしまう形になります。「ニャーグフッ、ニャーグフッ」と繰り返しては食べられず、一旦下に降りたあと、再び勢いをつけて伸び上がりました。
 わずか一度の失敗で、直接口に入れることはできないと学習して、今度は前脚を使って掻き落としにかかりました。モコモコとした体型なので、結構愛らしい格好です。

 折角身が軽いんだから、ヒョイと跳び上がればいいのに、一体なんのために猫をやっているんだい? と、声をかけてやったら……。



 私のいったことがわかったのか、ヒョイと飛び乗りました。
 夢中で食べています。

 明日は大晦日。
 雨でなければ散策ついでにやってくるつもりですが、雨になるかもしれません。暮れに会うのは最後かもしれないと思ったので、今日が忘年会。うさ伎とクリスマスパーティはできなかったけれど……。もう一摘みおやつを置いて、立ち去ることにしました。



 二、三日前までは、かなりちびた状態ながらも花を咲かせていたネリネ(ダイアモンドリリー)。
 香取神社からの帰りに前を通ったら、すでに花はありませんでした。大掃除のついでに刈り取られてしまったようです。
 名前が覚えられないといっていたこの家の主婦とは、その日以来顔を合わせることはないままです。



 今朝も私が庭に撒いておいた五穀に鳩がやってきました。前にきた鳩と同じかどうかわかりませんが、相変わらず一羽だけでやってきます。
 雀たちは私が用心深くしていても、窓に近づくと逃げてしまいますが、鳩は逃げません。私に気づいているのかどうか、チョンチョンと餌をついばんではあたりを見回しています。なんでこんなところにオイラの食い物があるんだろうか、とキョトキョトしているように見えます。

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独りぼっちのクリスマス

2010年12月25日 23時20分24秒 | 地域猫

 独りぼっちのクリスマス ― と思っていました。
 負け惜しみではなく、別に独りぼっちだって構やしないのだけど、一緒にケーキを食べたり、酒を呑んだりできる仲間がいたら、むろんそっちのほうが愉しいのに決まっています。



 冬至の日、前ヶ崎にある香取神社近くの梨畑で見かけた黒白の仔猫殿です。
 香取神社に出没している小春のほうは、一か月に一度しか会うことがないのに、こちらは初めて会った日からクリスマスイヴの日まで三日つづけて顔を見ました。
 これはクリスマスイヴの日の画像です。径を挟んでいる民家の前に帆立貝の殻が棄ててあったので、それを食器にすることにしました。

 何に使うのか、梨畑の端っこに50センチ角ぐらいのマットが置いてあり、三日ともそこで日向ぼっこをしていました。
 三日目。
 私が坂道を上って見えるところにくると、ニャーと鳴いて立ち上がるようになりました。どこをねぐらとしているのかわかりませんが、周りには民家が四軒と梨畑があるだけです。食べ物を得る環境としてはどうも厳しそうなところです。
 腹を空かせているのでしょう。おやつを与えると、むしゃぶりつくようにして食べます。痩せている上に、毛並みに少し乱れがあるみたいです。栄養が足りないのかなと感じました。
 まだ仔猫なのに、親猫のいる気配は感じられません。独立したばかりなのでしょうか。
 我が庵から歩いて二十分とちょっと距離のある場所ですが、できるだけこの方面に散歩に行くようにして、おやつを置いてやろうと思いました。

 クリスマスイヴの日、私のあとを追ってきたいような素振りをみせました。私が立ち去ろうとすると、食べていたおやつはそっちのけにして、ニャーニャーと鳴きながら歩いてくるのです。
 トートバッグを拡げて待っていればそのまますんなりと入ってきて、連れ帰ることができるように思えましたが、考えるまでもなく、我が庵に連れて帰ることなどできません。

 ♂か♀かわかりませんが、痩せているせいか、耳が大きく見えます。耳がイヤに目立つので、うさ伎(うさぎ)という名で呼ぶことにしました。

 痩せうさ伎 負けるな 桔梗 ここにあり

 そして今日、クリスマス ― 。
 今年のクリスマスもまた独りぼっちかと思い、別段独りぼっちだからといってどういうこともないとは思うのですが、ふだんとは違って、街が華やいで感じられるので、どうしても独りぼっちであることを意識してしまうようです。
 しかし、散歩に出ようとして、ふと閃いたことがありました。うさ伎がいればクリスマスパーティを開こう。そうすれば独りぼっちのクリスマスではなくなる、と思いついたのです。



 いそいそと家を出て、うさ伎のいるのとは逆方向の北小金駅南口へ遠回り。ちょっとした買い物をしたので、ついでに東漸寺に寄りました。

 買ったのはショートケーキ二つと200ミリリットルの牛乳パック。牛乳を注ぐ容れ物がないと気づいて、プラスチック容器に入ったウェットキャットフード(いなばの魚カップ)を買い足しました。
 犬ならいざ知らず、猫がショートケーキなんか食べるかなぁと思いましたが、苺は私がもらうことにして、クリームぐらいは舐めるだろうと考え、ちょっと迷った末、購入することにしたのです。



 今日午後の富士川上空です。今冬一番の寒気が入り込んだというだけあって、晴れてはいましたが、風が冷たい。川べりはなおさらです。



 うさ伎が日向ぼっこをしている梨畑です。
 いるかな? と思いながら坂を上りました。ところが、ガッカリ……。
 姿はありませんでした。敷かれていたマットもなくなっていました。

 寒いせいか、今日の私の体調はいま少しよくありませんでした。五分ほどあたりをうろつきながら待ってみましたが、姿は見えません。冷たい風が吹く中でいつまでも立ってはいられないので、帰りにもう一度寄ることにしていったん引き揚げました。
 香取神社に寄って、相変わらず姿を見せぬ小春のために、ひと摘みの餌を置いて……。

 今日の散策の目的地は行念寺。二十一日に行ってお参りし、蜜柑をもらったお寺です。
 少し遠いと思っていたお寺ですが、近道があるのを見つけたので、もう一度行こうと思い立ち、結局道を間違えて行き過ぎてしまいました。そのあと再挑戦したのですが、また道を間違えて行き過ぎてしまったので、その日は寄りませんでした。
 城址の探索とは違って、すぐ近場だと思うので、地図を持たずに行った結果です。
 今日は最大限拡大してプリントした地図を持って出たので、行き着くことができましたが、途中から細い径ばかりでした。



 今日は境内には入らず、塀越しの撮影です。本堂前に写っているのは紅梅。すでに花が咲き始めています。



 私がお賽銭をあげたお礼に大黒がもいでくださった蜜柑の樹です。食べましたが、大変な酸っぱさでした。種があったので、一袋だけ食べて、あとはプランターに播きました。春になったら芽を出してくれるとうれしいものです。

 考えてみると、庭ができたせいで、じつにいろんなものを播いて、芽生えを愉しみにしています。
 まてばしい通りで拾った全刀葉椎(マテバシイ)の団栗、我孫子の志賀直哉邸の隠蓑、滝井孝作邸の栗、廣壽寺の公孫樹、各所で集めた無患子(ムクロジ)等々……。先日植えたばかりのスノードロップと桔梗もあります。



 行念寺からの帰り、もう一度寄ってみましたが、うさ伎の姿はありません。いつものおやつだけ置いて引き揚げました。



 白梅もほころび始めていました。

 庭に撒いた五穀に鳩がくるようになりました。一羽だけというのが不思議ですが、ともかく今朝も一羽だけ。雀とは違って私が窓に近づいても、窓を開けても逃げません。



 クリスマスパーティが開けず、虚しく持ち帰ったショートケーキと牛乳、いなばの魚カップ二種。
 やっぱり今年も独りぼっちのクリスマスになりました。
 牛乳と魚カップは近いうちにまた持って行ってやりましょうと思いますが、ショートケーキは持ち歩いていた間に崩れ始めていたので、ワタクシめ一人で食べてしまいました。

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冬至・猫日和

2010年12月23日 11時49分13秒 | 地域猫

 昨日は冬至。
 銭湯の小金バスランドでは柚子湯だったので入りに行ってきました。
 平日は午後四時(日祝日は二時)からですが、三時過ぎにはトートバッグにシャンプーやらタオルを詰め込んで庵を出ました。
 歩いて十分ぐらいしかかからぬところなのに、なにゆえに一時間近くも早く出たのかというと、図書館の分館で借りていた本を返すついでに東漸寺に行こうと思ったのと、その前に前ヶ崎の香取神社に寄ろうと思ったからです。



 昨日の富士川上空です。
 雲一つない快晴でした。冬の雨は一雨ごとに寒くなるのが普通なのに、未明に雨の熄んだあとはポカポカ陽気になりました。

 富士川を渡り、無患子(ムクロジ)の樹を見上げ、二日前に気づいたばかりの蝋梅(ロウバイ)を見て、香取神社に向かいました。



 暖かかったせいか、前日には数輪だった蝋梅がいっぺんに花を開いていました。

 香取神社の裏手、神社の石垣と農地の生け垣に挟まれた細い径に出ると、なんと小春が径を横切ろうとしているのに出会いました。小春を見るのは二十九日ぶりです。いやいや、なんと……ようやく、と思ったら、なんとなく様子がおかしい。
 私にはまったく気づかぬ様子で、超々スローモーで歩いているのです。
 脚も引きつらせているみたいに見えました。ハテ、被毛は茶色で、小春に違いないと思いましたが、脚が悪かったような様子はありません。

 そのまま生け垣に入って、
姿が見えなくなりました。
 もしかしたら小春ではなかったのかしらん。そう思いながら神社に入り、本殿の背後に廻ってみました。径を歩いていると見えませんが、神社の裏手に廻ると、生け垣の向こうにある畑を見下ろすことができます。
 小春がノッソリノッソリと歩いていたのも道理、生け垣の向こうでは初めて見る三毛と睨み合っているところでした。

 鞄から日清製粉の懐石を取り出して、音が出るように振ってやると、石垣を駆け上ってきましたが、私の脇を一目散に通過……。なんだ、おやつに釣られてきたのではなかったと、ちょっぴりガッカリした思いで、拝殿のほうを振り返ったら……。



 一か月近くも会っていなかったのに、やはり小春は知っていたみたいです。いつも私がおやつを置いて帰る場所へ先回りして待ち構えていました。
 懐石は二種類持ってきていました。そのうちの赤い袋に入った「小魚とかにかま添え」を贈呈。



 新参者らしい三毛のほうは? と見ると、5メートルほど離れたところまできて、小春が食べているのを見ながら、ちょこんと坐りました。小春に較べると、ほんの少し身体は小さい。こちらには青い袋の「小魚とかつお節添え」を……。

 振り返ると、すでに小春はいなくなっていました。おやつはきれいになくなっています。



 縄張りはちょうだいするぜ、と宣言したのかどうか、小春が姿を消したあと、三毛はちょこまかと動き廻り、あちこちに身体をこすりつけていました。



 再びおやつを食べ終えると、あっちへフラフラこっちへフラフラ。拝殿下に小春の気配でも感じたのか、こんなスタイルで奥を覗き込んでいました。

 人懐っこい猫殿でした。私のほうを向いたら写真を撮ろうと腰を落とすと、すぐ近寄ってくるので、ピントを合わせるのがむずかしい。
 ピントが合っている、というサインが出たあとにシャッターを切ってもピンぼけ、というカメラなので、家に帰ってパソコンに取り込んでみるまでピントがきているかどうかはわからないのです。
 ましてグワーッと間近に迫られてはたまらない。何度か試みましたが、しゃがんでカメラを構えるたびに、レンズの真ん前まで鼻を伸ばしてくる有様なので、写真を撮るのは諦めました。

 香取神社から富士川へ降りて行く香取坂の途中に細い脇径があります。
 香取神社からは50メートルそこそこのところ。径の左は海の家を思わせるような民家が四軒、右は少し高台になった梨畑です。通り抜けられそうに見えるので、降りてみようかという気になったら、民家が終わるあたりから泥道になっていました。朝の雨でまだ濡れています。
 引き返そうとしたら、ニャーニャーと呼びかける声。梨畑に寝そべって、日向ぼっこをしている猫殿がいました。こちらは仔猫です。


 


 香取神社の三毛と同じように忙しく歩き廻る猫殿で、ひとときもじっとしていない。写真を撮ろうと腰を落とすと、おやつを食べるのを中断して私に近寄ってくる。
 三毛と違うのは、三毛のほうは近づくたびに身体をこすらせながら私の周りを一周したのに、こやつめは私の前までくると反転して、またおやつのところに戻る。そういう繰り返しです。

 それにしても三匹も見るなんざぁ、冬至の日にしては暖かかったので、猫日和であったのかもしれません。

 このあと、東漸寺へ ― 。 



 東漸寺には墓所とは別に古い墓石をまるで五百羅漢のように並べた一画があります。
 前日、柏の行念寺で經譽愚底(きょうよ・ぐてい)さんのお墓に出会ったとき、もしかしたら東漸寺にもお墓があり、あるとすればあそこではないかと思ったので、探索に寄ったのです。
 大部分は苔むしています。刻まれた字も風化してほとんど読めません。中央に「南無阿弥陀佛」とだけ彫られた墓石があり、もし愚底さんのお墓があるとすれば、その左右どちらかであろうと、近づいてみましたが、ところどころに信士という文字が読めるほかははっきりしません。
 どうやら時が経ち過ぎて無縁となってしまった人たちの墓のようです。

 墓所に入り、一渡り見回してみましたが、新しい墓石ばかりで、無縫塔も古そうな墓石も見当たりませんでした。
 この日はお寺の人の姿は見えなかったので、今度の機会に訊ねてみようと思います。

 


 本土寺とは異なって、東漸寺にはまだ紅葉が残っていました。本土寺に較べると空間が狭いので、若干陽当たりが乏しいのかもしれません。

 三匹の猫の相手をしていたので、思わず知らず時間を過ごして、図書館を経て銭湯に着いたのは四時十五分過ぎでした。

 プカプカ浮いている柚子をお湯の中に沈めたり、匂いを嗅いでみたり……。家の風呂とは違って、広いのでゆったりと過ごし、立ち上がったり脚を伸ばしたりして身体じゅうを丹念に洗うこともできます。一度に洗えばいいものを、まず身体の前面を洗って柚子湯に……。上がると背中を洗ってまた柚子湯に……。今度は髪を洗って……。

 数日前、ダイニングテーブル下の引き戸の中に時代物の雑穀があるのに気づきました。ウェアに詰め替えてあるので、いつのものかまったくわかりません。

 で、庭に撒くことにしました。二合分ぐらいあります。
 日ごと飛来する雀の数がふえて行くようです。今朝は六羽。人の気配に敏感で、窓は閉め切ってあるのに、私が近づくとサッと飛び去ってしまうので、まだ写真を撮るところまで行きません。



 左の白いのが雑穀。右の枯れ枝は前の家に住む糞猫に、トイレとして使われるのを防止するための可動式バリアーです。土を掘り返して柔らかくすると、ほぼ必ず蹂躙されるので、新しく掘ったところにはこのバリアーを置いておくのです。
 しかし、今日は風が強い。昼前に庭を見たら、バラバラに解体されて、隣の庭まで吹き飛ばされてしまっていました。

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於京(おけい)

2010年07月21日 22時17分10秒 | 地域猫

 久しぶりに於京(おけい)を見ました。八日ぶりでした。
 一週間以上も姿を見ないとちょっぴり心配でした。死んだ……とは思わなかったけれど、ほのかにはそんなことを思ったり、もしかしたら誰かにもらわれたのかと思ったり……。

 今朝、資源ごみを出したあと、いつもの公園に行ってみると、私が入って行く入口から見て、一番奥に於京がいました。わりと近くにハウスレスらしき男の人がいて、身支度を調えているところでした。
 同一人物なのかどうか、この公園を通りがかると、ベンチで昼寝をしていたり、弁当を食べているのを見かけることがあります。
 警戒心の強い於京が物怖じすることなく、すぐ近くにいます。きっとこの人も於京に餌を与えたりして、友達になっているのでしょう。

 私が腰を下ろしたベンチとは10メートルほどの隔たりがあったので、於京はしばらく気づかぬ様子でした。
 男の人はやがてリュックを背負って立ち去りました。
 於京はキョロキョロとあたりを見廻しています。誰もいなくなったので、私は「於京!」と呼びかけて、キャッティの入ったタッパーウェアを音がするように振りました。
 気づきました。
 小走りに私のほうに駆けてきましたが、ジャングルジムの下で止まるとペタンと坐り込み、至近距離までこようとはしません。でも、私のことは完全に記憶中枢にすり込まれたようで、私としてはうれしい限りです。

 また会う日に備えて、私は於京専用の食器を用意しておきました。ジャムが入っていた大きめの瓶の蓋ですが、表にマジックインキで「於京用」と書いてあります。
 タッパーウェアの蓋を開けたので、匂いが漂ったのでしょう。食器にキャッティを移し替えている間、遠巻きに歩いて植え込みに姿を隠し、こちらを窺っていました。
 私が食器を置いて引き下がると、ようやく出てきました。



 前脚の様子がまだおっかなびっくりです。



 しばらくしたら、ゆっくりと腰を落として……。




 食べ終わると、もうないのですか、という様子で、私が腰かけていたベンチの後ろをウロウロしています。こうしてみると仔猫です。
 真上から見下ろすということがなかったので、この写真を見るまで気づきませんでしたが、毛並みは鯖を思わせるようでもあります。コサバという名前でもよかったかな、と迷う私です。



 坐ってくれたので、ちょっとだけ距離を縮めても逃げませんでした。これまでで一番近づいて撮った写真です。
 まったく会えなくなるわけではないけれど、引っ越しをしたら会えるのは間遠になります。間遠にはなるけれど、必ずくるからね。そういって、食器を取り戻し、その場を離れました。
 何を見ていたのか、この朝は私から見えなくなるまで同じ場所に坐っていました。



 これは二日前……十九日夕方の光景。
 於京の姿はなく、初めて見たときには於京に遠慮して餌を食べられなかった、尻尾のないマダラがいました(右)。
 コヤツは於京に較べれば人なつっこい。於京の鳴き声はまだ聞いたことがありませんが、この子はまだ二度目なのに、私が餌をくれるものと信じて、ニャーニャーと催促しながら歩き回っています。

 左の黒白のブチは初めて見る猫殿です。もう一匹、黒の部分の少ないブチもいましたが、こちらは私がかなり離れた場所にいたのに、立ち上がっただけで逃げてしまいました。

 於京がいないとマダラはすごく活発で、エバっています。最初はこの画像の右手10メートルほど離れたところにいたので、餌を置いてやったのです。
 目を挙げたら初めて見るブチがいたので、歩いて行くと、ブチは身を隠そうとしました。そのうち食べればいいさ、と思って空き缶に餌を置くと、背後でニャーニャーと鳴く声。
 見るとマダラで、餌を置いてもらったらしいと、抜き足差し足近づこうとしていたブチは慌てて身を退いてしまい、ブチのために置いた餌をマダラが横取りしてしまいました。身体はブチのほうが大きいのです。
 チビのくせに食欲旺盛なヤツと思って、最初に置いた餌を見に行くと、食べ散らかしていて、まだ半分以上残したままでした。もう蟻がたかっていました。しょうがないヤツです。

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