桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

菖蒲華(あやめはなさく)

2018年06月27日 23時13分39秒 | 風物詩

 夏至を過ぎ、昨日から来月一日までは七十二候の一・菖蒲華(あやめはなさく)です。
 この季節がくると、毎年不思議に思うのは、他の七十二候を見たとき、たとえば
桜始開(さくらはじめてひらく=春分次候)にせよ、玄鳥至(つばめきたる=清明初候)にせよ、事象が大体時節と一致しているのに、菖蒲華だけかなりずれていることです。
 六月の終わりといえば、菖蒲(アヤメ)は花咲くどころか、とっくに花期を終えていて、一輪だに見られません。咲いているとすれば花菖蒲ぐらいで、それすら最盛期は過ぎています。無理をすれば六月終盤でも花期といえなくはありませんが、花菖蒲は花菖蒲であって、アヤメではありません。
暮らし歳時記」というサイトには、「端午の節供に用いる菖蒲(しょうぶ)ではなく、花菖蒲のことです」とありましたが、どちらにしても、花そのものはすでに最盛期を過ぎているのですから、ピントがズレています。

 十日近く前の十八日、葛飾区にある水元公園へ花菖蒲を見に行ってきました。



 園内にはこんな掲示があって、花の大きさに大中小の三種があるといわれても、並んで咲いているわけではないから、比較のしようがありません。
「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句があって、どちらも甲乙つけがたいほど美しい、という意味で用いられますが、もう一つには見分けがつけにくい、という意味もあるそうです。ただ、花の咲く時期が異なり、咲く場所-乾いた土地か湿地か-も異なるので、実際には見分けがつけにくいということはないようです。

 ショウブは漢字で菖蒲と書き、アヤメも漢字で書けば菖蒲です。

 本家である中国の宣明暦の七十二候では菖蒲華ではなく、「蜩始鳴」といって、蝉が鳴き始める季節といった意味ですが、このところ、いくら暑くなったといっても、蝉が鳴くというのは
いかにも早過ぎます。田んぼで蛙は鳴いていても、まだ蝉の声は聞こえません。

 

 最盛期は過ぎたという説明でしたが、花の数は充分にあり、眼の功徳になりました。



 園内ではこんな出で立ちのお嬢さん(?)が枯れた花を摘み取っていました。

 花を摘み取るのは、そのままにしておくと、種ができてしまい、すると養分がそちらに吸い取られて、株自体が疲れてしまうからだそうです。

 今日二十七日は私の月誕生日なので、午前中に東漸寺へお参りに行ってきました。



 山門から境内を望んだ一枚です。



 山門から200メートルほど進むと仁王門。仁王門をくぐりながら中門に当たる中雀門を眺めた境内の景色です。



 東漸寺にもそこここに紫陽花があります。



 本堂。本尊は阿弥陀如来です。



 十五日と今日二十七日は本堂だけでなく、東漸寺開山の經譽愚底(きょうよ・ぐてい)上人の墓所にも参拝します。
 暑いので、お墓に冷たい烏龍茶を、と思って用意しておきながら、さて、出かけるかと腰を上げたとき、トートバッグに入れるのを忘れました。最近こんなことが多くなってきました。

 朝から強風です。この日、我が地方の最大瞬間風速は15・6メートルを記録しました。



 東漸寺の杉の林が、折からの強風に煽られて、ザワザワと騒ぐ様子を撮ったつもりなのですが、動画ではなく静止画では、ただ樹と空を撮しただけに終わってしまいました。



 帰りは少し足を延ばして、近くにある田んぼへ蛙の声を聴きに行きました。
 ひところはあっちでゲロゲロ、こっちでゲロゲロと結構騒々しかったのに、久しぶりにきてみれば、ひっそりとしています。
 それもそのはず、田んぼの水がなくなっていました。



 こちらはまだ水が残っていましたが、蛙が棲息するのには不充分だと思われます。

 さらに足を延ばして、富士川の支流・平賀川へ半夏生の群落を見に行くことにしました。
 来月二日から七夕(立夏)までが七十二候の一・半夏生。



 半夏生。正しくはカタシログサ(片白草)。
 表(片一方)だけ白くなるので、この名があります。
 今年は何もかも例年より早いみたいですが、例年だといまの時期は葉っぱの三分の一ほどしか白くなっていないはずなのに、今年はすでに全面的に白、という葉が多いようです。

 七十二候でいう半夏生とは、この片白草のことではなく、半夏という草が生ずる季節、という意味。その半夏とはカラスビシャク(烏柄杓)のことです。
 私はまだ実物は見たことがないので、画像のストックもありませんが、笛を吹かれて踊り出すコブラのような、じつに奇妙奇天烈な姿をした草です。

 片白草は葉っぱが白くなって行くのが、まるでおしろいを塗って化粧をしているようだと解釈され、ちょうど半夏が生ずるころにお化粧をするというので、半化粧転じて半夏生と呼ばれるようになったという説があります。

 こうしてつらつら考えていると、夜の暑さも手伝って、眠れなくなりそうです。


2018年紫陽花日記(8)

2018年06月24日 21時06分06秒 | 

 流山・前ヶ崎のあじさい通りに紫陽花を見に行ってから、十日近く経ったのと、あとそうそう見に行く機会はないだろうと思ったので、行ってみました。



 雨上がりの朝です。まだ朝霧が残っていました。



 日曜日でしたが、まだ時間が早かったのと雨上がりだったので、無人のあじさい通りです。
 この先に一人、三脚を立てたカメラを構えている人がいただけでした。

 


 アナベルをはじめとして、手鞠咲きと呼ばれる種類の紫陽花はどれも雨に打たれて、こうべを垂れています。



 ベンチもまだ濡れていました。

 


 下は九日前、今月十五日に撮った画像です。それに較べると、花の賑わいが少し寂しくなっています。

 


 まだこんな蕾もありますが、全体的にピークは過ぎたようです。

 


 九日前、まだ花だった無患子(ムクロジ)は実を結びつつありました。


2018年紫陽花日記(7)と蓮の花

2018年06月19日 22時50分58秒 | 

 今日一日だけみたいですが、朝からこんな夏空が戻ってきました。



 正午近くになると、気温は六日ぶりに25度を超え、三時過ぎには最高気温27・2度を記録。



 昨十八日は観音菩薩の縁日だったので、東漸寺の本堂と観音堂にお参りしてから、ここ慶林寺にきて、本堂に参拝。そのあと観音菩薩に参拝してお賽銭をあげました。



 今年最初の蓮の開花です。



 門前のオタフクアジサイは日々ピンクの色づきが進んでいます。

 


 参道中ほどの紫陽花。



 参道入口で咲く青色のオタフクアジサイ。



 ひっそりと姫檜扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)も咲いています。
 明日からまた雨。それもかなり強く降るようです。


2018年紫陽花日記(6)

2018年06月15日 17時36分47秒 | 

 雨の降り出す前に流山・前ヶ崎のあじさい通りと東部あじさい苑を見に行ってきました。



 田んぼには案山子が立てられました。



 北側からあじさい通りに入ると、最初に目に入ってくる光景です。ここから国道6号線に近い東部あじさい苑まで歩いて行きます。



 もともと大きくて派手なアナベルですが、これは特段に大きい。

 


 慶林寺にあるのと同じ渦紫陽花がありました。

 
 
 
 
 


 平日のわりと早い時間だったし、午前中に雨が降り出す、という天気予報を慮ったのか、長さ250メートルほどの通りで行き交ったのは三人、二人、の二組五人だけ。



 あじさい通りから250メートルほど歩くと、流山東部公民館があります。道路を挟んだその前が東部あじさい苑。

 
 
 

 あじさい通りに較べると、咲いている花の数が尠ないようです。
 東部あじさい苑で行き交ったのは二人組が一組だけでした。

 
 

 キウイはこんな感じ。



 夏を象徴する花の一つ、ノウゼンカズラ(凌霄花)が咲き始めていました。

 
 

 ムクロジ(無患子)の花はいまが花盛り。花盛り、と表現できるほど華やかな花ではありませんが、一応花盛りです。


蓬(ヨモギ)の種を播く

2018年06月12日 22時40分56秒 | つぶやき

 十日、十一日と梅雨が戻ってきました。
 梅雨が舞い戻る前の九日、我が地方は最高気温32度という真夏日。
 と、思えば、翌十日は同21・5度、十一日は同20度。温度差10度以上というヒートショックに見舞われて、身体は油の切れたロボットさながらに、ギクシャクしています。



 縁側に腰をかけ、小雨の降る音を聴きながら、こんなものをつくりました。
 といっても、この画像だけでは何がなんだかわかりませんね。

 二つのプランターを苗床にして、蓬(ヨモギ)の種を播いたのです。
 庭に直播きにするか、プランターを用意するか、どうしようか、と悩んだ挙げ句、直播きをしたのでは育たないような気がして、プランターに播くことにしました。

 今月の初め、何気なく視ていたテレビ番組で、ヨモギの葉に血管を若返らせる効能があるのを知りました。
 よそ見もせずに視入ってしまうテレビ番組というのはあまりありません。何をしていたのか憶えていませんが、この番組も何かをしながら視ていたはずです。なので、ところどころ記憶が途切れています。

 画面には鹿児島県徳之島の伊仙町に棲む老嬢が映し出されていました。
 摘み取ったヨモギの葉を急須に入れ、熱湯を注いでいます。こうして煎れたヨモギ茶には、血管を若返らせる力があるというのです。
 高血圧持ちの私は、血管や心臓になにがしかの効果があると聞くと、すぐ飛びつきたくなります。しかも、ヨモギなら、どこにでもある、というイメージがあります。

 私が暮らしている地域は、田んぼあり、畑あり、雑草地あり、川あり、林あり……という田園地帯が近くにあるので、それこそどこにでもありそうです。
 ところが、この番組を視たあと……いざ、捜してみると、意外に見つからない。
 やっと「あった」と思って腰を下ろし、指でつまんでじっと見てみると、「これ、ほんとうにヨモギかな?」と自信がなくなる。水仙をニラ(韮)と間違えて食べ、食中毒を起こしたというニュースがチラと頭をかすめたのです。

 ニラを常食文化にしている私にしてみると、ニラと水仙では葉の形が似ても似つかないだろうと思えるし、触れてみなくても見た感じだけで、ゴワゴワとした水仙と、しなやかで、色も濃い目のニラとでは、おのずと違いがわかりそうなもの、子どもでもわかるような、そんな違いがわからぬとは……ということになるのですが、それは私がニラを欠かさず手許に置き、なかば自家薬籠中のモノとしているからであって、ヨモギに関しては素人の私の場合、似ている草があったら、ノー天気に引っこ抜いて持ち帰るかもしれない。
 それをお茶にして飲んだり、天麩羅にして食べたりして、ゲーゲーだけで済むだけなら救われるが、ある日、だれかに気づかれるまで、孤独死をしていたということにもなりかねません。

 

 数日前の散策途中、ヨモギ(であろう、と思われる草)の葉を四か所で採取してきました。画像上が葉の表、同下が裏です。
 コンパクトデジカメを使った撮影なので、形はともかく、葉の表の色の違いはないように見えますが、実際は淡い緑色から濃い緑色まで少しずつ違うのです。

 植物図鑑に記されている「ヨモギ」の見分け方のポイントは、葉のギザギザの切れ込みが鋭い、というのが一つ。それに従えば、いずれも鋭いといえば鋭い。
 見分け方のもう一つは、葉の裏が白いということ。
 採取してから時間が経っていたのと、やはりコンパクトデジカメのせいで、葉の裏は白くは見えないかもしれませんが、採取したときは四枚とも白かったのです。



 枝垂れ桜とかミモザとかスモークツリーのように、新しい樹を見つければ、「おっ、あった!」と小声で叫んだりするような植物ではないので、いちいち気に留めていなかったということもありますが、ぼんやりとした記憶ではありますが、生えている場所は何か所か確かに見ているのです。

 ただ、柔らかい土に生えているというのはあまりなくて、生えているとしても、大概はアスファルト舗装と土の境ギリギリ。アスファルトの下に根を伸ばしているので、スコップを持って行っても、土のほうから掘り返し、根っこを傷つけないように、すんなりと抜く、というのは結構むずかしい技とみえます。
 やっと見つけた場所で、しばし眺め下ろしたあと、太くて丈夫そうな一茎をつかんで、グイと引き抜いてみました。グイグイと力をこめると、抜けましたが、土はつかず、ひげ根はあちこちで分断されてしまいました。

 そこで、苗が手に入らぬかと思って、アマゾンで捜してみました。
 ヨモギのお茶とか粉末というのなら結構あって、簡単に入手できそうです。
 しかし、苗の鉢植えというと、ヒットしたのは一つだけ。それも「琉球ヨモギ」とありました。日本のヨモギとどのように違うのかがわかりません。
 観賞用にほしいのではないから、日本のヨモギとはどのように異なり、どのように似ているのかを知りたかったのですが(あるいは食用に適す、という一語でもあれば)、生憎その手の説明は何もなかったので、購入は断念。

 
では種か、となりますが、種となると、今年収穫することは諦めなければなりません。しかし、ほかに手に入れる手段はないとなれば……と、これもアマゾンで捜してみました。ヨモギを栽培してみようなどという酔狂な人は尠ないのか、これもヒットしたのは一つだけでした。



 注文して三日目。クロネコメール便で、こんなのが届きました。右の小さなチャック袋に入っていて¥288、送料は¥199、〆て¥487。
 種、というより綿毛です。

「60粒」とマジックペンで手書きしてありますが、ちゃんと60粒あるのかどうか、数えるのは不可能だし、私としては正しく60粒なければ困る、というものではない。極端なことをいえば、100%発芽してくれるのであれば、1粒だって構わないのです。

 画像にある袋の左下は、たまたまもつれて固まっているだけで、袋全体に散らばっている小さきもの一つ一つがヨモギの種なのです。
 ブログに載せるために画像を撮るのに当たって、左上
にバジル、下にコリアンダーの種を置いてみました。ヨモギの種がいかにはかない感じであるか、比較させたのです。
 ノギスで計ると、コリアンダーの種の直径は2ミリ強、バジルは1ミリあるかないかです。それに較べると、ヨモギは遥かに小さくて頼りない。

 さて、プランターの土に溝を掘り、播いてしまうと、本当に播けたのかどうかがわからない。土をかぶせ、注ぐ水で掘り返してしまわないように、ゆっくりゆっくりと水を注ぎますが、土の隙間から浮き出てしまったとしてもわからない。ただ無事土の中に収まって、芽を出してくれるのを祈るのみです。

 こうして、どうなるかわからないヨモギの種を播き終えたあと、ふと同じような体験をしたことがあったな、と思い出すことがありました。

 シロバナタンポポ(白花蒲公英)のことです。
 シロバナタンポポとは日本固有の蒲公英で、普段私たちが目にする、花の黄色いセイヨウタンポポ(西洋蒲公英)とは違って、名前のとおり花が白いのです。
 参考までにその画像を載せておきます。



 柏市に東海寺というお寺があり、その境外地にシロバナタンポポの群生地があるのですが、六
年前の四月に訪れたときに撮影したものです。対比させるように撮った画像ではありません。たまたま右下に写ったのはセイヨウタンポポです。写真を撮るだけでは飽き足らず、我が庵でも咲かせてみたいと思って、すでに花の命を終え、綿毛になったところを一掴み摘んできました。

 意気揚々と帰ってきて、今回のヨモギと同じようにプランターに播きました。

 いまはどこかに転居して、いなくなってしまいましたが、当時、近所には妙に花や樹木に詳しい事情通が棲んでいました。
 私が綿毛を播き終えて、ジョウロ片手にしゃがみ込んでいたところを通りがかり、「何をしているのか?」と訊くので、かくかくしかじかと答えたのですが、いきなり講釈をぶたれてしまいました。
 つまりタンポポのたぐいが何億、何十億と飛ばす綿毛が次々に芽吹いたらどうなるか、というのです。綿毛の一つは、あるいは川に落ち、あるいはアスファルト舗装の道路の上に落ちて朽ち果てる。無事土の上に落ちた綿毛があったとしても、虫に喰われたり、水分がなかったりして、芽吹かない。そういうことがなければ、地球上はタンポポだらけになってしまう。
 すなわち、綿毛を播いたところで、芽吹かぬと知るべし。本気で栽培したいと思うなら、株ごとかっぱらってくるべし。そうしても、土が合わなかったりして、育つかどうかはわからない。

 事情通が予言したとおり、私が播いた綿毛が芽吹くことはありませんでした。

 いまの時節、ヨモギと同じキク科の野芥市(ノゲシ)や野薊(ノアザミ)が盛んに綿毛を飛ばしています。確かにこれらが全部芽吹いた日には地球上は大変なことになる。
 事情通が健在で、また私がしゃがみ込んでいるのを見たら、鼻先で笑われそうです。
 しかし、事情通の鼻先をを欺いて、一茎でも二茎でもいいから、芽吹いてくれるのを楽しみに待つことにします。



 午前中、プランターに土を入れたり、種播きをしたりしていたので、慶林寺参拝はお昼近くになりました。
 雨の日でも、日課にしている慶林寺参拝は欠かしません。
 買い物だけであれば、雨の日に出かけるのは気が進みませんが、慶林寺に出かけるのは気が進むか進まぬかという問題ではないので、歩けないような体調でない限りは出かけ、するとついでに買い物もできます。

 昨日(十一日日曜日)の夕方、テレビ朝日系列で放送されている「相葉マナブ」で、万能ニラダレを識ったので、参拝の帰りにはニラを買って帰りましょうと思いながら、出かけています。我が庭で栽培しているニラは先日収穫してしまったばかりなので、在庫がありません。

 今年の冬、ニラのみならず、葉物野菜の多くにはべらぼうな値段がつけられていました。ニラも一束¥300と異常な値をつけたことがありましたが、このところは¥50から¥70と安定してきました。
 近くのスーパーに寄ってみると、二束¥99だったので、四束買うことにしました。一束は万能ニラダレ、残り三束は刻んだ上に冷凍保存に廻し、おいおい焼きうどんに使います。

 


 慶林寺門前のオタフクアジサイはピンクの色づきがはっきりしてきました。



 参道中程の手鞠型紫陽花。雨に打たれて花が重そうです。



 参道入口の紫陽花。



 参道入口にもオタフクアジサイがあります。こちらはブルー。



 萼紫陽花も雨に打たれて、うなだれています。


2018年六月の薬師詣で・市川市

2018年06月08日 23時59分04秒 | 薬師詣で

 七年前の一月八日から毎月八日に始めた薬師詣では、今月で九十か月目(十二日の縁日にも詣でた月が二度あるので、回数にすると九十二回目)となり、参詣したお寺や御堂は延べ二一七か所となりました。

 一昨日六日、関東地方は梅雨入りしたばかりだというのに、翌七日は午前中から晴れ上がって、明日九日は曇。雨とはしばらくご無沙汰のようです。

 意外に近いところに薬師如来をお祀りするお寺があったのに、見落としていたところがありました。市川市の国府台というところにある天台宗の泉養寺です。

 見落とし、というのは、私にとってもう一つの意味があります。
 それは20011年十一月のことですから、薬師詣でを始めた年のことです。
 この十一月の八日は、薬師詣でで同じ市川市内にある下総国分寺と宝珠院に参拝したあと、周辺をグルリと巡り、帰りのバスに乗る直前、根本寺、即随寺、西棲院、中原寺と拝観しているのですが、すぐそばに薬師如来をお祀りする泉養寺というお寺があるということにはまったく気がつかなかったのです。
 どんな地図を手に歩いていたのか、いまとなっては知るすべはありませんが……。

 北小金の駅が間近になったとき、ちょうど電車がくる時刻になっていたので、慶林寺参拝は帰ってきてからにすることにして、電車に乗ることにしました。



 松戸駅で降りて、西口のバスターミナルに向かいます。
 松戸と市川は隣り合わせ。ともに人口五十万近い都市同士だというのに、中心となる駅を直接結ぶ鉄道はなく、公共交通はバスしかありません。
 ただバスの便はさすがに多く、日中でも六分置きという短い間隔で市川駅行の便がやってきます。



 乗車十五分で栗山バス停に着きました。
 この栗山という土地は松戸市ですが、バス停の時刻表を撮ろうとカメラを構えている私の背中のすぐ後ろは市川市です。バスが走っているのは通称・松戸街道。千葉県道1号線です。



 目指す泉養寺があるのも市川市。バス停のすぐ横に泉養寺の瑠璃殿がありました。
 ここに阿弥陀如来を中心にして、薬師如来など十三佛が祀られています。ただ、木柵で遮られているので、近づけませんし、近づけたとしても、中を窺うことはできないようです。



 バス通りに戻って先に進むと、泉養寺の山門があり、左手奥に本堂がありました。
 創建は慶長年間(1596年-1614年)、開基は深川八郎右衛門という人。創建の地は江戸・深川(現在の森下一丁目あたり)です。
 八郎右衛門は摂津国の人。小名木川北岸の埋め立てに従事した人で、家康から「そのほうの苗字をとって、この地を深川と名づけよ」と許されて、深川という地名が誕生したとされています。



 本堂と向かい合っている深川稲荷。



 本堂右前にある無量殿。阿弥陀如来を祀っています。




 本堂前左手奥=不動堂前にある芭蕉塚。
 寛保三年(1743年)、芭蕉の五十回忌に江戸中期の俳人・田中千梅(せんばい:1686年-1769年)が建立。関東大震災で崩壊。

 この日、薬師詣でで訪れるのは、ここ泉養寺だけです。
 体調と陽気を睨み合わせながら、ともに上々なら、参拝したあとは近くにある総寧寺と弘法寺も訪れてみようと考えていました。
 近く、とはいっても、泉養寺から総寧寺までは歩いて二十分、弘法寺まではさらに二十分かかります。



 泉養寺の隣には回向院市川別院があります。
 境内に入ると、門前を交通量の多い松戸街道が走っているとは思えない、静寂さと空気の瑞々しさです。



 回向院市川別院本堂。
「千葉県浄土宗寺院誌」には、「大正十二年九月一日の関東大震災によって、東京両国回向院の墓地が被害を蒙ったので、墓地新設の特別計画を進行するにあたり、従来墓地を求める檀徒の希望もあり、市川国府台の現在地に、東京都江東区の専受院も合併して、昭和四年(1929年)六月、回向院第二一世住職・本多浄厳上人により創建せられたものである」と記されています。


 
 回向院をあとに松戸街道を南下して、国府台病院前の信号を右折すると、右側に見えてくるのがこの式正織部流茶道の門。



 里見公園につづく参道のような道。

 回向院前から二十分足らずで、總寧寺に着きました。

 

 総寧寺山門。
 このお寺に参詣するのは初めてではありません。九年前の八月三十日に訪れています。その日は途中から雨が本降りになったので、足早に駆け抜けてしまいました。じっくりと拝観させていただくのは初めてです。

 

 総寧寺本堂。
 永徳三年(1383年)、近江国観音寺城城主・佐々木氏頼により、永徳三年(1383年)、通幻禅師を開山として近江国(滋賀県坂田郡近江町)に創建、天正三年(1575年)、現在の千葉県関宿へ移転しました。しかし、関宿の地はしばしば水害を被ったため、寛文三年(1663年)、徳川四代将軍・家綱に願って当地に移りました。江戸時代には下野の大中寺、越生・龍穏寺とともに全国の曹洞宗寺院を統括する「関三刹」の一つに任ぜられ、末寺三千余寺を擁していたといいます。



 我が宗派のお寺なので、歴住の墓所に参拝しましたが、まだ新しそうな卵塔が一基があるだけでした。



 墓所の外に歴住のものと思われる卵塔が並んでいました。



 その一つに近づいてみると、「英山鐵雄上座位」と読めましたが、両隣や後ろの卵塔はどれも摩耗してしまって読めません。
 つぶさに見て廻ることができたら、ほかにも判読可能な卵塔があったのかもしれませんが……。



 こんな掲示があったので、気づかぬふりをしてまで近づくのは遠慮しました。

 総寧寺をあとに弘法寺を訪ねます。
 再び松戸街道に戻って南下をつづけます。里見公園の入口には東京医科歯科大学の教養学部があり、その先には和洋女子大学があるという文教地区です。



 松戸街道はその先を流れる真間川に向かって下りになります。下り始めるあたりで左に折れると、緩いながらも上り坂。



 總寧寺から二十分強歩いて、裏から弘法寺の境内に入りました。赤門と呼ばれています。



 弘法寺本堂。
 略縁起によると、奈良時代、行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺が始まりで、その後、平安時代に弘法大師が七堂を構えて「真間山弘法寺」とし、さらにその後、天台宗に転じたとされています。
 建治元年(1275年)時、住持だった了性が日蓮の弟子で中山法華経寺の開祖・日常と問答の末に敗れて、天台宗から日蓮宗に転じ、日常の子で六老僧の一人・日頂を初代の貫主としたと伝えられています。
 室町・戦国時代には山下に真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展し、賑わいをみせました。元禄八年(1695年)には水戸光圀も来訪したといわれています。



 鐘楼塔。



 仁王門。
 


 先の仁王門を写そうとカメラを構えている私が背負っている景色はこんな絶景です。真下には山門から数十段の石段があって、高所恐怖症持ちの私にはとても上ることはできません。



 山門前にある小林一茶の句碑。

 真間の継橋と手児奈霊堂は近いのですが、今回はパス。



 松戸街道に戻り、真間山下の停留所から帰りのバスに乗ります。



 地元に戻ってきて、慶林寺に参拝。これで今月の薬師詣でも無事終了しました。

 
 

 慶林寺門前のオタフクアジサイは色がかなり鮮やかになってきました。



 参道入口にもオタフクアジサイがありました。


2018年紫陽花日記(5)

2018年06月04日 23時30分25秒 | 

 今朝は七時台という、私としては早い時間に、日課の慶林寺参拝を終えました。このところ、目を覚ますのは大体五時台ですが、すぐには布団から離れられず、ようやく起き上がることができるのは六時半から七時過ぎという状態がつづいていたので、七時台に外に出ているというのは異例です。
 起き上がっても、食欲はほとんどありません。ようやく腹が減ったな、と感じるようになるのは九時過ぎ。

 


 慶林寺の参道の中ほどで咲く紫陽花。この場所は一日を通して陽はあまり当たりません。



 背中合わせの場所にある紫陽花です。朝から燦々と陽が当たっているのに、株の種が違うのか、開花は陽の当たらないほうが早いようです。



 朝から真夏を思わせるような陽射しと暑さです。

 梅雨入りも間近と思われるので、流山・前ヶ崎のあじさい通りを見に行くことにしました。



 流山のあじさい通りに行くのには、我が庵からだと、台地を下って富士川を渡り、また台地を上って再び下ります。結構急な坂を上り下りしなくてはなりません。

 

 テレビニュースでは鎌倉・明月院の紫陽花は満開と報じていましたが、こちらはまだ満開というのには程遠い。

 あじさい通りを歩き終えたところから250メートルほど、歩いて三分のところにある、東部あじさい苑も見てみることにしました。



 あじさい通りからはこんな小径を抜けて行きます。
 いまの時期、私にはもっとも苦手な蛇が出そうな雰囲気です。



 こちらも開花はいま一つでした。



 先のあじさい通りに較べると、規模は半分ほどしかありませんが、こんな階(きざはし)が何か所かあって、上れば上から花を見下ろすことができます。



 この東部あじさい苑を歩いているころの時刻は午後二時半過ぎ、我が地方の気温は今年最高の29・7度を記録していました。

 

 あじさい通り近くにあるキウイ畑。キウイは青梅をひと回り小さくしたほどの大きさになりました。