桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

夕映えの中で

2010年02月05日 23時06分25秒 | 音楽



 昨日、夕映えの富士山を見ました。
 私の勤め先近く、高いところに上がって西南西の空を眺むれば、総武線市川駅前のツインタワーの右に見ることができるのです。

 毎年、冬になると富士を望むことのできる日が多くなります。ことに今冬は晴れの日が多く、出勤時は、今朝は富士が見えるのではないか、と愉しみにしながら勤め先に向かうのです。
 ところが、今年の晴天は上空には雲一つないというのに、西方の地平線近くには必ず雲があって、なかなかお目にかかることができませんでした。
 二十日も前の一月十四日。やはり夕暮れの中で見たのが最後になっていました。

 昨日は出勤時にも見ることができました。可視部はすべて雪に覆われた富士は威風堂々としていて、さすが、と思わせます。
 昼食を買いに行くとき、カメラをポケットに忍ばせて出ましたが、あいにく雲が出て見えなくなっていました。

 そして夕方……。
 真っ赤な夕焼けでした。夕映えの中にくっきりと浮かび上がる富士が見えました。朝と同じように、圧倒的な存在感はありますが、夕暮れのせいか、なんとなく物悲しい気分が押し寄せてきます。

 夕映え……をイメージすると、私はいつもリヒャルト・シュトラウスの歌曲集「4つの最後の歌」の中の第4曲「夕映えの中で(Im Abendrot)」を思い出します。
 歌詞はドイツ語なので、どんな内容なのか理解できませんが、メロディを聴いているだけでも、深く沈み込んで行くような気持ちになる歌です。

 かといって、陰鬱になるばかり、というのではありません。無情や後悔、反省、そしてほんのちょっぴりの希望と、人生そのものを考える(ような)気持ちになるのです。
 これがリヒャルト・シュトラウス最晩年の作曲というのを考慮すると、さらに考えが深まって行く(ような)気がします。
 実際は(ような)気がするというだけで、何一つ変わりませんのですが……。



 あまたのソプラノ歌手が歌っていますが、誰の歌でもいいというわけではありません。私が思い浮かべるのは常にルチア・ポップの歌声と五十四歳で亡くなってしまったという生涯です。
 スロヴァキア出身のソプラノ歌手です。闘病空しく癌で亡くなって、今年で十七年になります。

 亡くなる半年前に録音した、とされているのが「4つの最後の歌」です。恐らく闘病中の録音、むろん人生最期の録音になったのだろうと思います。
 ルチア・ポップが最期にこの歌を歌おう、歌いたい、と望んだのはすごく象徴的で、同時に人間の意志の尊さを感じます。

 楽曲は「春」「九月」「眠りに就く時」「夕映えの中で」の、いずれも死をテーマにした4曲で構成されており、第1曲から第3曲までの詩はハインリヒ・ハイネ。第4曲の「夕映えの中で」だけ、
ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788年-1857年=ドイツ後期ロマン派の詩人)の詩が使われています。
 歌詞がわからないぶん、歌曲にしてはちょっと冗漫かと思えるほど長い前奏がありますが、私にとっては決して冗漫ではありません。この長さがあるからこそ、歌い出すのを待ちに待った歌い手は、思いの丈をぶつけられるのではないかと思うのです。

 第4曲の日本語訳は以下のとおり。翻訳者は不明です。

♪私たちは苦しみと喜びとの中を/手に手を携えて歩んできた/いま、さすらいをやめて/静かな土地に憩う

♪まわりには谷が迫り/もう空はたそがれている/ただ二羽の雲雀が霞の中へと/なお夢見ながらのぼって行く

♪こちらへおいで 雲雀たちは歌わせておこう/間もなく眠りの時がくる/この孤独の中で/私たちがはぐれてしまうことがないように

♪おお 遙かな 静かな平和よ!/こんなにも深く夕映えに包まれて/私たちはさすらいに疲れた/これが死というものなのだろうか?

 ルチアの動画をYou Tubeで見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=Ur-Is-04SxU

 1977年、三十八歳と若く元気なころのルチアです。
 オーケストラ伴奏指揮はゲオルク・ショルティとのクレジットがあります。CDとして遺されているのはマイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン交響楽団。

 ルチア・ポップといえば、モーツァルト「魔笛」の「夜の女王のアリア」です。
 二十四歳のとき、ブラティスラヴァ歌劇場でデビューを果たし、国際的にも注目を集めるようになった記念すべき役柄でしたので、これもYou Tubeで捜して。
http://www.youtube.com/watch?v=_ufeyarJxNQ


おどるポンポコリン

2009年02月22日 18時48分40秒 | 音楽

 日曜日の夕方は家にいることが多く、なぜか何もしていないようなことも多いので、テレビを点けて「ちびまる子ちゃん」を見ています。番組を見るというより、主題歌の♪おどるポンポコリン♪を愉しみにしていて、歌が始まると独りでニヤニヤしています。
 なぜニヤニヤかというと、この歌はバックに松崎しげるが参加しているのですが、持ち前の大声で、主役を押しのけてしまうような、自己主張の強い歌い方が、ある曲に登場しているミック・ジャガーを思い起こさせるからなのです。

 カーリー・サイモンの“You’re So Vain”という曲に、ミック・ジャガーがバックコーラスで参加しています。どんなに小声で歌っても、たちどころにわかってしまうような特徴のある声がいきなり出てくるのを聴くと、やはりどこにかくれんぼをしようとも、わかってしまいそうな顔と口が思い出されて、思わず口許が緩んでしまうのです。

 おぢさんは♀歌手の歌はほとんど聴きません。
 大昔にはよくジャニス・ジョプリンを聴きましたが、いまではカーリー・サイモンとキャロル・キングとジャニス・イアンぐらい。それもごくごくたまに、です。
 それが日曜日の夕方は、「ちびまる子ちゃん」が終わったあと、テレビを消してCDをかけ、しばらくカーリー・サイモンを聴くことがあります。わしも単純じゃなぁと思いながら……。

 カーリー・サイモンは決してキーの高い歌手ではありませんが、男声に較べれば高い。その女声に負けぬどころか、押しのけてしまっているようなミック・ジャガーはさすがだなと思います。

 おまけはキャロル・キングの“City Streets”。
 宣伝用のビデオクリップらしいので、バックでギターを弾いている人の顔を写さないのは著作権肖像権の関係かなと思っておりましたが、最後にやっと顔がハッキリします。
 ギターを弾いているのはエリック・クラプトンです。テナーサックスはブレッカー・ブラザーズのマイケル・ブレッカーです。


ザ・フー来日

2008年11月17日 17時19分45秒 | 音楽

 ザ・フーが来日したんですね。
 先週、変な店へ飲みに行ったとき、くるそうだという話を聞いていましたが、酔っ払っていたので忘れていました。

 ザ・フーのデビューは私が高校二年生の年です。ビートルズより二年遅く、キンクスと同じ年でした。ところが、ビートルズもローリング・ストーンズもよく聴きましたが、ザ・フーだけは同時代に、あまり馴染まなかったという記憶しかありません。

 中学から高校二年生にかけて、ビートルズ一辺倒でした。
 ビートルズといえば、いまでこそ伝説以上のグループですが、来日公演があったときには学校から、観に行こうなどという不心得者は「不良」と見なす、というような禁止令が出たほどでした。つまりミーハーの支持があるだけで、社会全体が認める存在ではなかったわけです。
 ミーハーが支持していたといっても、同じクラスの大半の子は知りませんでした。音楽を聴くといっても、中尾ミエや伊東ゆかりを聴いていた子のほうが多かったのではないかと思います。

 深夜放送の常連でしたから、ザ・フーそのものは聴いていたはず、と思います。ギターを壊すという派手なアクションも知っています。しかし、あまり馴染みが持てなかったのはなぜだろうと考えて、いまになって、そうだ !!  あのころはお金がなかったのだと思い当たりました。

 月々小遣いをいくらもらっていたのか憶えていませんが、このころの音楽ソースはラジオかシングルレコードです。A面B面に二曲だけ入ったそのシングルレコードが確か300円か350円したのではなかったか。
 就職した兄の給料が15,000円か20,000円という時代です。いまの貨幣価値に直せば一枚3000~3500円という法外な値段でした。
 同級生にレコード屋の息子がいたので、二割引きくらいで手に入れていましたが、一か月に一枚買うのがいっぱいいっぱいだったはずです。今月ビートルズを買ったら、次にほしいキンクスは来月回しにせざるを得ない。

 HMVやタワーレコードなどないから、ラジオで聴いて、ほしいなぁと思ってもすぐ買えるわけでもない。ラジオで聴かせるのは日本のレコード会社がモニタリング調査を兼ねて、売れそうなら発売に踏み切るということもあったからでしょう。来月買おうと決めているレコードがあるのに、来月がくる前に気になる曲を耳にしてしまうこともありました。

 それに、このころのUKロックシーンはまさに百花繚乱でした。ザ・フーと同じくモッズ系といわれるグループにスモール・フェイセスというのがありました。
 サーチャーズがあったり、デイヴ・クラーク・ファイヴがあったり……。
 ザ・フーは結構いいと思ったけれども、次々にほしいレコードが出てくるので、一枚も買わないまま青春が終わってしまった、ということになるのだろうと思います。

 ザ・フーを見直してみようという心情になったのは音楽面の評価ではありませんでした。1970年代前半、我が愛しのエリック・クラプトンはコカイン中毒で廃人寸前になっていました。それを支え、励まし、社会復帰させるのに力を貸したのがザ・フーのピート・タウンゼンドだったと知ったことがキッカケでした。日本人だからやむを得ないのか。私は浪花節で動いてしまうところが多分にあります。

 同じように心を動かされたのはフリートウッド・マックのミック・フリートウッドです。
 この男は我が愛しのピーター・グリーンの居場所をなくしてしまったばかりか、変な女を入れて、聴くに堪えないようなバンドにしてしまったと思っていたのですが、ピーター・グリーンにもコカインとアルコールに溺れた時代があって、そのとき、日夜病院を見舞って励ましたのはミック・フリートウッドだったと知りました。

 だが、浪花節はすべてを許すというものではありません。いいところがあるやんけ、と思うのは二人とも同じですが、ザ・フーは聴いても、ピーター・グリーンが抜けたあとのフリートウッド・マックは聴きたいとも思わないのであります。
http://www.youtube.com/watch?v=8NATK0brkS4


秋ですねぇ

2008年09月21日 13時05分19秒 | 音楽

 何日も前から涼しくなってはいましたが、通勤で歩いていると、会社に着くころには顔も上半身も汗まみれでした。
 台風がそれた昨日土曜、今日雨の日曜と仕事は休みで、ずっと家にいるせいか、汗をかくこともなく、気持ちの佳い時間を過ごしています。

 東京電力柏崎刈羽原発のテレビCMがあります。
 バックにアイリッシュ風の曲が流れているのが気になっていたので、メールで問い合わせたら “The Water Is Wide” というイギリス民謡をアレンジしたものだと教えてくれました。
 早速You Tubeで調べてみたら、いろいろなversionがありました。けれども、みな歌が入っているのが少しわずらわしい。歌のないCMのほうが哀愁があって、より佳いように思えます。この民謡については、まだ詳しくは知りません。

  引っ越して半年経ちましたが、荷物はまだ完全には片づかないままです。本は段ボールで三十箱以上あったのですが、夏の初めに大英断を下した末、引き取りサービスつきの古本屋で処分しました。本当はすべて処分するつもりでしたが、一応再点検してから送ろうと思ったので、数箱ずつ引き取ってもらうということになりました。

 送ると、買い取る値段をメールで知らせてきます。
 最初数箱分のメールを見たときは唖然としました。買ったときの価格でいうと五十万円は軽く超しているのに、一冊あたり百円以下の評価しかないのです。
 でも、いい格好をするわけぢゃないが、お金を得ることではなく、処分することが目的ですから、ま、いいかと思ってGOサインを出しました。
 ただ、二度目以降の発送は慎重にならざるを得ません。文庫なら何十円という査定でも仕方がないが、何千円も出して買った本まで一緒くたにされたんぢゃ敵わない。

 結局、辞典類やいまでは多分手に入らないだろうと思える本は手許に残すことにしました。その仕分けにえらく手間取って、処分が終わったのはつい先日のことです。 
 CDも買い取ってくれるというので、処分するつもりでした。これも段ボールで五箱ほどありましたが、いまでは手に入れるのもむずかしいものもたくさんあったので、アホらしくなって処分するのはやめました。その程度なら積んでおけば邪魔にはならないということもあります。

 で、段ボール箱を引っかき回した挙げ句、ヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲」を探し出して聴いているところです。
 処分しなくて佳かった、いいねぇ、しみじみとしますな、などと独言しながら聴いています。