新居と定めた先の玄関前でポツンと一輪だけ咲きました。春になるといろんなところで見かけるこの花。私はよく調べもせず、ポピーだと思いこんでいました。
近くのアパートの通路です。こんな色鮮やかな花を見かけたので、人影がないのを確かめ、数歩、いや、十数歩足を踏み入れて盗撮。
赤・白・黃・ピンク・オレンジと五色もありました。なんという名の花であろうかと思いながら、スマートフォンのカメラに収めたあとは、素知らぬ顔を装って道路に戻り、撮った画像をグーグルレンズで検索すると、なんとポピーと出ました。では、私がポピーだと思いこんでいたのは何か、とこれもグーグルレンズで検索すると、長実雛芥子(ナガミヒナゲシ)。
はて? 「ヒナゲシ」というからには確かにポピーの仲間で、私の思いこみも決して的はずれではなかったようですが、ナガミヒナゲシの「ナガミ」とはどういう字を当てるのだろう。首を傾げても、外にいるときなので、どういう字を当てるのかわかりません。
パソコンとしての機能をスマートフォンに求めると、いつも「A」のキーにタッチしたつもりなのに、隣の「S」にタッチしていてイライラするだけなので、検索できる機能を手元に持ちながら、かかってきた電話に応対することととっさのカメラ機能のほかはあまり使わないことにしています。
※帰ったあと、植物図鑑を紐解いて、「ナガミ」は「長実」だとわかりましたが、私の植物図鑑にはなぜそのような名がついているのか、記載がありません。
ほんまもののポピーを間近に眺めたのは恐らく初めてではないかと思いながら、これまで私が勝手にポピーだと思いこんでいた花を見かける季節がくると自然に思い出す、アグネス・チャンのことを思いました。
私が初めて社会に出たのは出版社でした。当時は十七大雑誌を擁する、というのがその出版社の謳い文句で、成人男性向けの週刊誌から文芸誌、女性誌、幼稚園児対象の雑誌まで、週刊月刊を合わせ、十七もの雑誌を発行する会社でした。
それとアグネス・チャンがどう結びつくのかというと、ちょうど五十年も前、アグネス・チャンが日本でデビューすることになって、十七大雑誌の大部分の表紙が一斉に彼女の顔で飾られることになって、仰天したことがある、という思い出を思い出すのです。
それぞれの雑誌の発売日がくると、それぞれの雑誌の庶務係が自分たちの雑誌を社内に配って歩きます。外に出ることの多い職場だったので、外出先から戻ると、その日発行された雑誌が自分の机の上に置かれているのを目にします。最初に目にしたのがどの手の雑誌であったのか、すでに記憶はありませんが、アグネス・チャンの笑顔が私の机の上にデンと置かれているのを見て、そのときは「へぇ」と思い、数日後は別の雑誌が置かれていて、「おやおや」と思い、さらにまた……となると、……です。
その彼女のデビュー曲でもあり、代表曲でもあるのが「ひなげしの花」です。
昔のことを思い出して、ちょっぴり感傷的になったあと、そのアグネス・チャンともひなげしの花とも関係なく、ふと馬橋まで歩いてみようという気になりました。何をしようというハッキリとした目的があったわけではありません。
道すがら見かけた廃屋。居酒屋とスナック(上)、下は真ん中の布団屋を挟む両側とも?。
この日、私が歩いていた道は十年以上も前、二度か三度か歩いたことがありますが、むろん風景などは記憶にありません。ただ、道路沿いに店などはなかった道にチラホラと店があるようになって、馬橋の駅も近そうだと感じられたとき、緩い斜面にこんもりとした杜があるのが視界に入ってきました。この杜が馬橋王子神社であり、さらにその奥には萬満寺がある、ということは、とっさのことで結びつきませんでした。
この杜の中に入って行けそうな径はすぐ近くにはありませんでした。しばらく歩き、果たして方向は合っているのだろうかというあたりで、ようやく曲がることができると、殺風景な空き地の向こうに社殿が見えました。
馬橋王子神社です。祭神は幸江序命、市杵島姫命、猿田彦命。最初の幸江序命は「さちえわけのみこと」と読むようですが、登場する史料のたぐいはなく、祀っているのも全国にあまたある神社の中でも、この神社だけのようです。
境内には王子神社由来として次のような掲示がありました。
「馬橋の古刹萬満寺の守護神として創建。萬満寺は古くは大日寺と称し建長八年(1256年)に千葉氏一門の菩提寺として開山建立。当時、馬橋一帯は砂丘で水が乏しかったため諏訪明神を勧請し寺領の鎮守とした。十六世紀半ば熊野の若一王子を勧請し王子権現社とした。明治六年の神仏分離にて萬満寺と王子神社に分離される。終戦後は宗教法人王子神社となり、現在に至る」
境内社の三峯神社。
すでに枯れてしまっている御神木。一本に見えますが、エノキ(榎)とムク(椋)がピッタリと合わさっているのだそうです。
掲示板によると、樹齢は三百年。かつては25メートルという高さを誇ったらしいとのこと。二本の樹がまるで仲睦まじい夫婦のように寄り添っているので、別名・夫婦木。
いつごろのものかわかりませんが、昔の道標です。「右印西道・左小金道」と彫られているので、ここから近い旧水戸街道の分かれ道にあったものだと思われます。
狛犬(?)だと思われますが、対にはなっていなくて、一基だけ。見たところ陶器製というのも珍しい。
細い径を一本挟んで隣は萬満寺です。今日は参拝せずに帰ります。
帰り途、我が庵近くの、その名のつけられた通りに差しかかると、アメリカフウの若葉が出始めていました。ケヤキ(欅)などはとうに芽吹いて、すでに青々としているのに、この樹はどうもおくてのようです。
アメリカフウはその名のとおり、北アメリカ中南部から中央アメリカにかけてが原産地。別名・モミジバフウ。
よく見れば、こんな低いところに多数の芽吹きがありました。毎年毎年、冬が近づくと枝が払われてしまうので、葉っぱの出しどころを求めて、体内をさまようのでしょう。
これは幹からではなく、ほとんど根っこからの発芽です。