すっかり秋めいてきました。
とちのき通りのトチノキの落葉も盛んです。
おや、こんなところに、と思ってカメラのシャッターを押したときは、このようにわかりづらい画像しか撮れなかったとは思いませんでした。画像中央とその右、左下にある丸っこいかたまりが被写体です。
三年前、東漸寺付属の幼稚園と本土寺で見かけ、初めてその名を知った藪茗荷(ヤブミョウガ)です。
名前の由来となった、茗荷(ミョウガ)に似た葉はすでに枯れ落ちて、実だけが残っていました。
これがその実です。春になったら、庭に蒔いてみようと思っています。
久しぶりに日照時間の長い一日に恵まれました。九月、十月と曇りや雨の日が多く、秋晴れという、抜けるような空があったことを忘れるところでした。
衣替えの季節は過ぎかけているというのに、陽射しが尠なかったので、今朝は冬用の布団を干したり、こたつ布団を干したりしていました。
日課の慶林寺参拝はお昼ごろになってしまいました。
枇杷(ビワ)が実を結び始めていました。
いつもなら慶林寺に参拝したあとは、買い物をしたり、用をを足したりしてから帰るのですが、今日は買い物をする必要がなかったので、富士川べりへ遠廻りして帰ることにしました。
富士川左岸から眺めた東南方向の空です。
同・北方向(上)と西南方向。
いずれも上空には雲一つありません。
今日の船橋観測所の日照時間は八時間ちょうど、ということでしたが、私が棲む松戸市北部ではもっと日照時間が長かったように思えました。松戸には観測所がないので、正確な日照時間はわかりませんが……。
ただ、八時間だったとしても、それ以上の日照時間があったのは、十月になってから、今日を含めてたった三日しかない、という尠なさです。
これまで当たった試しのない十日間天気は二十九日、三十日と雨が降る予想をしていますが、いつもどおり外れて、晴れの日がやってくるとしても、今月は近来ない陽射しの乏しい月となりそうです。
富士川の流れも穏やかでした。
昨日までのグズグズした天気が嘘のような、久しぶりの晴れ間でした。それも結構長時間。結局、今日の日照時間は六時間と四十八分にも及びました。これは船橋のアメダスの記録で、松戸にはアメダスがないので、明確な数字はわかりませんが、私の印象ではもっと長く太陽が出ていたように思います。
七時間近い陽射しに恵まれたのは、今月の二日以来、な~んと十八日ぶりです。
今月二日から一日に六時間はおろか、五時間以上の陽射しがあった日は、というと、今日がやっと二日目なのです。例年九月、十月は雨が多く、陽射しも乏しいのですが、今年の陽射しの乏しさは異例です。
慶林寺上空も好天でした。
蜜柑が色づいてきました。いつだったか、参拝を終えて写真を撮ったりしていたのか、ウロウロしていたら、住持様が「もいで持ち帰ってくださって結構です」と言葉をかけてくださったことがあるので、もう少し色づいたら実行に及ぼうかと考えています。
慶林寺にも萩(ハギ)がありました。
去年は一種の狂い咲きで開花した参道入口の小彼岸桜(コヒガンザクラ)です。今年は例年並み。すなわち咲きません。
真っ赤に熟れた烏瓜(カラスウリ)。
午後になると、ほとんど快晴に近い空になり、夕方になっても晴。こんな三日月が出ました。
昨日の時点での今日の天気予報は終日曇。
十日間天気を視ると、明日十七日土曜日はほぼ終日雨。十八日は曇ときどき雨。十九日は曇のち雨。
衣替えに合わせて、こたつ布団や羽毛布団などをお陽さまに当てたいと思っているのですが、十月も半分が過ぎたというのに、一日じゅう陽射しに恵まれたといえるのは、十月の二日ただ一日だけでした。今年は例年以上に陽射しの乏しい十月です。
終日曇では今日も布団は干せぬのかとげんなりしていたら、お昼ごろには陽射しが出ました。
陽射しが漏れてきたあとはなんと一面の青空。鯖雲というのか、鰯雲というのか、薄い雲があるだけです。
コキアの色づきも濃くなってきました。
夕方になると、陽射しは遮られて、天気は曇、ということになるのでしょうが、雲の合間にはまだ青空が見えていました。
数分で雲の様子は変わって、雲と雲の間隔が開き、飛び飛びにある雲一つ一つがもう少し大きければ羊雲ということになるのでしょうか。
庵に帰ったあと、テレビで夕方のワイドショーを視ていたら、昨日の同じ番組で「明日は一日曇」と断言していた天気キャスター(♀)がなんら悪びれる様子もなく、「今日は思いがけず陽射しが出ました」といって、ヘラヘラ笑っていました。
聞くところによれば、雨と予想したのに、雨は降らず、曇や晴だったら、予報はハズレた、ということになるのですが、曇と予想したのに、晴れたときは「ハズレ」ではないそうなのです。
衣替えの時期、布団を干したり、夏掛けを洗ったりしたいのは私だけではないはず。晴なのか曇なのかは非常に大きな分かれ目です。
落語家の昔昔亭桃太郎師匠のマクラの一つに、当たらない天気予報を揶揄して、「気象庁職員の運動会は、雨で中止になった」というくだりがありますが、こういう揶揄を苦々しい思いで聞く関係者は尠ないのに違いない。それなのに、十日間天気とか二週間天気という、いってみれば神を畏れぬことをやっている。
毎月一日だけですが、薬師詣でに出かけて、それなりの距離を歩くことを使命にしている私には、その日が雨か雨でないかは大変重要な問題です。
その日が十日目に当たって予報が出たとき、前日が雨なのに、その日は曇っても雨ではないと糠喜びしていると、一日経つと雨、という予報に変わり、二日目三日目と経過しても雨だと変わらなかったのに、前日になると曇に変わり、現実に雨は降らなかった、ということはしばしばあります。その逆もまたしばしばありました。
と、いいながら、予報が出ればアテにし、参ったなと独りごちたりしています。当たるのならともかく、十日後や二週間後の天気を予想するのに一体何の意味があるのだろう。
以下は無茶振りです。
いつの間にか三十五年もの月日が経ってしまっていますが、天海祐希さんが宝塚を退団するとき、退団記念公演を取材に行ったことがあります。当人へのインタビューのあと、広報担当者と雑談を交わしました。
タカラヅカ、というより芸能ネタに興味のなかった私は、宝塚OGというと、大地真央さんぐらいしか知らなかったので、天海祐希さんは大地真央さんの域に達するほどの女優さんになれるのでしょうか、と訊ねました。すると広報担当者は間髪を置かず、「比較になりません」と断言しました。
どちらが大物になったかどうか。尠なくとも広報担当者の予言は間違っていなかったでしょう。比較すること自体ナンセンスであることは充分承知をしていますが、天気予報なんか比較にならぬほどむずかしいことでしょう。
こういう人を気象庁にスカウトしていれば、アンチ気象庁が一人は減っていたと思います。
今朝、六時半過ぎに目を覚ましたとき、カーテンのすき間から漏れる光がいつもより明るく見えました。
起き上がってカーテンを引くと、上空は曇り空であることには変わりはないけれど、四日前 ― 七日の正午過ぎから曇って以来、四日ぶりの青空と陽射しです。
台風14号は八丈島近くにあって、まだ我が地方に影響を与えるほどではありません。二十日ほど前の台風12号も肩透かし、というか、台風という名に値せぬ腰抜けで、フニャフニャと消えてしまいました。
理由の一つはジェット気流が予想に比べて南に下がったことだそうです。このため台風は早い段階から東寄りに進路を変え、陸地にはあまり近づきませんでした。 もう一つは太平洋高気圧の勢力が東に後退したことです。台風の進路を阻む高気圧の勢力が退いた分、関東の沖に達したあともあまり速度を落とさず、東に離れて行ったと見られます。
この青空は日課の慶林寺参拝に向かう途中、あと数分で慶林寺に着く、という場所でカメラに収めたものです。
数分後。慶林寺に着くころ、空は一面の雲に覆われてしまいました。観音像は本堂の横・10メートルほどしか離れていないところにあるので、上空は当然本堂と同じ。
朝、窓を開けると、どこからか漂ってくる金木犀(キンモクセイ)の香り。そういえば、今朝はその匂いを嗅がなかったような気がする、とふと思いましたが、外に出て見上げると、花はほとんど残っていませんでした。道理で、ほんの二、三日前までは径を歩いていると、そこらじゅうで芬々たる香りを嗅いでいたのが嘘のようです。
通りすがりにある一軒の民家。この画像の左上に、金木犀としては珍しい高木があります。落花がまるでオレンジ色の絨毯のようです。
これがそのキンモクセイ。花はほとんど残っていません。
雨です。
しかも、かなり強い雨。
新型コロナ禍は治まる気配を見せないので、今月の薬師詣では電車やバスに乗ることは諦めたほうがいいかと考えていました。三日前の五日には台風14号が発生して日本列島を窺う、というような状況も加わったので、小外出とはいえ、電車やバスに乗って出かけるのは完全にヤ~メタ、という気分です。
おまけに寒い! 十一月の寒さだそうです。
冷たい雨に打たれて、キンモクセイ(金木犀)の落花が盛んです。
歩く径々でも、ところどころで……。
慶林寺へは日課の参拝に加えて、薬師如来縁日のお参り。お賽銭をあげて、香炉の後ろにあるこの小鐘を撞きます。
観音像横にある蜜柑の色づきはまだまだ。
参道の牡丹臭木(ボタンクサギ)はそろそろ終活を迎えそうな花とこれから咲くぞという蕾が入り乱れています。
参道のハナミズキ(花水木)やら花桃の枝にはこんな大きな蜘蛛が巣を張り巡らせていました。
我が庭先に置いたプランターで栽培しているパセリに着くモンシロチョウの毛虫、パプリカにつくカメムシなどを見つけると、指弾鉄砲を発射させて弾き飛ばします。カメムシの場合は羽があるので、一度去ったふりをして、舞い戻っているものもいるかもしれませんが、かくいう私はハシクレとはいえ、一応仏教徒です。ゴキブリや蚊、小蠅のたぐいを除くと、殺してしまう、というのは躊躇します。洗濯物を干すのにb邪魔にならない程度に蜘蛛が巣を張ってくれたらいいのに、と思うのですが、なかなかうまくはいきません。
庵近くまで戻ってきたとき、道路で黄金虫がひっくり返って、ヤワヤワともがいていました。蝉も黄金虫も、ひっくり返って自分では起き上がれないようなときは、すでに弱っているときです。見て見ぬふりをして、通り過ぎようとしましたが、つと芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるインドの大泥棒・犍陀多(かんだた)のことを思い出したので、指でつまんで向きを変えてやったら、羽を開いて飛び去って行きました。
ちょっぴりいいことをした気分です。こんな些細なことでも、そういう機会を与えてくださったのはお薬師さんにお参りした功徳でしょうか。
空はすっかり秋です。
普段はほとんど足を延ばしてみることのない径。
一昨日の夕方、通りかかると、道路の一部が白くなっているのを見ました。花びらが落ちているということはわかりましたが、すでに薄暗くなり始めていた時刻だったので、何がどうなっているのかはしかとわかりません。
で、今日、陽のあるうちに確認しにきたわけです。
正体は白萩(シロハギ、シラハギとも)でした。手前の紫色は萩(ハギ)。
初めて見ました。
白萩の横には、我が庭にもあって見慣れたはずの小手毬(コデマリ)ですが、こんな時期に咲くのでしょうか。
一茎だけ残ったグランパンパス。
一面の彼岸花。ある民家の裏手です。
慶林寺参道のアメリカハナミズキ。
葉っぱはほとんど枯れています。
慶林寺にも萩があります。
夕方、富士川へ散策に出てみたら、野焼きがありました。
漂ってくる煙の匂いも秋です。