桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

一遍さんのお寺

2010年01月26日 22時43分51秒 | 寺社散策

 関東には数少ない一遍さんのお寺を訪ねました。北松戸にある本福寺というお寺です。
 お寺があるのは台地の上で、中世の城館・上本郷城があったと考えられているところです。で、お寺巡りの前に城趾の探索。
 北松戸駅で降りて国道6号線沿いを歩き、上本郷交差点で左に折れて坂を上ります。この坂は「寮の坂」と呼ばれていますが、名の由来は不明です。



 坂を上り切ったところ、スイッチバックする形でさらに坂を上ると、本覚寺という日蓮宗の寺がありました。元禄十二年(1699年)の創建と伝えられ、松戸ではもっとも標高の高いところにある寺だそうです。

 この寺が建つのは台地の先端部です。ここが上本郷城の主郭部だったのではないかと想像されていますが、周辺は宅地化されて、城があったことを偲ぶことのできるものは何もありません。
 例によって千野原靖方著「東葛の中世城郭」をひもときましたが、城の由来もはっきりしていません。
 建武期、千葉家十一代・貞胤(さだたね)が築き、戦国期には大谷口城の高城氏の支配下に置かれたようですが、城主が誰であったのか、どのように機能したのかは不明です。



 台地の端っこにあるので、さすがに境内からの眺望は利きます。



 スイッチバックした場所に戻って道なりに進むと、本福寺門前に到りました。本覚寺~本福寺の道にも城趾を偲ばせるものは何もありません。
 本福寺は鎌倉時代の嘉元元年(1303年)、ないしは元応元年(1319年)の開山。開基は一遍さんの一番弟子・他阿(たあ)上人。



 境内に建つ開祖・一遍上人の銅像。
「一遍聖絵」にある肖像画や総本山・清浄光寺にある像より若々しいお顔をしています。
 遊女たちを連れて全国を遊行されたという脚は、肖像画ではもっと丈の短い着物を着て、臑もゴツゴツしていますが、この銅像はどちらかといえば、ふっくらとしています。
 一遍さんに関してはいろいろ物語りたいものがありますが、いずれ機会を見て……。



 同じく本福寺境内にある切られ地蔵。

 伝説によると、昔、近くの寺で盆踊りがあったとき、このあたりでは見かけぬ若者がきて、巧みな踊りを見せたそうです。なかなかの男前にも見えたので、娘たちは夢中になってしまいました。
 すると、おもしろくないのは村の若い衆です。若い衆の一人が刀で切りつけると、カーンという金属音がして、若者は忽然と姿を消してしまいました。
 翌朝、若い衆が境内へ行ってみると、石地蔵の胸に生々しい刀傷があって、驚くとともに恐れ入ったという話です。

 上本郷七不思議という言い伝えがあって、この伝説はそのうちの一つです。

http://www33.ocn.ne.jp/~maty/ensen/kirare/kirare1.html

 お地蔵様には顔から腹にかけて刀で切ったような傷があるのですが、つたない私のテクニックとコンパクトデジカメでは確認できないかもしれません。



 門前にある「吉田松陰脱藩の道」の碑。
 嘉永四年(1851年)、吉田松陰が江戸藩邸を抜け出して(脱藩して)、東北遊歴に出たとき、この道を通ったという記念碑です。
 格別松陰を評価しない(というか、したくない)私としては、一人の人間が通ったというだけで伝説になるのか、と呆れるような思いですが、まあ、通ったのは事実らしい。通っただけでなく、本福寺で一夜の宿を借りたようで、境内には松陰が泊まったという説明板までありました。



 その松陰が上ってきたのであろう山道を下りました。いまは石段に換わり、手すりもつけてありますが、江戸末期は樹木の鬱蒼と茂った暗い山道だったのではないでしょうか。

 


 石段を下り切ったところにカンスケ井戸がありました。
「カンスケ」というのは屋号らしいのですが、その家が絶えてしまったいまとなっては、どんな家であったのかはっきりしないそうです。

 


 そこからしばらく歩くと、上本郷第二小学校脇に宮ノ下湧水がありました。宮ノ下の「宮」とは台地の上にある風早神社のことです。
 遠くにいても、流れ出た水が下水溝に落ちるゴボゴボという音が聞こえます。見た限りでは水量も豊かで清涼そうなのに、下水に流してしまうだけというのはいかにももったいない。

 このあと上本郷の駅前を抜け、天神山古墳前を通って、またスーパー銭湯・湯楽の里(ゆらのさと)へ行ってきました。



 湯楽の里前にある工務店。
 店主か? 不況の影響なのか、随分寝苦しそうな格好で昼寝をしていたので、断わりもせず失礼してカシャリと一枚。

 到着したのが午後二時と早かったせいか、スーパー銭湯は空いていました。ほんの数分間ですが、私が露天に入っていたときは、広い露天風呂を私が独りで占領、という状態だったほどです。



 001番の下足箱は空いていなかったので、私の誕生日の番号を使いました。
 この日、これまで入ったことがなかった露天の泡風呂に入りました。前四回はいつも入っている人があって、空かなかったのです。
 さらに壷湯(二つ並んでいます)も一人で占領。

 前回は前に入っていた人の体格がよかったため、満々と貯まったお湯をザバーッと溢れさせることができませんでしたが、今回は矢継ぎ早に二つをハシゴして、ザバーッ、ザバーッ……と。
 この壺湯はとくに子どもにはうれしいようで、空くとサッとばかり走って行くので、いつも先を越されてしまいます。子どもと争ってもなぁ、と自重するので、なかなか入ることができません。

 これでサウナを除いてすべての湯を体験しました。入浴時間は四十分。

↓この日歩いたところ。
http://chizuz.com/map/map63441.html

※一月二十四日(日曜日)の残念。 
 ラグビートップリーグプレーオフ準決勝・トヨタ自動車は対三洋電機戦。
 相手司令塔・ブラウンが前試合の暴力行為で出場停止。小憎らしい奴がいないのだから、絶好のチャンスでしたが、さすがに三洋電機の壁は厚い。後半追い上げて、21対25と4点差まで迫りましたが、そこまで。あえなく終了のホイッスルを聞くこととなりにけり。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クモマグサ(雲間草)

2010年01月23日 22時11分45秒 | 

 自宅のパソコンテーブルに緑がほしいと思っていました。



 昨日、昼食を買いに出た帰り、花屋さんの店先にクモマグサ(雲間草)があるのを見つけたので買いました。花よりも、春菊を超コンパクトにしたような葉っぱがギッシリと詰まっているのが緑々していて好ましいと感じたのです。

 この花は自宅近くのダイエーの花売場で見かけていました。
 高山植物……というようなことが書いてあり、買おうか買うまいかと触手を伸ばしかけていたのですが、私が行けるのは勤め帰りの遅い時間だからでしょうか、この売場では店員の姿を見たことがありません。(店員がいないので)会計は20メートルほど離れた食品売場のレジですることになっているようです。
 会計はどこであろうが構わないのですが、珍しい花だと水のやり方や日光の当て方などを聞いておきたいと思います。レジの人が知っているわけはないと思うので、買おうかなと思う鉢植えがあっても、いつも逡巡したのち、諦めるのが常なのです。

 クリスマスのころにはヒメヒイラギの鉢植えが出ていて、手ごろな大きさだったので買おうかと思ったのですが、売場は例によって無人。買わずに帰って、二、三日後に見に寄ったら、姿を消していました。
 クモマグサを見かけたときも売り場は同じように無人。私が行くのは夜八時ごろですから、この時間には店員はもういないのだなと納得していて、気が向けばザッと花を見て廻りますが、ここで買うつもりは鼻からないのです。

 その花を普通の花屋さんで見つけたので、つい手を延ばしてしまったのです。何よりも……鉢の大きさはほとんど変わらず、ダイエーでは398円だったのに、こちらは210円。
 水の与え方、日光の当て方を訊ねると、年のころ四十ぐらいの女主人でしたが、懇切丁寧に教えてくれました。
 育て方だけでなく、クモマグサという名前の由来、日本のクモマグサは高山植物で、しかも絶滅に近い植物で、まず手に入らないこと。そもそも高山植物を低地で育てようとしても無理なこと。クモマグサとして売っているが、実際は西洋雲間草という近似種であること……などなど。わずか210円の買い物しかしないのが申しわけないほどに、たくさんのご教示を賜りました。

 自宅に持ち帰ってテーブルの片隅に置きました。
 Webで調べてみると、大体は女主人の教えてくれたとおりで、パソコンモニタの横に置くつもりで買ったのですが、結論としては室内に置くものではない、ということです。しかし、二、三日の間だけ近くで愉しませてもらおうと思って、室内に置くことにします。



 土曜日の電車の時刻は平日より少し早いので、出勤前にほんのちょっとだけ寄り道をする余裕があります。数日前、一電車早かったので通った道です。
 遠回りをした功徳があって、ある民家の玄関先にほぼ完全な形で種子を残しているツワブキ(石蕗)を見つけていました。木枯らしで飛ばされてしまう前に、もう一度見ておきたくて、今日も遠回り。

 タンポポ(蒲公英)を思わせるような、と聞いてはいましたが、目にするのは初めてです。確かに蒲公英そっくりな綿帽子です。
 ともにキク科の植物ですから、似ているのに不思議はありません。しかし、本家のキクのことを考えると、綿帽子を飛ばして子孫を増やす、というところに、本来は野生の逞しさ、強さを感じます。

 正月明けから我がベランダには家族が増えました。
 ツワブキです。関西に住む友人が宅配便で送ってくれたものです。
 ツワブキのことは私から聞くまでさほど関心がなかったので、実家にあったとは考えてもみなかったそうです。ところが、正月に帰省すると、庭にツワブキがある。私に送ってやろうと思って、二種類のツワブキを一株ずつ掘り起こしてくれたのです。

 わが家に到着したときは元気がありませんでした。送ってもらうことは前もって報されていたので、鉢と土を買って待ち構えていて、早速移し替えましたが、すぐには元気を取り戻してくれません。
 生命力の強そうな植物なので、いずれ茎がピンシャンと立つ日がくるでしょう。写真に撮るのは、そうなってから……。

 ツワブキは桔梗と同じく多年草です。初代は何年か花を咲かせて姿を消しますが、新しい種が芽生え、二代三代と受け継がれて行くのです。
 いま、わがものとなったツワブキも、友人の話によれば、元は三重県の伊賀にあったものだということです。それがなにゆえに伊賀にはまったく縁のないはずの松戸くんだりへきて、私の許にあるのか。ツワブキにしてみると摩訶不思議なことでありましょう。

 そうしてふと思ったこと。
 いつの日になるのかわかりませんが、私がアイルランドへ移住する日がきたら、植物検疫という面倒なことを前もって考えることはせずに、桔梗とツワブキを持って行こうと思いました。
 何十年かあと、アイルランドのどこかに咲くツワブキと桔梗の花を見た人の中に、なにゆえに縁なき欧羅巴の地にツワブキと桔梗があるのか、と首を傾げる人がいるかもしれません。
 人間には叶わないことではあるけれども、不思議に思って立ち止まっているアイルランド人がいたら、冥界から現われいでた私から経緯を縷々説明しようと思います。

 毎年いまごろの時期、私は軽い鬱状態に陥って鬱ぎ込むのですが、今年はなんとなく元気が出てきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬橋からスーパー銭湯へ

2010年01月20日 20時13分10秒 | のんびり散策

 久しぶりにオフグ一家に会えました。



 最後に会ったのは入院前でしたから二か月ぶりです。朝もたまにこの道を通ることがあるのに、朝会ったのは初めてです。ただし、母猫のオフグは相変わらず姿を見せず、いたのは仔猫たちだけ。
 朝は時間がないので、ミオをザッと開けて会話を交わすこともなく立ち去りました。



 市川大野の「こざと公園」では毎冬恒例の葦の枯れ草刈りが始まっています。
                          
 ノートパソコンのマザーボードがイカれたままです。購入四年で二度目の故障なので、もう修理に出す気はなく、買い換えしかないと考えているのですが、先立つモノになかなか余裕が生まれないので、買い換えの日まで処分せずにとってあるのです。
 このパソコンは枕許専用です。寝る前のひととき、目覚めた直後のひととき、寝そべったまま日記をつけたり、メールを見たりするために買ったものです。

 キー入力ができません。入力するときはスクリーンキーボードを使い、マウスを使って一字ずつクリックしなければならないので、疲れてしまいます。
 年明けには新しいノートパソコンにお目にかかれるかもしれぬ、と思っていたのですが、二週間の入院費用で、その目論見も泡と消えてしまいました。

 そこで、先立つモノが貯まるまでの一時凌ぎに、USB接続のキーボードを買うことにしたのですが、家電量販店が松戸駅にあると具合がいいと思うのに、私の知っている限り、船橋か柏にしかありません。
 なにゆえに松戸駅にあれば具合がいいのかというと、買い物をしたあと、またスーパー銭湯に行こうかと思っていたからです。

 インターネットで調べると、新松戸の隣・馬橋駅からそれほど遠くないところに、100満ボルトという量販店を見つけました。これまで耳にしたことのない店名でしたが、早速行ってみるべし、とトートバッグにタオルやシャンプー、リンスを詰め込みました。

 


 馬橋駅東口を出て、旧水戸街道をしばらく歩くと、意匠を凝らした橋が見えてきました。曰わく因縁がありそうだ、と思ったら、思ったとおり地名の元になった「馬橋」でした。
 千駄堀池を水源とし、新坂川に注ぐ長津川という、名前に反して小さな川に架かる橋です。



 馬橋駅から徒歩十分で着きました。

 首尾よくここでキーボードを手に入れたので、スーパー銭湯へ向かいます。
 庵を出るときは、北松戸の駅まで歩き、北松戸→松戸→上本郷と電車に乗るつもりでしたが、携帯してきた地図を眺めると、北松戸から上本郷まではそれほど距離はないようです。これまで歩いたことのない場所でもあるので、散策がてら歩いてみることにしました。

 途中、龍善寺という浄土真宗のお寺と風早神社の前を通りました。参詣をかねて写真だけ撮りましたが、今日は寺社巡りをするつもりはなく、下調べもしていないので、ブログに載せるのはパス。

 庵に帰ったあと、近くに本福寺という時宗のお寺があったのを知りました。本覚寺という日蓮宗のお寺もあって、両方とも建武期の築城と推定される上本郷城の城跡に建立されたらしい。
 城趾というからには是非訪ねてみなければなりません。龍善寺と風早神社はそのときに触れるつもりです。



 新京成電鉄の上本郷駅近くまできたとき、とあるマンション前に石蕗(ツワブキ)が植えられていたのでカメラを向けました。
 マンションの名を「エスポワール(espoir=フランス語で希望の意)」とせず、できるだけ原音に近い「エスプヮール」とするあたり、フランス語にこだわりを持つオーナーのようです。

 上本郷駅前の商店街を通り抜けると、道はT字路になりました。しばし立ち止まって地図を取り出すと、やんぬる哉、地図は通り抜けてきた商店街で切れてしまっています。インターネットの画面では一番下にスーパー銭湯が表示されているのを確かめてプリントしたのですが、プリントしたあと確認するのを怠っていました。
 あとは山勘に頼るしかありません。テキトーに右に折れ、テキトーに左に折れると、「天神山」という古墳に行き当たりました。住宅地の中にあり、発見されたときはかなり破壊が進んだあとだったようです。



 標識には「円墳」とあるだけで、いつごろの古墳なのか説明がありません。
 あとで松戸市のホームページを見ましたが、先の馬橋とともに、「文化財標識柱設置場所一覧」に名前が一行記載されているだけで、いわく因縁はまったく知れませんでした。
 跡地には天満宮が祀られていますが、これも来歴はまったく不明。



 天満宮にあった楠(クスノキ)の巨木。樹高20メートルはあろうかと思えます。祠を撮した上の写真で、左手に根元の写っているのがこの樹です。

 いまは住宅が建て込んでいるので、坂道があると見えるだけですが、かつては「天神山」という山だったのでしょう。わりと急な坂を下り切ると、見覚えのある窪地に出て、その向こうにスーパー銭湯の建物を見ることができました。
 まったくの偶然に過ぎませんが、テキトーに歩いたわりには、ほとんど道を違えることなく辿り着くことができました。
 ブログではスキップした風早神社に、¥100也のお賽銭を上げたお陰かもしれません。



 今日も1番の靴箱が空いていました。お湯のほうは前三回に較べると、かなり空いていました。
 ただ、湯温は私にとっては相変わらずぬるめなので、ちょっと飽きてきたかな、という気がしないでもありません。回数券はまだ六枚も残っているので、無駄にはできませんが……。



 胃潰瘍も完治したので、湯上がりには久しぶりのビール。つまみは冷や奴。
 酔っ払うかと思ったのですが、胃が健全に戻ったせいか、あまり酔いませんでした
。しかし、この日のアルコールはこの一杯だけ。

↓今回歩いたところ。
http://chizuz.com/map/map63240.html

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楠と犬四手と宅配便

2010年01月16日 18時55分49秒 | 風物詩

 一日だけ雨のあと、また好天の日々がつづいています。ただ、さすがに冷気は厳しい。風の強い日もしばしばあって、勤め先近くにある「こぶし公園」の楠(クスノキ)をゆさゆさと揺らせています。



 その楠です。樹高は15メートルぐらい。まだ若い樹だと思われます。
 去年三月、辛夷(コブシ)の花が咲く直前、無粋にもザンギリ頭のように枝を落とされてしまっていましたが、ようやく豊かに繁った枝ぶりを
見せてくれるようになりました。
 市立の小公園です。せっかく豊かに繁った葉を、今年も伐り落とす計画が練られているのでしょうか。楠は豊かな葉があってこそ楠なのに……。
 いまの人にとってもそうかしれませんが、江戸時代の人々にとっては、暑い夏は格好の日陰を提供してくれる樹でした。独特の匂いによって、虫が寄ってこないのもいい。

 この公園にはいつも数匹の野良猫がいます。昼を過ぎると、楠の根元まで陽が当たるようになるので、前脚を曲げて坐り込み、コックリコックリと居眠りをしています。
 夏は太陽の位置が高くなるので、真昼でも根元の半分は日陰になります。よくできています。



 ある人を真似て、幹に掌を当ててみました。
 陽が当たっているせいもあるのか、ほんのりと暖かい。
 伐採された枝の跡はコブのようになっています。こちらも陽光を受けていますが、ポッコリと盛り上がった部分だけはひんやりと冷たいのです。



 公園近くのマンションの中庭に、数本の犬四手(イヌシデ)が植えられています。これも掌を当ててみると、ほんわかとします。
 幹には縦に淡い縞模様があります。太めなので、シャツの柄でいうと、最近は流行らないのか、店へ行っても見かけることのないロンドンストライプです。



 上手く撮影できなかったのですが、もう小さな芽が出始めていました。近くには欅と榎がありましたが、両方とも芽はまったく見られません。

 犬四手については去年三月二十七日の我がブログで触れています。そのときまで私は犬四手などという樹のあることを知りませんでした。たいしたことを書いているわけではありませんが、参考まで。
                     
 まだ入院中だった去年十一月の後半。関西から見舞いにきてくれた友と、病院近くの大勝院というお寺へ行きました。境内には樹齢五百年という公孫樹(イチョウ)の古木があります。


 去年春先に撮影したもの

「樹の幹って暖かいんだよ」
 友はそういいながら、公孫樹の幹に掌を添えました。私も真似てみました。
 うん、確かに暖かい。

 まだ冬と呼ぶには早い季節でしたが、微風ながらも冷たい風に見舞われた日でした。
 ことに私は入院の要因であった胃潰瘍よりも、胃壁を破壊されたことに伴う出血によって、鉄分欠乏性貧血を起こしていることのほうが重大でした。そのせいか、血の巡りも悪く、手と足の先が冷たくて仕方がなかったのです。
 そんな私には公孫樹の幹の暖かさがありがたく感じられました。
                     
 今朝、玄関のチャイムが鳴るのに応えて出てみると、宅配便でした。
 何かを注文した憶えはありません。訝りながら受け取ってみると、どこかで聞いたような(じつは見たことのある)差出人でした。
 千葉県内にある無農薬有機栽培の農産物の会社です。そこから1000~1500円相当と思われる野菜が送られてきたのです。

 注文したのではありません。インターネットで何かのプレゼント企画に応募したのか、べつのことだったのか、全然記憶にないのですが、ある日、「当選しました」というメールがきていたことがありました。景品を送るので、住所や電話番号を報せるように、という内容です。
 君子危うきに近寄らずと考えて、シカとしました。
 ワンクリック詐欺のたぐいであれば、しつこくメールがくるところなのでしょうが、そういうことはありませんでした。
 そういうことがなかったので、すっかり忘れていました。

 何週間か前、応答がないので、当選の権利が失効する、というメールがありました。うるさいやっちゃな、と思いながら、気まぐれに自分の名前、住所を書き込んで返信しました。そのことも忘れていました。

 この手のメールがたくさんきます。応答しなければいいのに、百万! どころか一千万当たる! などというメールがあると、見るからに怪しげでない限り、思わずクリックしてしまいます。挙げ句、毎日多量のメールが送られてきます。当該の会社とは思えないところからもきます。怪しいところからもきます。



 送られてきた段ボールの中味です。
 白菜、玉葱、ミニトマト、薩摩芋、じゃが芋、里芋、泥つき人参、泥つき葱、小松菜、胡瓜、春菊と十一種も入っていました。
 案内状、挨拶状のようなものは何もなく、これらの野菜が入っているだけでした。
 いつまでも放ってはおけないので、本当に当選(つまり無料の!)と解釈して、食べることにします。
 籤運はよくないと思っていますが、この程度の「籤」にはまま当たることがあります。その代わり、宝籤などは下一桁以外当たることがありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病気完治のご託宣出ました

2010年01月15日 23時57分28秒 | つぶやき

 二日前、年明け最初の血液検査がありました。
 結果は赤血球数434(四十日前の退院時は307)、血色素数13・8(同5・4)、ヘマトクリット41・(同29・2)と、いずれも基準値をクリアしていました。
 退院後、去年のうちにあった二度の検査では、三項目ともなかなか数値が上がりませんでした。
 さらに、歩いていると、ほんのときたま頭がスッとするような感じがあります。コンマ1秒ほどの瞬間的なもので、歩くのにとくに差し障りはありませんが、貧血は治っていないと思わせました。
 年が明けてからも、さして変わるところはなかったので、数値が急に上がったことは信じられぬ思いでいます。

 そんな私の心配をよそに、「胃潰瘍のほうは完治したと考えていいと思います」という医師殿のご託宣が出ました。
「血液の数値も良好です。ただ、ピロリ菌が多く、胃酸の分泌も多い体質みたいですから、放っておくとまた胃潰瘍再発の恐れがあります。少し強めの薬に替えましょう」
 ということで、入院以来服んでいたオメプラール錠がブロテカジンという錠剤に変わることになりました。
「胃潰瘍のほうは完治……」というと、他に気に懸かることがあるかのようですが、実はあるのです。その検査は来月の十日ということになりました。

 診察室を出てから、今日の検査結果を気にかけてくれていた友に電話。
 数値と胃潰瘍完治のご託宣があったことを伝えると、心から悦び、安堵してくれているのがわかって、私も嬉しい。
 しかし、数値が急激に上がったのが依然として腑に落ちぬままです。

 友は鉄分を増加させる食べ物を見つけると、電話やメールで報せてくれていました。曰く。アボカド、ひじき、ほうれん草、レバー、柿の葉茶、黒豆茶……。
 検査前夜にはプルーンがいいと教えてくれました。
 私はいわれるままに買い求めますが、しばらくつづけると、飽きてしまう。いまだにつづいているのは、総菜として売っている鶏レバーの甘露煮だけです。
 鶏より豚のほうが鉄分を多く含んでいるらしいので、一度レバニラ炒めを買ったのですが、鶏に較べてモソモソとする食感がイマイチ苦手です。電子レンジで加熱すると、ポップコーン(少しオーバーですが)のようにパンパンと爆ぜて、跡形もなくなってしまうのも始末が悪い。

 勤め帰りの電話で、プルーンがいいと教えられてスーパーに寄ると、ソフトプルーンという半乾燥状態のものがありました。早速求めて帰り、夕食後のデザート代わりに食べ始めたら、ほのかな酸っぱさが心地よく、パクパクと十粒以上も食べてしまいました。
 数値の急激な改善はそのせいだったのかも……。いや、本当は我が身を案じてくれていた友のおかげなのです。

 診察を受けている間に、強い風が吹くようになっていました。
 検査の終わる時間が予測できなかったので、勤め先には「昼まではかからないと思うけれど……」という電話を入れておきました。病院を出たときはまだ十時前でした。

 コーヒーでも飲んでから出勤しようと駅前のファストフード店へ行くと、異様な混み方です。
 空席がまったくない。
 通勤時間はとうに過ぎているのに、勤め人ふうの姿が目立ちます。なんのこっちゃと訝りながら駅へ行って、わけがわかりました。強風のため、武蔵野線は運転を見合わせていたのです。
 振り替え輸送の案内をしていましたが、普段なら乗車わずか十分の市川大野へ行くためには常磐線に乗るか、南流山まで歩いてつくばエクスプレスに乗って秋葉原へ出、総武線で本八幡まで行って、バスに乗るという手立てしかありません。何時間かかるかわかったものではない。



 しばらく改札前で待っていましたが、電車が動きそうな気配はないので、元旦に初詣をした赤城神社に行ってみました。駅のすぐ横の丘の上にあります。
 神社に向かう上り坂でメジロのつがいを見ました。カメラを出すいとまもなく逃げられてしまいましたが……。



 神社は相変わらず無人でした。
 守札授與所はカーテンが開けられているところを見ると、無人ではなさそうですが、人の姿はありませんでした。
 


 小高い台地上にある境内なので、ことのほか風が強い。
 本来なら四偶に吊られた風鐸(ふうたく)がカランカランと優美な音を鳴らすところなのでしょうが、本殿に下げられていたのは提灯を模した飾りでした。たんなる飾りではなく、夜になると灯りが点る仕掛けでしょうか。



 天満宮ではないのに、鳥居前にはなぜか菅原道真の歌。


 
 前回は夕暮れが近かったので、椎なのか樫なのかよくわからなかった参道のご神木。
 高さ2メートルほどの盛り土の上にあるので近づけません。遠くからでは木肌を確かめることができず、結局椎なのか樫なのかわかりません。



 武蔵野線運転見合わせのあおりを食らって、常磐線から武蔵野線に入る貨物線では貨物列車が停まったままでした。

 電車が動き出したのは十二時近くになってから。出勤できたのは十二時半になってしまいました。



 夕食後から服み始めた薬。
 左からプロマック顆粒、ガストローム顆粒、フェロミア錠と胃酸の分泌を抑えるブロテカジン錠。朝と夕食後に顆粒は一袋、錠剤は一錠ずつ服みます。

 昨日十四日は明智光秀公の月命日。阿弥陀如来にお水を供えて焼香。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利根川散策(2)

2010年01月11日 20時35分29秒 | のんびり散策



 長禅寺の山門兼鐘楼。念仏院からこの石段の取っつきまで徒歩十分弱。
 このお寺を訪れるのは四度目になりますが、正門に当たるこの急な石段を上るのは二度目。
 四度目にして、二層になった山門が鐘楼にもなっていることに初めて気がつきました。はは~ん夏の間は両側から樹の枝が伸びていたからな、と観察力の乏しさを自分に言い訳しながら、へっぴり腰で上りました。



 石段を上り切ると、正面に現われる三世堂です。
 内陣に本尊の十一面観音の他、西国三三所、坂東三三所、秩父三四所、計百の観音様が祀られていることから百観音堂とも呼ばれます。

 以前のブログにも書きましたが、平將門はこのお寺の落慶式の日に愛妾・桔梗の前を見初めたといわれています。
 ただし、創建当時は現在地とは別の場所にあって、この御堂が落成したのも、創建から八百年もあとのことですから、実際にはなかった話……なのですが、私は二階(外見は二層でも、内部は三層構造になっているので、実際は三階)の欄干から見下ろした將門が、篝火の仄かな灯りに照らし出された桔梗の前の姿を見たのだ、と思いたい。

 内陣が開帳されるのは年一度だけで、毎年四月十八日。今年は日曜日なので、見に行けるかもしれません。松戸に住みつづけていれば、の話ですが……。



 何を祈るか、熟年夫婦。
 私にもこういうほのぼのとした時代があったような……。されど、もう忘れています。



 山門と百観音堂の間、見過ごしてしまいそうな場所。
 石組みの上に、三体並べられた弘法大師像(?)がありました。



 クローズアップしてみると、中央下にも超ミクロな大師がおわしました。どれほどの小ささなのか、左にスイカを入れたパスケースを置いてみました。



 帰りは我孫子には停まらない特別快速がきたので、松戸まで乗って新京成に乗り換え。またスーパー銭湯へ行ってきました。
 松戸新田駅前の通りから住宅街に折れる角に「仲の湯」という銭湯がありました。現在、千葉県の入浴料金は一律420円(東京、神奈川に次いで全国で三番目に高いそうです)。
 私が目指しているスーパー銭湯は回数券を買っているので一回あたり490円ですが、なければ750円。
 この銭湯はまだ入ってみたことはありませんが、きっと湯温は高めだろうと思います。回数券を使い果たす日がくれば、ここで済ませたほうがいいような……と思いながら前を通過。



 スーパー銭湯前で信号待ちをしていたビーグル犬(信号柱の右下)がいました。

 スーパー銭湯へ行くのは大晦日、一月三日につづいて三回目です。前二回に較べると、少し空いていました。
 その代わり、いけない者どもがいました。騒ぐガキ、シャワーの湯を飛ばして周りを憚ることのないクソオヤジ……。
 正月を挟んだ時期に、こういう連中がいなかったのは、私が思うところ、年末年始は田舎に帰っていた田舎モンが戻ってきたのか、と。

 身体を洗うのもそこそこに露天風呂へ。
 一週間前は43度という湯温でしたが、今日は42・5度。同じ露天の桧風呂、壷湯とハシゴしました。桧風呂、壷湯とも少しぬるめ。

 壷湯は五右衛門風呂程度の大きさの陶製の壷で、一人しか入れません。
 身体を沈めるとザバーッとお湯が溢れ出る爽快感、が売りのようですが、まだ退院後一か月で、痩せ細った私の前に入っていたのが体格のよい人物であったため、ザバーッとはいきません。お湯が貯まるのを待っている間に肩のあたりに鳥肌が立ってしまう。爽快感は味わえぬままに、もう一度42・5度の湯に……。

 ぬるい湯に長時間浸かるのは苦手です。しかし、ちょっとでも趣の異なった湯があると、出ては入り、入っては出て、結果的に長時間浸かることになりました。
 帰りは冷たい風に晒されたので、庵に帰り着くころにはすっかり冷えてしまったように感じられましたが、温浴の効果はいささかなりともあったのか、帰ってしばらくすると、手指と足先がじんわりと暖かさを取り戻してくるのを体感しました。

↓十日に歩いたところ。
http://chizuz.com/map/map62753.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利根川散策(1)

2010年01月10日 21時30分08秒 | のんびり散策

 私が棲む土地では、一月五日から昨九日までの五日間が、一年のうちでもっとも日の出が遅いときで、六時五十一分。
 今日からわずか一分だけですが、日の出が早く転ずるようになりました。これも春の兆しです。

 早暁に小雨の降った日が一日あっただけで、年明けからずっと好天つづきです。寒さもさほどでもないので、大きな川を見に行こうかと思い、取手行を試みました。

 隣県とはいえ、利根川を越えるだけなのに、取手に行くのにはいつものことながら電車の便が悪い。常磐線の各駅停車で終点の我孫子まで行って、乗り換えで約二十分待ち。



 小腹が空いたので、電車待ちの時間を利用して、プラットホームの立ち食いそば屋で空腹を満たして行くことにしました。
 山下清画伯が働いていたことで有名な店です。
「おそばおいしいよ」という惹句が掲げてあったので、つむじ曲がりの私はうどんを注文。
 茨城ふう(我孫子は千葉県ですが)のうどんはこういうものなのか。ふやけたスパゲッティという感じの細さでした。



 取手駅の東口を出ると、利根川までは徒歩七分ほどです。ただし、それは堤防までの距離で、水辺まで行こうとすると、さらに四~五分かかります。



 堤防の階段を上り切ったところに、河口(銚子市)から85キロという標識がありました。

 

 平將門の遺跡を訪ねるべく、取手には何度か足を運んできました。
 くるときはいつも電車で利根川を越えます。電車が取手駅に滑り込む直前、長い鉄橋があって、さすがに広い川だと思っていましたが、実際に水辺に立ってみると、ちょっと拍子抜けしたような感慨を覚えました。
 河川敷は異様に広いのですが、上越国境を源としてはるばる旅をしてきたのにしては水量が乏しいのです。
 河口に当たる銚子で、同じ川の圧倒的な広さを見た記憶があるので、もっと滔々と流れる水を予想していたのですが……。
 川の流れそのものは両国橋あたりの隅田川のほうが遙かに広いのです。

 真冬にしては暖かいと思っていても、水辺に立つと、さすがに冷たい風があります。雲一つない好天でしたが、見る見るうちに身体が冷えてきました。
 河原で遊ぶ人の姿もまばらでした。堤防で草橇をする子が二人、凧(カイト)を揚げる子も二人。ゴルフコースだけがそこそこに賑わっていて、何面も取られた野球場は空っぽ。



 川を離れたあと、取手市民会館前に見つけた八坂神社。
 親子三人連れの参拝があっただけで、あとは無人。
 取手市民会館では成人式の集いが終わったばかりで、遠目では見目麗しき若者たちがゾロゾロと歩いていましたが、この神社にきて神頼みをしたり、二十歳まで無事育ったことを感謝しようとはせぬものらしい。



 地図を見ると、すぐ近くに浄土宗念仏院というお寺が載っていたので、寄ってみることにしました。短いが、急な石段のある参道の入口です。



 念仏院本堂遠景。
 いかなるお寺であるのか、取手市埋蔵文化センターの史料には詳しい記載がありません。
 沢近嶺(1788-1838年)という幕末期の取手宿の豪商であり、国学者・歌人であった人の墓と歌碑があるというだけで、いまのところは創建の年すらわかりません。
 沢近嶺は徳川斉昭の師だったようですが、斉昭は慶喜の父親。その師という繋がりでは、会津贔屓の私にとっては興味を惹かない人物です。



 境内にあった椋(ムク)の樹。取手市保護樹木という標示があるだけで、推定樹齢も不明。

 身体が冷え切ってしまったので、あと一か所だけ寄って、取手をあとにすることにしました。
 一か所というのは長禅寺という平將門所縁のお寺のことです。いつの間にか、取手を訪問したときのトリは、この長禅寺と決まったみたいです。
 お寺があるのは、ちょっとした高さの丘に過ぎませんが、駅から至近の距離なのに静謐であること、佇まいが落ち著いていることに加えて、いつ行ってもあまり人のいないことが気持ちを涼やかにしてくれるので、帰る前にはついつい寄ってしまうのです。
〈つづく〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の兆しを求めて

2010年01月08日 22時08分55秒 | 風物詩

 年が明けたばかりだというのに、しかも、これからが冬本番だというのに、寒さという現実から目をそらして、春の兆しを捜しています。
 齢のせいなのでしょう。年を追うごとに、寒さが身にこたえるようになっている気がします。
 勤めがあるので身体は休むわけにはいきませんが、三月初めの啓蟄の日まで、私の心は頑なに閉ざされて、冬眠状態に入ります。



 大野城趾下の崖ではすっかり枯れ果てていた草の中に、新しい芽吹きが目立つようになりました。

 

 勤め先の近くにある「こざと公園」には多くのマガン(?)とダイサギがおりました。空気は冷たいけれども、関東名物の風がなく、陽光はたっぷりです。
 ダイサギはちょっとでも近づこうとすると(といっても、悠に20㍍は離れていますが)、すぐに飛び立ってしまうような、警戒心の強い鳥です。今日は餌になる魚に気を取られていたのか、私が近づいても逃げようとしませんでした。

 カメラに収めた直後、道路でビリビリという安物のバイクの音。
 無粋なアンポンタンには事欠かぬものよ、と思った瞬間、ダイサギは飛び立って、私の頭上で急旋回すると、エーッエッと啼き声を残して飛び去ってしまいました。
 急旋回するとき、私の視界の端に、一直線に落下するものが見えました。間髪を置かず、ビチャッと水音。
 枯れた葦の葉陰では、カイツブリが餌を漁っていたようですが、そのすぐ横に糞を落として行ったのでした。
「立つ鳥あとを濁さず」という諺は大嘘。



 こちらも勤め先近くにある「こぶし公園」。
 よ~く見ると、一本の樹に一つか二つ、猫柳を思わせるような辛夷(こぶし)の若芽が芽吹く準備をしていました。辛夷が咲くのは桜の咲く直前ですから、早くてもあと二か月半後です。



 勤め帰りに寄ったダイエーで、春らしい彩りの和菓子を買いました。
 桔梗の絵皿に乗せるのももどかしく、写真を撮ったあとは即刻我が胃の腑に……。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年のスーパー銭湯

2010年01月03日 23時35分50秒 | 日録

 大晦日につづいてスーパー銭湯へ行ってきました。



 武蔵野線の新八柱で新京成に乗り換えて、今日は二つ目の松戸新田まで行きました。
 前回降りたみのり台駅よりこちらのほうがほんの少しだけ近いのです。途中で住宅街を抜ける道に折れなければならないので、迷う心配がありますが、それも初回だけのこと。
 地図をプリントして持って行き、途中二度確認の要に迫られましたが、迷うことなく無事到着。

 ところが……。受付を済ませようと財布を取り出して、思わず「あっ」と一声。
 ぬぁ、ぬぁーい! 会員証と回数券がないのです。
 昨日、筑波山神社の帰りに寄って、ひとっ風呂と思っていながら、庵を出るときに置き忘れ、わざわざ取りに戻って、確かに入れたはずです。
 慌てて鞄をまさぐりましたが、ボディタオルや櫛、ニベアのたぐいはビニール製の
袋に詰めたままさわっていないし、大体濡れたものを入れるためのビニール製ですから、いくらボケが始まってもおかしくない年齢とはいえ、そんなところに入れる道理がない。
 やや大きめのトートバッグではありますが、ガバッと拡げれば、あるかないかは一目瞭然です。

 中身が変わっているとすれば、つくばエクスプレスの駅で手に入れたパンフレット類を取り出して、クリアファイルに整理したことだけ。そこに挟まっていたのかも、と考えましたが、裸で突っ込んだ憶えもないし、先に突っ込んだものが、あとから突っ込んだものに挟まれるはずがない。

 回数券がなければ、750円也を投資しなければなりません。
 ええいっ! そんな理不尽なことがあるものか、と思うと、風呂に入る気はなくなってしまいました。

 エイエイエイと元気よく上がってきた階段を意気消沈して下りました。肚が立つ(といっても、自分に立てる肚しかないのですが)よりも、忽然と姿を消したていの回数券の行方が不思議でならない。どう考えても、財布の中以外に行き場所がないのです。

 寒空の下に出て、トボトボと横断歩道を渡りました。ことさら寒いようなので、コートのポケットに手を突っ込むと、指先に当たるものがある。
 身に憶えのないものではありません。直前に使ったばかりのスイカを入れたパスケースです。
 そうだった! 庵に取って返したとき、コートの内ポケットに入れた財布を取り出すのが面倒だったので、このパスケースに入れた、というのを思い出したのです。
 50メートルほど歩いたところで引き返し、無事入浴の運びとなりました。


 001番の靴箱が開いていたので、使わせてもらいました。

 大晦日と較べると、ロビーで憩う人の数は若干少な目と感じられましたが、浴槽は相変わらず混んでいました。今日も子どもが多数いましたが、みな静かに入っているのだけはよい。
 伊豆大島の大島温泉では、広い浴槽で泳いだり飛び込んだりするクソガキと一緒になって騒ぐ莫迦オヤジがいたし、箱根・宮ノ下温泉では兄弟らしきガキどもがお湯の掛け合いをしているのを平然と眺めている莫迦オヤジがいたりしました。
 まだ二度目に過ぎませんが、ここにはそういう手合いはまったくいません。これで湯温が適正なら、とは考えますが……まあまあ、いいことばかりはないわい、と溜め息まじりに呟きながら、背中をポリポリ。

 前回は気がつきませんでしたが、浴槽には湯温のディジタル標示があって、普通の湯(白湯)は41度を行ったりきたり。これでは江戸っ子にはぬるいはずです。
 今日は普通の湯に入ったあと、露天に入りました。露天の湯温は43度でした。内湯ならこれでも少し物足りないけれども、まあまあ妥当な温度……とはいえても、露天だといささか低く感じられます。小さな子も入るのですから仕方がないかと思いつつ、外気は冷たいので、顎までドップリと浸かりました。
 今日は露天のあとに身体と髪を洗い、ジャグジー、また露天と都合四度入りました。


 今日も湯上がりにコーヒー牛乳。

 帰りも松戸新田駅に出て、乗り換えの八柱にある100円ショップでやや長めの時間潰し。



 コンパクトディジタルカメラ用の三脚を買いました。もちろん100円です。

 出かける前に筑波山神社のホームページを見ていたら、昨日のブログに載せておいた「つくばね守」の、もっとよい画像がありましたので拝借しました。

 言い伝えによると、日神(天照大神)は伊勢に渡りたまうより前、筑波山に降臨した、とあり、筑波で父母二神(伊弉諾尊・伊弉冉尊)から賜った「ツクバネ」の実で、弟の月神(月読命)と羽根突きをして遊んだことから、羽根突きの発祥の地とされる、とあります。
 ここでいう「ツクバネ」の実とは、無患子(ムクロジ)の実ではなく、「ツクバネソウ」というユリ科の多年草の実で、筑波山にも自生しているようです。
「ツクバネ」とは「衝く羽根」でもありますが、筑波嶺でもあります。なるほどなるほど……です。



 市川市万葉植物園のホームページから拝借した「ツクバネソウ」の画像です。同園は勤め先のすぐ近くなので、そのうち行ってこようかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の筑波山神社詣で

2010年01月02日 21時02分51秒 | のんびり散策

 元旦に行きそびれた筑波山神社に行くつもりで庵を出ました。
 十二時には家を出ようと考えていながら、スタートが遅れました。今日が大学ラグビー選手権の準決勝で、テレビ中継があることを失念しており、正午のニュースが終わったあと、「スポーツショー行進曲」が流れ出して気がついたのです。
 第1試合は慶應対東海大。どっちが勝っても関係ないが、コートを着て中腰のまま見入ってしまいました。
 第2試合はメイジ対帝京大です。このまま見つづければ、終わるのは午後三時。筑波山へ行こうか、というような時間ではありません。

 慶應対東海大戦の前半四十分が終わるころになって、意を決してテレビを消し、庵を出ることにしましたが、帰りにはスーパー銭湯に寄るつもりで、鞄にタオルや櫛を詰め込んだのに、肝心の入浴回数券を持って出るのを失念しておりました。50メートルほど歩いたところで思い出し、取って返したので、電車に乗ったのは一時半近くになってしまいました。

 新松戸の隣・南流山でつくばエクスプレスに乗り換え。
 時刻表に合わせて出ているわけではないので、きたのは途中駅止まりの電車。途中駅で次の電車を待って、終点のつくば到着は二時でした。



 つくば駅A4出口。地下駅です。
 シャトルバス乗り場に行くと、バス停には強風でロープウェイは運休という貼り紙がありました。
 
つくば駅からの道順でいうと、近いほうが伊弉諾尊を祀る男体山で、こちらに上るのはケーブルカー。遠いほうが伊弉冉尊の女体山で、こちらは運休というロープウェイ。
 両峰に登らなければ意味がないといわれますが、今日の目的は登山ではないから、頂上に行けなくてもいいわいと思いながらも、なんとなく幸先がよくないというイメージを抱きました。

 二十分後に出発するバスがきました。待っている客は私以外に一人もいません。
 バス停を間違えているのかもしれぬと運転手に確かめると、間違ってはいないが、道路はものすごい渋滞で、終点の筑波山神社入口まで二時間はかかるという話です。事前に調べたところでは、普段の所要時間は四十分程度。
 ずっと昔、どこか辺鄙な場所にある神社へ行くのに、バス(それもギューギュー寿司詰め状態の満員)の中で一時間以上、姿勢を変えることすらままならずに行ったことを思い出してしまいました。

 五秒後、私はバス停に背を向けて歩き出していました。まあ、きてみなければわからぬことながらも、こんなことなら第2試合のメイジ対帝京大戦を視ているべきであったと思いながら……。

 筑波山神社は諦めたものの、心残りがありました。南流山で手に入れた「初詣ラインTX」というパンフレットに、同神社で売っている「つくばね守」というお守りが紹介されているのですが、それが買えないことでした。



 このように小さな写真(右下)が載せられているだけなので、しかと断言はできませんが、お守りは「はねつき」の羽を模した携帯電話用のストラップになっていて、先端には無患子(ムクロジ)の実を使っているように見えるのです。このお守りを無患子という樹の存在を教えてくれた友人にプレゼントしたら、悦んでもらえると思ったのですが……。
 無患子の樹があるという筑波実験植物園は歩いて行ける距離ですが、こちらは四日まで休園とあらかじめわかっていました。

 目の前にぶら下がっていた人参が、神隠しに遭ったように消えてしまうと、急に腹が減ってきました。
 つくば駅にはクレオスクエアというショッピングセンターがあって、周辺の人の盛り場になっているのか、結構多い人出がありました。
 建物は三階まであるのですが、なかなかエスカレーターが見つからない。やっと見つけて、レストラン街に行ってみると、二時半だというのに、どの店も並んで待つ人がいます。
 並ばせて待たせるほど、ほっぺたが落ちそうなものを食わせてくれるのかネ、と思いつつ、ただたんに並ぶのが嫌なので、偶然見つけたロフトへ。
 池袋のロフトと比較してしまう私が莫迦なのですが、品揃えは話になりません。しかし、我が新松戸にはロフトすらないのです!



 ロフトでこんな陳列を見つけたので、見咎められないうちに、カメラを出し入れして、手早くパチリ。



 筑波山のほうもロフトの窓から撮影するだけにとどまりました。
 左手筑波山の前に立ちはだかるのは、つくばエキスポセンターにあるHⅡロケットの実物大模型(高さ50メートル)です。

 クレオスクエアの中をゆっくりとひと巡りしたあとでもレストラン街は依然行列。
 まともな食事は庵近くに帰ってから、と心を決め、サブウェイでチキンとポテトを食べて、小腹が空いていたのを満たしました。

 何をしに行ったのかわからない日でしたが、一つだけ眼福がありました。
 帰りの電車の柏たなか~流山おおたかの森間で、夕焼けの中に浮かび上がる富士山を眺められたことです。
 それもただ夕景の富士山ではない。山頂に懸かった雲の一部だけに夕陽が当たって、まるで富士山が噴火しているかのように見えたのです。

 カメラを持って席を立ったのですが、惜しむらくは、ここぞと思ってシャッターを押そうとすると、途中にある森や林、鉄塔などが邪魔をして撮影すること能わず、であったことでした。
 つくばではショッピングセンターの中を歩いただけですから疲れたわけではありませんが、南流山に戻ってきたときにはすっかり暗くなっていたので、スーパー銭湯へ足を延ばすのは取り止め。

 さてさて、気にかけていたメイジは対抗戦時のような零封こそ免れたものの、また帝京大に完敗。
 春は依然遠いようです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣

2010年01月01日 23時10分49秒 | 寺社散策

 千葉県人となって六度目の正月です。
 県人となって以来、初詣は縁遠くなりました。
 浅草に棲んでいたころはすぐ近くに浅草寺と浅草神社があったので、散歩ついでに出かけられました。目白にいたころは新宿も池袋も近いので、小田急や西武に乗って、江ノ島神社や秩父神社と少し遠出をしていました。

 暮れの天気予報と大晦日の夕方まで吹いた強い風を思うと、荒れ模様の元旦になるのかと危惧していましたが、晴れて風もなく、静かな正月になりました。
 齢とともに物臭になり、この数年、暮れの大掃除は端折って、気が向くとチョコチョコと小掃除を繰り返す正月です。

 夕方四時半、空が薄暗くなりかけたころになって初詣に出動しました。
 目指したのは歩いて十数分のところにある赤城神社です。通勤電車の車窓から真新しい社殿が朝日に照り映えているのを眺めていましたが、参拝するのは初めてです。
 神社の脇に出る坂道を上っていると、おみくじを引いたらしい一団の賑やかな声が聞こえました。あまり参詣人もありそうもないと予想していましたが、さすがに正月だけあって賑わっているわい、と思ったら、人影はその一団だけで、彼らの去ったあとに境内に入ってみると、まったく人影はなし。




 境内にはテントが三丁張ってあって、つい先ほどまで氏子が詰めていた様子が窺えますが、私が行ったときは裸電球が点っているだけでした。

 創建は四百年以上も前の天正十七年(1589年)と伝えられていますが、由緒書きのたぐいが見当たらないし、社務所も雨戸を閉めて無人のようなので、よくわかりません。
 そのわりに社殿が真新しいのは、武蔵野線の開通時に遷座を強いられたためだということです。



 私が上ってきた坂道の反対側に形ばかりの参道があって、そこに神木らしい古木がありました。すでに暗くなりかけていたので、木肌を見ることもできず、椎なのか樫なのか判然としません。
 お賽銭を上げて、一応は初詣を済ませましたが、なんとなく消化不良を起こしているような気持ちで、再び坂道を下りました。
                                     
 少し前、友人から無患子(ムクロジ)という樹木があるのを教えられました。黒く堅い果実を実らせ、それがはねつきの羽や数珠に用いられると聞けば、なるほどと思いますが、樹を見たことはありません。
「ムクロジ」という語感は珍しいので、聞いたことがあれば憶えていると思うのですが、記憶にはありません。
 樹木図鑑には、山地に自生する落葉高木と記載されていますが、関東地方では珍しい樹なのかと思って、Webをさまよっていたら、筑波実験植物園
というところにあるようです。

 そこからさらにさまよっているうちに、筑波山神社のホームページに辿り着きました。
 筑波山神社に初詣するのもいいなと思ったのですが、アクセスを調べてみると、つくばエクスプレスの終点・つくば駅から、さらにバスで四十分! とあります。
 ホームページを見つけたのは午後二時ごろ。
 その時間から出かけたのでは、途中で暗くなってしまうと思い、筑波山神社への初詣は諦め、その代わりが赤城神社になったという次第でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする