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桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

雨の月曜日です

2008年09月22日 15時04分08秒 | つぶやき

 月曜日の朝、目を覚まして「今日からまた仕事……」と思うと、私はいつもイソップの蟻と蟋蟀(キリギリス)の話を思い出します。

 私は六年ぐらい前まで自由気ままに生きておりました。
 財産があったわけではありません。フリーの雑誌編集者として生計を立てていて、適宜仕事をすれば適宜収入があって、幸運なことに病気もしなかったので、蟋蟀のように夏を謳歌していたのでありました。
 謳歌の象徴は「宵越しの金は持たねェ」ということですから、蟻のように蓄えを持つこともありませんでした。そういう生活がたたって、いまは毎朝きっちりと起き、セカセカ出勤するという、蟻のような生活をしなければなりません。因果応報というやつです。

 イソップ寓話の原型は蟻と「蟋蟀」ではなく、蟻と「蝉」だったようです。
 ところが、この話が暖かい南のほうから北ヨーロッパへと伝搬されて行く途中、寒い国では蝉は馴染みがないという理由から、蟋蟀に変えられたらしい。
 原型が蝉だったとすれば、イソップはなぜ蝉に遊び人というレッテルを貼ったのだろうと思います。私には蝉ほど一所懸命な生き物はないと思えるのですが……。

 今年は蝉の季節もようやく終わったようですが、数日前ぐらいだと、一匹か二匹が辛うじて啼いているという状況でした。
 このところ、雨が多かったこともあり、晴れても陽射しが乏しかったこともありましたが、雲が跡切れて陽射しが出ると、待っていましたとばかり啼き出します。しかし、聞こえるのはせいぜい一声か、遠くのほうでもう一声だけ……。

 せっかく土中から出てきて懸命に啼いているけれど、もう♀はどこにもいないのではないか。私はそう思いながら聴いていました。
 ただ、新松戸の一区画ではただ一匹でしかないけれども、日本全国を見渡せば、一万匹は啼いており、中の何匹かは無事子孫を遺せたかもしれない。しかし、その蝉が啼くのは数年後……そのとき、私はその啼き声を聴くことがあるのだろうか。

 月曜日の朝にもう一つ思い出すのは、カーペンターズの“Rainy Days and Mondays”という曲です。
 死んでしまったカレン・カーペンターが“Rainy Days and Mondays Always Get Me Down”と歌っています。
 雨の日と月曜日はいつもアタシを下向きな気持ちにさせちまうのよぉ というのに、月曜日でおまけに雨……と、きた日にはどうしたらいいんだろう。

 おっと、そろそろ家を出る時間がきた……と、いつもどおり元気なフリをして出勤しました。駅に着くまでに大量にすれ違う高校生どもに、元気さだけは負けてはならない。  

 プロ野球ではジャイアンツが驚異的な快進撃を見せました。それに引き替え、情けないのはドラゴンズです。優勝できないのは仕方がないとしても、阪神にあれだけボロ負けに負けるというのは信じられない。
 セパ交流戦が終わってすぐ、私のペナントレースは終わっておりました。
http://www.youtube.com/watch?v=dPmbT5XC-q0

お詫び:「変な店」の写真は未撮影です。撮影出来次第記事も書こうと思っています。


秋ですねぇ

2008年09月21日 13時05分19秒 | 音楽

 何日も前から涼しくなってはいましたが、通勤で歩いていると、会社に着くころには顔も上半身も汗まみれでした。
 台風がそれた昨日土曜、今日雨の日曜と仕事は休みで、ずっと家にいるせいか、汗をかくこともなく、気持ちの佳い時間を過ごしています。

 東京電力柏崎刈羽原発のテレビCMがあります。
 バックにアイリッシュ風の曲が流れているのが気になっていたので、メールで問い合わせたら “The Water Is Wide” というイギリス民謡をアレンジしたものだと教えてくれました。
 早速You Tubeで調べてみたら、いろいろなversionがありました。けれども、みな歌が入っているのが少しわずらわしい。歌のないCMのほうが哀愁があって、より佳いように思えます。この民謡については、まだ詳しくは知りません。

  引っ越して半年経ちましたが、荷物はまだ完全には片づかないままです。本は段ボールで三十箱以上あったのですが、夏の初めに大英断を下した末、引き取りサービスつきの古本屋で処分しました。本当はすべて処分するつもりでしたが、一応再点検してから送ろうと思ったので、数箱ずつ引き取ってもらうということになりました。

 送ると、買い取る値段をメールで知らせてきます。
 最初数箱分のメールを見たときは唖然としました。買ったときの価格でいうと五十万円は軽く超しているのに、一冊あたり百円以下の評価しかないのです。
 でも、いい格好をするわけぢゃないが、お金を得ることではなく、処分することが目的ですから、ま、いいかと思ってGOサインを出しました。
 ただ、二度目以降の発送は慎重にならざるを得ません。文庫なら何十円という査定でも仕方がないが、何千円も出して買った本まで一緒くたにされたんぢゃ敵わない。

 結局、辞典類やいまでは多分手に入らないだろうと思える本は手許に残すことにしました。その仕分けにえらく手間取って、処分が終わったのはつい先日のことです。 
 CDも買い取ってくれるというので、処分するつもりでした。これも段ボールで五箱ほどありましたが、いまでは手に入れるのもむずかしいものもたくさんあったので、アホらしくなって処分するのはやめました。その程度なら積んでおけば邪魔にはならないということもあります。

 で、段ボール箱を引っかき回した挙げ句、ヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲」を探し出して聴いているところです。
 処分しなくて佳かった、いいねぇ、しみじみとしますな、などと独言しながら聴いています。


変な店 ― その1

2008年09月17日 09時16分57秒 | つぶやき

 新松戸の駅から歩いて五分ほどのところに、平日は午前零時にならないと開店しないという変なバーがあります。
「変」というのは開店時間のことで、ほかは特別「変」ということはありません、為念。
 午前零時という遅い時間に店を開けてもらったのでは、勤め人の私はまず行けない。
 土日はもっと早い時間に店を開けるようですが、休みの日にわざわざ出て行くのはかったるい。で、ますます縁のない店になっていました。

 新松戸に引っ越してきた日、炊飯器もお米も、私にとっては何より大事な二階堂(麦焼酎)の一升瓶も、すぐ見つけられるように段ボール箱に詰めてきたつもりでしたが、見つけられません。
 仕方がないので、新しい自宅(マンションです)前にある弁当屋さんから弁当を取って腹ごしらえをしたあと、周辺の散策に出ました。まだ自分の棲家という実感はなく、旅行に行って、ホテルから物見遊山の散歩に出るような気分です。

 日曜日だったので、その店は早い時間から開いていました。初めてでしたから、軽く呑んで、とくに話し込むこともなく帰りましたが、あとで「変」だったことを知りました。
 毎日の通勤ではその店の前はほとんど通りません。再び行く機会のないまま月日が経ちました。

 ほとんど忘れかけた最近になって、たまさか土曜日に、近辺の店で呑んで遅くなることがあり、通りかかったら電気が点いていましたので、覗きました。
 五か月ぶりでした。私のことなど憶えてくれているわけがありません。「三ノ輪の桜……」と切り出したら、思い出してくれました。
 初めて行ったとき、そろそろ桜の季節だったので、近辺の桜情報を聞いたのでした。

 へそ曲がりの私は、名所といわれるところには興味がありません。たくさん咲いている桜が鬱陶しいというのではない。そこに集まる人が鬱陶しいのです。
 それより、そこそこの数の桜はあるものの、豪勢さとはほど遠いから、下にムシロを布いて宴会……などという連中もいないような桜がいいと思うのです。そんな桜並木が東京・三ノ輪のオリンピックというスーパー近くにあるよ、という話をしたのでした。

 そんな桜なら是非見てみたい。みんなを誘って行きますよ……という話になりました。そういうことになると、自信が揺らぎます。果たしてみんなでワーッと出かけて行くような桜だっただろうかと思い始めるのです。
 人前では褒めそやした私もじつはとっくりと見たわけではありません。買い物ついでに自転車で通りかかって、チラッと見ただけ。穴が開くほど見るのではなく、チラッと見たからこそいいものがあるのかもしれぬ。
 でも、まあ、実際の花見までは半年以上あります。これから何度か通ううちに、新しい展開があるかもしれない。

 それから勤め帰りに、ときおり店の前を通ってみることにしました。時間は夜の八時前後です。
 一日二日はまだ店が閉まっていました。そのときは開店はもう少し遅いのかもしれないと思いました。
 九時過ぎに通ったことがあります。そのときも開いていない。定休日だろうかと思いました。
 十時近くに通ることがありました。その日も開いていない。いくらなんでもこれはおかしい……ひょっとしたら、と思ったころ、やっと店が開いていて、「変」な店だということが判明したわけです。



 店の写真をつけなければ、と思って、敬老の日の夕方、カメラ片手に散歩に出ました。店の前に到っておもむろにシャッターを押したところ、カメラにメモリカードを入れるのを忘れていました。
 仕事の往き帰りには店の前を通らないので、写真は週末までお預けです。
 代わりに我が家から睥睨する市街を載せてみましたが、マンション群に遮られて何も見えません。
 手前は武蔵野線の貨物線です。
 週末になると団体列車やお座敷列車が通ったりします。朝だというのに、テーブルに置かれた紙コップに麦酒の注がれているのが見えたりします。


自己紹介を兼ねて

2008年09月15日 17時03分46秒 | つぶやき

「住めば都……」とはよくいったものです。
 東京・目白から浅草、そして市川、さらに新松戸と住まいを変えて、ちょうど半年経ちました。
 在原業平も越えなかった隅田川を越えて、市川に住む決心をした(させられた)
ときには、千葉の人には悪いのですが、完全な「都落ち」だと鬱になりかけたものです。
 そこからさらに松戸へ……。ますます鬱。

 ところが、日が経つのにつれて、結構いい街ではないか、と心境に変化が出てきました。
 家の周りに少しだけある桜の木も、少ないだけに花の季節はかえって風情がある。紫陽花(アジサイ)も梔子(クチナシ)も数本見かけるだけですが、数少ないがゆえに、今日は新しい花が咲いた、また一つ萎れたなどと毎日注意深く眺めることができます。

 一輪の花に気を惹かれるようになったのは、新しい街で生活を始めたからだけではないのかもしれない。年老いたから……という思いもないではありません。
 若いころには「惚れた女がいれば、友達などいなくてもいい」と粋がったものですが、惚れた女もいまではかなり薹が立って、そんなこともあったかしらなどと素知らぬ顔です。
 すると、友達がいないことが寂しく感じられる日があるようにもなりました。友達というより、ただの通りすがりで、互いに名前は知らずとも、たまたま共通の話題が見つかって、酒でも呑みながらしばし語り合うという一期一会の間柄でいい。
 そういう人とふと出会い、酒を酌み交わしているうちに気がついてみたら、四時間も話していた、ということが最近ありました。

 インターネットでは酒を酌み交わすことはできませんが、話のできる人が老若男女を問わず、一人でも二人でもいいからできないだろうか。中には実際に会うことができて、しばし時を忘れるという機会も訪れるのではないか。
 そんなことがこのブログを始めたキッカケです。