昨夜から降り出していた雨が今朝十時ごろに雪に変わりました。
部屋の中から眺めていると、ガラス窓越しなので、雨が降っているのかどうかよくわからなかった空に、やがて白いものが混ざるようになって、霙になったと思ったら、すぐふわふわと宙を漂うようになりました。
雪に変わってからどれほどの時間が経ったものか。
どれどれとばかりにコタツを抜け出して庭を眺めてみると、意外に早く積雪の光景が拡がっていました。
我が地方では、半月前の今月十四日に初雪を観測しています。この日は降っていた雨が霙に変わり、午後二時ごろに霙から雪に変わりましたが、雪の状態だったのは三十分間ぐらい。積もるまでもありませんでしたから、今日が初積雪です。
庭の雪柳は今月十五日に満開期を迎え、半月後の昨日までにほとんど散ってしまっていたのに、満開の花が戻ってきたようです。
いつもなら午前中に行く、日課の慶林寺参拝ですが、午後には雪が熄むという天気予報だったので、いきなりやってきた寒さでもあり、出かけるのは雪が熄むまで待つことにしました。
新型コロナウイルスのせいで「3密」という流行語が生まれそうです。
「密閉空間、密集場所、密接場面」の三つの条件が揃う集まりのことをいうのですが、テレビ画面に映し出されるパネルは総じて「三」密ではなく、「3」密と書かれています。
「3密」ではなく、「三密」と書けば仏教用語で、人間の理解を超えた(密)、仏の身、言葉、心という三つのことです。その三密ではないのですから、「三」ではなく、「3」としました、とテレビ局が考えたとは思えないのですが……。
「不要不急」というのも流行語になりそうです。
食料品の買い出しや仕事での外出は不要不急ではない、と毎日のようにテレビでは解説していますが、まるで幼稚園児に言い含めるかのように、ご丁寧な日本語の解説が絶え間なくテレビから流れる、というのは珍しいことです。
ところで、私が日課にしている慶林寺の薬師如来参拝、いつもは午前中に済ませるのが常ですが、事情が事情とあらば午後でもいいのです。だから、決して急用ではないのですが、他の人にとってはいざしらず、じゃあ、行かなくてもいいのか、今日はやめておいて、明日でも明後日でもいいのか、というものではありません。
雪が熄んでから二時間も経過していたので、本堂屋根の雪はあまり残っていませんでした。
本堂前の香炉の屋根にも残雪はほんの少し。
慶林寺参拝のあとは、テレビでも不要不急の外出ではないとお墨付きが与えられている食品の買い出しです。
北小金駅のコンコースを通り抜けて、駅の南口に出ます。画像右手の黒っぽい建物にスーパーのイオンが入っています。
満開のソメイヨシノの前に立ちはだかるようにして、イチョウ(公孫樹)があります。去年のうちに枝払いが終わっていて、画像ではハッキリしませんが、枝を払われたあとの伐り口にはすべて雪の置き土産が載っています。
日課の慶林寺参拝。通う道は三通りあります。途中までも三通り。途中からも三通り。
途中から三通りのうちの一つが鹿島神社という小さな社に拝礼して行く道です。
境内に咲く染井吉野(ソメイヨシノ)。
周囲を圧するような高木でしたが、去年の台風19号来襲のあと、倒される危険性が高いと考えられて、上のほうをバッサリとやられてしまいました。少しだけ残された枝に、少しだけ咲いた花。ほんの気持ちばかりの花見。
本土寺参道の桜も咲き始めているだろうと思ったので、観に行くことにしました。
この時期だけ私が楽しみにしていることがあります。本土寺参道にある二十数本の桜の樹の中で、二本だけ地面からちょっと上に小さな枝を延ばし、花を咲かせる樹があるのです。
根元に近づいてしゃがんでみると、今年も咲いていました。
こちらは陽射しに恵まれないからか、まだ咲いていませんでした。
我が庵では矮性の桔梗が芽吹きました。
庭に降りようとしたとき、とっさのことだったのでカメラに収めることはできませんでしたが、今年初めてトカゲ(蜥蜴)が顔を覗かせたのも目にしました。
今日十八日は観音様の縁日なので、三日前につづいて東漸寺へ行き、ついでに枝垂れ桜を観てきました。
山門をくぐるとすぐ枝垂れ桜が目に飛び込んできます。
どちらも高木です。
本堂前の枝垂れ桜。桜越しに本堂を望むアングル(画像上)と本堂前から観音堂を望むアングル(画像下)。
観音様の縁日だからお参りにきたのですが、まずは本堂に参拝してからこの観音堂へ。
三日前にきたときにはまだ咲いていなかった染井吉野にも開花が見られました。
新型コロナウイルスの影響で、数日前までは少人数の子どもたちだけを預かっていた東漸寺付属の幼稚園です。この日は何があったのか、園庭には大勢の子どもたちと父兄らしき人々の姿がありました。
いつもなら遊ぶ子どもたちは制服(体操服)を着ていますが、この日は上着だけ制服(通園服)を着ている子がいたり、私服の子がいたり……。
桜の季節を迎えて、本土寺参道に臨時の店を出す、老舗葛餅屋さんもそろそろ店開きです。
午後、改めて慶林寺へ。
ここでも本堂に参拝したあと、観音様にお賽銭をあげて参拝。河津桜はすっかり色褪せてしまいました。代わりにコヒガンザクラ(画像下)が開花しました。
どこであったのか憶えがありません。ぼんやりと視ていたテレビで、どこかの枝垂れ桜が咲いた、というのを耳にしました。ぼんやりと視ていたので、ナレーターだったかアナウンサーだったか、その声だけ聴いていて、映像は視ていません。
ふと東漸寺の枝垂れ桜はどんな具合だろうと思ったので、日課にしている慶林寺参拝のあと、東漸寺へ行ってみました。我が庵近辺にはともに樹齢三百年以上という、結構有名な枝垂れ桜が二本あって、そのうちの一本です。
山門から次の仁王門までの参道には二本の枝垂れ桜があります。ともに見上げるような高木です。
仁王門。
今日十五日は阿弥陀様の縁日なので、枝垂れ桜を鑑賞する前に、本堂(本尊は阿弥陀如来)にお賽銭をあげて参拝します。
樹齢三百年といわれる本堂前の枝垂れ桜です。
紫陽花(アジサイ)の若葉も大きくなっていました。
東漸寺から引き返し、北小金駅で常磐線を超すと、本土寺の参道です。その途中にスロット屋さんがあり、立派な枝垂れ桜があります。
この枝垂れ桜は参道を歩き始めれば自然と目に飛び込んでくるのですが、根元を見ようとすると、細い路地に曲がらなければなりません。
もし曲がるとすれば、真下から桜の花を仰ぎ見たいと思うからであって、根元を見るために曲がるということはありません。よって、私がこの桜を見るのは十年目ということになるのですが、この桜の幹が一本ではなく、二本であるということに気づいたのはやっと去年のことでありました。
慶林寺の河津桜は満開期を終えて、花びらの絨毯を布こうとしていました。
我が庵近くまで戻ってくると、畑地が拡がっています。周辺には五軒の農家があるということはわかっていますが、このボウボウと伸びたブロッコリー畑がどこのものかはわかりません。伸び過ぎて、普通のブロッコリーなのかスティックブロッコリーなのか、わけのわからん状態になってしまっています。
我が庭の雪柳。満開です。
雨です。
三月になってまだ十日目だというのに、三月の雨降りは今日でもう六日目です。
雨だからといって、庵にこもったままでいると、ただただ鬱屈としてくるだけなので、買い物ついでに本土寺参道の辛夷(コブシ)の花を見に行ってきました。
雨空の下なので、画像はいま一つ冴えませんが……。
山門(仁王門)前です。もっと高い樹だったのですが、いつの間にか伐られていました。
二本目。参道には八本のコブシの樹があります。仁王門を背にすると、先のコブシは参道左側。このコブシは右側です。
三本目。右側。
四本目。左側。
五本目。右側。
六本目。これも右側。一番の高木で、花の数も多く、咲きっぷりも見事な樹です。しかし、どんよりとした雨空はせっかくの艶やかさも消し去ってしまいます。
七本目。左側。
最後の八本目。右側。これも枝を張った高木ですが、まだほとんど咲いていませんでした。
雨ともう一つは新型コロナウイルスのせいか、スーパーは空いていました。
買い物を済ませた帰り、花屋さんを覗いたら、ポット植えの忘れな草があったので、二つ求めて帰りました。
今月の薬師詣では、これまでで一番遠い(のではないか?)と思われる、埼玉県の熊谷を訪ねるつもりでいました。しかし、十日間天気の今日八日の予報は何日も前から「雨」のまま変わりません。三日ぐらい前の段階で熊谷へ行くのは諦めて、近場のお薬師さんを捜し、私の生まれ故郷(墨田区)近くを歩くことにしました。
出かけるときは霧雨のような雨ながら、やはり雨でした。
出発前に地元の慶林寺に参拝してお賽銭をあげます。参道入口の河津桜は葉っぱが目立つようになってきました。
北千住で東武線に乗り換えて、曳舟で亀戸へ行く電車に乗り換えます。
雨がちだったせいか、新型コロナウイルスのせいか、行きも帰りも電車はガラガラでした。
東あずま駅で下車。「あずまあずま」と読めなくもないけれど、ひらがなの「あずま」のほうに漢字を当てれば、「東」ではなく、「吾嬬」です。この駅の西のほうに吾嬬神社があり、駅があるのはその東に当たるので、東あずま。
吾嬬神社の祭神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)です。日本武尊が東征の折、相模の国から上総の国へ渡ろうとして海へ出たとき、にわかに暴風が起こり、船が危うくなりました。弟橘媛命が海神の心を鎮めるために海中に身を投じると、海は穏やかになって、無事上総に渡ることができたということです。
神社のあるところも、このあたりも、現在の地名は立花。近くにある都立高校は橘高校。
私の生まれ故郷とこのあたりは、いまは同じ墨田区ですが、私が生まれたのは旧本所区、今日歩くところは旧向島区で、ほんの少しだけ臭いが違います。
最初の目的地である東漸寺の手前に北向地蔵があるので、寄ってみます。
二体の大きな立像があり、塩地蔵もあるとのことですが、どれがどれやらよくわかりません。
地蔵堂の前には扉の壊れかかった御堂がありました。何が祀られているのかわかりません。
北向地蔵を過ぎると、左手に公園(平井橋第二公園)が見え、その前が東漸寺(天台宗)でした。
室町時代の文安元年(1444年)、秀尊という僧が開基したと伝えられています。「新編武蔵風土記稿」には「中興は圓覺上人、寛永七年十一月十八日示寂す」と記されています。
本尊・阿弥陀三尊のほか、薬師如来、金勝不動明王、釈迦如来、地蔵菩薩、千手観世音菩薩、如意輪観音、金勝稲荷大明神、閻魔大王の諸尊が祀られています。
元文元年(1736年)建立の六地蔵尊。
雨は熄んだように見えましたが、タブレットを取り出して地図を視ようとすると、ほんのときたま雨粒が落ちてきます。
東漸寺から次に目指す正覚寺までは歩いて二十分ちょっとです。地図に目を落とすと、途中に「王貞治生誕の地」があると知ったので、何か痕跡でもあるのかと捜しましたが、現地には目印になるようなものは何もありませんでした。庵に帰ったあと、グーグル・ストリートビューを視てみましたが、やはり目印になるようなものはありません。
道路を挟んだ正面に中華料理店がありましたが、王さんの生家とは関係がないようでした。
王さんの生家があったのは、葛西用水から分かれて流れていた中居堀跡で、いまは八広はなみずき通り(商店街の名は中居堀はなみずき通り)と呼ばれています。
その通りをそれて、狭い径を歩いて行くと、俗に「こんにゃく稲荷」と呼ばれている三輪里稲荷神社がありました。
墨田区史には「旧大畑村の鎮守である。慶長十四年(1609年)に出羽湯殿山大日坊(山形県内)の修験者が、この地に倉稲魂命(うかのみこと)を祭ったのが始まりと伝えられている。湯殿山秘法の『こんにゃく』の護符を授けるところから、俗にこんにゃく稲荷と呼ばれ、初午の日にはにぎわいをみせている」と記されています。
三輪里稲荷神社に隣接しているのが今日二つ目の目的地・正覚寺です。
真言宗智山派の寺。本尊は薬師如来。創建年代は不詳ですが、快巌(宝暦五年=1755年示寂)という僧によって中興された、と伝えられています。
このお寺には七年前、2013年七月の薬師詣でで参拝しているのですが、本当にきたの? と自問自答したくなってしまうほど記憶がありません。当時の日録(日記)を読み返すと、この日と同じように、三輪里稲荷のあとにきているのですが、三輪里稲荷に寄ったという記憶もまったくありません。
毎月毎月それぞれ異なるお寺に参拝しているのですが、記憶がないということは、たんなるルーティーンワークになっているのではないか。もう一度気を引き締めて参拝しなければならぬ、と反省したところでした。
とはいえ、前に一度きている、と気がついたのは帰ってからのこと。
本殿に向き合って大師堂がありました。
この日参拝した三か寺のうち、賽銭箱があったのは地元の慶林寺だけ。二か寺にはお賽銭をあげることができなかったので、御利益も尠なく、加えてずっと雨模様の上に冷気、と思いましたが、ここに記すようなことでもないのですが、やはり薬師詣での日には少しだけ佳きことがありました。
帰りは京成線の八広駅から。
荒川はすぐ近くを流れているので、普段なら眺めに行きたいところですが、幽かながらも雨は雨。それに、真冬の寒さに較べれば寒気は緩いとはいえ、一度暖かい日を経験してしまうと、この日の寒さ程度でも身に堪えます。荒川は車窓から眺めるのにとどめました。
→この日歩いたところ。
我が地方の天気はこのところ日替わりです。気温も日替わり。四日前の先月二十九日の日照時間は五時間六分、三十日は九時間四十二分、三十一日はゼロ、四月一日は十時間十八分、そして今日二日はまたゼロ。
日参している慶林寺の門前では山茱萸(サンシュユ)が花盛りを迎えていました。
手許にある樹木図鑑によると、樹高は5~10メートルと記されていますが、 この樹は幹も細く、高さも3メートルほどしかありません。山茱萸は漢名。日本では春黄金花(ハルコガネバナ)とも呼ばれます。早春、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることからつけられた呼び名だそうです。秋になると、茱萸(グミ)のような紅い実をつけるので、珊瑚にたとえて、アキサンゴとも呼ばれます。
原産地は中国浙江省から朝鮮半島中・北部にかけて。江戸時代の享保年間に朝鮮経由で我が国に持ち込まれ、薬用植物として栽培されるようになったそうです。花期は早春から春(三-五月)。花径は4~5ミリ。秋になると、長楕円形で紅く熟す実を結びます。味はグミに似て、甘く、酸味と渋みがあります。
温めた牛乳にこのサンシュユの枝を入れ、保温しながら一晩置くとヨーグルトができると聞きましたが、本当かどうか。
ブルガリアにはヨーグルトの木と呼ばれる木があり、このサンシュユはヨーグルトの木の親戚に当たるので、同じようにヨーグルトをつくることができる、という話ですが、じゃあ、牛乳は何ミリリットル使い、サンシュユの枝は何センチのものが何本くらい? 皮は剥くの? 剥かないの? いまのところ、答えてくれるWebページや虎の巻にはお目にかかれません。
乳製品(牛乳、ヨーグルト、チーズ)とトマトは私が苦手とする食べ物です。嫌いだからいっさい食べない、というのではありません。身体には佳いと思うので、極力食べようと思うのですが、好んで食べたいと思うわけではないので、買ってもついつい腐らせてしまうことが往々にしてあります。
参道入口(画像上)と同・中ほど(下)の河津桜。両方ともほぼ満開です。
慶林寺から帰る途中、いくつかある野菜の無人販売所の一つに菜の花が出ていたので買って帰り、夕食に菜の花と浅蜊(アサリ)のパスタをつくりました。