桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2013年の無患子(ムクロジ)記念日

2013年03月29日 14時25分02秒 | のんびり散策

 昨日三月二十八日は無患子(ムクロジ)記念日。私が勝手に決めたもので、三年前のこの日、それまでまったく知らなかったムクロジという樹に対面したので、その記念日です。

 体調はいつも悪いわけではないのですが、よいときがつづかないので、散策も思うに任せません。
 加えて何か月か前から、カメラのメモリカードが悪いのか、PCに接続するカードリーダが悪いのか、原因がわからないのですが、カメラのモニタなら撮った画像を見ることはできるのに、PCに取り込もうとすると、認識してくれないのです。当然PCに取り込むことはできないので、ブログに載せることはできません。

 で、コンパクトデジカメを買いました。そして、早速見に行こうと思い立ったのが、流山・観音寺にあるムクロジに樹です。観音寺訪問は一昨年の十月、彼岸花を見に行ったとき以来です。
 それから一年半……。前は我が庵から4・3キロ先の観音寺まで、五十分近くかけて歩いて、とくにバテることもなかったのですが、わずか一年半経っただけで、そんな距離を歩く気力は喪失していて、行こうとすれば電車が欠かせなくなりました。



 昨日は高血圧の診察日でした。病院は新松戸駅近く。診察を終えたあと、ムクロジの樹がある観音寺を訪ねようと隣の駅・南流山まで武蔵野線に乗りました。

 南流山駅から十分で流山街道の木(き)交差点に出ました。



 新しい道路がつくられていました。道路は観音寺の横をかすめながら伸びて行くようです。
 一年半前に訪問したときは、この画像の左のほうでパワーショベルがガッガッと動いていましたが、迂回の標識のあるあたりは畑だったか、荒れ地だったか、憶えがありません。少なくとも工事が始まるような予兆は何もなかったという気がします。
 景気がよいという実感は全然ありませんが、それは私だけが感じていることなのか、我が庵周辺でも、野や畑が次々と潰されて宅地と化しています。



 観音寺に着いたときは思わず「アッ」と声を出してしまいました。あるべきものがなくなっていたのです。
 てっぺんを伐られ、枝を払われて、画像中央に、Yの字が幾重にも重なったように見える樹が目的だったムクロジです。




 これは二年前の十月に訪問したときの画像です。左側に高々とそびえているのがかつてのムクロジです。



 観音寺の左隣に鎮座する香取神社への参道。
 数本あるだけの、こじんまりとした桜並木ですが、私的にはお奨めスポットです。すでに散り始めていた本土寺参道の桜に較べると、幾分花の散る時期が遅いようです。




 江戸川堤防に出ると、今年も菜の花の絨毯が出迎えてくれました。遠くに見える鉄橋は、つくばエクスプレスです。




 堤防に上がってみました。
 この日の天気予報は終日曇でしたが、朝九時ごろから陽射しが出ました。気温も正午の予想気温は16度でしたが、前日は冷え込んだので、随分暖かく感じられました。



 広々とした江戸川の河川敷。



 江戸川に架かる流山橋東詰の桜並木。

 ここも開花が少し遅かったようで、満開直後といった様子。



 赤城神社の手前に流山寺があるので寄って行きます。



 我が宗派のお寺なので、本堂に参拝したあと、歴住のお墓に焼香します。



 流山寺からものの一分。関東有数の大注連縄として知られる赤城神社。

 拝殿に上る石段です。
 極度に高所恐怖症が募りつつある私には、さほどの高さ、とは見えぬこの石段すら鬼門です。左手にゆるりとした女坂があるのは知っているのですが、今日は参拝しないことにしました。



 石段の右手にある一茶句碑。

「越後節 蔵に聞こえて 秋の雨」



 参道左にあるムクロジ(中央にある二本の葉のない樹のうち手前)です。



 このムクロジの樹の由来につづいて、落ちている実はご自由にお持ち帰りください、と書かれていますが、残念ながら落ちた観はありませんでした。



 赤城神社の別当であった光明院。



 帰途、新松戸駅前のスーパーにナスタチウム(金蓮花)のポット植えがあったので、四鉢買って帰りました。

 今日は電車を利用しているので、それほど歩いていない、と感じていましたが、一万五千歩も歩いていました。



 三年目を迎えた我が庭のムクロジです。

 一週間前に新しい葉を出しました。去年は五月近くになっても葉を出さず、もしかしたら……と、思ったものですが、無事生きながらえてくれています。
 メジャーを持ってきて高さを測ってみたら95センチありました。去年の同時期は90センチでした。

この日、歩いたところ


2013年三月の薬師詣で・取手市

2013年03月09日 12時34分28秒 | 薬師詣で

 三月の薬師詣では茨城県取手市にある高蔵寺にしました。

 庵を出ようとしたとき、薬師詣でをするときには必ず持って行く念珠が見つからなかったのですが、どこに置いたものか、さっぱり見当もつかず、記憶もないものを捜していると、ズルズルと時間が経つばかりなので、捜しあぐねて行けなくなったというのでは本末転倒ですから、持たずに出かけることにしました。



 最寄り駅は常磐線の藤代駅です。

 この駅で降りるのは二度目で、高蔵寺訪問も二度目です。前回はお薬師さんの縁日とは関係のないときにきています。
 前回訪れたのは、ついこの前……というイメージがあったのですが、調べてみれば三年半も前の七月のことでした。



 藤代宿は藤代宿と宮和田宿の二つに分かれていました。本陣など宿場町としての役務も持ち回りとなっていました。藤代宿側の本陣は、現在藤代中央公民館となっている場所にありました。宮和田宿にも本陣が置かれていましたが、記録が残されておらず詳細は不明だそうです。

 前回と同じように、まず相馬神社を目指します。



 途中にある愛宕神社。

 相馬神社は駅からそれほど遠くなかった、という淡い記憶がありましたが、歩き始めると結構距離があって、途中、国道6号線を横断するための信号待ちも含めて、十分もかかりました。



 この相馬神社は江戸(画像では左)から水戸街道を歩いてくると、藤代宿の入口に当たるところに位置しています。
 取手宿から東北方向に向かってきた水戸街道は相馬神社の前で鍵型に折れて、南西に向かいます。



 鍵型の曲がり角にある坂本呉服店。牛久に住んでいた作家の故・住井すゑさんお気に入りの店でした。



 相馬神社の右隣に真言宗豊山派の高蔵寺(真言宗豊山派)があります。ここが今月の薬師詣での目的地です。
 賽銭箱は御堂の中にあって、ガラス戸は腕が入るだけ開くようになっていました。



 御堂の中央(画像では左端)に祀られているのが本尊(大日如来ですが、暗いので、どのような仏様なのか、よくわかりません)。その右手(窓の明かりでハレーションを起こしているところ)に、日光・月光の両菩薩立像を従えた薬師如来坐像が祀られています。
 前回きたときは、どんなふうであったのか記憶がありませんが、ガラス戸越しに拝見したので、撮影すること能わずと考えて、撮影しなかったような記憶があります。


 
 十六世紀後半の作とみられる薬師如来坐像です。画像は取手市のホームページから拝借しました。
 寄木造りの坐像で、室町時代以降の彫刻。台座76センチ、光背の直径110センチと大型の仏像です。
 天正末期、牛久城主だった由良国繁が岡見家滅亡の将兵供養のため、諸将に命じて七観音八薬師を建設しました。藤代薬師堂はその一つで、横瀬主膳正繁が建設にあたり、天正二十年(1592年)四月八日に落成入仏しました。
 岡見家というのは戦国時代、
牛久城を本拠地として常陸国河内郡を支配した一族ですが、天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の関東攻めで、後北条氏とともに滅亡しました。その関東攻めに加わったのが由良氏だったのです。

 踵を返して藤代駅方面に戻ります。



 藤代公民館。
 水戸街道藤代宿の本陣があったところです。


 サンウェーブの看板が出ていたので、水まわりの代理店のようですが、店先で鍬(くわ)が売られていたので、多少の感動を覚えました。

 私が棲んでいるところも田舎で、そこらじゅうに畑や田圃があって、鍬や鋤(すき)を振るう農夫を見ることがありますが、こういう店を目にして初めて気づいたのは、同じ田舎ではあっても、我が庵周辺には農具を売っている店はない、ということです。



 国道6号線と旧水戸街道が交差する片町交差点。左手が水戸方向です。
 藤代駅入口交差点を過ぎたところで旧水戸街道を外れて、浄土宗・信楽寺(しんぎょうじ)に寄り道をします。



 山門は四脚門で、色が塗り替えられているので新しく見えますが、元禄期(1688年-1704年)の建立だそうです。所蔵の「絹本金箔地刺繍釈迦涅槃図」は取手市指定文化財。

 


 再び旧水戸街道に戻り、旧宮和田宿あたりを進みます。由緒ありげな建物はありますが、宿場町の名残は何もありません。



 熊野神社。



 小貝川の堤防に出ました。国道6号線の文巻橋を望んだあと、踵を返しました。

この日歩いたところ