桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

ミモザを見に行く

2017年03月13日 21時37分22秒 | 

 去年三月、柏駅近くの洋品店へスラックスを買いに行ったことがあります。そのときに写した写真の日付をみると、三月十一日のことでした。
 二本買うことにして裾上げを頼むと、一時間ほどかかるというので、待ち時間を潰すために付近を散策することにしました。
 付近といっても、私にとって見るべきところは東急ハンズかドンキホーテ、あるいは長全寺ぐらいしか思い当たりません。

 洋品店のあるところから長全寺までは、歩くと十分ほどかかります。柏駅の東口周辺は詳しいわけではないけれど、ちょくちょく行くことがある上、ほぼ碁盤の目になっているので、迷うはずはない……こう思ったのが間違いの元でした。
 常磐線に沿う形で駅前を横切り、よく知った道を歩けばよかったものを、路地をクネクネと歩いているうちに、どこかで勘違いを起こしました。
 どこかで「→長全寺」という案内板を目にした記憶があります。それがどこであったか、いまではわからないのですが……

 薬師詣でなどで初めての土地へ行ったりするとき、私は必ずコンパスを持つようにしています。しかしこの日はスラックスを買うつもりで出てきただけですから、コンパスなど持っていません。

 この日は終日曇、しかも結構暑い雲に覆われた日でした。太陽さえあれば、方角がわかるのですが、どんよりとした雲が垂れ込んでいたので、太陽がどこにあるのかわかりません。
 テクテクと歩いているうちに、明らかに駅から離れ過ぎていると気づきました。目的の長全寺がどのあたりにあるのか、最早わからなくなっていました。ただ、進んでいた方角は真東かどうかはわからないが、東に向かって歩いてきたことは確かだと思われました。
 路地に入るのは避けて、できるだけ交通量の多い、広い道を選んで左に曲がり(すなわち北)、また左に曲がって引き返そうと決めました。

 目の前に急な下り坂が現われました。彼方を見れば、私の目線と同じ高さに建物があり、樹々が見えます。
 想像するところ、この坂を下りきったところには、かつては川が流れていたか、池があったのに違いない、と思いました。
 下り切ってみると、いかにも川が流れていたような風景でした。 



 歩みを進めるうち、右手から目を奪うような黄色の塊が飛び込んできました。ミモザです。



 ちょっとした高台の上にあって、私からは距離があったので、樹の高さはどのくらいあるのか計ることはできませんが、こんな高木で、枝ぶりも豊か、花も豊かというミモザの樹は見たことがありませんでした。

 ミモザの日は今月八日でした。
 ミモザの日とは、日本ではあまり馴染みがありませんが、その日に再訪したいと思いましたが、八日は恒例の薬師詣でがあるので行けません。

 九日、十日はパート仕事があったので行けません。十一日は休みでしたが、なんとなく行く気が起きず、十二日も仕事があって行けません。
 で、十三日になって、やっと行くことになったわけです。



 柏駅で電車を降りて、東口に出ました。
 今度は小細工をして間違えぬよう、前回の帰りの道をそっくりなぞって行きます。
 長全寺前を通って行きます。行きは通過しますが、帰りに寄るつもりです。




 長全寺の先、右側に三井生命の事務センターがあります。その少し先を右に折れ、100メートルばかり歩いたところにありました。ありましたが、様子がまったく違ったので、呆気にとられてしまいました。撮影したアングルはまったく同一ではありませんが、背景にあるマンションを見れば、同じ場所だということがわかってもらえるはずです。
 去年より二日遅くきているのですが、花のほうは早過ぎたのか遅過ぎたのかよくわかりません。



 帰り、長全寺に寄って行きます。
 略縁起によると、天正三年四月二十五日、松戸市広徳寺五世、巧室梵藝大和尚を勧請し、曹洞宗寺院として開山。その後、十五世紀以来この地域で勢力を張っていた戸張氏の菩提寺として栄え、寛永年間頃に戸張村(柏市戸張)の香取神社近くから現在地へ移転したということです。現在歩けば十七~八分の距離のところです




 歴住の墓所を訪ねました。
 山門を入ると、右手が墓地になっていて、すぐわかるところに歴住の墓所があったので、参拝します。今日は念珠も線香も持っていないので、拝礼のみ。



 山門。



 山門の本堂側には四天王の像。左側に広目天と増長天(奥)。



 同右に持国天と多聞天(奥)。




 釈迦如来を祀る本堂です。




 大師堂。曹洞宗のお寺なのに、なにゆえ弘法大師を祀るのかわかりません。



 我が庵近く(といっても、歩いて十五~六分ほどかかりますが)、まだ小木ですが、ミモザがありました。

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2017年三月の薬師詣で・つくば市

2017年03月08日 23時35分44秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣では茨城県つくば市を歩いてきました。



 北小金から新松戸、南流山と乗り換えて、つくばエクスプレス(TX)の終点・つくば駅で降りました。

 


 TXつくば駅に降り立つのは七年前のお正月、筑波山神社に初詣にきたとき以来二度目です。

 一年前、いや、一か月前のことすら定かに憶えていないのですから、七年も前となれば、ほとんど記憶がありません。駅前のロータリーはこんなふうに整備されていなかったような気がします。
 


 剪定されてしまっていますが、並木は欅(ケヤキ)。つくば市の市の木です。
 こういう新しい街はきれいでモダンで、すべてが快適であるかのように思えますが、なんとなく身体がムズムズして、こそばゆい感じがします。



 駅から歩くこと二十五分。無個性な建物の立ち並ぶ道が終わり、てんで勝手な家並みが現われるようになって、ようやく身体のムズムズが治まりました。

 


 さらに歩いて行くと、完全に田舎の道になりました。茨城県道123号線です。

 白線からガードレールまでは見た目は充分そうな余白がありますが、ガードレールの直下は土が盛り上がり、草が生えているので、実際に歩ける幅は30センチそこそこしかありません。
 


 左手に筑波山の男体山(左)と女体山。

 


 目的の常光寺薬師堂近くにある倉掛バス停です。TXつくば駅からここまで歩くこと三十分弱。

 土浦駅とつくばセンター(つくば駅)を結ぶバスが走っていますが、バス便があるのになぜトコトコと歩いてきたのかといえば、ここを通るバスの便は平日は一日三便、土日だと二便しかないのです。
 


 筑波山をカメラに収めようと寄り道をしていたので、約四十分かけて、倉掛部落研修センターというところに着きました。
 今日は使用されていないようで、ひっそりと静まり返っています。


 

 研修センターの左手に薬師堂がありました。

 近づいてみると、扁額には醫王山常光寺摩尼殿とあります。常光寺というお寺はすでにありません。
 


 格子戸の隙間にカメラを突っ込んで撮影に及びました。

 真ん中にある厨子の中に薬師如来が祀られているようです。

 このあと、今日のもう一つの目的地である覚王寺に向かうのですが、途中(といっても、少し遠廻りです)に一乗院というお寺があるので、寄って行くことにします。
 


 上ノ室橋で花室川を渡ります。霞ケ浦に注ぐ川です。上流にカメラを向けて、シャッターを切りました。
 橋を渡ると、径は上り坂になり、先ほど歩いた茨城県道123号線に出ます。その先に同201号線との交差点があり、そこを左折して行きます。
 私が携帯してきた地図では、交差点の右にココスがあることになっていましたが、ココスはすでになくなって、ファミリーマートに変わっていました。



 常光寺薬師堂から二十五分で一乗院に着きました。
 


 真言宗豊山派の寺院。一乗院本堂です。
 
 一乗院に向かっている途中、グーグルストリートビューの撮影車に遭遇しました。それも二度。最初は対向してすれ違い、二度目は追い越して行きました。

 今日現在、つくば市倉掛、同花室あたりのストリートビューを視てみると、2015年九月の撮影というクレジットがあります。
 いつ更新されるのかわかりませんが、更新された暁にはどこかに私が写っているのだろうと思います。

 一乗院をあとにして、最後の目的地・覚王寺に向かいます。
 途中で、またグーグルストリートビューの撮影車に遭遇しました。三度目です。
 遥か昔、グーグルの撮影車と遭遇したことがあります。そのときは、そこらじゅうを走っているとはいえ、互いに一分、いや、三十秒通るのが遅ければ出会っていないのだから、奇遇といえば奇遇と思ったものですが、同じ日に二度ならず、三度も会うということはまずあり得ないことではないでしょうか。今後、なんらかの形でグーグルからの配当を得ることになる、というような吉兆であればよいのですが。

 この先、あとで戻ってくることになる茨城県道24号線(土浦境線)をガードでくぐると、径は谷を下って、また上ります。

 


 立派な懸崖で向こうが見えませんが……。
 周辺は戦国時代には花室城があった一帯です。痕跡は何もありませんが、私が下って上ったのはどうやら堀の跡のようです。



 懸崖をくぐった石段の先には見上げる高さに山門がありました。

 


 覚王寺本堂。行基作といわれる釈迦如来が本尊です。




 境内左手にある薬師堂です。伝運慶作の十二神将木像が祀られています。



 曹洞宗のお寺なので、歴住の墓所に参拝します。
 創建されたのは室町時代の明徳年間(1390年-93年)だといわれています。ただし、創建時は真言宗の寺院。
 墓碑銘には最初に古開山として骨山全徹大和尚の名が刻まれています。「古」とは何かというと、室町時代の大永七年(1527年)、この地を治めていた信田右衛門によって現在の地に再建され、そのときに招かれたのが、千葉県市川市にある総寧寺の十七世骨山全徹大和尚だったのですが、その後、寺は荒廃し、明暦元年(1655年)、四代将軍家綱の時代に、総寧寺から二十四世の智堂光紹大和尚を招き、改めて開山として覚王寺再興を依頼しました。従って、さきの骨山全徹大和尚を古開山と称しているのです。



 覚王寺から十五分歩いて、茨城県道24号線(土浦境線)に出ました。

 一時間以上、ほとんどぶっつづけに歩いてきたので、脚は棒のようです。時刻表を見ると、十分後につくばセンター(TXつくば駅前)を通るバスがあったので、乗ることにしました
 


 北小金に戻ってきて、慶林寺に参拝しました。
 門前に咲く河津桜は満開期を過ぎて、散り始めです。

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