今年も最後の薬師詣で・終い薬師の日がきました。今月訪ねたのは、さいたま市岩槻区です。
新松戸~南越谷(新越谷)~春日部と乗り換えておよそ一時間、東武野田線の岩槻駅に着きました。
名にし負う人形の街・岩槻です。早くも雛飾りが……。
最初に芳林寺(曹洞宗)を訪ねました。岩槻駅から八分。
十一年前の十一月、岩槻の街を歩いたとき、最後に訪れたのがこのお寺です。訪れた時刻はすでに日没後だったので、今日の機会に再度参拝しようと思いました。
山門を入ると、右前方に馬に跨った太田道灌像が見えます。
前回参拝時はほとんど真っ暗だったので、こんな道標があったことには気づきませんでした。
創建年代は不明ですが、覚翁文等(1595年示寂)によって開山されたことから、戦国時代の創建と推測されています。元々は武蔵国比企郡松山町(現・東松山市)にあって「地蔵寺」と称していましたが、太田道灌(資長)の孫・資高が母・芳林院の追善供養のため、現在地に移転させ、名を「芳林寺」と改めました。
太田道灌の墓所。芳林院と岩槻太田家の氏資が合祀されています。
我が宗派のお寺なので、歴住の墓所に参拝します。
芳林寺から十二分歩いて彌勒密寺に着きました。
彌勒密寺本堂。
薬師堂。
次に参拝する玉泉院は同じ岩槻区内とはいえ、随分離れています。バス停を捜して歩いていたら、千手院の前を通りかかりました。ここも十一年前に参拝しています。
曹洞宗のお寺です。バスの時間が迫ってきたので、歴住の墓所への参拝は割愛。
さいたま市というところは自転車に対する姿勢がしっかりしています。逆走防止の看板やこのような区分表示は松戸市内では見かけません。
東町二丁目から国際興業バスに乗ります。
乗車三十分、ウィングシティ南というバス停で降りました。
越谷街道を東進。畷(なわて)橋で綾瀬川を渡って行きます。
途中にこんなのがあってびっくりしましたが、建築装飾の会社でした。
バスを降りて歩くこと二十四分。玉泉寺に着きました。創建年代は不詳ですが、開山の玉泉心泰大和尚の没年が慶長二年(1597年)であることから安土桃山時代の創建となります。我が曹洞宗のお寺で、本尊は薬師如来です。
ここでも歴住の墓所に参拝します。手前の大きな卵塔は十二世中興・雲渓泰岳大和尚のもの。
玉泉寺から歩いて四十分、帰りは武蔵野線の東川口駅から。
→この日、歩いたところ。
私もなんとか元気にしています。
今日は用事で新宿にでかけました。
それほど人はいませんでした。
やはり池袋や渋谷の方が人どおりは多く感じます。
階段を最後まで上がるのが、かなり疲れるようになりました。
お元気で。ところで、埼玉を回っているようですが、こちらにいらっしゃったら、寄ってください。
前にご一報がほしいです。