桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

犬吠埼から九十九里浜へ

2010年02月25日 21時56分24秒 | のんびり散策

 二十日土曜日。友の来訪三日目。
 友は奈良市在住、勤務地は京都市。ともに海のない土地です。
請われて銚子まで出かけることにしました。利根川と太平洋が見たいというのです。
 私が銚子へ行くのは三度目ですが、同じ県内だというのに、改めて遠い! ― とくに新松戸からだと、取り分け! ― と実感させられます。

 新松戸~銚子は我孫子を経て成田へ出るか、西船橋経由で千葉へ出るか。二つの経路がありますが、成田から先、千葉から先は、ともに電車が一時間に一本程度しかありません。
 しかも単線なので、各駅ごとに上り電車とすれ違うという感じで、じつに時間がかかります。
 新松戸九時二十一分発の我孫子行電車に乗って、我孫子(乗り換えの待ち時間十四分)と成田(同十二分)で乗り換え。銚子に着いたのは十一時五十六分。最早お昼間近でした。

 


 真っ先に利根川を見に行きました。銚子駅から数分です。
 全長約322キロは信濃川に次いで日本で二番目、流域面積16,840平方キロは日本一。この眺めこそ私のイメージする大河・利根川です。



 利根川を見に行く途中で見かけた、銚子駅前通りの荒物屋さんの店主(?)。
 道路に大きくはみ出して昼寝をしていても、人通りが少ないので、邪魔にはなりません。



 これも途中にあった桔梗屋という食堂。
 暖簾には桔梗紋が染め抜いてありました。丼にも桔梗紋があれば念の入ったものでしたが、右のショーウィンドウのサンプルを見た限り、丼などは紋なしでした。



 ヒゲタ醤油銚子事務所。
 現在、本社は東京ですが、ここ銚子が発祥の地。創業は約四百年前の元和二年(1616年)。銚子醤油を代表するもう一つのメーカー・ヤマサ醤油は正保二年(1645年)の創業。



 三越がありました。
 商品の陳列はほとんどない小型売店です。それでも三越があるとは、さすが歴史のある街だと思ったら、同様の小型売店は千葉県内に十三店もあるとのこと。そのうち三越銚子を含めた四店舗はあと一か月、三月二十二日をもって閉店だそうです。

 銚子市の人口は七万五千人。昭和三十五年ごろがピークで、九万近くの人が住んでいましたが、年々減りつづけています。

 前回銚子にきたのは二年前のゴールデンウィーク中でした。銚子漁港から銚子駅まで、銚子銀座というメインストリートを歩きましたが、銚子の人々はほとんどが旅行に出払ったのか、と思わせるほどの人通りのなさでした。
 今回はほんの少し人通りが増えたような気がしましたが、気のせいかもしれません。



 銚子駅に戻って銚子電鉄に乗りました。
 一両だけのレトロな電車で犬吠埼へ。この電車は地下鉄銀座線を走っていたそうです。そういわれれば見覚えがあるような……。銀座線を走っていたときは、ときおり車内灯が消えて、電車の中は真っ暗になったっけ。



 犬吠駅。
 オランダふうのつくり、だそうですが、なにゆえにオランダなのだろう。ごく純朴な田舎の駅にしたほうが風情があると思うのですが……。



 犬吠埼灯台は改装工事中でした。
 灯台というより仏塔の改装工事を見るようです。

 


 
灯台下で、しばし磯遊びに興じました。
 波が岩に砕け散るさまを眺めていると、いつまでも飽きません。

 当初は東金か茂原まで行って九十九里浜に出ようと考えていたのですが、銚子駅に戻って総武線に乗るころには、すでに夕暮れが近づいていました。
 陽が落ちないうちにと、銚子から三十分足らずの旭で降りて、九十九里浜に向かいました。



 九十九里浜で出会った野良殿。
 市川大野のオフグ一家、新松戸のコツブ一家にはまったく会えていないのですが、ミオは常に鞄の中に忍ばせてあります。
 この野良殿は、こんなに美味しいものは生まれて初めて食べたという様子で、私たちのあとをついて廻りました。



 このあたりは矢指ヶ浦と呼ぶようです。
 地図には著わされていないので、見晴るかす60キロの砂浜がつづいていると思いきや、ところどころに砂の流出を防ぐ突堤があったり、波消しブロックがあったりして、延々とつづく砂浜を見ることはできませんでした。



 浜辺から見ると、ちょうど夕陽の沈むあたりに、マンションでもなし、ホテルでもないような高い建物が一つだけポツンと見えました。
 近づいてみると、マンションにしてはド派手な館内の照明からして、どうやらホテルらしいと見えました。
 ティルームでもあれば休憩……と思って行ってみたら、
かんぽの宿・旭九十九里温泉でした。うれしいことに日帰り入浴があって、冷たい海風で冷え切った身体を温めることができました。

 私が行くスーパー銭湯とは違って、ここはれっきとした温泉です。
泉質はナトリウム・塩化物・強食塩泉。ただし、源泉の湯温は29度だそうですから、摂氏25度以上という日本の基準に照らすと辛うじて「温泉」。
 日帰り入浴料は1000円也。交通不便な場所にあるのにしては、ちょっとボルんではないかという気がしないでもない。
 十階には展望風呂があるようでしたが、利用できるのは宿泊客のみだそうです。十階という高さからなら、さぞ眺めはいいことでしょう。
 この日、レストランは貸し切りで使用不可。もちろん毎日がこのように盛況とはいかないでしょうが、「かんぽ」といえば袋叩きに遭い、多くの施設を二束三文で売却しなければならなかった、というのが嘘のような賑わいでした。

 帰りは二十時三分の電車に乗車。
 これを逃すと、次の千葉行は二十一時七分まで待たなければなりません。そして、そのあとの二十二時十八分が最終。


有朋自来遠方 亦不楽(4)

2010年02月24日 20時55分45秒 | つぶやき

 先週の木曜日(十八日)、入院見舞いを兼ねて訪ねてくれたとき以来、三か月ぶりに友がやってきました。
 夕方には到着していたのですが、私は仕事があったので、夜七時半過ぎに友が逗留する柏駅前の三井ガーデンホテルを訪問。
 木曜から日曜まで三泊四日の予定ですが、木・金は私の家に近い新松戸のホテルが予約できなかったので、柏泊まりとなったのです。

 あまり行かないので、柏の街はよく知りません。連れ立って西口~東口と駅前を徘徊しましたが、空腹を満たし、喉の渇きも満たし、かつまたゆっくりと久闊を叙し、なおかつ静かそうな店……というと、なかなかありません。



 東口にイタリアンの店(二階)があったので、入ることにしました。

 


 食事を済ませたあと、暗い路地を選んで歩いていたら、こんな店が見つかりました。
 最近はかなり鈍っていると思いますが、かつては店のつくりを見ただけで、勘定がいくらぐらいなのか、大体想像ができて、あまり間違ったことがありませんでした。久しぶりの勘働きでしたが、この店の支払いもほぼ値踏みどおり。

 ジャズがかかっていました。見ると、CDではなく、レコードです。
 ブラック・ブッシュというアイリッシュウィスキーがあったので、ダブルで一杯もらいました。
 私はあまりジャズは聴きませんが、嫌いではありません。
 ウィスキーにはジャズがよく似合う。本格的なジャズバーのように、陶酔しているふりをする「したり顔」の客がいないのもいい。
 大体、客は先客が一組とあとから一組だけ。
 雰囲気のよい店でゆったりとした時間を過ごすのは無上の幸せです。時が過ぎ去るのも早い。ふと気づいて時計を見ると十一時でした。友を迎えた第一日はここでお開き、としました。



 じゃが芋料理とポテトチップスが大好物の私への、友の手土産です。重くはないかもしれないが、さぞ嵩張ったであろうに……。わざわざ500キロも離れたところまで持ってきてくれました。

 さらなる土産は、
詳しく記すと友の居住地を特定することになるので、詳しくは書かないけれども、今年限定の、あるキャラクターの携帯電話用ストラップ。
 それから、京都・永観堂でもらってきたという石蕗(ツワブキ)の種。

 永観堂は三千本といわれる紅葉と見返り阿弥陀像で高名なお寺です。
 恐らく紅葉の季節には石蕗など誰にも顧みられないであろう花、というのがつむじ曲がりの私には気に入りました。
 しかし、見る人は見ているのです。京都のタクシー会社の観光案内には、紅葉と一緒に石蕗の写真が載せられていました

http://homepage2.nifty.com/cub/niwa/eikando.htm


 翌日も柏のホテルで会って、夜の街を歩きました。昼間、勤め先の目を盗んで、インターネットでよさそうな店を物色。
 柏駅西口に一軒見つけていたので、地図をプリントして持って行きましたが(そこに名前とメールアドレスを書いて行くと、10%割引とあったので)、現地に着いてみると、なかなかわかりづらい。一画には三菱東京UFJ銀行があったのですが、私が持って行った地図にはその銀行が載っていませんでした。

 地理不案内にもかかわらず、もがいている私に痺れを切らした友がジモヤンらしき青年に声をかけました。
 ……五分ほどの長きにわたったでしょうか。青年は地図を見ながら、「このへんのはずですよね」と一所懸命に頭をひねってくれましたが、結局わからない。
 青年が立ち去ったあと、私たちはもう一度だけそれらしき区画を一周。すると、あった、あった。
 電飾の袖看板が出ていたのですが、アルファベットで書かれた店名が私たちの見上げる方向からは逆になって見えたのでした。
 やっと見つけたと思ったのに、入口は重そうなスチールの扉で閉ざされていました。
 金曜日の夜八時。飲食店なら稼ぎ時のはずです。
 結局、私たちには縁のない店だったのだとさっさと退散。



 その夜も東口を歩いてこんな店に入りました。
 前夜、イタリア料理店に入る前に、外面を見ただけですが、入ろうかと思った店。
 二十人も入ればいっぱい。辛うじて空席があってもぐり込みましたが、料理の出てくるのがなかなか遅い。一時間少々いただけですが、せっかちな私は焼酎のダブルを三杯も呑んでしまいました。



 まだるっこしい料理の出方に、何かを食べたという気がしなかったので、店名標示のない立ち食いそば屋に入りました。
 友は関西モンらしく、ケツネうどん。私は力うどん。



 最後はまた昨夜のバーへ。
 しかし、金曜日の夜ということを忘れていました。前夜とはガラリと雰囲気が変わって、♀スズメどもの煩いこと、煩いこと。でも、アイリッシュウィスキーは美味しかった。

※画像はお店のホームページから拝借しました。ちゃんとレコードのターンテーブルが写っています。


ブログペット・コタロウ

2010年02月21日 20時23分53秒 | つぶやき

 ブログペットを飼いました。
 犬で、名前は「コタロウ」。



 こんなんで、左カラム下のほうで歩いたり、伏せをしたりしています。お気楽ご気楽な犬です。
 十日ほど前に見つけて飼うことにしたのですが、ブログへの貼り付け方を間違っていたのか、画面には一向に現われてくれませんでした。

 先週の日曜日。何をどうしたのか憶えていませんし、再度同じことを、と請われてもできませんが、暇に任せてマウスをカチカチやっていたら、いつの間にか「コタロウ」が我がブログに姿を現わしていました。
 ブログの更新をつづけると、次々と新しい言葉を覚えてくれるそうです。また一つブログをつづけるハリができました。

 あと二匹飼うことができるというので、猫を飼うことにしました。
 名前は「小雪」とつけましたが、こちらはサブのせいか、画面には現われません。私が見ていないときには姿を現わしているのか、それとも何か別の操作をしないといけないのか。

 このブログでも、始めた当初は複数の画像を載せる方法がわかりませんでした。いつごろであったか、何かをキッカケに複数枚載せられることに気づきましたが、手数が必要で、非常に面倒臭い作業を繰り返していました。
 つい最近、もう少し楽な方法があったのを知りました。しかし、まだ面倒臭い。
 ここまで辿り着くのに、ブログを始めてから一年半を要しました。フーッ、ヤレヤレです。



 去年入院した病院の玄関脇に「禁煙」の看板が立てられたのに気づきました。もともと敷地内は全域にわたって禁煙なのですから、ちょっとわざとらしい。
 なぜこんなものを立てたのか。大体の想像はつきます。
 入院中、隣のベッドにいた相棒の姿がときどき見えなくなることがあると思えば、ここにきて煙草を吸っていたのでした。
 相棒はまだ入院しているのかどうか。入院中に耳に挟んだ話では、慢性の病を持っていて、退院しても、遠からずまた入院をしなくてはならない身体らしいのです。喫煙が百害あって一利なしとはいうものの、相棒のことを思うと、たった一つの愉しみすら奪われて……と同情を禁じ得ません。



 先週木曜日はまた雪でした。
 その日の朝、我が庵から見下ろした光景です。
 この日、関西の友人が訪ねてくることになっていました。電話で「雪だよ」と報せると、ずっと関西育ちで、あまり雪に縁のなかった友は悦びました。

「雪合戦しようよ」
「ああ、雪が残っていたらね」

 出勤時はまだ小雪が舞っていましたが、すぐに熄みました。それどころか陽射しが出ると、積雪もあっという間に消えてしまいました。
 画像は真っ白に見えますが、これは積雪が多かったからではなく、未明に冷え込んだため、霜が降りたのです。
 友が京都駅で新幹線に乗り込むころ、雪は跡形なく姿を消していました。

 またブログの更新が滞り気味です。材料がなくて苦吟しているのではありません。むしろ反対です。
 木・金こそ私には仕事があったので、友人と会えるのは夜になってからでしたが、深夜まで歓談。土曜日は一日付き合って、日曜日も東京駅で見送るまで一緒。家には寝に帰るだけという状況で、ブログを書いている時間がなかったのです。
 遅れ気味ながらも、この間の出来事をネタにして、来週少しずつ更新して行くつもりです。

※昨日の快挙!

   

 ラグビー日本選手権・トヨタ自動車が決勝進出。
 準決勝でかつての王者・東芝に逆転勝ちしました。サントリー、三洋電機には相性が悪いのに、不思議と東芝には相性がよいのです
※画像はサンケイスポーツから剽窃しました。


こざと公園の来客

2010年02月16日 22時12分24秒 | 風物詩

 半日降った雨は上がりましたが、連日嘘寒い陽気です。今夜も勤め先からの帰りがけは冷たい小雨。
 たった一週間前、21度などという季節外れの暖かさに恵まれたのが夢のようです。

 私は生まれつき右足の一部に畸形を抱え込んでいるので、寒いとその部分が痛んで敵いません。
 暖めれば少しはマシかと思い、靴下に貼りつけるタイプの使い捨てカイロを買いました。暖かさは少し物足りないが、いくらか案配はいいようです。
 しかし、靴を履いたときが問題です。今度は他の部分が当たって痛いのです。

 昨日、桜の開花予想が出ました。
 早いところでは、あと五週間もしないうちに桜が咲くようです。しかし、寒さに閉口する日の多いいまの季節。サクラ……と聞いても、あまりピンときません。というより、舌の根も乾かぬうちによくやるよ、マッタク……というのが本音です。誰の舌の根が乾かぬのかというと、気象庁です。

 確か今年は暖冬という予想ではなかったか?
 去年十一月二十五日に出された十二月~二月の三か月予報を検証してみると、気温は「全国的に」平年より高めで、「暖冬」になりそうだ、と発表されています。
 ほほう、低いところもあり、高いところもあって「全国的」というのだが、少なくとも千葉県東葛地方は低く予想していたというわけですね、といいたくなります。

 私が千葉県民となった2004年の十二月から六年間の月間平均気温を算出してみると、昨十二月より低かったのは05年と06年だけ。
 一月になると毎日の最高気温の平均は今年が一番高かったけれども、最低気温も一番低い。
 二月は十五日現在で最高気温も最低気温も今年が一番低い。
 どこをとっても、閻魔様に舌を引き抜かれても、暖冬とはいえません。

 同じく三か月予報では太平洋側では晴れの日が少なく、降水量は多めとの予測でしたが……。
 去年十二月の一日平均降水量は六年間で二番目。日照時間は三番目。
 一月。降水量は六番目、つまりビリ。日照時間は二番目。
 二月。降水量二番目。日照時間は一番。
 これも大ハズレ。

 予報ではなく、予想なのだから、外れるのもご愛敬。
 と、寛容に構えていては、競馬予想やプロ野球の順位予想と変わりがない。
 競馬なんぞと一緒にしてくださるな、科学性が比較にならぬと、のたまうか。
 当たらなければ科学もへったくれもない。というより、少なくとも国の機関が競馬予想などするのはやめたらどうか、と噛みつこうと思ったら、なんと今年から開花を予想するのはやめた、だと。
 競馬予想は民間会社に任せる、ということらしいが、標本木を定めて観測し、データを提供していることには変わりがない。
 舌の根も乾かぬうち、と表現したのはそういうことで、それでも懲りない人を、昔の人は「しゃらくせえ」といい、「ちょこざい」といったのです。まさか、しゃらくせえとかちょこざいといわれたのを、褒められた、と思っているわけでもありますまい。

 こうしてグチグチ文句をいいながらも、明日の天気は「暖かくなるでしょう」と聞けばうれしくなります。「冷え込むでしょう」と聞いても、あらかじめ準備のしようがありませんが、暖かくなるとのたまったのに、どっこいそうは問屋が卸さねェとなったときは、足の痛みもことのほか烈しいようなのです。
                          
 昼前、外国へEMSを出すために郵便局へ行った帰り、「こざと公園」に寄ってみました。

 


 この寒いのに(寒いからこそ、か?)、コサギ三羽、チュウサギ三羽、それにアオサギ一羽がきていました。餌を取るでもなく、冬枯れの葦原にじっとしています。
 詳しいことは知りませんが、鳥の足は血管の構造が哺乳類とは違うそうです。そのため、冷たい水の中に佇んでいても、寒さ冷たさを感じにくい体質になっているらしいのです。
 ということは、足に畸形を抱え込んでいる鳥がいたとしても、私のようには痛みを感じないかもしれない。
 羨ましいことです。



 通勤途中に、商売を始めたのかどうかよくわからない店が出現しました。
「農家のみほちゃん」という看板がかけられています。店名からすると、八百屋さんかと思わせますが、まだ正体が知れません。開いているのを見たことがないからです。今朝も写真のような状態。

 私がこの店の前を通るのは毎朝九時前、夜は早くても七時過ぎです。店を開ける前に通り、閉めたあとに通るので、開いているところを見られないのかも、と思っていましたが、先週の金曜日、六時半という早い時間に仕事が終わって通りかかったのに、店は開いていませんでした。



 そのくせ、夜になると店名をライトアップする仕掛けが施してあります。

 ここはつい最近までパン屋さんでした(確か……)。私は一度も利用したことがなかったので、潰れた(発展的解消だったかもしれない)ことも代替わりしたことも気づきませんでした。
 外付け階段で上る二階はカラオケスナックでした。随分前から主はおらず、階段上り口に、かつての店名と「テナント募集」の看板がかかっていましたが、いつの間にか店名は撤去されていました。


梅花探索

2010年02月14日 19時58分04秒 | 

 バレンタインデー。去年にまして今年は縁がありません。
 
去年のいまごろは夜な夜な夜の街をふらついていましたが、胃潰瘍を患ってからはとんとご無沙汰をしてしまったので、華やかなおねいさんたちからのチョコレートも皆無という状態になったのです。

 世の中は所詮こんなもの、とわかってはいますが、なかなか「空」の域には到達できません。

 急に梅の花を見たいと思いました。五日ぶりに拝んだお日様のせいかもしれません。
 別に名所といわれるところでなくともよい。むしろ民家や小さな祠のかたわらにさりげなく咲いていて、見応えのある梅の花でもないかと捜しに出ました。
 大体近辺には梅の名所といわれるところがありません。「るるぶ」で調べてみても、千葉県ではわずか三か所が紹介されているのみで、いずれも我が町からは遠いのです。

 どこへ行こうかと考えた挙げ句、武蔵野線に一駅だけ乗って新八柱へ行き、「21世紀の森と広場」を訪ねることにしました。



 新松戸-新八柱間で、毎朝通勤電車の窓から見下ろしている道路です。
 高架を走る電車からは遙かに下に見えるので、箱根宮ノ下あたりの風景を思い起こして、充たされぬ旅心を慰めています。



「21世紀の森と広場」を縦断する道路の橋脚を遠望したところ。
 これも電車から眺めると、公園の敷地が林で隠されるので、箱根へ行くときに、小田急の車窓から見る東名松田あたりの風景と見まごうばかり、といいたいところですが……。

 


 紅梅はそこそこ咲いていましたが、白梅はいまだし。季節の早い蝋梅は見ごろでした。
 昨夜までの雪交じりの雨でぬかるんだところがありましたが、じかに踏む土の感触がフワフワとして足に心地よい。



 綿の樹がありました。



 先月の二十九日、毎日新聞に「今年も千駄堀池につがいのオオハクチョウが飛来」と紹介されていました。
 この池で越冬するのではなく、ほんの二週間ばかり羽を休めるだけのようですが、二週間と二日が経った今日はすでに飛び去ったあとのようでした。



 日照時間は日ごとに伸びている、とはいっても、真冬の日暮れは早い。園内にあるレストランとは名ばかりのレストランでコーヒーを飲んでいるうちに閉園時間が迫っていました。
 公園の閉園時間は午後四時、園内にある松戸市立博物館の閉館は四時半。
 入館したものの、ここも閉館時間間近だったので、一階ロビーを一周しただけで、何も見ずに出てきてしまいました。

↓千駄堀池の航空写真です。
http://chizuz.com/map/map64434.html


何用あって鎌ヶ谷に

2010年02月11日 10時55分18秒 | 風物詩

 七日の昼、私は新京成電鉄、東武鉄道、北総鉄道の三線が交差する新鎌ヶ谷(しんかまがや)駅前にいました。

 日曜日なので、散策に出て、ついでにまたスーパー銭湯へ行こうかと考えて、タオルやら石鹸やらを用意してトートバッグに詰めたのですが、この日は昼に近づくのに連れて次第に風が強くなって、やがてゴウゴウと音を立てるほどになりました。
 で、出かけるのをためらっているうちに、十時を過ぎ、十一時を過ぎてしまったのです。
 そんな私が何用あって鎌ヶ谷に?

 今日の散策はどうしようかと自宅で逡巡している間、携帯電話に着信あり。
 休みの日に携帯が鳴るのはロクなことではない。嫌な予感に胸を塞がれるような思いで携帯端末を開けると、案の定、勤め先の長(おさ)からでした。
 急な注文がきていて、出荷する商品に細工を施す必要があるのだが、細工をする機械の操作がイマイチわからない。つまり、出勤してくれないか、というのです。

 仕方がないと腰を上げましたが、駅の改札口が見えるあたりまで行くと、人だかりがあって、ちょっと妙な雰囲気でした。普段は待ち合わせをするような人はいなくて、人だかりなどない駅です。
 改札口に近づくのに連れて、電車の時刻を報せる電光掲示板に、強い風のため、「武蔵野線運転見合わせ」という赤い字が点滅しているのが見えるようになりました。

 電車が動いていないのでは出勤できない。残念ではあるが、ラッキー! と思って勤め先に電話。
 ところが、今日はどうしてでも出勤してもらいたいようです。
 電車を乗り継いで、勤め先に一番近い新鎌ヶ谷駅まできてくれれば車で迎えに行く……。というわけで、私は縁も所縁もない場所に立つことになったのでした。

 武蔵野線は動いていないので、常磐線で松戸へ行き、新京成に乗り換えて、三十分少々で新鎌ヶ谷に着きました。
 不思議というか、まだ親方日の丸の体質を残しているのではないかと慨嘆するのは、運賃が高いと評判の悪い北総開発鉄道、それに新京成、東武、つくばエクスプレス、流鉄と、近くを走る私鉄は同じように強風に晒されているのに、みんな動いていることです。運転を見合わせているのは武蔵野線だけ……。
 とくに運賃が高いと評判の悪い北総開発鉄道は、千葉県に入るとしばらく高架を走ります。武蔵野線と交差する東松戸では武蔵野線よりさらに高いところを走っているので、強風に晒されるという点では武蔵野線より厳しいかもしれません。それがちゃんと走っているのに、一人武蔵野線だけが止まっている。
 JRは民営化されたのですから私鉄になったはずだのに、私鉄とはいわないのはこのあたりにあったのでしょうか。

 武蔵野線が止まったり遅延するのは日常茶飯事です。
 武蔵野線の名誉のために、正しくいえば、止まるのはほんのときたまのことなのですが、利用者からするとしょっちゅう止まるような気がする。
 現にこの週は、翌月曜の朝は接続する京葉線で急病人が出たからという理由で十分近い遅れ、火曜の帰宅時は新八柱-新松戸間の沿線で自動車事故が起きた(?-踏切などないのに)というわけのわからない理由で約三十分間の運転見合わせ、と三日連続でした。



 北総開発鉄道の高架下にある新鎌ヶ谷駅入口。通路はトンネル状になっているので、ものすごい強風が吹き抜けていました。



 駅前で待っているうち、市の花「ききょう」という標示があるのを見つけました。いまは土が剥き出しになっているところ、桔梗の根っこが春を待っているのでしょうか。

 鎌ヶ谷と桔梗にはどんないわれがあるのか。

 臨時出勤を終えて家に帰ったあと、鎌ヶ谷市のホームページを見てみると、梨の花とともに、桔梗が市の花に制定されたのにはとくにいわれはなく、市民による投票で決められたとのことです。
 何かいわれがあったらもっと愉しかったのですが、ともかく、これで私との縁ができました。
 桔梗を1位に選んでくだすった鎌ヶ谷市民に幸あれ。
 桔梗の咲く季節がきたら、再度訪問してみなければなりますまい。

 ただ、
気になったのは、市の木のほうは「モクセイ」となっていて、キンモクセイの画像が用いられていることです。
 厳密にいうと、モクセイという木はこの世にはなく、ギンモクセイ、キンモクセイ、ウスギモクセイを総称するときの呼び名で、普通モクセイとだけいう場合はキンではなく、ギンモクセイを指します。
 サクラを市の木や市の花にしている自治体も多いのに、「サクラ」という木もこの世にはないではないか、といわれるかもしれませんが、私が危惧したのは、日が満ちて桔梗観察に繰り出したところが、一面咲いているのはキキョウではなく、トルコギキョウ……なんてことになるのではないか、ということ。



 新鎌ヶ谷駅前の風景。
 さりげない感じで立っている人がいますが、時折猛烈な風に見舞われているのです。
 駅周辺には畑がないので、空気は澄んでいるように見えましたが、駅前を一歩離れると、中国の黄砂もかくやと思わせるような砂塵が舞っていました。
 そういえば、二年前の引っ越し当日(二月二十七日)もものすごい砂嵐でした。

 鎌ヶ谷を中心とした地域は台地状で、水の乏しい土地です。田圃はなく、畑しかありません。毎年春先に一日か二日、突風の吹き荒れる日があって、そういう土地柄ですから、
視界を遮るような砂塵が巻き上がります。
 確かに一日か、せいぜい二日です。
 当日は大いに難渋しますが、過ぎ去ってしまえば忘れてしまう。

 電車を止めないようにする工夫はないことはないが、風を防ぐための設備投資には大変なお金がかかるし、投資したところで回収できる見込みはない。
 JR内部には、その一日がきたら、電車を止めてしまえばいいや、と考えている人がいたりして……。
 それにしても、北総開発鉄道が走っているのに、走らない武蔵野線は非常に不思議です。


夕映えの中で

2010年02月05日 23時06分25秒 | 音楽



 昨日、夕映えの富士山を見ました。
 私の勤め先近く、高いところに上がって西南西の空を眺むれば、総武線市川駅前のツインタワーの右に見ることができるのです。

 毎年、冬になると富士を望むことのできる日が多くなります。ことに今冬は晴れの日が多く、出勤時は、今朝は富士が見えるのではないか、と愉しみにしながら勤め先に向かうのです。
 ところが、今年の晴天は上空には雲一つないというのに、西方の地平線近くには必ず雲があって、なかなかお目にかかることができませんでした。
 二十日も前の一月十四日。やはり夕暮れの中で見たのが最後になっていました。

 昨日は出勤時にも見ることができました。可視部はすべて雪に覆われた富士は威風堂々としていて、さすが、と思わせます。
 昼食を買いに行くとき、カメラをポケットに忍ばせて出ましたが、あいにく雲が出て見えなくなっていました。

 そして夕方……。
 真っ赤な夕焼けでした。夕映えの中にくっきりと浮かび上がる富士が見えました。朝と同じように、圧倒的な存在感はありますが、夕暮れのせいか、なんとなく物悲しい気分が押し寄せてきます。

 夕映え……をイメージすると、私はいつもリヒャルト・シュトラウスの歌曲集「4つの最後の歌」の中の第4曲「夕映えの中で(Im Abendrot)」を思い出します。
 歌詞はドイツ語なので、どんな内容なのか理解できませんが、メロディを聴いているだけでも、深く沈み込んで行くような気持ちになる歌です。

 かといって、陰鬱になるばかり、というのではありません。無情や後悔、反省、そしてほんのちょっぴりの希望と、人生そのものを考える(ような)気持ちになるのです。
 これがリヒャルト・シュトラウス最晩年の作曲というのを考慮すると、さらに考えが深まって行く(ような)気がします。
 実際は(ような)気がするというだけで、何一つ変わりませんのですが……。



 あまたのソプラノ歌手が歌っていますが、誰の歌でもいいというわけではありません。私が思い浮かべるのは常にルチア・ポップの歌声と五十四歳で亡くなってしまったという生涯です。
 スロヴァキア出身のソプラノ歌手です。闘病空しく癌で亡くなって、今年で十七年になります。

 亡くなる半年前に録音した、とされているのが「4つの最後の歌」です。恐らく闘病中の録音、むろん人生最期の録音になったのだろうと思います。
 ルチア・ポップが最期にこの歌を歌おう、歌いたい、と望んだのはすごく象徴的で、同時に人間の意志の尊さを感じます。

 楽曲は「春」「九月」「眠りに就く時」「夕映えの中で」の、いずれも死をテーマにした4曲で構成されており、第1曲から第3曲までの詩はハインリヒ・ハイネ。第4曲の「夕映えの中で」だけ、
ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788年-1857年=ドイツ後期ロマン派の詩人)の詩が使われています。
 歌詞がわからないぶん、歌曲にしてはちょっと冗漫かと思えるほど長い前奏がありますが、私にとっては決して冗漫ではありません。この長さがあるからこそ、歌い出すのを待ちに待った歌い手は、思いの丈をぶつけられるのではないかと思うのです。

 第4曲の日本語訳は以下のとおり。翻訳者は不明です。

♪私たちは苦しみと喜びとの中を/手に手を携えて歩んできた/いま、さすらいをやめて/静かな土地に憩う

♪まわりには谷が迫り/もう空はたそがれている/ただ二羽の雲雀が霞の中へと/なお夢見ながらのぼって行く

♪こちらへおいで 雲雀たちは歌わせておこう/間もなく眠りの時がくる/この孤独の中で/私たちがはぐれてしまうことがないように

♪おお 遙かな 静かな平和よ!/こんなにも深く夕映えに包まれて/私たちはさすらいに疲れた/これが死というものなのだろうか?

 ルチアの動画をYou Tubeで見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=Ur-Is-04SxU

 1977年、三十八歳と若く元気なころのルチアです。
 オーケストラ伴奏指揮はゲオルク・ショルティとのクレジットがあります。CDとして遺されているのはマイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン交響楽団。

 ルチア・ポップといえば、モーツァルト「魔笛」の「夜の女王のアリア」です。
 二十四歳のとき、ブラティスラヴァ歌劇場でデビューを果たし、国際的にも注目を集めるようになった記念すべき役柄でしたので、これもYou Tubeで捜して。
http://www.youtube.com/watch?v=_ufeyarJxNQ


立春/雪景色

2010年02月04日 22時40分25秒 | 風物詩

 私が住む地方では二月一日夕方から雪になりました。初雪でした。
 雪だるまづくりなどとても望めないほどの微々たる積雪でしたが、うっすらと雪化粧した街を眺めることができました。
 年に一度か二度しか望めない雪景色なのに、昨日は夜七
時ごろからまた雪になりました。

 

 我が庵から見下ろした雪景色です。上は今朝。下は二月二日朝(初雪の翌朝)に撮影した景色。樹木の冠雪を比較すると、昨日の雪のほうが多かったようです。

 ところが、今朝は不思議なものを見たような気持ちになりました。
 通勤電車でわずか十分しか離れていない市川大野ではまったく積雪がなかったのです。
 両地点の間に丘はありますが、せいぜい標高20メートルほどの台地が点在しているだけで、山と呼べるようなものではありません。勤めを終えるころに雨に降られれば、自宅近くでも雨というのが当たり前なので、こんなに違うとは考えてもみませんでした。

 通勤電車の窓から竹林の見える場所があります。普段はとくにどうということなく眺めますが、今日は雪の重みで、いっせいに頭を垂れているのを見て、写真に撮ることができればよかったのに、と思いました。
 しかし、一秒もかからず通り過ぎてしまうので、あらかじめ知っていてカメラを構えていない限りは撮影不可能です。代わりに、あそこの竹林を撮ってやろうと思いました。市川大野の駅を降りると、右手に同じような竹林があるのが見えるのです。
 ところが、ところが、でした。凍っていないどころか、濡れてもいない駅前の道を目にした私が見上げた竹林は、普段となんの変わりもない竹林だったのです。
 当然通勤路も何事もなかったように乾いていました。ほんの二十分ほど前に自宅を出るときは、凍りついた道路に足を取られぬよう、抜き足差し足で歩かなければならなかったというのに……。

 一面の雪景色であろうと楽しみにしていた「こざと公園」にも雪はありません。雪のように見えるのは霜です。

 代わりに霜柱を見つけました。盛り上がりが小さいので、イマイチわかりにくいと思いますが……。

 これは二月一日、初雪の降る前、「こざと公園」南園で見たアオサギ(中央)とチュウサギのつがいです。私が知る限り、アオサギはいつも単独行動です。

 新松戸の駅から自宅までは徒歩九分弱です。山に分け入って行くわけでもなし、その程度の距離では、気温はさほど変わらないと思えるのですが、実際は如実に違います。
 流鉄の踏切を渡ると、新坂川に架かる大谷口新橋があります。長さわずか十数メートルという短い橋ですが、いまの季節はここを渡るころからグンと冷え込むのが身に沁みてわかるのです。
 春も夏も秋も、このあたりから気温が下がると意識することはありません。意識するのは真冬だけ。橋を渡りながら「おお、さぶ」と独り言を呟き、コートの襟を立てたり、マフラーを締め直したりして、そういえば、と思ったりするのです。
 積雪も目に見えて多くなります。人通りが少なくなるということもあるでしょう。新松戸の駅前付近はベタベタと人が通るので、雪の積もる暇がないのです。

 

 上・初雪の日の帰り道、午後八時過ぎに撮影したものです。下は昨日の帰り道。

 今夜も大谷口新橋を渡ると、やっぱりだ。
 ところどころに雪の凍りついた場所が残っていました。マンションの陰になっているので、まったく陽の当たらないところができるのです。
 始末の悪いことには、そういうところは街路灯の光も乏しく、直前まできて初めて、凍っているとわかるのです。

 あっと思って、踏み出した脚をそのまま踏み下ろさず、蹈鞴(たたら)を踏むような形になりました。身体をひねって脚の下ろし場所を捜しましたが、目をつけた場所もなんとなく黒っぽく、凍っているような気がしました。
 瞬間的に抵抗するのを諦めました。凍っていたからといって、必ず滑ると限られているわけでもないし、ドンと尻餅を搗いたところで、顔から火が出るほど恥ずかしいような歳でもない。第一、目に見える範囲に歩いている人の姿はない。それよりも、避けるためになおも無理をすれば、筋肉痛が出かねない。

 転んでもいいと諦めたのに、無事よけることができて(筋肉痛も出た様子がなく)、ふと気づいたことがあります。ひところと較べると、身体が軽いのです。
 去年十一月の入院前、胃潰瘍が原因で多量に出血しているとも知らず、身体が重く感じられるのは、単純に歳のせいであり、運動不足のツケが回っているのだと感じていました。
 電車に乗り遅れそうになって小走りを試みると、なんとか間に合ったとしても息が上がってしまって、電車の中でいつまでもゼイゼイハーハーとやっていました。大体息の上がる前に、脚が動きません。
 これでも高校二年生から大学三年生ごろにかけては、100メートル10秒9(追い風参考ではあったけれども)という俊足だったのですよ、と遙か昔の話を、いまさら持ち出しても仕方がないが……。

 退院後、年が明けて、三~四日に一度ぐらいは遅刻しそうになることには変わりがなく、小走りを強いられています。
 依然脚の動かないことにも変わりはなく、息の上がることにも変わりはないものの、電車に乗れば、ゼイゼイハーハーするのは短時間で治まるようになっていたのです。

 そんなことも思い返しながら、ちょっとうれしくなって頬を弛めながら帰ってきました。しかし、ゆめゆめ無理は禁物。
 歳を取ったら気をつけること。昼夜を問わず、こういう道はなるべく歩かないこと。それから、餅を急いで食べないこと。