昨日、夕映えの富士山を見ました。
私の勤め先近く、高いところに上がって西南西の空を眺むれば、総武線市川駅前のツインタワーの右に見ることができるのです。
毎年、冬になると富士を望むことのできる日が多くなります。ことに今冬は晴れの日が多く、出勤時は、今朝は富士が見えるのではないか、と愉しみにしながら勤め先に向かうのです。
ところが、今年の晴天は上空には雲一つないというのに、西方の地平線近くには必ず雲があって、なかなかお目にかかることができませんでした。
二十日も前の一月十四日。やはり夕暮れの中で見たのが最後になっていました。
昨日は出勤時にも見ることができました。可視部はすべて雪に覆われた富士は威風堂々としていて、さすが、と思わせます。
昼食を買いに行くとき、カメラをポケットに忍ばせて出ましたが、あいにく雲が出て見えなくなっていました。
そして夕方……。
真っ赤な夕焼けでした。夕映えの中にくっきりと浮かび上がる富士が見えました。朝と同じように、圧倒的な存在感はありますが、夕暮れのせいか、なんとなく物悲しい気分が押し寄せてきます。
夕映え……をイメージすると、私はいつもリヒャルト・シュトラウスの歌曲集「4つの最後の歌」の中の第4曲「夕映えの中で(Im Abendrot)」を思い出します。
歌詞はドイツ語なので、どんな内容なのか理解できませんが、メロディを聴いているだけでも、深く沈み込んで行くような気持ちになる歌です。
かといって、陰鬱になるばかり、というのではありません。無情や後悔、反省、そしてほんのちょっぴりの希望と、人生そのものを考える(ような)気持ちになるのです。
これがリヒャルト・シュトラウス最晩年の作曲というのを考慮すると、さらに考えが深まって行く(ような)気がします。
実際は(ような)気がするというだけで、何一つ変わりませんのですが……。
あまたのソプラノ歌手が歌っていますが、誰の歌でもいいというわけではありません。私が思い浮かべるのは常にルチア・ポップの歌声と五十四歳で亡くなってしまったという生涯です。
スロヴァキア出身のソプラノ歌手です。闘病空しく癌で亡くなって、今年で十七年になります。
亡くなる半年前に録音した、とされているのが「4つの最後の歌」です。恐らく闘病中の録音、むろん人生最期の録音になったのだろうと思います。
ルチア・ポップが最期にこの歌を歌おう、歌いたい、と望んだのはすごく象徴的で、同時に人間の意志の尊さを感じます。
楽曲は「春」「九月」「眠りに就く時」「夕映えの中で」の、いずれも死をテーマにした4曲で構成されており、第1曲から第3曲までの詩はハインリヒ・ハイネ。第4曲の「夕映えの中で」だけ、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788年-1857年=ドイツ後期ロマン派の詩人)の詩が使われています。
歌詞がわからないぶん、歌曲にしてはちょっと冗漫かと思えるほど長い前奏がありますが、私にとっては決して冗漫ではありません。この長さがあるからこそ、歌い出すのを待ちに待った歌い手は、思いの丈をぶつけられるのではないかと思うのです。
第4曲の日本語訳は以下のとおり。翻訳者は不明です。
♪私たちは苦しみと喜びとの中を/手に手を携えて歩んできた/いま、さすらいをやめて/静かな土地に憩う
♪まわりには谷が迫り/もう空はたそがれている/ただ二羽の雲雀が霞の中へと/なお夢見ながらのぼって行く
♪こちらへおいで 雲雀たちは歌わせておこう/間もなく眠りの時がくる/この孤独の中で/私たちがはぐれてしまうことがないように
♪おお 遙かな 静かな平和よ!/こんなにも深く夕映えに包まれて/私たちはさすらいに疲れた/これが死というものなのだろうか?
ルチアの動画をYou Tubeで見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=Ur-Is-04SxU
1977年、三十八歳と若く元気なころのルチアです。
オーケストラ伴奏指揮はゲオルク・ショルティとのクレジットがあります。CDとして遺されているのはマイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン交響楽団。
ルチア・ポップといえば、モーツァルト「魔笛」の「夜の女王のアリア」です。
二十四歳のとき、ブラティスラヴァ歌劇場でデビューを果たし、国際的にも注目を集めるようになった記念すべき役柄でしたので、これもYou Tubeで捜して。
http://www.youtube.com/watch?v=_ufeyarJxNQ