桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

雪やこんこ

2012年02月29日 19時16分41秒 | のんびり散策

 ♪雪やこんこ 霰やこんこ
 降つては降つては ずんずん積る
 山も野原も 綿帽子かぶり
 枯木残らず 花が咲く

 ♪雪やこんこ 霰やこんこ
 降つても降っても まだ降りやまぬ
 犬は喜び 庭駈けまわり
 猫は火燵で丸くなる

 買い物に出るときは北方向へは行きません。この方面に行っても、二十分以上歩いてようやく出くわすのがコンビニです。しかも、このコンビニを除けば、ほかに店はありません。
 過疎の土地でもあるまいに、なんだかよくわからない条例みたいなものがあって、我が庵周辺では高い建物が建てられないことに加え、スーパーのようなものもつくれないのだそうです。

 我が庵から歩いてわずか三分、というところに小さな天満宮があります。

 ♪てんてんてん 天神さまのお祭りで
 てんてん 手まりを買いました
 てんてん 手まりはどこでつく
 梅のお花の 下でつく 下でつく

 ♪てんてんてん 天神さまの石段は
 だんだん かぞえていくつある
 だんだん かぞえて二十段
 段の数ほど つきましょう つきましょう

 一月二十四日、二月十七日と雪の朝があって、今朝もまた雪です。



 四年に一度しかない、二月二十九日朝の我が庭です。
 この日の最高気温は3・0度と一昨年二月十三日の2・4度に迫る寒さでした。いつにない大雪に悩まされている地方の方々には申し訳がないのですが、積もった雪を見ると、なんとなく心躍るものがあります。
 この日は午前中に約束をしていたことがあり、出かけなければなりませんでした。
 しかし、しばらく前から右眼がゴロゴロするようになっていて、窓を開けて雪を見るまではいま一つ気分が霽れませんでした。
 暮れに診察を受けるまで私も知りませんでしたが、眼瞼内反症といって、右眼下瞼の睫毛が内側に向いて、眼球をこすっていたのです。簡単な手術を受けて治ったのかと安堵しましたが、じきに元に戻ってしまったみたいです。
 担当医によると、皮膚がたるんで起きる症状らしいので、またしばらくすると再発するかもしれないということでしたが、「しばらく」というのが、いくらなんでも二か月や三か月ではないだろうと思います。



 外出の帰り、富士川まで足を延ばしてみました。画像奥が上流。



 富士川右岸(流山市側)の雪景色です。



 道路の雪はほとんど消えかかっていましたが、人や車が通ることのないところはすっぽりと雪をかぶったままです。さらに足を延ばしてみたら、寶蔵院も雪化粧。



 寶蔵院は富士川右岸の台地上にあります。高低差は8~10メートルぐらい。



 廣壽寺の参道です。バイクの轍が一本残されているだけで、人の足跡はありませんでした。



 観音菩薩を本尊として祀っている廣壽寺の本堂です。



 伽藍の屋根に積もった雪を見たい、と思ったときにイメージしたのは、最初に訪れた寶蔵院ではなく、この清瀧院でした。しかし、きてみると、屋根の雪はほとんどありませんでした。
 寶蔵院から廣壽寺を経由して、清瀧院までは1・3キロほど。十五分ぐらいで歩けるのですから、その間に気温が上がって屋根の雪が消えてしまった、というような距離ではありません。



 清瀧院境内の枝垂れ桜の樹。

 帰り途で雉(キジ)を見ました。前ヶ崎城址公園前から国道6号線に出る道 ― 私が名都借谷津(なづかりやつ)と呼んでいる道路を歩いていたときのことです。
 
私がかつて暮らしてきた東京の目白、浅草という土地に較べれば「田舎」の北小金周辺ではありますが、まさかキジを見るとは思いませんでした。

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猫スポットを歩く

2012年02月24日 11時17分46秒 | 地域猫

 昨朝、庭にメジロのつがいが遊びにきました。隣室との境に植えられている樹の赤い実をついばみにきたようです。
 窓越しに葉が小刻みに揺れているの見て、なんだろうと立ち上がって気づきましたが、窓を開ければ逃げられると決まっているので、窓越しに見るだけでした。よって、画像はありません。
 赤い実をつけた樹は、私が引っ越してくる前からあったものです。去年の冬も赤い実を見たので、万両か千両か、ともかく藪柑子のたぐいだろうと思っていましたが、メジロが去ったあと、葉を一枚摘んで植物図鑑と照合してみると、万両、千両、百両、十両、どれも当てはまらない。
 今朝はジョウビタキがきました。



 散歩で本土寺裏の坂を下り、少し歩いたところで初めて見かけた猫殿です。風は冷たいのに、陽だまりにいるので、いかにも暖かそうです。
 散歩のときは鞄にドライキャットフードを詰めた容器を忍ばせています。それを取り出して、カシャカシャと振ってみましたが、この猫殿はそれが餌の音だとは知らないので、動じる気配はありません。見たところ、この家には三匹の猫が飼われているようでした。

 いつも私が散歩するコースには五か所の猫スポットがあります。庵を出て最初にあるスポットを過ぎると、本土寺の裏手にある石段か急坂を下ります。
 そこから次のスポットまでは、少し距離があるので、筑波山を望める高台に出たあと富士川の土手に出るか、高台には上らず、直接富士川の土手に出るか、通るところは日々気まぐれです。
 この猫殿のいる家はどっちへ行くか、その二股にあります。いつも雨戸が閉まっているし、表札にはガムテープが貼られているので、空き家かなァと思いながら見過ごしていた家でした。猫殿がいるのに気づいてよくよく見れば、一か所だけ申し訳程度に雨戸が開いていました。

 ついでながら……不景気だからか、それとも我が庵の周辺だけの特異な状況なのか、非常にたくさんの空き家があります。表札がかけられたままの家もあり、すでに取り外された家もあります。まだ新しそうな(といっても、二十年は経っているのでしょうが)家もあります。雨戸の閉まった家の前を通り、留守かなと思って屋根の上を見上げると、地デジ対応のテレビアンテナがないので、空き家なのだとわかります。あるいは夏であれば、草茫々となっているのに、いまの時期は草がないので、庭を見るだけではわかりません。
 その一方で、畑地や野原、林が潰されて、新しい家や住み心地のよさそうなアパートが建てられて行きます。

 富士川べりに出ます。川に近づくと、てきめんに風が強くなり、冷たくなりました。富士川を渡ると、松戸市から流山市に入ります。富士川に架かる葉ノ木橋か、上流に架かる羽中橋で川を渡るのがいつもの散歩コース。
 寒いけれども、天気はいいので、土手の上をたくさんの人が散歩したりジョギングしたりしています。



 無患子(ムクロジ)の樹のある家でこんな実を見つけました。もしかして釈迦頭(シャカトウ)か! と小躍りしながら近づいてみたら、釈迦頭の実にしては小さ過ぎるし、第一、熱帯から亜熱帯にかけての樹木が日本にあるはずがありません。
 庵に帰ったあと、樹木図鑑ひもといてみたら、どうやら三椏(ミツマタ)のようです。
 図鑑をひもといてみるまでもなく、私は去年の四月初め、満開になったこの花を見ています。見ただけではなく画像をブログに載せています。すっかり忘れ去っています。



 蝋梅の高木。樹高は4メートルほどあります。



 二つ目の猫スポットは小春の生息するところ。三つ目うさ伎(うさぎ)です。

 いつもの散歩だと常磐線のガードをくぐり、四つ目が富士丸。平賀川に架かる橋を渡る直前で再び松戸市に入って五つ目にはマユをはじめ、何匹もの猫が飼われているアパートがります。
 しばらく行っていないところがあったので、五つ目のスポットには帰りに寄ることにして、そのまま上富士川沿いに進みます。



 前方に国道6号線をくぐるガードが見えてくるあたり、再び松戸市になります。



 250メートルばかり歩くと、また流山市になり、道がしだいに上り坂になって行きます。途中、ここから「柏市」になる、という標識があります。坂を200メートル弱上って目的の行念寺に着きました。



 浄土宗の行念寺。



 今冬は寒さが厳しかったせいで、梅の開花が遅れているようです。



 行念寺を開いた經譽愚底さんのお墓。持参の線香を上げました。



 堀出の池を前に祀られているのは境内社の厳島神社。今日はここで引き返します。



 十数匹の猫殿が暮らしているアパート。五つ目にして最後の猫スポットです(逆回りで歩くこともあるので、そのときは当然最初のスポットとなります)。
 去年九月に生まれた仔猫三匹のうちの一匹が窓に姿を現わしました。



 ほかの猫たちに餌を置いたら、一丁前に首を突っ込んできましたが、まだ成猫用の餌は食べられないようです。外に出られるようになったとわかっていたら、仔猫用のミルクを買っておいたのですが……。手前からチビ(♂)、仔猫(性別不明)、フウ(♂)、右に離れているのはトラ(♂)。今日はマユはいませんでした。



 日脚もすっかり長くなりました。
 これは夕方五時に撞かれる東漸寺の鐘の音を聴きながら、富士川の対岸に映る私自身の陰を撮したものです。少し前までは五時といえば、すでに真っ暗でありましたのに……。

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2012年二月の薬師詣で・台東区根岸を歩く(2)

2012年02月09日 22時43分07秒 | 薬師詣で

 二月の薬師詣での〈つづき〉です。



 宗慶寺から三分で天台宗嶺照院。




 嶺照院から二分。浄土真宗大谷派随徳寺。




 随徳寺から三分で浄土宗安楽寺。根岸古寺巡り第三番。




 安楽寺から四分。曹洞宗全得寺。

 ビルの谷間のようなところにあったので、危うく見過ごしてしまうところでした。



 全徳寺から昭和通りを渡り、四分で曹洞宗正覚寺。

 このあと、また昭和通りを渡って根岸に戻ります。



 正覚寺から六分。臨済宗妙心寺派了源院。




 了源院からすぐ一分。三島神社。




 三島神社から四分。浄土宗萬徳寺。




 萬徳寺から三分、真言宗智山派竜泉寺。




 竜泉寺から三分、千束神社。



 千束神社境内にある樋口一葉の碑。




 千束神社をあとに日光街道(国道4号線)に面してワイズマートというスーパーがあり、その傍らに天台宗の薬王寺があります。案内標識にあるように背面(うしろむき)地蔵で有名な寺院です。




 背面地蔵。




 薬師堂。ここも御堂の前には香炉がなかったので、焼香はできませんでした。
 薬師詣ではここでお終いですが、帰りは南千住に出るので、途中にある四か寺を巡りながら帰ることにします。




 浄土宗寿栄寺。




 曹洞宗梅林寺。




 天台宗永久寺。目黄不動。




 永久寺前の道は明治通りです。三ノ輪二丁目の交差点近くまで歩くと、東京スカイツリーが見えました。



 この日最後に訪れたのは永久寺から五分の浄土宗浄閑寺。通称投げ込み寺。




 帰りは南千住駅に出ました。

この日、歩いたところ

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2012年二月の薬師詣で・台東区根岸を歩く(1)

2012年02月08日 22時41分32秒 | 薬師詣で

 二月の薬師詣では東京・台東区の根岸周辺を巡ることにしました。

 今日、目的とする薬師如来をお祀りしているのは根岸薬師寺と薬王寺しかありませんが、根岸周辺には数多くの寺院があります。インターネットで知り得た知識しかないので、果たしてどのような寺院があるのかわかりませんが、歩いてみましょうということで、日暮里駅に降り立ちました。
 千葉県民となる前、私が棲んでいたのは浅草でありましたので、日暮里、鶯谷界隈にはしばしば出没していたのですが、お寺巡りをするのは初めてです。



 最初に訪ねたのは日暮里駅から二分の日蓮宗善性寺。長享元年(1478年)、日嘉が開山。墓所には石橋湛山、双葉山の墓があります。
「根岸古寺巡り」というのが第一番から第九番まであって、ここはその第九番に当たりますが、所在地は台東区根岸ではなく、荒川区です。


 羽二重団子の前を通って行きます。

 日暮里駅から六分。目指してきたのはこの根岸薬師寺です。
 近辺にはかつての輪王寺宮が公務外のときの休息の場として利用するための別邸・御隠殿がありました。
 人のいる気配は感じられませんでしたが、BMVなんぞが停められていて、まさに御隠殿跡という雰囲気があります。



 御隠殿跡の説明板。

 根岸薬師堂から八分で臨済宗妙心寺派の円光寺。元禄十二年(1699年)の創建。根岸古寺巡り第八番。



 円光寺から三分で真言宗智山派西蔵院。創建年代は不詳。本尊は大日如来。ここにもBMW。



 西蔵院からはすぐの浄土真宗本願寺派永称寺。僧・浄念(宝治二年:1248年寂)が開基となって、現在の栃木県那須に創建されたのが始まり。本尊は阿弥陀如来。



 真言宗豊山派千手院。禅海(文禄四年:1596年寂)という僧侶がが神田小柳町に創建したのが始まり。本尊は千手観音。根岸古寺巡り第六番。



 千手院から七分で浄土宗西念寺。開山は誓誉的山上人。寛永七年(1630年)の創建。本尊は阿弥陀如来。根岸古寺巡り第四番。

 西念寺の南隣は真言宗豊山派の世尊寺。応安五年(1372年)、豊島左近将監輝時が開基、賢栄が開山で創建されたと伝えられています。本尊は大日如来。根岸古寺巡り第五番。

 世尊寺から四分で小野照崎神社。主祭神は小野篁。
 地元では親しみを込めて「おのてるさん」と呼ばれています。私も浅草住人だったころは何度かきています。


 おのてるさんの斜向い、法華宗本門流法昌寺。日照(元禄三年:1690年寂)が開山。慶安元年(1648年)、下谷御切手町(現・下谷一丁目)付近に創建。下谷七福神の一つ・毘沙門天が祀られています。



 法昌寺からすぐの浄土宗泰寿院。正保四年(1647年)の創建。本尊は阿弥陀如来。

 泰寿院から同じ浄土宗の英信寺までは二分。深川の靈巌寺を開山した雄譽靈巌が紫雲庵と号して寛永八年(1631年)に創建したのが始まり。下谷七福神の一つ・三面大黒天が祀られています。



 英信寺から六分で法華宗本門流真源寺。というより、「おそれ入谷の鬼子母神」です。万治二年(1659年)の創建。七福神の一つ・福禄寿が祀られています。雑司ヶ谷の鬼子母神堂、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神です。

 私が目白から浅草に移り棲んだのは平成十一年の六月でした。三社祭りはすでに終わっていたので、この真源寺を中心に開かれる朝顔市で、初めて下町らしい祭りに出会ったのでした。



 真源寺から法華宗本門流の下谷感應寺までは三分。日純(元和六年:1620年寂)が開山。小田原に創建されたのが始まり。

 下谷感應寺から曹洞宗正洞院までも三分。
 開基は
佐竹義宣。出羽国秋田に創建されたのが起源。佐竹義宣とは戦国時代から江戸時代前期にかけての大名・佐竹氏の十九代当主で出羽国久保田藩(秋田藩)初代藩主。本尊は釈迦如来。



 正洞院から同じ曹洞宗宗慶寺までは五分。
 本尊は釈迦如来。「下谷區史」には「創建は慶安二年(1649年)とも明暦二年(1656年)ともいふ」と記されています。
〈つづく〉

この日、歩いたところ。荒川区日暮里駅から台東区下谷の宗慶寺まで。

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立春猫日和

2012年02月04日 11時19分35秒 | 地域猫

 今年の冬は変な冬です。
 一月に限っていうと、冬日(最低気温が氷点下の日)は去年が三日だったのに対して今年は二日。去年は10度は越さなくても、9度台という日が三、四日はつづいたものですが、今年はそういうことがない。ただ、暖かいと思えた日は一日だけで、いってみれば中途半端な寒さの日がつづいています。

 今日は立春。陽が上るまでは寒かったけれど、陽射しが出れば、ポカポカと暖かい。猫たちも日向ぼっこと洒落込んでいるであろうと散策に出ました。



 時計回りコースで散策に出ると最初に会う猫殿です。
 右の黒いほうは黒兵衛と名づけていますが、左は最近出てくるようになった猫殿なので、まだ名はありません。
 二軒並んだメゾネット形式のアパートで飼われていますが、日によって右の家の前にいたり、左の前にいたりするので、実際はどっちの家の猫なのかわかりません。 



 つい数日前に発見したばかりの新しいスポットにいる猫殿です。三匹いるうちの一匹。こちらもまだ名はありません。 



 このあと、富士川を渡ります。
 無住の寺・寶蔵院に詣でたり、無患子(ムクロジ)の樹の下を通ったり、季節が初夏であればあじさい通りへ足を延ばしたりしながら、三番目のスポットを目指しますが、最近はパスすることが多くなりました。かつて小春と名づけた茶虎猫殿がいたのですが、最近は見なくなりました。天国へ旅立ったのかもしれません。



 在りし日の小春です。 



 第3スポットから第4スポットまでは200メートル弱。香取神社というお宮さんの前を過ぎ、常磐線のガードへ下って行く坂道の途中に、うさ伎(うさぎ)の出没する梨畑があります。
 ドライキャットフードを食べる姿勢にもそれぞれの個性があります。ドライキャットフードはアスファルトの上に置きますが、人間でいうと、小春は後ろ足を立てたままの立ち食い、うさ伎はちゃんと坐ってお行儀がいい。



 うさ伎のいるところから200メートル強で第5スポット。富士丸と名づけている猫殿。首輪をしています。
 最初に見たのはこの場所とは背中合わせになった民家で、去年の真夏でした。首輪をつけていたので、その家の飼い猫かと思って、家をよくよく見れば、表札が剥がされて、住む人のいない廃屋でした。
 次か、その次の機会であったか、廃屋と背中合わせになったこの家のブロック塀の上で日向ぼっこをしているのを見かけました。ふと見ると、その家の表札は猫の形にくり抜いたものでした。ハハァ、この家の住人(住猫?)であったか、と思いましたが、まだ確証はつかめていません。



 第6にして最後のスポットは老嬢が十数匹の猫を飼っているアパートです。左からマユ、黒い背中だけ見えているのがトラ、アメリカンショートヘアのようなシマタロウ、一番右にいるのがヒロ。



 我が庵があるのは平賀中台という台地で、周辺を歩くと、結構アップダウンがあります。台地の陰になったところは、多分これまで一度も陽が当たったことがなく、先月二十四日に降った雪がまだ残っていました。

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葛飾落ち穂拾い(2)

2012年02月02日 19時25分09秒 | 寺社散策

 葛飾落ち穂拾いの〈つづき〉です。



 正王寺浄慶庵から東へ300メートル足らずのところに九品寺(真言宗豊山派)がありました。
 創建は建久四年(1192年)と伝えられていますから、鎌倉幕府が開かれた年で、葛飾区内では有数の古刹です。

 


 九品寺から普賢寺(真言宗豊山派)までは九分。
 山門の天井板碑によれば、創建は治承四年(1180年)八月。「新編武蔵風土記稿」に記された縁起では、寿永年間(1182年-84年)、この地にあった朽ちた大木の根本から、清水が湧き出したので、領主・葛西兵衛尉入道寂昌がその根を堀らしめると、薬師仏の像(鼓薬師)を得ることができた。よって寂昌は堂を建て、普賢寺と名づけ、寺領等を寄付した、とあります。



 次の延命寺は普賢寺から少し距離があって、歩いて十七分ほどかかりました。途中で曳舟川親水公園を横切って行きます。
 延命寺のあとは今回の落ち穂拾いの目的地でもあり、今回のお寺巡りの最後でもある観音寺へ向かいますが、地図を見ると、延命寺から観音寺までかなりの距離があるので、公園にあったベンチでしばし寛がせてもらうことにしました。

 延命寺(天台宗)。
 近江国三井寺の大僧都・源慶が三囲神社の別当寺として創建。寺社地が御用地となったため元禄六年(1693年)に小梅村へ移転したといわれます。明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、現在地に移転したのは昭和二年四月。



 延命寺から十一分、今回の落ち穂拾いの目的地である観音寺に着きました。
 真言宗豊山派のお寺です。創建は天正四年(1578年)。



 これが目的の薬師堂です。



 観音寺の隣にお宮があったので寄ってみました。青戸神社です。

 

 青戸神社の狛犬。
 青戸神社から常磐線の亀有駅までは1・5キロ。途中に延命寺(観音寺の前に立ち寄った延命寺と同名ですが、先に寄った延命寺は天台宗、こちらは真言宗豊山派)、亀有八幡宮などがありますが、前に亀有を歩いたときに訪れているので今回は割愛しました。

→堀切菖蒲園駅から亀有駅までの行程です。

http://chizuz.com/map/map124062.html

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葛飾落ち穂拾い(1)

2012年02月01日 22時33分52秒 | 寺社散策

 訪ね漏らしていた寺社を巡って茨城県の守谷市内を歩いていたとき、去年十一月なかばに亀有を歩いたときも、同じ葛飾区内でありながら行きそびれた区域があったことを思い出しました。
 中でもとりわけ気になる寺院がありました。葛飾区青戸にある観音寺です。観音寺というからには本尊は観世音菩薩なのでしょうが、インターネットで調べた案内には薬師堂があると書かれていたのに、そのとき私が立てた寺社巡り計画の中で、同じ葛飾区とはいっても、亀有周辺からは少し離れていたので、行かなかったからでした。




 松戸駅近くに所用があったので、松戸から一駅、金町で降りて京成電車に乗り換えます。



 両津勘吉の主なる舞台は、同じ葛飾区でも亀有なのに、JR駅一駅ぶん、直線距離で2キロも離れた京成金町駅まで出張るようになったみたいです。



 高砂で京成本線に乗り換えて三つ目。堀切菖蒲園で降りました。



 堀切菖蒲園駅近くのおもちゃ屋(?)さんに両津勘吉のフィギュアが飾られていました。(?)としたのは、この店ではお菓子も売っているし、杖の先のゴムなども売っていて、正体は何屋さんであるのかわからなかったからです。

 最初に堀切菖蒲園を訪ねることにしました。この時期ですから、花はないと承知の上で訪ねました。駅名の由来となっていますが、駅から九分と少し遠い上に、途中で道がわかりにくくなります。



 堀切菖蒲園。
 葛飾区の区立公園です。7700平方メートルという広さに二百種六千株の花菖蒲があるそうですが、この時節は養生の時期でもあるのでしょう
。花がないのは承知の上でしたが、ほかの花も何もありませんでした。

 菖蒲園の始まりは室町時代、江戸時代と二つの説があります。江戸時代には江戸百景の一つに数えられ、「堀切の花菖蒲」として歌川広重の浮世絵にも描かれています。



 堀切菖蒲園から五分、極楽寺(真言宗豊山派)というありがたい名前のお寺に着きました。門前に祀られているいぼ取り地蔵。



 極楽寺の本堂です。宝徳元年(1449年)の創建。本尊は阿弥陀如来。
 永禄三年(1560年)、この地方で起きた大洪水で、本堂以下ことごとく流されてしまったそうです。



 本堂左手前に薬師堂がありました。祀られているのは弘法大師作と伝わる寅薬師、あるいは砦内の薬師ともいい、室町時代、この地域の領主であった窪寺氏の城内にあったものだということです。その城がどこにあったかは不明。



 極楽寺から七分で日蓮宗の妙源寺に着きました。
 嘉元二年(1304年)、あるいは建武年間(1334年-36年)の創建と伝えられていますが、最初はどこに建てられたのか、明らかではありません。その未詳の場所から本所番場町(現・墨田区東駒形一丁目)に移って、以降、大名、儒者、歌舞伎役者らの菩提寺として栄え、中でも幕府の金座役人・後藤氏は天正時代以来の檀徒として、寺の再建に力を注いだということです。大正十二年の関東大震災で焼失、同十五年、現在地に移転しました。



 妙源寺には幕末の朱子学者・安積艮斎(1791年-1861年)先生の墓があります。このお寺を訪ねたのはこれが目的。

 江戸で塾を開き、私が敬愛する幕末期の勘定奉行・川路聖謨さんをはじめ、岩崎弥太郎、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らも先生の教えを受けました。



 妙源寺でUターンし、ラッキー通りというめでたい通りを戻ると、菖蒲七福神がありました。琵琶を持った弁天様が真ん中にあるのは、かつてここに弁天社があったからではないかと思われます。

 堀切菖蒲園駅西のガードをくぐって京成線の北側に出ます。

 

 菖蒲七福神から九分で正王寺(真言宗豊山派)。別名赤門寺と呼ばれるもととなった朱塗りの山門と本堂です。
 治承二年(1178年)五月、法印俊義(正治元年:1198年寂)が開山したと伝えられています。天文七年(1538年)、国府台の合戦による兵火で焼失して荒廃しましたが、慶長年間、山城国の人・法印源栄(承応元年=1652年寂)が再興し、中興開基となりました。その後、数回にわたる水禍のため古記録を失い、由緒は明らかでありません。




 堀切氷川神社。



 正王寺から360メートル、歩けば五分ほど離れたところ。ここも正王寺。

 地図で見たときには至近距離に同名の寺があるので、もしかしたら誤植? と思ったのですが、こちらには正王寺浄慶庵とありました。先の正王寺の庵室か塔頭だとすれば随分離れていますが、恐らく庵室だったのでありましょう。〈つづく〉

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