桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2016年九月の薬師詣で・江戸川区

2016年09月08日 22時31分55秒 | 薬師詣で

 五年九か月目の薬師詣でです。今月は江戸川区行ってきました。
 数日前まではさいたま市を歩こうと考えていましたが、台風が近づいていたので、なるべく近いところへ、と変更したのです。




 午前七時ごろの東の空です。
 この日の午前三時、太平洋を進んでいた台風13号は温帯低気圧に変わっていました。



 しかし、西の空を眺めると、雨雲と積乱雲が混ざったような雲海が見えました。台風の影響の様子見をしている間、地元の慶林寺に参拝に行きます。



 本土寺の参道には木漏れ日があって、どこに元13号(この時点では台風が消滅しているとは知りませんでした)がいるのですか、と思わせます。



 慶林寺に参拝したあと、いったん庵に帰り、さらに元台風の様子を見ることにします。
 今月六日、薬師詣で(八日)の二日後に台風13号が襲来するだろうという予報が出ていました。




 北小金から新松戸→西船橋→本八幡と乗り継ぎ、本八幡から都営地下鉄に乗って一之江で降りました。

 四年前の十二月には、営団地下鉄東西線の浦安で降りて、江戸川区内の薬師詣でを終えたあと、この駅を利用して帰ったのでした。
 地下鉄の出入り口は、前とは別の口に出ると、目に入る景色がまったく違います。ウン、この駅の感じはこんな感じだったかナ、という程度で、はっきりした記憶はありません。

 西船橋で武蔵野線から総武線に乗り換えるとき、西の空にはまだ真っ黒な雲があるのが見えました。一之江に着くころは土砂降りかも、と思いながらやってきましたが、一之江の駅を出たときは幸いなことに雨は降っていませんでした。それどころか、歩き出してしばらくするころには、陽射しさえ出るようになりました。




 新大橋通り。都立葛西工業高校前に架かる歩道橋です。
 半透明ですが、目隠しがあるので、高所恐怖症は出ないかもしれない。いや、半透明でボンヤリといっても、下の道路は見えるだろうから、やっぱり出るかもしれない。
 用もないのに渡る、というような酔狂なことはしません。



 一之江駅から徒歩十分。今日最初の目的地・證大寺に着きました。
 もとは承和二年(835年)、九州・大宰府の地に開創された浄土真宗の寺院です。
 お寺巡りをしていて気づくのは、親鸞さんが結構熱心に関東で布教活動をしているのに、そのわりに浄土真宗のお寺は尠ないということです。
 私はお薬師さんを目当てに参詣にきましたが、ここは手紙寺として著名です。その詳細は
ホームページがあるので、覗いてみて下さい。




 門をくぐるとすぐ本堂前の石段が迫っていて、少しでも下がれば門が邪魔をして写せません。よって、こんな窮屈な画像になってしまいました。



 證大寺への参拝を終えて地図を見ると、證大寺の東隣に広済寺があったので、寄って行くことにしました。
 関東では珍しい黄檗宗のお寺です。




 広済寺本堂。広済寺のホームページを視ても、どのような由来の仏像が祀られているのかわかりません。



 新大橋通りに戻って、新今井橋で新中川を渡ります。
 遠くから眺めたとき、歩道に上る階段が狭く見えたので、こんな狭さで川を渡らねばならぬとは、と心細い思いで歩いてきたのですが、近づいてみれば、車が通れるほど広々とした歩道でした。余裕綽々で歩いています。



 新中川水門が見えます。広い歩道があるので、低い川面を見下ろしても安心です。



 今日三か寺目。目的地にして最後の誠心寺に着きました。浄土宗のお寺です。




 モダンな本堂です。

 帰りは本八幡寄りの瑞江まで、一駅ぶん歩こうと考えていましたが、歩いているうち、あ
っという間に黒雲が拡がってしまいました。




 瑞江大橋で再び新中川を渡ります。
 望むのは上流に架かる明和橋。

 帰りも一之江駅に出ました。
 北小金に戻ってくると、路面は濡れていましたが、雨は降っていませんでした。電車に乗っている間に雨が降り、熄んでいたのです。

 さてさて、まがりなりにも薬師詣でをつづけている私を、薬師如来が殊勝也と愛でてくださって、なんとか雨に祟られることなく帰り着きました。

この日、歩いたところ


新しい友

2016年09月01日 18時19分31秒 | 地域猫

 久しぶりにブログの更新ができました。

 更新はしていなくても、毎月八日の薬師詣では休むことなくつづけていて、毎月毎月、写真も資料も溜まって行くばかりなので、今月こそ、今月こそ、と思いながら、なぜか、途中で気力がプツンと途切れて、已む無く更新放棄……という毎月がつづいてきました。
 薬師詣では小外出をするので、近隣にお寺があれば寄って行こうと思います。またくるかどうかわからないと思えば、もう少し先にあるお寺、さらに先と欲張って、結局は訪ねる寺の数が多くなると、ブログに書くときには資料調べやなんやらで疲れてしまう。

 で、台風10号が去った
昨八月晦日、近場の散策をしたのをブログにしておいて、ブログ更新のクセをつけておこうと思ったのです。

 我が庵から歩いて13~4分のところに寶蔵院というお寺があります。
 そこに新しい友ができたので、様子を見に行くことにします。



 無人の小殿。我が庵の一番近くにある神社仏閣がこの天満宮です。

 お寺巡りをすることはあっても、神社には滅多に足を向けないのに、この天満宮に参るのは慶林寺参拝と並んで私の日課の一つです。この日もお参り。

 天満宮を過ぎると、緩い下り坂が始まり(急坂の径もあります)、下り切ると、富士川がつくった緩やかな谷が広がっています。
 人家もありますが、多くは畑と草叢です。



 坂の一つを下り切ったところ。

 右手に葛(クズ)が主体の草叢があります。蔓草の特性で、葛は絡まって上れる樹や電柱があれば、どこまでも上ろうとします。電信柱の支柱にへばりついて、ついに頂上を極めました。ガチャピン&ムックの巨大なムックみたい。ほとんど怪獣です。



 少し前、やはり寶蔵院に向かって歩いていたとき、草叢の向こうで「メェ~」という鳴き声がするのが聞こえました。こんなところに鳴き声の主がいるはずはなく、空耳かと思いましたが、一歩二歩と歩くと、やはり「メェ~」という声が聞こえます。

 歩く方向を変えて、声のするほうへ行ってみました。
 草叢を廻り込んだら……こんなん出ましたけど。



 別のところからも鳴き声が聞こえた気がしたので足を進めてみると、草叢に窪地のようなスペースがあって、なおもこんなんが二頭もいました。

 近くには農家はありますが、山羊、どころか、鶏を飼っている家すらありません。屋根もないここが山羊小屋であるはずはなく、翌日、翌々日と行ってみると、ロープが残されているだけで、姿はありませんでした。結局、この山羊たちがどこからきていたのか、わからずじまいです。



 怪獣のような葛の柱の足許に戻って、草叢を右に見ながら、富士川を渡ります。

 橋の長さは10メートルほどしかありませんが、この先合流する坂川が利根川を水源としているので、こう見えても一級河川なのです。

 いまの時期の富士川は夏草に覆われて、あまり川面が見えません。この川を渡ると、松戸市から流山市に入ります。



 富士川に沿った流山市側の田んぼ。すでに稲穂は頭を垂れています。



 栗林の栗もたわわに実を実らせ、台風の余波の強風にわさわさと枝を揺らせています。
 


 富士川の対岸も高台です。松戸市側はほとんど宅地化されてしまっていますが、こちらは雑木林の中。

 この径をこのまま進み、寶蔵院前も過ぎてさらに行くと、高台が切れるところに、いまは公園になっている前ヶ崎城址があります。

 流山市の施設案内によると、前ヶ崎城は、
「16世紀なかばに大谷口城の出城として築城されたといわれています」とありますが、別の資料には「1478年(すなわち15世紀)、太田道灌と長尾景春・千葉孝胤の争いに巻き込まれ、十一月三日に落城」
 という記述があります。

 施設案内の字数は限られていて、説明が尽くせないこともあるものですが、額面どおりに解釈してしまうと、16世紀なかば以前にはこの地に城はなかった、と理解する人もいるかもしれません。

 私が歩いている径については文献はありませんが、そのころ、すでに形づくられていた径ではないか、と聞いたことがあります。



 寶蔵院に着きました。

 山門横に建てられた標識には、
「創建は不詳。江戸時代初期の石造物がある真言宗(しんごんしゅう)の寺院。山号は開光山(かいこうさん)。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。巡拝塔群(弘法大師像88体)やサルスベリなどの保存樹木がある」
 とあります。 



 本堂左手に寺務所兼庫裏がありますが、無住のお寺なので、人の姿はありません。



 本堂前へ進むと、どこからか新しい友がスルスルと出迎えに出てきてくれました。
 頭頂部を柵にこすりつけて、歓迎のポーズです。


 この猫は「ママ」と呼ばれていて、呼び名のとおり、母猫です。
 
耳に不妊治療の施された印があります。猫たちの面倒を見ている近在のご婦人が病院に連れて行ってくれたのだそうですが、私はまだそのご婦人を見たことがありません。



 こちらは「シロ」(♂)。ママの子どもだそうです。



 五月ごろまではこんなのもいて、「茶々」と呼ばれていました。やはりママの子。

 三匹の中ではとりわけ警戒心が強いので、♀かと思っていたら、♂でした。

 ところが、このところ、とんと姿を見なくなりました。
 ときおり顔を合わせることのある男性によると、もう三か月も姿を見ていないということですから、私のカメラに収まった直後に姿を消したようです。

 誰かに拾われているのならいいのですが、警戒心が強かったところを思い返すと、そうそう簡単に人に心を許すとは考えられないので、心配です。



 かつてはこんなふうに三匹揃って食事をしていました。

「ママ」と「シロ」は真っ先に食べ出すのですが、「茶々」はいつでも逃げ出せるような姿勢を取りながら近づいてくるので、得られる分け前が尠いのです。
 二匹の猫が満足して首のあたりを掻いたり、顔を洗っているころには一所懸命食べ残しを捜しています。

 下が「ママ」。



 帰ってくると、アパートの入口にこんなものが転がっていました。
 まさかこんなところで羽化するとは考えにくい。台風の余波の強風で、どこかから飛ばされてきたのでしょう。

 先月の二十日ごろから風邪をひいています。
 風邪ひき慣れっこの私は、風邪をひくこと自体驚きもしませんでしたが、今回の風邪ひきで初めて体験したことは、眠れば眠るほど症状が悪化しているということでした。
 最初は、これまでのパターンと同じで、体調がスッキリしてきて、食欲も出たので、買っておいた握り飯を頬張る。そして薬を服んで午睡をとる。体調が悪くなっているとは考えてもみずに眠りこけています。
 そして目覚めを迎えると、ものすごい体調の悪さです。

 こうして、治りかけたな、と思いながら、いつの間にか深みに沈んでいる。
 週が開けてなお、よくなっていなければ、病院に行こうと思っているのに、月曜日になると、治ったかなと錯覚する体調。そして週が進むうちにいつの間にか深みにはまって行く。


 そんなこんなで、今日四日に到るも、咳と洟水に悩まされています。
 ブログも当日(八月晦日)は無理としても、翌一日には更新できると思っていたのに、今日四日になってしまいました。で、とくに理由はないのですが、更新の日時は一日のままにしておきます。