今日二十七日は非常に暖か。それどころか、明日、我が地方の予想最高気温は18度。連れて、油温を変えていなかった湯沸かし器のお湯が熱いと感じるようになりました。
以降、当分寒くなることはないだろうという予想なので、ちょっと早いかもしれないが、庭に降りて花(ききょう、キンレンカ、ひなげし、紅花などなど)の種を播く準備を始めました。
一息ついたあと、¥100ショップへ行って、こんなのを買ってきました。
種を播いたあとのプランターに置くつもりの、ワンとニャンのガーデニング・オーナメントです。鳥害、鼠害から種を守ってもらおうというおまじないです。
買い物途中にある家では、河津桜が満開近くを迎えていました。
近くの公園では若者たちでがドッジボールに興じておりました。
後期高齢者の仲間入りを果たしたからでしょうか、年年歳歳、春が近づくのがありがたいと思えるようになってきました。
今日は私がボランティア活動をしている団体の定例会があったので、かつての根拠地・北小金へ出張ることになりました。会合のあった市民センターから阿弥陀如来を本尊として祀る東漸寺は近いので、帰りに寄ることにしました。
本堂に祀られている金色の阿弥陀如来坐像です。
PayPayでお賽銭?……こんなのが賽銭箱の前に置かれたころ、いくらなんでもそれはないんじゃネェの、と思ったものでしたが、今日は鞄を変えていたので、うっかり小銭入れを移し替えるのを忘れていました。依然納得はいかないながらも、スマートフォンのQRコードリーダをカシャリと押してお賽銭、ということに相成りました。
阿弥陀如来の縁日、東漸寺に参拝にきた日は必ず東漸寺開山の経譽愚底さんのお墓に参拝することにしています。この日はお寺の関係者を含め、だれも参拝していなかったとみえて、霜柱が張ったまま、供花は萎れたままでした。
墓所の片隅にある椿の樹は落花盛んでした。
二月の薬師詣ではさいたま市南区から蕨市にかけて歩きました。
武蔵野線を南浦和で降りました。
真言宗智山派の寳性寺は六年前、2016年の終い薬師の日に参拝していますが、南浦和駅のすぐ近くなので、この寶性寺から今日のお勤めを始めることにします。
南浦和駅西口を出てわずか三分。本尊は不動明王ですが、薬師如来もお祀りされているようで、旧浦和市を中心に、それぞれ十二ずつある関東東向寅薬師と足立十二寅薬師のうち、足立十二寅薬師の第六番です。創建年代は不詳。「新編武蔵風土記稿」には「新義真言宗、蕨宿三学院末、修妙山と號す、本尊不動を安置せり」と記載されています。
寳勝寺で踵を返して南浦和駅前に戻り、一ツ木通りという東京・赤坂あたりにあるような名の通りを南下します。
途中まではこのように広々とした歩道があります。
見沼代用水西縁支線。か細い流れを越えて最初の角を右折します。
さすがに読めないとみえて、町名板には「ぶぞう」とルビが振ってあります。
寶性寺から歩くこと約二十分で文蔵薬師堂に着きました。
関東東向寅薬師の第一番。ここも創建年代等は不詳。江戸期には周辺に歓養院と圓乗院という真言宗寺院があって、歓養院が不動堂と地蔵堂を、圓乗院が薬師堂を寺地とは別に所有していたと伝えられています。明治維新後、圓乗院は廃寺となり、現在は圓乗院の本寺だった三学院が管理をしているようです。
文蔵薬師堂をあとに三学院に向かいます。
色鮮やかな仁王門と長屋門が迎えてくれました。
堂々たる本堂。お賽銭をあげたあと、振り返って境内を見下ろします。
阿弥陀堂(上)と三重塔。
三学院は関東東向寅薬師の第十二番です。三学院のお参りを済ませると、関東東向寅薬師で残すのは全十二番のうち第三番の上丿宮薬師堂のみとなりました。
帰りは和樂備神社に寄ったあと、旧中山道を歩いてみることにしました。
こんなタイルがはめこんであります。
蕨宿に合わせた佇まい。漢方の薬局です。
こちらは酒屋さん。
歴史民俗資料館分館。
帰りは蕨駅から。
⇒この日、歩いたところ。