日常の買い物や日課にしている慶林寺参拝ではあまり通ることのない本土寺の参道を歩きました。
とくにどうということはない一茎ですが、欅(ケヤキ)の巨木の根元に顔を出すので、毎年愉しみにしていた場所です。
十日ほど前から二、三日置きぐらいに通って、昨日も見たのですが、芽吹いた様子がなかったものですから、枯れたのだろうと思っていました。
参道の彼岸花。
本土寺参道と交差して走る千葉県道白井流山線です。馬刀葉椎(マテバシイ)の並木があるので、通称・まてばしい通り。
葉っぱが密集しているので、防風林に使われることが多いそうです。
根元や路面にはおびただしい数のドングリが落ちていますが、先日の台風12号ですべて落とされてしまったのでしょうか。見上げても樹には実がありません。
そうでなければ、こんなふうに実を結んでいるはずなのですが……(画像は樹木図鑑植木ペディアから拝借しました)。
日課の慶林寺参拝です。昨日でお彼岸も明けました。一週間ずっと開けられていた山門は閉ざされました。
境内には鉢植えの白い彼岸花。
拾ってきたマテバシイの実をカメラに収めました。一般的なドングリと較べると、二~三倍の大きさがあります。
ブナ科の常緑高木です。漢字では、全手葉椎と書いたり、馬刀葉椎と書いたりします。マテバシイの「マテバ」とは葉っぱが貝のマテガイに似ている椎(シイ)の樹ということらしいのですが、ともにブナ科ではあっても、椎はシイ属、マテバシイはマテバシイ属で、植物分類上は別物です。
待てば(収穫するのを我慢すれば)、椎の実のように美味しくなるので、その名がついた、という説もありますが、こちらは眉唾もの。
学名・Lithocarpus edulisのedulisは「食べられる」という意味であり、事実、タンニンをあまり含んでいないので、灰汁(あく)を抜く必要がなく、そのまま炒って食べられるということです。
ことの彼岸花の開花は少し遅れています。十九日になっても咲きません。去年は十三日に咲いていました。桜や紫陽花などと違ってテレビのニュースで取り上げられることが尠ないので、彼岸花の名所といわれるところの開花状況もわかりません。
普段はあまり通らないようにしている本土寺参道に足を向けました。
明日、明後日ぐらいでは咲きそうにありません。
これは二年前(2018年)の九月十三日に同じ本土寺参道で撮影した画像です。
慶林寺参道入口の河津桜は黄色い葉っぱが目立つようになってきました。
ボタンクサギ(牡丹臭木)の花はこれからが盛り。
昨夜から窓を開けたままで眠りました。
日付が変わってから早朝六時過ぎまで、気温はずっと27度近く。一週間ぶりの熱帯夜になりました。そして昼過ぎには30度を超えて、一週間ぶりの真夏日 ― 。
一旦涼しくなったあとで暑さが戻ってくると、それほど暑くなくても身体には堪えるものですが、ときおりビュービューと鳴るほど強い風が吹くので、暑いような、それほどでもないような……。
今日十八日は観音菩薩の縁日でもあります。いつもなら慶林寺にお参りするのが私の一日の始まりですが、毎月十五日と今日十八日、そして二十七日の三日だけは東漸寺参詣を一日の始まりにしています。
東漸寺の境内は梢の高い松や枝垂れ桜の緑が目には眩しいほどに青々としています。
仁王門前まで歩いて、ふと足を止めました。
参道に1センチほどの青い実が落ちていたのです。見上げた真上には樹高5メートルほどの樹があって、この樹が落としたとしか考えられませんが、いまのところは名前がわかりません。
観音様詣でにきたのですが、まずは本堂の阿弥陀様にお賽銭をあげて参拝します。観音堂には賽銭箱がないからでもあります。
観音堂に祀られているのは聖観音坐像。
東漸寺参拝のあと、北小金駅前のスーパーで買い物を済ませて一度帰ります。一休みしたら慶林寺参拝に出かけるつもりでしたが、扇風機を廻したまま、ちょっとだけ休むつもりで身体を横たえたら、いつの間にかまどろんでいました。
慶林寺参拝は夕方になってしまったので、山門、通用門(右横)とも閉ざされてしまっていました。
東漸寺と違って、慶林寺の観音様の前には賽銭箱があります。
こやつ ― 我が庭にはびこるヤブカラシ(藪枯らし)です。
何日か前、テレビを視ていて、私が初めて名前を耳にした野草があり、それが食用にもなる、ということを識りました。すぐメモをしておけばよかったのですが、何十年も文筆業を生業としてきたので、一体何本あれば気が済むのですか、とほかの人なら呆れるだろうほどの万年筆、サインペン、ボールペンなどをペントレーにかき集めておきながら、メモ用紙は少し離れたところに置いてあるので、ちょっと立ち上がるということが億劫だし、面倒臭い。
その代わり、草の名前を頭に叩き込んだつもりでいましたが、しばらくしたら、すっかり忘れていました。ダメでした。もう若くはないんだぞ。
夕方、富士川河畔から東南の方角を眺めたときの雲です。
なんとか三兄弟 ― 「なんとか」のネーミングはこの三つの雲が形を崩す前に思いつき、まさにそうだと思ったのですが、なんとか、と納得したあとは度忘れして、いまになっても思い出せませんが ― 真ん中の雲は、おっ! と思ったときは、頭の部分がもっと丸くて大きくて……タイヤメーカーのミシュランマンのようだったのですが、トートバッグに入れたカメラを取り出すのに手間取っているうち、なんだかよくわからないものに……。
東の空にはこんな雲。人間の横顔のようでもあり、ワイヤードテリヤのようでもあります。
新型コロナ禍もそろそろ ― 電車やバスに乗る時刻が日中で、しかも短時間なら、大丈夫かな ― そう思ったので、今月の薬師詣では川口の東光寺と決めました。
ところが、結果的に今日の我が地方の最高気温は31・9度という高さだったので、朝から暑い。
今年は猛暑日が八月中に八日ありました。それらの日の暑さに較べれば、いくら今日が暑いといっても、4度も5度も低い。それなのに暑い!
八月の気温(船橋観測所)を調べてみると、最高気温の平均は去年が32・34度だったのに対して、今年は33・48度でありました。わずか1・14度高かっただけか、と思いますが、八月じゅうは毎日毎日去年と比べれば気温が1度以上高かったということになるわけですから、やはり異常気象、地球温暖化がじわじわと進んでいる。
東光寺へ行くのは初めてですが、少し手前にある密蔵院へは何度か足を運んでいます。安行桜で著名なお寺です。詳しく見たわけではないが、近辺は商店が尠なく、よって昼飯を用意 ― そう思ったので、握り飯をつくろうと思ったのですが、冷蔵庫にあると思っていた具の鮭の切身が、ない!
計算違い、勘違いの原因は、今日のために残しておいたつもりなのに食べてしまったのか、買ったつもりだったが買い忘れたのか。暑い! と感じるので、そんなことが思い出せない。しかし、思い出せたところで、ないものはない! そう結論が出ると、行く気が一気に失せてしまいました。
そこで薬師如来をお祀りしている地元の慶林寺へ。
八日という日でなくとも、慶林寺だけは万難を排してでも行かなければならないので行ってきました。香炉に設えてある賽銭箱にお賽銭を。
境内の隅にある蜜柑の樹は今年もたわわに実を実らせています。
夕方になると、こんな涼し気な空になりました。
秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
今朝、ふと「古今和歌集」の、こんな和歌を思い出しました。「秋立つ日詠める」という詞書(ことばがき)がありますから、立秋に詠まれた歌です。今朝はこの歌にあるような、おどろくほどの風の音がしていたのではありませんが、庭の草をそよがせて吹き抜けて行く清々しい朝でした。
未明の気温(今日の最低気温)は26・8度。
ところが、爽やかに感じたのも束の間で、七時近くになると、気温はグングン上がり始めて、八時過ぎには30度を突破してしまいました。
猛暑にならぬうちに、と日課の慶林寺参りへ。積乱雲になりそうな雲も見えました。
慶林寺上空には雷雲に発達しそうな雲も……。
慶林寺から帰ったあとは四十五分ほど昼寝。あとはグングン上がるばかりの気温に耐えながら、庵でじっと我慢の時を過ごしました。結局、この日の最高気温は32・8度。
しかし、真夏とは違って、夕方になると涼しくなります。北の空には秋の雲。
西の空にもこんな涼やかな雲。
残暑が厳しかったので、日課の慶林寺参拝と買い物以外、あまり出歩かないようにしていましたが、涼しい風に誘われて、久しぶりに富士川河畔へ足を延ばしてみると、もう稲刈りが始まっていました。
フェンスをハザにして、脱穀の済んだ稲藁がかけられていると思って近づいてみたら、まだ稲がついたままでした。
九月になったので、いま播けば初冬に収穫できるかも……と謳ってあったビーツの種を買ってきました。
今日、新潟県の三条市では40・4度を記録。こちらの気温はとてもそれには敵いませんが、暑さに辟易してしまうのは同じ。明日はもっと暑くなりそうだとテレビの天気予報でいっています。