二十日土曜日。友の来訪三日目。
友は奈良市在住、勤務地は京都市。ともに海のない土地です。請われて銚子まで出かけることにしました。利根川と太平洋が見たいというのです。
私が銚子へ行くのは三度目ですが、同じ県内だというのに、改めて遠い! ― とくに新松戸からだと、取り分け! ― と実感させられます。
新松戸~銚子は我孫子を経て成田へ出るか、西船橋経由で千葉へ出るか。二つの経路がありますが、成田から先、千葉から先は、ともに電車が一時間に一本程度しかありません。
しかも単線なので、各駅ごとに上り電車とすれ違うという感じで、じつに時間がかかります。
新松戸九時二十一分発の我孫子行電車に乗って、我孫子(乗り換えの待ち時間十四分)と成田(同十二分)で乗り換え。銚子に着いたのは十一時五十六分。最早お昼間近でした。
真っ先に利根川を見に行きました。銚子駅から数分です。
全長約322キロは信濃川に次いで日本で二番目、流域面積16,840平方キロは日本一。この眺めこそ私のイメージする大河・利根川です。
利根川を見に行く途中で見かけた、銚子駅前通りの荒物屋さんの店主(?)。
道路に大きくはみ出して昼寝をしていても、人通りが少ないので、邪魔にはなりません。
これも途中にあった桔梗屋という食堂。
暖簾には桔梗紋が染め抜いてありました。丼にも桔梗紋があれば念の入ったものでしたが、右のショーウィンドウのサンプルを見た限り、丼などは紋なしでした。
ヒゲタ醤油銚子事務所。
現在、本社は東京ですが、ここ銚子が発祥の地。創業は約四百年前の元和二年(1616年)。銚子醤油を代表するもう一つのメーカー・ヤマサ醤油は正保二年(1645年)の創業。
三越がありました。
商品の陳列はほとんどない小型売店です。それでも三越があるとは、さすが歴史のある街だと思ったら、同様の小型売店は千葉県内に十三店もあるとのこと。そのうち三越銚子を含めた四店舗はあと一か月、三月二十二日をもって閉店だそうです。
銚子市の人口は七万五千人。昭和三十五年ごろがピークで、九万近くの人が住んでいましたが、年々減りつづけています。
前回銚子にきたのは二年前のゴールデンウィーク中でした。銚子漁港から銚子駅まで、銚子銀座というメインストリートを歩きましたが、銚子の人々はほとんどが旅行に出払ったのか、と思わせるほどの人通りのなさでした。
今回はほんの少し人通りが増えたような気がしましたが、気のせいかもしれません。
銚子駅に戻って銚子電鉄に乗りました。
一両だけのレトロな電車で犬吠埼へ。この電車は地下鉄銀座線を走っていたそうです。そういわれれば見覚えがあるような……。銀座線を走っていたときは、ときおり車内灯が消えて、電車の中は真っ暗になったっけ。
犬吠駅。
オランダふうのつくり、だそうですが、なにゆえにオランダなのだろう。ごく純朴な田舎の駅にしたほうが風情があると思うのですが……。
犬吠埼灯台は改装工事中でした。
灯台というより仏塔の改装工事を見るようです。
灯台下で、しばし磯遊びに興じました。
波が岩に砕け散るさまを眺めていると、いつまでも飽きません。
当初は東金か茂原まで行って九十九里浜に出ようと考えていたのですが、銚子駅に戻って総武線に乗るころには、すでに夕暮れが近づいていました。
陽が落ちないうちにと、銚子から三十分足らずの旭で降りて、九十九里浜に向かいました。
九十九里浜で出会った野良殿。
市川大野のオフグ一家、新松戸のコツブ一家にはまったく会えていないのですが、ミオは常に鞄の中に忍ばせてあります。
この野良殿は、こんなに美味しいものは生まれて初めて食べたという様子で、私たちのあとをついて廻りました。
このあたりは矢指ヶ浦と呼ぶようです。
地図には著わされていないので、見晴るかす60キロの砂浜がつづいていると思いきや、ところどころに砂の流出を防ぐ突堤があったり、波消しブロックがあったりして、延々とつづく砂浜を見ることはできませんでした。
浜辺から見ると、ちょうど夕陽の沈むあたりに、マンションでもなし、ホテルでもないような高い建物が一つだけポツンと見えました。
近づいてみると、マンションにしてはド派手な館内の照明からして、どうやらホテルらしいと見えました。
ティルームでもあれば休憩……と思って行ってみたら、かんぽの宿・旭九十九里温泉でした。うれしいことに日帰り入浴があって、冷たい海風で冷え切った身体を温めることができました。
私が行くスーパー銭湯とは違って、ここはれっきとした温泉です。泉質はナトリウム・塩化物・強食塩泉。ただし、源泉の湯温は29度だそうですから、摂氏25度以上という日本の基準に照らすと辛うじて「温泉」。
日帰り入浴料は1000円也。交通不便な場所にあるのにしては、ちょっとボルんではないかという気がしないでもない。
十階には展望風呂があるようでしたが、利用できるのは宿泊客のみだそうです。十階という高さからなら、さぞ眺めはいいことでしょう。
この日、レストランは貸し切りで使用不可。もちろん毎日がこのように盛況とはいかないでしょうが、「かんぽ」といえば袋叩きに遭い、多くの施設を二束三文で売却しなければならなかった、というのが嘘のような賑わいでした。
帰りは二十時三分の電車に乗車。
これを逃すと、次の千葉行は二十一時七分まで待たなければなりません。そして、そのあとの二十二時十八分が最終。