今日は阿弥陀如来の縁日ですが、雨です。時折強く降る中、合間を見て、阿弥陀如来参拝に流山の東福寺まで歩くことにしました。
武蔵野線をアンダーパスで越えて行きます。
アンダーパスを越えて十数分。坂川と新坂川の分岐点にきました。
坂川歩道橋という人道専用橋で坂川を渡ります。
右へ分かれて行く新坂川。左に見える橋は流鉄の坂川橋梁。
しばらく流鉄の線路沿いに歩きます。満開の栗の花がありました。
流鉄の鰭ヶ崎駅前を通過して行きます。
ブラシの木も満開(?)。
庵を出てからおよそ四十分で東福寺の裏口に着きました。石段は六十五段もありますが、左右は木々で遮られているので、高所恐怖症持ちの私でも悠然と上ることができます。
裏口に回ったのは山門前の、この急な石段を上るのを避けるためです。手すりを頼りにしながらも、この石段を上ることができたのは何年前であったのか、遠い昔です。
あと何回東福寺にくることになるのかわかりませんが、この石段を上ることは二度とないでしょう。
守龍山という扁額の掲げられた山門。
真言宗豊山派・守龍山証明院東福寺の本堂。本尊は開山(弘仁五年=814年)の弘法大師・空海が彫ったという薬師如来です。
本日の目的、千一体の阿弥陀如来を祀る千仏堂に参拝。
今日は扉が閉ざされていましたが、十三年前の四月に撮影した千仏堂の内部です。格子扉の後ろの米粒のような金色それぞれが千体の阿弥陀如来。中央の大きな阿弥陀如来立像と合わせて千一体。
帰りは緩い坂を下ります。
今月の薬師詣では川崎市を歩きました。
朝八時ごろは強い雨で、上がるかどうか不安でしたが、九時半ごろには熄んで、無事薬師詣でに出発。薬師如来の御加護に恵まれました。
武蔵野線を終点(府中本町)まで乗り、南武線に乗り換えて、宿河原で降りました。武蔵野線の北朝霞から府中本町までは初乗車です。
何十年越しになるのかわからないけれど、これで北朝霞以東(西船橋まで)を合わせて武蔵野線は全線踏破ということになりました(※実際の武蔵野線は府中本町からさらに先・鶴見まであるのですが、この区間は貨物専用なので、一般の電車は走っていません)。
近くに藤子・F・不二雄ミュージアムがあるので、駅前ではドラえもんのモニュメントがお出迎え。
早速歩き始めましたが、目指す方角は南です。地図を視るためにはスマートフォンの上下をひっくり返さなければなりません。
真っ直ぐ南下、ということならいいのですが、そう都合よくはいきません。そこで、いつも右に曲がるところがあると左に、左に曲がるべきところを右に……と間違えてしまう。今回は二つ目に参拝する等覚院で、午後二時から大護摩がある、というのを目的にきているので、一刻の猶予も、一歩の間違いも許されない。
道を絶対に間違えるな、そう自分にきつく言い聞かせて歩き出したのですが、初っ端から大失敗を犯してしまいました。
スマートフォンを視ながら歩いていたつもりでしたが、ふと気づくと、画面に現われている経路図からいつの間にかズンズン離れていたのです。
途中で折れて……とも思いましたが、知らない土地で知ったかぶりをすれば深みにはまるのみ。間違えた地点まで戻り、一つ目に参拝する予定のところはあとまわしにして、先に等覚院へ……という考えも頭にチラついたのですが、すると、経路図を検索し直すために、どこだかわからない路上に佇んで、スマートフォンをイジらなければなりません。ますます深みにハマるだけ、と思い直し、私が薬師詣でをしようと一念発起して始めたのは、法要を見るためでもなし、御朱印を集めるためでもなし、大護摩に間に合わなければ、それはそれでよしとしませう、と思い返して、予定どおり最初の妙楽寺を目指すことにしました。
宿河原駅から十七分で、あじさい寺入口交差点に着きました。あじさい寺とは、これから目指す妙楽寺の別名です。
交通標識を見たので、意外や意外、あじさい寺はすぐ近く、と思った途端、この坂です。
さほど急ではないが、坂の取っ付きから目指す妙楽寺前までクネクネ600メートルと、とにかく長~い。
坂はまだまだ途中。それでもこんなに見晴らしのよい高さまで上ってきています。
宿河原駅をあとにしてから、間違えた道のぶんも含めて二十六分。やっと妙楽寺に到着しました。
天台宗・妙楽寺本堂。仁寿元年(851年)、円仁が建立した威光寺が始まりといわれています。
妙楽寺薬師堂。
「新編武蔵風土記稿」には「薬師堂。境内にあり、三間に四間東向、薬師の長二尺五寸許坐像外に十二神将あり、各長二尺許共に木像にて行基菩薩の作なりと云」とあります。昭和五十二年、薬師三尊の解体修理が行なわれた際、日光菩薩の胎内からは「武州立花太田郷長尾山威光寺」という墨書銘が発見されています。
境内には一千株のあじさい。すでに蕾をつけた株がありましたが、今年はどの花も早い、とはいっても、五月初旬という季節ではさすがに早過ぎます。
散々坂を上らされたのに、妙楽寺があるのは丘の中腹です。次の等覚院を目指すためにはさらに丘を上らなければなりません。といっても、途中でてっぺんを越えるので、あとは下り坂。
妙楽寺から二十分で等覚院に着きました。ここも天台宗の寺院ですが、「新編武蔵風土記稿」には「開山開基を詳にせず」とあります。本尊は不動明王。
山門(仁王門)前に到着したのは「午後二時より」と書かれた大護摩開始に遅れること十三分。
阿像吽像。
二十段そこそこの石段ですが、妙楽寺に向かう坂を踏破してきたことで、私の脚はかなり覚束ない状態に陥っていました。
ハッキリと聞き取れなかったので、なんというお経だかわかりませんでした(薬師瑠璃光如来本願功徳経か)が、なんとか最後のほうだけ聴くことができました。
薬師如来像は秘仏とされているので、拝むことはできませんでしたが、ここに祀られている薬師如来は元は東京・茅場町の智泉院にあった仏像です。私は七年前の2016年十月八日の縁日にお参りしています。
これがその日撮った画像です。
わからないのは、なぜ茅場町にあった仏像が川崎に移されたのか、ということです。等覚院のホームページにも、智泉院の解説ページにも説明がありません。今回チャンスがあれば訊ねてみたいという気持ちはあったのですが、坂道上りがことのほか私を疲れさせていたので、読経が終わるのを待とうという気力がありませんでした。
ホームページに載せるのは簡単なことだと思うのに、載せないのはそれなりの理由があるのかもしれない。秘仏とされていることも何か関連があるのかもしれない。知れぬものは知らず、そっとしておいたほうがいいという気持ちもありました。
あじさい寺に対して、等覚院の別名はつつじ寺。こちらは少し遅過ぎました。
午後二時半ごろには青空が顔を覗かせました。
帰りは近くの神木(しぼく)不動バス停から川崎市営バスに乗って登戸駅に出ることにしました。
登戸駅に出たのは小田急線~東京メトロ千代田線~JR常磐線と乗り継ぐためです。うまくいけば、直通電車とタイミングが合って、小田急~JRと乗り換えなしで行けるかも、と考えたからですが、駅に着いてみれば、朝方の大雨で小田急のダイヤが乱れ、ために相互乗り入れは中止だ、と。
都合よく雨が熄んでくれたのは薬師如来の御加護也、と悦んだと思いきや、道を間違えて、大護摩の開始に立ち会えなかったので、1勝1敗。
登戸では直通に乗れるかも、という目論見が外されて、1勝2敗と負けが先行と思いきや、小田急線から千代田線に乗り換える代々木上原では、すでに千代田線の電車が待っていたところに滑り込んで、割と混んでいたのに空席もあり、直通か綾瀬止まりかわからぬまま滑り込めば、二本に一本という割合の常磐線直通電車でした。やはり最後は薬師如来の御加護がありました。
→この日、歩いたところ(神木不動バス停から登戸駅まではバスを利用)。