また新しく名を識った野草と出逢いました。犬酸漿(イヌホオズキ)です。
日課の慶林寺参拝に赴くとき、二回に一回ぐらいの割合で通り抜けて行く駐車場の通路脇にありました。
右も左も駐車スペースで、ブロックで仕切られた通路の片隅です。だれかが植えたとは考えられません。アスファルト舗装のわずかな隙間に根づいています。
様相は全然違いますが、真っ黒な実を目にしたとき、かつて摘んだことのあるヤブミョウガ(藪茗荷)を思い出しました。触れてみると、ヤブミョウガとは違って、柔らかです。季節が移ろって行けば硬くなるのか。
摘んだあと、そのままトートバッグに入れ、そのあと買い物をして、買ったものを無造作にバッグに詰め込んで帰ってきたので、半分ほどが潰れてしまいました。
ヤブミョウガに似て、色は漆黒で艶がありますが、かなり硬いヤブミョウガの実とは異なって、干し葡萄よりも柔らかいような手触りです。
かすかに花が残っていました。花図鑑には、茄子の花によく似ている、と書かれていますが、小さ過ぎてよくわかりません。
図鑑には画像が何葉か載せられていますが、イヌホオズキという名から自然と連想される、ホオズキを思わせるような花も実もありません。似ても似つかぬのに、なにゆえに「ホオズキ」という名がつけられているのか、そしてカラスノエンドウやカラスウリに「カラス」という名がついているのは、「鴉」が食べるということにちなんでいるらしいのですが、イヌホオズキの場合は「犬」がこの花や実を見て何をするのかは書かれていません。
この草は全草毒、と記されているので、この実も葉も茎も根も毒を含んでいます。含まれているのはソラニンです。ソラニンとはじゃがいもの芽に含まれているもので、間違って食べたとしても、死に到る、ということはないらしい。
今日の入道雲二題。
十日前、病院帰りにふと気まぐれを起こして、ほとんど通ったことのない小径を歩いたら、ムラサキシキブ(紫式部)を見つけました。紫色に熟した実を見たことはありますが、花を目にするのは初めてのような気がします。といっても、見てすぐムラサキシキブだと理解できたわけではありません。
スマートフォンで写真を撮り、グーグルレンズで検索してみたら、Callicarpa macrophyliaというご託宣が出ましたが、日本語の名はつけられていません。
格別珍しい樹ではありませんが、私が常々散歩をしている地域では見かけないので、花の盛りを見たことがありません。
少しだけ花が残っていました。樹木図鑑によると、花の最盛期は先月六月だということですから、盛りは過ぎてしまっていたのです。
緑色の小さな実がいっぱいできています。う~む、これも熟したら少し失敬して帰り、我が庭に播いてみましょうか。
梅雨が明け、ぎらぎらとした夏の到来とともに、慶林寺・観音様の前を彩っていたハス(蓮)の花が終わりを告げたようです。
ハスに代わってキクイモモドキが花盛り。
ガマ(蒲)は新しい白い花穂を出しています。画像下は先に穂を出したガマ。
紫陽花も今年の花期を終えました。
ボタンクサギ(牡丹臭木)は第二陣がありますが、ひと休みです。
十五日は阿弥陀様の縁日です。
いくつか持病がありながら、先月の十五日にお参りしてから一か月の間は、曲がりなりにも大禍なく過ごせたのも阿弥陀様のご加護があったからであろう。いつからかそういうふうに考えるようになったので、毎月この日は阿弥陀如来を本尊にお祀りしている東漸寺へお礼参りに出向くのです。
我が庵は平賀中台と呼ばれる台地の上にありますが、東漸寺に向かうときは途中で台地の端っこを通ります。目に入る遠くのマンションやクリーンセンターのものらしき煙突などを目安にして地図を見てみると、船橋あたりの方角が望めるようです。
この日はその東南東から南南東にかけての方角に、雷雲らしき雲があるのが見えました。夕方のTVのニュースでは、千葉市内のざんざん降り(一時間で22ミリ)の様子が映し出されていましたが、船橋も同様だったようで、アメダスによると、15ミリという雨量が記録されました。ところが、私が暮らす松戸では雨は降りませんでした。
東漸寺には涼し気な緑陰が拡がっていました。
この日の我が地方の最高気温は29・8度でしたが、松戸には観測施設がないので、これも船橋にあるアメダスの記録です。体感温度ではとても30度を切ったとは思えない一日でしたが、千葉市内に雷雨があったころ、船橋でも雨が降って、気温が下がったのだろうと思われます。
本堂へのお参りを終えると墓所へ向かいます。本尊に阿弥陀様を迎えてくださったのは開山の経譽愚底さんだと考えるので、そのお墓にもお礼参りをするためです。
歴住の墓所に向かうと……。 ? なんという花だろうと思ってカメラに収めましたが、紅いのは花ではなく、葉っぱです。
グーグルレンズで検索するために、スマートフォンのカメラで撮り直し、検索してみたら、ショウジョウソウと出ました。漢字では「猩々草」と書きます。
「猩々」とは、中国で考えられ、猿に似た架空の動物です。転じて酒の好きな人、すなわちいつも顔を真っ赤にしている大酒呑みのこと。
あとでポインセチアの変種だと知って、なるほどそういえばよく似ているワイと感じました。
よく見ると、一般の人の墓石の前にもありました。
東漸寺歴住の墓所です。
東漸寺の本堂や観音堂だけでなく、本堂左手にある歴住の墓所に参拝するのは毎月十五日と二十七日です。中央にあって一基だけ竿(四角い石)があり、一段高いのが開山・經譽愚底(きょうよ・ぐてい)上人の卵塔です。
ショウジョウソウはこの墓所の入口あたりにありました。
墓所から本堂の屋根越しに眺めた空。
この日の夕方になって、明日には関東地方も梅雨明けか、とTVの天気予報はいっていましたが、巨大な入道雲も顔を覗かせて、すでに完全な夏空です。
日課の慶林寺参拝は午後になりました。
今日のハス(蓮)はピンク。咲いたらしいのはこの一輪だけでした。
ガマ(蒲)。山野ではなく、街中で育っているためか、なんとなく繊細さを伺わせる面立ちです。
薬師詣での日がやってきました。梅雨の季節ですから当然ですが、どうも雨のようです。
朝、目覚めてカーテンを引くと、窓越しに眺める庭の草花や物干し竿には水滴は付着していないものの、道路の路面は黒く濡れています。いまのところ、雨は熄んでいるようだが、どうしようかと思案投げ首のテイで外を眺めています。
アテにはできない天気予想(三時間天気)を視てみると、一日中☁マークが多く、ときどき☂マーク。ただ、☁とはいえ、降水確率は60%となっているので、出かければ雨に降られるのは必至かも。
十二日も薬師如来の縁日なので、日延べするかな、と当日の天気予報を視てみると、今日と同じように曇ときどき雨で、降水確率も60%。
逡巡した挙げ句、近場を巡ることにして、やはり出かけましょうと心を決めたのですが、出発は午過ぎになってしまいました。雨に降られたとしても、あまり歩かなくて済み、我が庵から近い場所、ということで、利根川を越えて取手へ行くことにしました。昼食も済ませていましたが、この日のためにと、朝、握っておいた昼食用の握り飯を持ちました。初めて行く場所ですが、取手は何度も訪れているので、地形は大体想像がつきます。
いつものように、プチ遠出をする前は地元の慶林寺に参拝してお賽銭をあげて行きます。
今朝、花開き、閉じかけていたハスの花はピンクと白。
常磐緩行線に乗って、北小金から四つ先の我孫子で水戸行に乗り換え、次は二つ先の取手で関東鉄道に乗り換えます。
時刻表を確かめることなく、適当な時間に出てきたので、電車の間合いは悪く、我孫子では十八分待ち、取手では十三分待ち。
関東鉄道常総線です。乗るのは十年ぶりです。
取手から二つ目の寺原駅で降りました。
寺原駅から徒歩です。
歩くこと三十分余。目的の薬師堂かな、と思ったら、観音堂でした。
右手前にも御堂があって、中は薄暗くて何も見えないのですが、「いざさらば こよひは……」という御詠歌を書いた額が掲げられているところを見ると、弘法大師を祀った大師堂のようです。その額には新四国相馬霊場八十八か所の八十六番札所と記されています。
新四国相馬霊場八十八か所というのは、江戸時代中期の観覚光音(1711年-83年)という僧侶が定めたものです。出家したのは五十歳という晩年で、俗名は井出観三丸、またの名を伊勢屋源六。水戸道中・取手宿の商人でした。
観音堂からものの一分で、稲(いな)集会所に着きました。グーグルマップには稲史跡・薬王寺と記されていて、新四国相馬霊場の四十番札所。
入口に「稲集会所」と掲げられた下には一回り小振りな額に「稲史跡・薬王寺」の文字。いまは二つの御堂があるだけですが、かつてここには薬王寺というお寺があったのだそうです。「薬王」と謳うからには薬師如来が祀られていたのでしょう。
集会所前左側にあった御堂。弘法大師を祀る大師堂らしい。
石碑がありましたが、なんと彫られているのか読めません。
稲集会所から二分足らず。グーグルマップには薬師堂とだけ記されていますが、ここも中は暗くてよくわかりません。
庵に帰ってきてからのことですが、この御堂を紹介するブログを見つけることができました。それによると、祀られているのは弘法大師、観覚光音禅師像、不動明王、そして小さな薬師如来。
薬師如来が祀られてはいますが、中央に祀られているのは弘法大師だということですから、地図には薬師堂とあっても、やはり大師堂と記すべきでしょう。
かたわらには四國第三十五番の石塔。
さらに四分ほど歩を進めると、台地の端に出ました。富士山がよく見えるスポットとして知る人ぞ知る場所らしいのですが、梅雨空のこの日はむろん遠望は効きません。
地域の共同墓地になっているようで、通路の中ほどにある観音像はグーグルマップで見たことがあります。初めてきたところですが、馴染みのある場所を訪れたような気分でした。
入口には四國第三十九番の石塔。
この観音像は台地の下を走る常総ふれあい道路からも見えるそうです。
観音様と向き合う格好で御堂がありました。ここも中は暗くて何も見えませんが、先のブログによると、祀られているのはやはり弘法大師。前と同じように、グーグルマップには薬師堂と記されていますが、ほかにも堂宇があるかというと、この御堂のほかに御堂は見当たりません。
地図に記された二つの薬師堂はいずれも現存しません。いつ建立され、いつ、どのようなことが原因でなくなったのか、いまのところは調べがついていませんが、両方ともかつては薬師堂があったということです。
今日は幻の薬師詣でに終わったみたいですが、今日のお勤めはこれでおしまいです。帰りは行きに降りた寺原から一つ水海道寄りの新取手駅に出ることにしました。
新取手駅に向かう途中、遠くからでも大きな森があるのが見えたので寄ってみたら、惣代八幡宮でした。創建は大同二年(807年)。祭神は誉田別命。
予備知識もなく寄った社だった上、現地には由来を記す説明板のたぐいが何もありませんでした。傘を手にしていなければ、どこかに腰を下ろし、スマートフォンで検索しただろうと思いますが、それもできなかったので、庵に帰り着いてから識ったのは、このあたりが平將門の生誕地だと目されていることでした。それにしてはなんとも素っ気ない。
三十分歩いて、新取手駅に着きました。なんとなく見覚えがあるような駅前の光景……と思ったら、もう十二年も前になりますが、2009年の六月、高井城址公園へ桔梗の群落を見にきた帰りに乗った駅、さらにその翌月には平將門ゆかりの延命寺を訪ねたときに降り立った駅でした。
自分では無理矢理こじつけている感が無きにしもあらず、とは思いますが、薬師詣でをしていると、いつもほんのちょっぴり佳きことがあります。
七月の薬師詣でといえば、毎年梅雨の真っ只中です。2011年一月から始めた薬師詣でですから、七月の薬師詣でも十一回目になります。毎年雨に祟られたとしても一向に不思議ではないのに、傘を手に歩かなければならなかったのは今回が二度目に過ぎません。しかも霧雨のような雨でした。
→この日、歩いたところ。
先月十四日の梅雨入り宣言から半月もして、ようやく本格的に梅雨、と思ったら、まるで満を持していたかのような雨、雨、雨……。先月二十九日(降雨量46ミリ)から三十日(5・5ミリ)、今月一日(44ミリ)、二日(71ミリ)、三日(66・5ミリ)、そして今日四日(16ミリ=夜九時現在)と、例年になく多い雨です。おまけに先月三十日から五日連続でまったく陽射しがありません。
雨の様子を窺っていたので、普段は朝のうちに済ませる慶林寺参拝は午後になってしまいました。
観音像前のプランターに植えられている蒲(ガマ)。昨日(三日)撮影した画像です。
蒲の穂といえば、茶色くてフランクフルトソーセージのような形だと思いこんでいるので、出たばかりの穂が白いのを初めて目にして、少なからぬ感動を覚えました。
人生の残りが尠なくなってきているのに、なお初めて見たり、初めて知ったりすることがあると、ほんのちょっとだけ心が揺さぶられるのです。
これまで「穂」と呼んで、♬「大黒様」の中の因幡の白兎がくるまって元に戻ることができたもの、と漫然と思い、漫然と眺めていたものが、じつは花であり、上部が雄花で、下部が雌花という、奇妙な形態をしている、ということも、今回初めて植物図鑑に当たってみることで識りました。
ところが、一日経った今日、再び眺めてみると、色はまだ淡いのですが、茶色く変わってしまっていました。
我が庵近くには野生の蒲のある小湿地帯が三か所あります。前はいまごろの季節になると、わざわざ見に行ったこともありましたが、慶林寺参拝や日々の散歩は欠かすことがなくても、いつの間にか行動範囲が狭まって、尠なくとも一昨年、昨年は見に行っていません。
近く、とはいっても、もっとも近いところこそ歩いて十六分ぐらいですが、残り二か所は三十分と三十五分と結構遠いのです。
お隣の流山市ほどではありませんが、私が棲んでいる松戸市北部も新しい住宅を建てようとする人が多く、ちょっと足を運ばないでいると、畑や林が潰されて、真新しい家ができていたりします。しばらく観察に出向いていないので、もしかすると、湿地帯はなくなっているかもしれません。
観音様のお召し物は雨でまだら模様です。
ハスの葉に溜まった雨。息を詰めて五分ぐらい眺めていると、雨が溢れて、ポロポロと流れ落ちるのを見ることができます。
このあと参道に戻って帰路につこうとしたとき、またちょっぴり心が揺さぶられるようなことがありました。参道に出ると、ちょうど小さな赤い傘が翻るところでした。小学校三~四年生とみられる女の子が山門の数メートル手前でお寺に向かって拝礼し、歩き去ろうとするところだったのです。
初めて見かける女の子でしたが、きっとお母さんと連れ立って通りかかったとき、お母さんに教えられて拝礼したことがあり、以来独りで歩くときも拝礼するようになったのだろうと思うと、何かが胸に詰まるような気がしました。
紫陽花(アジサイ)の見頃は過ぎたとみえて、見物客の姿は消えて、日曜日だというのに本土寺の参道は閑散としていました。