ぬぁ~んか、全然やる気が出なかったのに、突然高砂の寺巡りをしよう、という気になったのは、前日にふと天形星神社へ行ってみようという気になって、実際に行ったからかもしれません。
天形星神社は流山市にある、素戔嗚命を祀る神社です。私が日々の散歩で訪れる中では最も遠い部類で、歩くと四十分もかかります。ゆえに、プラッと行くわけにはいかず、「ヨッシャ」と思い立たないと行けません。
六年前、いまのアパートに転居してきた年の冬、付近の地図を見ていて、「天形星」などというおどろおどろしい名の神社があるのに気づいて訪ねたのが最初でした。
それ以来、しばしば訪ねているうちに ― しばしばとはいっても、往復するだけで一時間半もかかるわけですから、行くとしても年に二度、せいぜい三度くらいがいいところですが ― この神社をねぐらにしているらしい、野良猫の黒介と懇ろになりました。しかしテキは野良です。人知れずいなくなってしまったり、誰かに飼われることになったりして姿が見えなくなっても、私にはどんな理由で姿を消したのかわかりません。
そして、そういう日が突然やってきました。三年半前に姿を見たあと、見かけることがなくなったのです。最初こそおどろおどろしい名の神社がどんな神社なのかと思って行ったのですが、そこで黒介を見かけてからは、参拝が目的ではなく、黒介に会うのが目的で行くようになりました。行っても黒介はいないとなれば、行かなくなります。もともと私はお寺巡りはしても、神社への参拝はしないのです。
憂鬱だったのか、なんだったのか、今回ずっとやる気が出なかったことと黒介とはまったく関係がありません。何が原因だったのか、いまとなってはわかりませんが、夏風邪をひいたことも手伝ったのか、なぜか倦怠感に襲われていて、何もする気が起きなかったのです。
たとえば……。
パート先へは弁当を持って行くのですが、そのおかずにするのを兼ねて、煮卵と卵サラダをつくっておこうかと思い、卵を八個も茹でました。仕事ですから、やる気云々とは別で、決まった日には行かねばならず、行くためには弁当をつくらねばなりません。
パート先が駅のほうにあれば、途中にコンビニもあり、スーパーもあるので、そこで弁当を仕込んで行けばいいのですが、反対方向となると、スーパーやコンビニはおろか、何かを売るという店そのものがないのです。パートとはいっても、何時間も仕事をするのですから、弁当なしではつとまらない。よって、やる気が出る出ないの問題ではなく、弁当はつくらなければならないわけです。
そんなわけで弁当をつくろうとしていたのですが、相前後して、やはり弁当のおかずも兼ねて、アスパラガスの肉巻きをつくっておこうかと思いつき、アスパラガス二束と豚ロースのスライスと豚バラのスライスを買っておきました。
盛夏なので、冷蔵庫はいっぱいで、隙き間がありません。
豚肉だけはなんとか押し込みましたが、すぐ調理にとりかかるつもりだったので、茹で卵は雪平鍋で茹でてお湯を切ったあと、鍋に残したまま、ガス台の上に載せたままです。
アスパラガスも手つかずのまま、近くの台の上に置いてあります。
アスパラガスを買ったスーパーは、野菜に関してはあまりいい評判を聞かない店です。買ったじゃが芋を切ってみたら、真ん中に十字に酢が入っていたことがありました。ただ、買った当日にカットしたのではないことは確かで、何日後だったのか、定かでもないけれど、じゃが芋という根菜には短時間でそうそう酢が入るものだとは思えません。
豚肉も腐らせてしまっているのかどうかハッキリしませんでしたが、君子危うきに近寄らずと思って、処分することにしました。
そんな日々がつづいていたときに、どうしたわけか自分でもわからないのですが、天形星神社へ行ってみようか、という気になったのでした。
訪ねるのは二年半ぶりか三年ぶりか、とにかく久しぶりです。
いつであったか、ハッキリと憶えていませんが、前にもふれたように、最後に行ったときには黒介の姿はありませんでした。虚しく帰ってきて、もう一度様子を見に行ったかどうか。記憶はあやふやですが、仮に行っていたとしても、やはり黒介の姿はなかったはずです。そして、今回まで再び行くことはなかった……。
天形星神社に限らず、私が知っている野良猫たちにはそれぞれ結構な数のファンや取り巻きがいて、食べ物には苦労していないようです。黒介が誰かに飼われているのなら喜ばしいことです。
前のように四十分から四十五分かけて、神社に着きました。門前に消防団の器具倉庫があります。黒介はよくその前で眠っていたり、腹這いになっていたりしました。
と、その前で眠っている黒猫がいました。
まさか猫 ― それもかつて天形星神社を棲家としていた黒介と同じ黒猫がいるとは考えてもいなかったので、キャットフードなど持っていません。見た目は黒介と同じ真っ黒ですが、身体がひと回り小さいように感じられます。
ゆっくりと近づいて行くと、目を覚まさなくてもいいのに目を覚まして、一つ大あくびをしました。
カメラには収められなかったのですが、目覚めたあと、私の足許にまつわりついて、盛んにマーキングを試みました。
このころから、もしかすると、この猫は何かの事情で痩せたが、黒介なのではないか、という思いがしてきたのです。ただ、立ち上がった姿を見ると、やはり黒介より身体が細く、痩せたのではなく、骨格そのものが小さくて、ひと回り小さいような感じがしました。
けれども、黒介ではないとすると、野良猫が初対面の私の足許にまつわりつくような仕草を見せるものだろうか、という疑念が湧いてきます。
黒介ではなくとも、キャットフードの持ち合わせがあればそこに置いたでしょう。しかし私に親愛の情を見せてくれているようなのに、私には持ち合わせがない。申し訳ないような思いがして、その場から足早に立ち去ることにしました。
ふと振り返ると、私のあとを追うように参道をどこまでもついてきます。
途中から新しい相棒 ― この猫が黒介なら、ですが ― らしきキジトラも加わってついてきます。やはり黒介ではない。最後に黒介を見たとき、それまでずっと独りぼっちだった黒介に相棒ができていたのですが、その猫の毛並みは茶トラでした。
とにかく振り切って、拝殿に一礼だけして境内を出ました。
振り切ってから、餌をあげられなかったのは仕方がなかったのだから、しゃがみ込んで額のあたりを掻いてあげながら、「ごめんよ。来週、またくるから」 と伝えておけばよかった、と後悔しましたが、
しかし、即物主義で、餌を与えることによってのみ、相手の気を惹こうとする手法から抜けきれぬ私です。
境内を出ながら、どこかでキャットフードを手に入れよう、と考え始めていました。
天形星神社の周辺にはおよそ店といえるようなものはありません。しかし、三年半もきていないのだから、もしかしたら近くにコンビニでもできているかもしれない。そう思って、車の通行量の多い道に出ました。
県道276号線です。出てみると、道路沿いの風景はなんら変わっていないのがわかり、すぐにコンビニは期待できないと理解できました。
闇雲に歩いていると、スーパーを示す案内板が出ているのが目に入りました。スワ、と思いましたが、初めて入った店なので、どのあたりにキャットフードが置かれているのかわかりません。場所を捜し当て、買って戻るのに、二十五~三十分は費やしてしまいました。
息せき切って戻ってきたとき、鳥居の下で餌やりをしている母娘がいました。黒介、よかった、餌にありつけたか、そう思いながら廻り込んでみると、二匹の猫がいましたが、まったく違う猫でした。 キジトラもいません。
「黒い猫を見ませんでしたか?」と訊ねてみると、「今日はまだ見ていません」と母親らしき女性が答えてくれました。「出てくるとしても、もう少し遅い時間だと思いますよ」
消防団の器具倉庫の前を見てみましたが、姿がありません。
飼猫の一匹もいない家としては多過ぎるキャットフードが我が庵にはあります。ドライ、缶詰、パウチ等々。一匹の猫なら、一か月分は悠にありそうです。
これが黒介を見た最後の日の画像です。四年前、2012年の十二月四日のことです。
最後になるとは思わず、この日、持ってきたのは四袋が繋がって売られているドライフードの一袋だけでした。そのドライフードを置いたら、早速むしゃむしゃと食べ始めました。
その後、訪ねた折に、左の茶トラだけは見ました。私のことは覚えているような、いないような、あやふやな素振りでした。どこかに黒介がいるのに違いないと思って、しばらく佇んでいましたが、結局姿を見せることはなく、この画像の日が黒介を見た最後となってしまったのです。
夏風邪は治ったようですが、体力のほうはまだ充分とはいえません。