今日は猛烈な北風でした。午前九時過ぎ、最大瞬間風速16・3メートルを記録。
我が地域では、今日火曜日は不燃ごみを出す日です。朝、ごみ出しに出てみると、不燃ごみは軽い袋が多いので、強風に煽られて、あちこちに飛び散っておりました。
強い風に背中を押されて、今朝も慶林寺参拝に出かけます。
我が庵から見ると、慶林寺は南南西の方角です。すなわち、行くときは北風に背中を押されますが、帰るときは北風に挑まなければなりません。行きはよいよい、帰りは怖い、です。
風が強いので、雲が吹き払われて、観音様の上空は今日も雲一つない快晴でした。
慶林寺参道入口にある河津桜です。離れたところから見ると、殺風景に見えますが……。
間近に寄ってみると、蕾の先っぽが薄っすらとピンクに色づいています。
去年の初開花は二月十三日でしたが、早い年は節分(二月三日)に咲いたこともありました。今年はいつ開花するのでしょう。
今朝、庭にメジロがやってきました。
ぼんやりと庭を見ていたら、雪柳の枝が揺れているのに気づいたのですが、揺れるのは、飛び飛びに一か所だけ。風にしては妙な揺れ方、と思っていたら、小さな鳥が姿を現わしたり隠したり……。
数年前まではピラカンサスがあったので、その実をついばみに、しばしば番(つがい)のメジロがやってくるのを見たことがありますが、今朝は一羽だけ。
鳥は一度寄り添うと、決して浮気をしたり、離婚をしないと聞いたことがあります。すると、結婚前のまだ若い鳥だったのか、あるいは相方に先立たれた鳥だったのか。
枝を揺らす正体がメジロだとわかって、200ミリの望遠レンズを装着したペンタックスを手にとりました。幸いなことに昨日、ガラスマイペットで窓ガラスを拭いたばかりだったので、窓を開けなくても撮影できそうです。
チョンチョンと動く被写体を追いながら、シャッターを半押し状態にしていると、シャカシャカ、ウェーッウェーッ(レンズが伸びたり引っ込んだりする音)のあと、ピッと音がして、ピントがくるはずなのですが、結論をいうと、200ミリの望遠レンズでは近過ぎたのでした。
随分長いこと庭で遊んでくれていたのですが、撮影におよばぬうちに飛び去ってしまいました。
今朝は陽射しは燦々と降り注いでいますが、ときおりゴォーッゴォーッと鳴るほど強い風が吹きすさんでいます。寒いと身体はギクシャクしていて動きません。実際は動くのですが、気持ちがひるんでいて、動こうという気力が湧かないのかもしれません。
しかし、今日十八日は観音様の縁日です。今年最初の縁日ですから初観音です。薬師詣でと同じように、縁日には参拝しようと自分で自分に課した使命ですから、時刻は問わないけれども、お参りに出かけなければなりません。
いつもなら一日の始まりは慶林寺参拝ですが、今日を含めて、月に三日だけは慶林寺へ行くのをあと廻しにして、先に東漸寺に参拝します。今日もまた体調が優れぬわい、とグズグズしていたので、出かけたのはお昼が近い時刻になりました。
山門前に掲げられていた標語「おかげさま」。
すっかり冬枯れの境内です。落ち葉はきれいに掃き清められています。
境内の片隅にある作業小屋の壁に、最近はめっきり目にしなくなったものが立てかけられていました。落ち葉のころ、盛んに活躍していました。
本堂(右)と観音堂です。本堂にお参りしてお賽銭をあげたあと、観音堂にお参りします。
観音堂に祀られている聖観音坐像です。
薬師詣でをするときは、友人知人が無事息災であることを祈りますが、観音さまには、少々大ごとながら、世界が少しでも安穏であることをお願いします。
東漸寺からの帰り途、買い物をして行こうと寄り道をしたら、ミモザに蕾ができているのを見つけました。しかし、まだ胡麻粒のような小ささなので、カメラに収め、PCに取り込むと、何がなんだかよくわかりません。
細い径を挟んで、両側に二本の樹があります。一昨年、こんなところにもミモザがあったのか、と初めて気づきました。
ミモザの日(三月八日)は、日本ではほとんど馴染みのない風習ですが、その日がやってくるころには毎年毎年花は満開を迎えています。
いまの時期に注目してみたことはないので、蕾だと断言できる自信はないのですが、今年もミモザの日、つまり満開の日まであと五十日なのですから、きっと蕾だろうと思います。
買い物をしたので、手荷物を置きに一旦庵に帰り、慶林寺参拝は午後。
三年前の十二月に新しく建立された観音像です。
午後は雲一つない快晴となりました。
今日八日は今年の初薬師です。
行きたいと思いながら、体調やら何やら、もろもろの条件を充たさねばならぬ必要があって、なかなか行けない、茨城県の美浦村……。
前日までの体調だと、もしかしたら行けるかも、という感じでしたが、このところの体調の良し悪しは、朝、目覚めてみないとわかりません。美浦村へ行くのなら、早めに出発しなければならないので、さほど悪い体調ではないと思えても、身体にエンジンがかかるかどうか、当日、目覚めてみるまでわからないのです。
年末からお正月にかけて、わりと佳い体調で過ごすことができました。この調子なら、念願だった美浦村へ行けるかもしれぬと考えた今月初め、前に調べておいたバスの時刻が変わっていないかどうか、インターネットで確認しました。
土浦から美浦村へ行くバスは一時間に一本しかないので、間に合わなかったら一大事なのです。
変わっていませんでした。
しかし、あとで舌を鳴らすことになるのですが、なぜか電車の時刻も確認しておこう、という知恵が働きませんでした。
北小金を毎時八分発に乗り、我孫子で九分待って、同二十九分発に乗り換えれば、土浦で毎時一本の江戸崎行バスに乗ることができる、という手筈でありました。
が、目的は美浦村にある寺院だけではなく、戻ってくる途中で、土浦市内にある、もう一体の薬師如来にも詣でるつもりだったので、できるだけ早めに出発しなければなりません。
事前の計画では、できれば十一時八分発に乗ること。それが無理なら十二時八分発。それ以降になると、帰ってくるころは陽が落ちてしまうので、そうなったら、今回も日延べをして、別のところ……と考えていました。
九時八分発とか十時八分発に乗れれば、それに越したことはないのですが、体調の佳い朝を迎えられたとしても、そんな早い時間では多分身体が動かない。
昼食をとれる店はおろか、コンビニすらあるかどうかわからない土地を歩くのだから、握り飯は必携です。飲み物も必携。
握り飯用の御飯は前夜に炊いておきました。
目覚めて(最近は起きてから三時間ぐらいしないと、食事をする気が起きません)、朝食用と携帯用の握り飯を二つずつ握りました。こうして支度を終えたのは十時ごろ。
実際にストレッチをするわけではありませんが、心の準備も含めたストレッチを終え、出かけられる体勢が整ったのは十時半過ぎでした。
このぶんであれば、出がけに薬師如来を祀る、地元の慶林寺に参拝しても、十一時八分発に乗ることができる。
意気揚々と庵を出ました。幸い陽気も結構温かい。
慶林寺に参拝します。去年夏に出た坐骨神経痛は夏以来影を潜めていて、頭のどんよりした感じも、脚の重い感じもありません。
体調には問題ないようですが、もう一つの問題は、電車が時刻どおりにきてくれるかどうかです。
電車に乗るのはひと月一回程度だとしても、慶林寺に行くのに、毎日駅の横を通って行くのですから、プラットホームで流されるアナウンスはすべて聞こえます。すると、毎日(というのは実際はオーバーなのですが)「○○分発の○○行は○○分遅れて○○駅を出発しております、云々」というアナウンスを聞くのです。
旧国鉄時代は時計より正確といわれた電車の運行です。、
その当時と比べれば、電車の本数も増えているし、私からすると、互いが充分にコントロールできる力がないくせに、相互乗り入れというような、しゃらくせぇ真似をするからだと睨んでいるのですが、今回のように、柏か我孫子で、三十分に一本しかない電車に乗り換え、さらにその先で一時間に一本しかないバスに乗らねばならぬという行程では、悠長に「○○分遅れて○○駅を出発しております」とアナウンスされたら、一巻の終わりなのです。
慶林寺に向かう途中で、駅と線路の見える道に出ます。電車の運行を気にして、駅のアナウンスに聞き耳を立てながら歩いていると、どうやら遅れはなさそうです。
参拝を終えて、時刻どおりにきた十一時八分発の電車に乗ることができました。土浦へ行く電車に乗り換える我孫子着は十一時二十分。
我孫子から先に向かう勝田行の電車は我孫子発十一時二十九分。待ち時間は九分……と思っていましたが、なぜかこれが勘違い。実際は七分後の二十七分発でした。
二分の勘違いをしていても、すでに乗るべき電車がやってくるプラットホームに移動していたのですから、おとなしく待っていればなんの問題もなかったのですが……。
前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
プラットホームで腕時計を見ると、十一時二十五分。電車はあと二分でやってくるのですが、私は四分後だと思っています。ふと頭をかすめたのは、これから土浦まで行き、そのあとはバス往復、と必要になる料金を考えると、スイカの残額が足りない、ということでした。
階段を上り、改札口にある乗り越し用のチャージの機械でスイカにチャージ。
何も我孫子でチャージをしなくても、土浦に着いてからのほうが待ち時間が長かったのですが……。
齢を重ねるのに連れて、頭が衰えるのは仕方がないものと諦めるとしても、せっかちという性癖には衰えはないものとみえます。
チャージをし終えたとき、電車がやってくる気配がありました。時計を見ると、二分も早い!
? と思いながら、エスカレーターの下り口に立ったときには、すでに電車が到着して、降車客がエスカレーターを上り始めていました。せめて四十代の自分であれば、エスカレーターを駆け下るところですが、いまの私にはそんな脚力はありません。
エスカレーターの順番待ちをする降車客の列が徐々に長くなって行くのを眺め下ろしながら、その列を突き破って電車に躍り込むのは無理であろうなぁと思っているうち、私が乗るべき電車のドアは無情にも閉ざされてしまったのです。
一時間早く出発できたのだから、当初の計画に戻ってみれば、まだ一時間の余裕があるというのに、何もすることなく一時間を過ごす、ということが耐えられません。これも治らないせっかちのせい。
昨年暮に、初薬師は美浦村、二月はつくば市と計画を立てていたので、即刻順番を入れ替えることにして、つくば市へ行くことにしました。
折り返しの電車に乗って、我が北小金を通り過ぎ、新松戸、南流山と乗り換えて、南流山からつくばエクスプレスに乗ります。
つくばへ行ったら参拝しようと考えていたお薬師さんは三体。
つくば駅から歩いて行ける ― バスを利用しようにも、もともとバスの便はない ― 大円寺と東林寺、そしてつくば駅から歩けば一時間はかかるので、バスに乗らなければならない成就院の三か寺です。どういう順序で巡るかということは考えていなかったのですが、大円寺と東林寺は近接しています。つくばエクスプレスに乗っている間に、先にこの二つのお寺へ行こうと決めました。
つくば訪問は2017年の四月以来です。広々とした街路を眺め下ろします。
徐行しなければ車のすれ違いができない道ばかりの我が松戸市小金地区と較べると、整然としていてきれいではあるけれども、個性がない。
画一的で無個性な町並みを抜けると、こんな田園地帯が拡がっていました。
向橋という小さな橋で花室川という小河川を渡ります。二年前三月の薬師詣ででは、少し下流でこの川を越えています。
川を越えると、ちょっとした上り坂。少し径を行き過ぎてしまったので、大円寺には裏から入ることになりました。
天台宗の寺院です。
赤い鉄板葺屋根の建物の脇を通り過ぎ、振り返ってみると、御堂ではなく、集会所という感じです。人のいる気配はまったくないどころか、近々使われた形跡もないみたいです。
少し離れたところに小さな御堂がありました。これが薬師堂、とされていますが、どうも?です。
紙垂が下がっているので、神道系の御堂かとも思われましたが、覗き込んでみると、小さな坐像が安置されているのが見えました。
肉眼では見えないので、格子の間にカメラのレンズを突っ込み、強制発光にしてストロボを焚いてみましたが、供花が邪魔をしていて、やはりよく見えません。格子をずらして撮影しましたが、やはり供花が邪魔をしていました。
カメラのモニタではよく見えず、庵に帰ってから拡大してみると(拡大してみても不確かですが)、左手を挙げているように見えます。左手を挙げた仏像というのは見たことがありませんが、薬師如来なら下げた左手に薬壷を持っておられるはずですから、薬師如来ではない。すなわち薬師堂ではありませんでした。
ここに薬師如来が祀られている、という情報を得たのでやってきているわけですが、そういう情報をどこで得たのか、すでに憶えがありません。
とっさに行き先をつくばに変更したのはいいけれど、下調べができていませんでした。訪ねるべき場所はグーグルマップに「★」印をつけて保存してあるので、あまり苦労することなく辿り着くことができましたが、問題はその寺の歴史等々です。
多くのお寺では、寺の由来とか、祀られている仏像のこととか、自治体の関係部署や教育委員会が建てた説明板などがあって、大まかな由緒は知れるのですが、ここには何もありません。しかも無住です。
近くに家はあって、訪ねれば人はいるのでしょうが、そこが檀家代表だったりすればいいけれども、そうでなければ、と思うと、訪ねるのは憚られます。
大体、私は四十年以上もの長きにわたって雑誌記者・新聞記者をやってきて、何人の人に会ってきたか、とても数え切れぬほどの数の人に会ってきたのにもかかわらず、できるだけ人と口を効くのは避けたいという性分です。
お薬師さんは別におわすのか、私が得ていた情報は間違いだったのか、釈然としない思いでしたが、あと二体を拝めればいいじゃないかと、思い直して立ち去ることにしました。
周辺にはこのように壮大な門構えを持つお屋敷が数多くありました。しかし、歩いている間、数台の車と行き交いましたが、歩いている人は一人も見ませんでした。
次に東林寺の薬師堂を目指しましたが、空気は冷たいのに、陽射しだけはたっぷりあって、こういうときのために手に入れた、タブレットの画面がよく見えません。
タブレットそのものも不調で、やっと日陰を見つけて画面に目を落としたのに、クラッシュを起こして、開いていた地図が消えてしまったりします。「ええーい、糞ッ」とタップしても、画面は切り替わらない。歩いている間、こんなことの繰り返しがしばしば。
タブレットの画面によれば、進む方向は間違っていないようでも、径があるのかどうかよくわからないまま進むと、画像右に映っている薬師堂の背面が目に入りました。東林寺でした。ここも後ろから近づく形に。
真言宗豊山派の寺院。カメラに収めるのは、うっかりして忘れてしまいましたが、間違いなく「薬師堂」という扁額がかけられていました。
この薬師堂は貞享年間(1684年-88年)、領主・本田公の奥方の眼疾平癒祈願のため建立したといわれています。が、本田公とは何者なのか、ブログを更新しようとして、いろんなところをさまよってみましたが、いまのところは何もわからずじまいです。
近くにもう一つ成就院というお寺があります。
近く、とはいっても、これから歩いて行こうとすると、一時間以上かかるので、とても歩いては行けません。行くとすれば、つくば駅に戻って、バスに乗らなければなりません。
成就院へ行くのはどうしようかと思案しながら、つくば駅に戻りました。
地下駅になっているつくば駅から地上に出たところ、正面に路線バスの案内図がありますが、四方八方に伸びるバスの系統図が全部一緒くたになっているので、初めてきた人には、きっと何が何やらわかるまいと思います。
私の場合は一応下調べをしてきているので、降りるべき停留所名と、上の画像の案内図面上は、つくば駅から左上に伸びる方向に向かうバス路線に乗るのだということがわかっていましたから、大体のことはつかめましたが、行き先別に何か所かに分かれている乗り場に行って時刻表を見ると、乗るベきバスがどれで、いつやってくるのか、まったくわけがわからなくなりました。
で、成就院参拝はとりやめ。初薬師だというのに、消化不良の感じですが、これにて今日の予定は終了ということにしました。
出発地と目的地を入力すれば、バスの時刻を知らせてくれる「バスNAVI」というスマートフォン用のアプリがあるのを知ったのは、この日、庵に帰ってからのことでした。
→この日歩いたところ。