九日、十日と陽射しには恵まれましたが、ともに秋晴れの一日とはいえず、晴ときどき曇。翌十一日から昨十六日まで六日間の日照時間は〇・二、〇・〇、〇・〇、〇・七、〇・二、〇・三と、六日合わせてもわずか一・四時間しかありませんでした。
気づかぬうちにピラカンサスの実が生っていました。
実の生る前には白い花が咲く、と聞きましたが、私は見たことがありません。
我が庭の無患子(ムクロジ)です。
埼玉県上尾にある龍山院で実を拾ってきたのが八年前。
庭はあっても、アパート住まいなので、伸び過ぎると、二階の住人から苦情がきます。で、毎年毎年伐らなければなりません。
夏の終わりになると、不動産屋が草刈り人を寄越します。毎年、同じ業者さんがきてもよさそうなものなのに、毎年毎年見る顔が違います。「伐ってもいいですか」と訊く人と、何も訊かないけれども、下草だけ伐って、ムクロジは伐らずに残して行く人。
今年下見にきた人は本職は庭師とみえ、このムクロジと右下に写っている櫨(ハゼ)をちゃんと知っていて、「伐るのはもったいない」といってくれました。今年は4メートルほどの高さまで伸びました。
ムクロジの実を拾ってきたのと同じ年、近くで初めて見つけたムクロジの樹です。
今年も実をつけていますが、例年に較べると、数が尠ないように思えます。
ムクロジのある家から徒歩十分ほどの場所にある寶蔵院。
落ち葉に混じって、無数の銀杏(ギンナン)がありました。
こういう光景は毎年目にしていますが、銀杏を拾っている人は見かけたことがありません。
この寶蔵院から1キロちょっとしか離れていない香取神社にも公孫樹があって、毎年銀杏を実らせます。チャリンコなら六~七分です。一晩強風が吹いた翌日はこの寶蔵院と違ってチャリンコ部隊が押しかけ、落っこちた銀杏はあっという間に姿を消してしまいます。
我が庭の石蕗(ツワブキ)です。まだ花が咲きそうな様子は微塵もないのに……。
買い物や慶林寺参拝でほぼ毎日通る家の石蕗は昨十六日、ほんの数輪だけ咲き始めました。
別の家ですが、こちらも近く。我が石蕗はどうもおくてのようです。
今日は二十四節気のうち寒露です。
冷気によって、露が凍りそうになるころ、という意味ですが、十月だというのに、昨日の我が地方の最高気温は30・8度という真夏日でした。
薬師詣での日は電車に乗って少しの遠出をする前、地元の慶林寺に参拝し、お賽銭をあげて行くのですが、この日は出かける前に日常の買い物を済ませておく必要があったので、参拝のあと、買い物をして一度庵に帰りました。
改めて向かったのは埼玉県の越谷です。
武蔵野線で南越谷まで行き、東武線に乗り換えて二つ目・北越谷で下車しました。東口に出ましたが、訪ねる宝性寺別院へ行くのには、西口に出たほうがわずかながらも近かったのでした。
東武線の高架に沿って歩くこと十三分。宝性寺越谷別院に着きましたが、お寺らしき雰囲気がありません。本寺は栃木県の足利市にあります。
路地の入口に瑠璃光殿という標識があったので、真っ直ぐ進んでみましたが、仏殿という雰囲気が感じられません。これが瑠璃光殿なのでしょうか。それとも瑠璃光殿は別の建物なのでしょうか。あとで気づくのですが、実際に薬師如来をお祀りしている瑠璃光殿は前の画像・標識を左に入ったところにあったのでした。
前の画像では奥に見える民家風の家の左手に事務所(これも寺務所という雰囲気ではなかったので、事務所と表記しました)があって、出入りする女子職員の姿が見えましたが、どこかの事務所のような制服を着ていました。近くに二つの霊園があるそうなので、お寺というよりは霊園の受付事務所といった風情です。
ま、ここには薬師如来が祀られていなくても、足利の本寺には薬師如来がおわすのですから、「わたくし(お藥師さん)がいないところに参ってもらっても知らないよ」とはおっしゃらぬでしょう。ただ、賽銭箱は見当たらなかったので、集会所のようなこの建物の前で合掌だけして立ち去ることにします。
踵を返して、今度は北越谷駅の西口前を通過して行きます。
画像奥が東京方面。この高架に沿ってしばらくウロチョロします。
北越谷駅西口前から七分、弘福院に着きました。
本堂です。真言宗豊山派の寺院。創建年代は未詳とされています。本尊は阿弥陀如来。
弘福院から北越谷駅に向かって引き返し、照光院を訪ねます。
門前に大沢小学校創設の地という石碑がありました。学制が整備されて行く明治期は寺院が学校になったという例がよくあります。
本堂です。真言宗智山派の寺院。こちらも創建年代は不詳とされています。
次は二度目の参拝となる天嶽寺を目指します。
前回、越谷を歩き、天嶽寺を訪れたのは、七年も前、2011年の七月でした。薬師詣でをするためにきていたわけではなかったので、境内に薬師堂があるとは知りませんでした。
交通量の多い日光街道を渡ろうとしてキョロキョロしていたら、伽藍らしき屋根が見えたので、寄ってみました。
真言宗智山派の寺院・光明院でした。創建年代は不詳。「新編武蔵風土記稿」には薬師堂があると思わせる記述があるのですが、それらしき御堂は見当たりませんでした。
葛西用水を渡り、用水に沿った小径に入ると、御堂がありました。
標識らしきものが何もなかったので、なんだろうと近づいてみると、扁額には地蔵堂とありました。しかし、説明板のたぐいはなかったので、由緒などは不明です。
地蔵堂前の小径を進んで行くと、元荒川の河畔に出ました。奥に見える橋は天嶽寺の隣・久伊豆神社の真ん前に架かる宮前橋です。
天嶽寺は太田道灌の伯父といわれる専阿源照が文明十年(1478年)に開山。当時は小田原北条氏の城砦に用いられ、北条氏から寺領の寄進を受けていたといわれています。境内には脇にある駐車場を抜けて入ったので、この画像を撮影したのは立ち去るときでした。
山門。
中門。
本堂。
中門と本堂の間にある、薬師堂(右)と地蔵堂です。この前を通らなければ本堂には行けないので、前回きたときにも目にしていたはずですが、まったく記憶がありません。
天嶽寺と隣り合わせにある久伊豆神社。長い参道があり、前回参拝しているので、今日は注連縄だけカメラに収めて通り過ぎます。
今日の予定の最後は東福寺です。
前に越谷の寺社巡りをしたのは前述したように七年前です。それが「わずか七年」なのか「もう七年」なのかわかりませんが、その七年を隔てると、勘違いや記憶からこぼれていることがありました。
一つは久伊豆神社の前には元荒川を渡る宮前橋があるのですが、河畔に遊歩道があると勘違いしていたことです。その遊歩道を歩いて東福寺へ行き、さらに先に進んだと思っていたのですが、帰ってから調べてみると、宮前橋付近には遊歩道はなく、遊歩道を歩いたのは東福寺をあとにしてからのことでした。
また、東福寺は小高い丘の上にあって、山門前には石段があります。石段を上らなければならないというのは特徴の一つだと思えるのですが、まったく記憶にありませんでした。
一方、天嶽寺があるのはまったく平坦な場所です。こちらの伽藍配置はおぼろげながらも記憶にあったというのに、不思議なことです。
天嶽寺から十八分で東福寺に着きました。開創は鎌倉時代の文永年間(1264年-75年)。
本尊は虚空蔵菩薩です。これまでいくつの寺院を巡ってきたか、数え切れませんが、虚空蔵を本尊とする寺院は非常に珍しい。虚空蔵は丑年寅年の守り本尊です。
薬師堂です。「新編武蔵風土記稿」には「薬師堂」と記されているだけ。いまのところは他に資料もなく、どのような仏像が祀られているのかわかりません。
今日の予定を終えて越谷駅へ向かう途中。新平和橋から眺めた元荒川(画像上)。平和橋から眺めた葛西用水(下)。この地域では土手を挟んで二本の河川が併流しています。
薬師詣での日は、やはり佳きことがありました。
北小金~越谷(北越谷)の往復では、四回電車を乗り換えなければならず、これまでの例でいうと、武蔵野線から東武線に乗り換えるとき(その逆も)には随分時間が開くのですが、今日は行き帰りとも、プラットフォームに上がると電車がくる、というタイミングのよさでした。些細なことながら、お藥師さんの恩恵に預かることができました。
すっかり死語になった、と感じていた「台風一過」の青空が戻ってきました。
昔むかし……といっても、いつなのか、明確にはいえませんが、まあ、なんとなく昔むかし……の台風は上陸したり、日本列島をかすめたりすれば、大荒れに荒れはするけれども、過ぎ去ってしまえば、あとにはスッキリとした秋晴れの空を残して行く……。
しかし、最近の台風には台風の矜持、というものがない。
ところにより状況は異なっているのかもしれませんが、上陸前はさほどでもなかったのに、上陸後に強い雨が降ったり、いつまでもぐずついた天気であったりします。
ところが、今回和歌山県田辺市に上陸したとみられる24号は久しぶりに昔ながらの台風らしい台風でした。記録的な暴風をともなって、全国五五地点で最大瞬間風速が観測史上最大を記録したというのに、上陸後は速度を速め、スカッとした青空を残してさっさと退散してくれました。
日課の慶林寺参拝や買い物に行くときに歩く道では、払暁まで吹き荒れた風で、おびただしい数の金木犀の落花がありました。
普段は画像上の日陰になっているところを、右から左へ歩いて行くので、ここに金木犀があるとは気がつきませんでした。
ただ、匂いは馥郁と漂っています。日陰になったところを左へ歩いて行くと、高さ2メートルほどの金木犀があるので、てっきり匂いを振り撒いているのはその樹で、それにしても小さな樹がそこまでやるか、となかば感心しながら、歩いていたものでした。
そうではなかったのだと気づいて眺めてみれば、高さ10メートルはありそうな高木です。
慶林寺に向かう小径にもまだ若い樹のようですが金木犀があって、まばらながらも絨毯が敷かれていました。
好天下の慶林寺。
雲一つない快晴 ― と、いいたいところですが、たまたま観音像の上空には雲がなかっただけで、二つ三つ小さな雲はあったのです。
参道のハナミズキ(花水木)の実が紅く色づいてきました。
台風がくる前、確かもっと葉っぱがあったように思いますが、強風でほとんど剥ぎとられてしまったみたいです。
柿の色づきも少し濃くなりました。
夕暮れにはこんな鱗雲が出ました。