桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

慶林寺の著莪(シャガ)

2018年03月30日 19時32分54秒 | 

 今日も慶林寺にお参りに出ます。



 本尊の薬師如来に、私と繋がりがある人々の無事息災を祈ります。



 参道では著莪
(シャガ・射干とも)が咲き始めていました。中国原産、アヤメ属アヤメ科の植物。
 本来は四月が開花期。季節はほぼ四月ではありますが、まだ三月。桜と同じように、この花も今年は開花が早い。



 参道の中ほどにある御衣黄(ギョイコウ)桜です。



 例年なら開花は四月中旬から下旬ですが、蕾のふくらみ具合を見ると、この花も今年は早そうです。



 慶林寺の河津桜はすっかり葉桜になってしまいました。

 慶林寺をあとに、今日は常磐線に沿って歩きます。あまりにも桜の開花が早かったので、香取神社の桜を見ていなかったからです。

 慶林寺前から北小金駅を過ぎ、常磐線の線路伝いに歩くと、径は富士川が形づくる谷に向かって下り坂。渡るところでは富士川は暗渠になっているので、川は見えません。
 見えない富士川を渡ると、流山市です。今度は径は上り坂。途中から梨畑が拡がります。



 梨畑が見えてくると、目に入ってくるとは想像していなかった白いものが見えました。
 こちらも早い。
 この時点では例年の梨の花の開花がいつごろであったのか、わかっていませんでしたが、白いものが目に飛び込んできた瞬間、とっさに早ッ! と感じてしまいました。



 どの樹を見ても、花が咲くのは下と先端の部分の花が先で、枝の中ほどはまだ蕾です。



 高台を上り切ったあと、見下ろしてみました。



 同じ畑ですが、種類が異なるのでしょうか。こちらはまったく花がありません。

 毎年、梨の花が咲き出すころに見にきているわけではありませんが、たまたま六年前、花が咲き始めたころをブログに載せていました。この年の開花は今年よりおよそ二週間も遅い四月十二日でした。

の花が咲いたよ

 

 この高台にきた目的の香取神社の桜です。この花を見て、今日の散策は終了です。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東漸寺の桜

2018年03月27日 23時27分24秒 | 

 体調は決して芳しいとはいえませんが、今日は頭が痛い、身体が怠い、脚が重い、腰が痛い……などと毎日ぶつくさいいながらも、先月二十七日の月誕生日から今日まで大過なく過ごすことができました。
 これは我が干支の守り本尊であり、念持仏でもある阿弥陀如来のご加護があるからであろうと信じるので、阿弥陀如来をお祀りしている東漸寺へお参りに行きます。



 散策途上にある辛夷(コブシ)です。昨日、本土寺参道の辛夷は散り始めていましたが、こちらはほとんど落花しています。



 昨日につづいて、まず本堂に参拝します。我が庵から東漸寺までは歩いて二十分以上かかるので、二日つづけてお参りに行く、ということは滅多にありません。



 金色に輝くご本尊の阿弥陀如来坐像です。



 本堂左手にある東漸寺歴住の墓所。中央の一段高い卵塔が開山・經譽愚底(きょうよ・ぐてい)上人のお墓です。開山のとき、このお方が阿弥陀如来を招提してくださったと思うので、阿弥陀様に関連する日には必ず墓所を訪れて拝礼することを欠かしません。

 


 歴住の墓所にいたとき、子どもたちの賑やかな声が聞こえたので行ってみた、本堂裏の広場です。
 普段は門が閉じられていて、入れないことが多いのですが、近くの子ども会だったのでしょうか。花見の宴が開かれていました。この広場は三方を桜に囲まれています。



 本堂左の桜。かなり高木です。



 昨日とは違う角度から望んだ、本堂前の枝垂れ桜。左下は観音堂。



 本堂を背に中雀門(中門)を望んだ景色。左に鐘楼塔、右に観音堂があります。



 中雀門から仁王門を望みます。



 昨日は桜鑑賞の人だけでしたが、この日は日曜画家ならぬ火曜画家の人たちも多く見受けられました。



 山門から本堂に向かう参道に咲く枝垂れ桜・其の一。
 昨日きたのは午後、この日はかろうじて午前中だったので、陽光が異なるだろうと思って載せました。



 こちらは其の二。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近隣の春

2018年03月26日 23時14分39秒 | 

 暖かい日がつづいています。これだけ暖かい日がつづくと、十日も前に見て以来、行っていなかった東漸寺の枝垂れ桜は、満開を通り越してしまっているのではないかと気懸かりになりました。
 明日二十七日は私の月誕生日なので、私の守り本尊であり、念持仏である阿弥陀如来をお祀りする東漸寺に、先月の月誕生日から一か月間、無事に過ごせたことをお礼に行く決まりにしているのですが、一日といえど疎かにできぬ、という思いで、出向くことにしました。



 六日前、玄関前に今年初めて顔を覗かせてくれた土筆(ツクシ)です。そのときは二本だったものが三本になりました。

 
 

 庭に廻ると、今年も無患子(ムクロジ)が芽を出してくれました。

 自分の土地ではないので、伸び過ぎると、どこからかクレームがきて、伐らねばなりません。
 本来なら主幹は一本ですが、伸びると伐られるので、あちこちから芽が出ます。それでも、伐られても伐られても、不屈の闘志で芽を出してくれます。




 今日の散策は本土寺参道~慶林寺~東漸寺の順で巡って行きます。本土寺参道の桜並木です。



 辛夷(コブシ)の花は散り始めです。



 本土寺前から十一分歩いて、慶林寺に参拝します。



 参道にある河津桜はすっかり葉桜になってしまいましたが、今度は彼岸桜が満開です。



 北小金駅南口ロータリーの染井吉野(ソメイヨシノ)。



 北小金駅から六分で東漸寺門前に着きました。参道では山吹が咲き始めていました。



 参道の枝垂れ桜・其の一。



 参道の枝垂れ桜・其の二。どちらもかなりの高木です。



 中雀門まで行って、歩いてきた参道を振り返りました。



 さほどの高木ではありませんが、姿の佳い染井吉野。



 満開の花を見上げてみました。



 本堂前の枝垂れ桜。こちらも満開。



 花々の美しい季節ですが、これだけは咲いてほしくないと思うジャスミン。あろうことか、私が毎日の散策で必ずといっていいほど通る径に二か所もあるのです。こんな臭い花がどんな魔法を持って香水に変わるのか、不思議です。

 今日の我が地方の最高気温は一八・九度。歩いていると、額に汗が滲む暖かさです。
 午前中は体調が優れず、初めて外に出たのは午後二時過ぎという遅い時間になってしまいましたが、汗をかいたお陰で、体調も少しよくなったみたいです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杏の花を見に行く

2018年03月21日 14時43分31秒 | 

 我が庵から歩いて十三~四分ほどのところに、杏(アンズ)並木の道路があります。名づけて「あんず通り」。



 河津桜よりは色がやや薄く、染井吉野よりは少し濃い色の花が満開です。



 染井吉野が咲くより早い季節ですが、この季節はおしなべて薄曇りという天気が多い。折角の花もいまいちパッとしません。

 
 



 近づいて見上げてみると、結構豪華です。

 


 画像下は六日前の十二日に撮った画像です。
 定点カメラでも設置しておかない限り、寸分違わぬアングルで撮ることは至難の業なので、ちょっとズレていますが、一気に花が咲きました。




 同じ十二日、そういえば今月八日がミモザの日だったと気づかせてくれた樹。あんず通りに面した家にあります。

 私を含めて何人かがアンズの花を見上げていたので、通りがかりの車の主が何事だろうと思ったのでしょう。道路脇に車を止めて降り、同じように花を見上げました。たまたま私と目が合って、「この桜はなんという桜ですか?」と訊いてきました。アンズの樹などそうそうあるものではないので、見慣れぬ桜だろうと思ってしまうのは無理もない。

 六月になると、アンズの実が実ります。

 毎年見かけるわけではありませんが、無人の野菜直売所にアンズの実が置かれていることがあります。去年は梅酒と同じ要領で杏酒をつくりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東漸寺の枝垂れ桜 ― 2018年

2018年03月16日 00時56分29秒 | 

 昨日十五日は阿弥陀如来の縁日でした。
 阿弥陀さまは我が干支の守り本尊なので、毎月十五日には阿弥陀如来をお祀りしている東漸寺にお参りに行き、お賽銭をあげたあと、開山の經譽愚底(きょうよ・ぐてい)上人の墓所にも参拝します。

 


 東漸寺の本堂と本尊の阿弥陀如来坐像です。



 中央の一段と高い卵塔が經譽愚底さんのお墓です。



 本堂前にある樹齢三百五十年といわれる枝垂れ桜。本堂側から撮影しました。右に写っているのは観音堂。



 すでに数輪の開花が見られました。 



 東漸寺から北小金駅に戻ってきて、コンコースを通り抜け、北口に出ると、そこから本土寺への参道です。進んで行けば、目に飛び込んでくる枝垂れ桜。



 一度庵に帰ったあと、ひと休みして、今度は日課にしている慶林寺への参拝に出ました。 



 参道入口の河津桜。

 



 近くのスーパーにある二本のうち、陽当たりのよくない場所に咲いている河津桜です。陽当たりがよくないので、開花が遅いと思っていたら、葉桜になるのは一番早そうです。
 

 昨日は終日風の強い一日になりました。畑の多い我が庵周辺では、強い風が吹くたびに、畑から土煙が上がります。そんな中を散策していたので、髪に触ると、ザラザラしているようです。
 洗うかどうかと逡巡しているうちに、アルコールが進んで、いつもどおりベロンベロンに……。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミモザを見に行く(2)

2018年03月14日 00時50分54秒 | 



 我が庭の雪柳が咲き始めました。



 雪柳の花が咲き始めるころ、ミモザの花は満開に近いはず。見に行こうという気になりました。
 途中、渡って行く富士川には陽気に誘われたように、カルガモの群れがスイスイと気持ちよさそうに……。



 梅林の白梅もチラホラ。川を渡って、対岸の高台に向かう坂の上り口です。



 我が庵から歩いて十五~六分かかりますが、たわわに花を咲かせるミモザがあります。毎年のように思うのですが、遠くから眺めるミモザの花は思わずパクリと口に含みたくなるように思えます。



 ミモザとはマメ科オジギソウ属の植物。葉はこんな形です。ネム(合歓)の樹やオジギソウ(含羞草)とよく似ています。



 ミモザのすぐ近くにはこんな祠がありました。



 地図には「山海坊神」と記してありますが、PCの検索エンジンで山海坊神と入力して検索しても、まさにこの場所の地図(山海坊神 - Bing images)がヒットするだけで、何を祀っているのかわかりません。
 前にも同じことを試みたような記憶がありますが、とりあえずカメラに収め、何が刻まれているのか、あとで拡大してみましたが、刻まれた文字は風化していて、画像を極限までシャープにする努力を払っても読めません。

 ミモザの樹は近隣にもう一か所あります。近隣といっても、3キロも先。私の足ではおよそ四十分かかりますが、行ってみましょう。
 途中には林や広い前庭を持った農家も多いので、もしかしたら新しい樹を見つけることができるかもしれません。いまの季節なら、鮮やかな黄色の花は遠目でも見つけられます。逆にいうと、いまでなければ、よほど注意を払っていても見逃してしまいそうです。



 ムクロジ(無患子)のある家の前を通って行きます。まだ実をつけたままです。



 第一現場からテクテクと歩くこと四十分、やっと第二現場に着きました。

 ここにミモザがあると知ったのは去年でした。
 何月のことだったか憶えていませんが、知ったのは花の季節が終わったあとで、葉しか見ていないので、この樹の花を見るのは初めてです。
 第一現場より高木ですが、思ったほど咲いていませんでした。

 細い道路を挟んで、向かい合わせにもう一本の樹があります。当然別々の家ですが、車一台がやっと通れる程度の細い径を隔てているだけですから、もしかしたら親子なのではないか、と私は想像しています。



 向かい合わせの家にある低木。こちらはもっと花が尠ない。私の勝手な想像では、こちらが子ども。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶林寺の河津桜(6)

2018年03月13日 00時33分27秒 | 

 今日は慶林寺の河津桜を見たあと、近くの東平賀公園からあんず通りと名づけられた通りまで散策します。

 
 


 慶林寺の河津桜は随分葉っぱが目立つようになってきました。

 慶林寺をあとにして北小金駅北口からつづく本土寺の参道を歩きます。途中の商店街にある酒屋さんでビール券を買う必要があったからですが、その先の東平賀公園にも河津桜があるので、見に行きます。



 商店街を抜け、信号を渡ると、本土寺の参道です。この参道沿いに東平賀公園があります。

 我が庵から北小金駅に行くのにはこの参道を通るのが一番の近道ですが、普段は敢えて歩かないようにしているので、河津桜を見るのは今年初めてです。



 東平賀公園は東平賀貝塚の跡にあります。縄文時代前期から後期(約五千五百年~三千五百前)にかけての遺跡です。




 公園の東面には二本の河津桜があります。



 北面には四本。六本とも満開です。



 残念ながらいつ開花したのか知らないので、慶林寺の花と較べることができませんが、葉の出方はまだ尠ないようです。




 あんず通りと呼ばれている通りです。

 この通りの入口まで、東平賀公園からだと1キロ、およそ十二分かかります。両側に杏(アンズ)の並木があります。



 杏の花が咲くのは桜(ソメイヨシノ)より少しあとなので、まだ半月ほどありそうです。だから兆候はまだ何もないだろうと思っていましたが、真っ赤な蕾が随分ふくらんでいました。




 杏の蕾をカメラに収めようとして見上げたとき、ミモザの花が咲いているのに気がつきました。

 そういえば、去る八日はミモザの日でした。日本では馴染みがありませんが、この日、イタリアでは男性から女性にこの花を贈るのです。
 日本でいうホワイトデーのようなものですが、バレンタインデーに何かもらったのでお返しする、というのではありません。小さな男の子でも日頃の感謝をこめて母親にこの花を贈るのです。

 ここにミモザの樹があるのは知りませんでした。散歩の途上、二箇所にミモザがあるのは識っていましたが、両方ともあまり頻繁に通る径ではありません。
 それに、八日というと、薬師詣での日ですから、ミモザのほうは毎年忘れていて、八日が過ぎてしばらくしてから気づくのです。
 とはいえ、私の身近には贈る女性はいないので、忘れても実害はないのですが……。



 ハナニラ(花韮)が咲いていました。スミレによく似ていて、道で見かけてもまだ区別がつきません。

 先のミモザの日に女性をリスペクトして花を贈ろうという動きが出たとき、最初はスミレを贈るのがふさわしいと考えられたようです。ところが、スミレは高価だったので、ミモザに落ち著いたということですが、高価だったとはどんなスミレだったのでしょう。
 我が庭にもこの画像と同じハナニラがありますが、まだ咲いていません。今日の散歩はロマンチックなものになりました。



 辛夷(コブシ)も咲き始めていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶林寺の河津桜(5)

2018年03月09日 21時55分04秒 | 

 昨日から今日にかけて、しつこい雨でした。
 雨雲レーダーを視ると、関東東部を覆う、縦に細長~い雨雲があり、地球の自転に併せて、東に流されて行けばスッキリと上がるのに、北に流れるものだから、いつまでも熄むことがない。

 昨日は薬師詣での日でしたが、終日雨に祟られた挙げ句、今日に到るも、雨です。
 薬師詣では月に一度のこととはいえ、八年もつづけていると、雨の日も雪の日もあります。しかし、参拝中はもとより、帰ってきたあとの夜も雨が降り熄まぬ、という日があったとはほとんど記憶にありません。



 今日も雨の中を日課の慶林寺に参拝。
 いつもは南無薬師仏と真言を唱えたあと、無事息災を願う知人友人たちの名を挙げて、ご加護をお願いするのですが、縁日のあとの今日は、昨日はどこどこに行って参りましたという報告をつけ加えます。



 参道の河津桜は雨のせいか、気持ちのせいか、晴れた日より花びらのピンクが深くなっているように思えます。



 雨で潤っているみたいで、しっとりした風情が感じられます。晴れた日のキラキラ輝くような眺めもいいけれども……。



 ただ……。
 前々からチラホラと落花はありましたが、残念なことに、降りつづく雨で本式の落花が始まったようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年三月の薬師詣で・北区

2018年03月08日 23時35分35秒 | 薬師詣で

 三日ほど前の天気予報では、今日八日は終日曇でした。二日前ぐらいから曇のち雨と変わりましたが、雨になると予想されていたのは午後になってからでした。
 それなら、でき得る限り早めに庵を出て、去年来の念願だった茨城県の美浦村へ……と、心に期したのですが、問題は自分の体調です。
 このところ、一日じゅう体調が優れない、という日はなくてありがたいものの、朝のうちは大概頭がぼんやりしている、という日が多いのです。
 ところが、ごくごく、たま~に、朝から頭はスッキリ、という日もあるので、願わくば今月の八日は、そのごくごく、たま~に、に当たらないだろうかと期待していましたが、期待は外れました。
 天気予報も外れて、午前八時過ぎから雨……。早々に遠出は諦めて、東京は北区田端を歩くことにしました。



 家を出るのがお昼近くになってしまったので、出かける前に慶林寺に参拝します。



 山門は閉ざされていましたが、開いていた通用門を通って、本堂前にある小香炉にお賽銭をあげます。




 北小金→松戸→日暮里と乗り継いで、田端駅で降り、北口に出ました。
 生憎プリンタが故障してしまったので、いつも携行するグーグルの地図がありません。
「街っぷる東京23区」という昭文社発行の地図帳を持ちました。眼が悪くなった私には字が小さ過ぎるので、携帯用のルーペも持たなくてはなりません。


 傘を持ち、薄ら寒いので手袋を嵌め、地図を見るときには、どっちかの手に傘を持ち、空いた手の手袋を取って地図を開き……ルーペはどうするのじゃ!




 長らく東京に棲み、取材をする仕事で日々いろんなところに出向く、という毎日を過ごしてきたので、東京二十三区内のJR駅は、比較的新しくできた埼京線の浮間舟渡とか横須賀線の西大井駅などを除くと、ほとんど乗り降りしたことがある、いわんや山手線をや、と思っていました。
 今回田端へ行くことに決めたあと、ん? 田端ぁ? もしかすると、いわんや山手線をや、ではないかもしれないぞ、と思ったのですが、某月某日、どこそこで電車に乗り、どこそこで降りた、といちいち記録をしているわけではないので、予断は許しません。再開発などされていたらお手上げだが、駅頭に立ってみれば、きたことがあるかないかはすぐにわかる。
 そのように思いながら、駅を出て目にした光景は、かつて見たことのないものでした。
 おまけに真っ先に目に飛び込んできたのは、この長~く、高~い階段です。高所恐怖症を持つ私には一気にやる気をなくさせる光景です。
 加うるに雨。さらに老眼。

 この日の予定を巡り終えたあと、この階段を上る必要はなかった……どころか、上ったのがかえって遠廻りだった、ということがわかるのですが、勝手知らぬ街だったので、最初から余計な遠廻りが始まります。

 雨で脚を滑らせることもなく、老眼で踏み外すこともなく、へっぴり腰でも、なんとか無事に階段を上り終えましたが、ヤレヤレと呟いたあと、どうしようかと思い始めました。
 薬師詣でをするために出かけてきているのですから、薬師詣でをせずに帰るわけにはいかないが、ついでに廻って行こうと考えていたお寺は端折ることにしようか、と考えたのです。
 そう考えながらも、ふーむ、どうするか、と思いながら歩いて行きます。



 先の階段を上ったあと、適当に歩いていたら、芥川龍之介の旧居跡に出ました。
 芥川さんはここで「羅生門」「鼻」「河童」などを執筆し、自裁して三十五歳の生涯を終えたのもここです。傘を片手にしばし黙祷。

 芥川さんと薬師詣ではなんの関係もないのですが、偶然関係の深い場所に巡り合ったことで、なんとなく勇気づけられたような気になって、折角出かけてきたことだし、またくるかどうかわからない土地なのだから、巡ることのできるお寺は巡って行こうと心を決めました。



 最初に目指すのは与楽寺でしたが、最初から場所がわからなくなりました。
 勘違いして進んだところに、たまたま屋根付きのガレージがあり、車は出払っていたので、しばし屋根をお借りして傘を置き、バッグから地図とルーペを取り出しました。
 地図には「与楽寺坂」の文字があって、その横に「卍」印と「与楽寺」、とあるのですが、折角雨宿りができたのに、得心が行くまでじっくりと眺めることができません。雨だけではなく、結構強い風があって、開いたまま地面に置いた傘をクルクルと吹き飛ばそうとするのです。転がり始めた傘の柄をつかまえつつ、ちょっと方向違いにきているぞ、となかばわかった気になって、地図をバッグに入れ、きた道を戻り始めました。

 芥川さんの標識に出会う前、緩い下り坂があったのを見ていたのですが、それが多分「与楽寺坂」であろうと目星をつけたのです。
 しかし、坂の上にはなんの標識もありません。間違っているかもしれぬぞ、と思いながら、恐る恐る下ります。



 坂を下り切ったところ、間違いなく与楽寺坂を下ったのだと得心できる標識がありました。



 坂を下り切って、左に廻り込むと、与楽寺(真言宗豊山派)の山門がありました。
 創建は不明とされていますが、弘法大師がこの地に寺を建てたのが始まりといわれています。ということは、九世紀初頭の創建。



 与楽寺本堂。
 本尊は弘法大師作と伝えられる地蔵菩薩像ですが、俗に賊除地蔵と称されて、人々の信仰を集めてきました。
 そのいわれは、というと……。

 ある夜、盗賊が与楽寺に押し入ろうとしたそうです。すると、どこからともなく大勢の僧侶が出てきて、盗賊の侵入を防ぎ、遂にこれを追い返してしまいました。
 翌朝、本尊の地蔵菩薩を見ると、足に泥のついているのがわかり、地蔵菩薩が僧侶となって盗賊を追い出したのだ、と信じられるようになった、ということです。



 本堂左前にある阿弥陀堂。与楽寺は江戸六阿弥陀の第四番です。

 次に訪れるのは東覚寺です。



 下調べをしていたとき、この上り坂が東覚寺坂と呼ばれているとあり、地図を見れば、この坂の左側に東覚寺の卍印があって、墓地も見えたので、上って行けば東覚寺があると思ってしまいました。
 画像奥・高いビルの見えるほうが田端駅です。



 結果的には廻り道をしたことになりました。
 先の坂を上り始めてからこの山門前に着くまで、東覚寺の寺域の背後をほぼ四分の三周、グルリと巡ったことになります。実際は先の坂を撮影した地点から画像の左方向へ行けば、ものの一分で門前に着いていたのです。



 東覚寺本堂。
 先の与楽寺と同じ真言宗豊山派の寺院です。本尊は不動明王(弘法大師の作と伝えられています)。
「北区史」によれば、源雅という僧が不動明王を勧請して本尊とし、延徳三年(1491年)、神田筋違に一寺を建立。のちに根岸に移転したあと、慶長の初めごろ、現在地に移転したということです。



 山門右手、観音堂前にある赤紙仁王尊。
 病のある部分に赤紙を貼ると、病がなおると信仰されているので、阿像も吽像も赤紙をベタベタ貼られて、見る影もありません。



 さらに右手には鳥居がありました。田端八幡宮です。「江戸名所圖会」には田畑八幡宮と記されています。祭神は品陀和気命(ほむだわけのみこと=応神天皇)。
 ここがお寺で、薬師如来が祀られているとしたら、高所恐怖症を圧してでも、上らなければなりませんが、仰ぎ見るだけで退散します。



 参道には神輿庫が並んでいました。
 さほど大きな神社とは思えませんが、神輿の数から推測すると、結構な数の氏子がいるのだと思われます。



 東覚寺を出ると、緩いながらも、また上り坂です。この坂の名はないようです。



 坂を上り切ったあたりで左に折れると、ポプラ坂という標識がありました。
 名の由来はここにポプラ倶楽部というテニスコートがあったからです。
 明治四十一年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)がつくったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場となったものです。いまは田端保育園になっています。



 ポプラ坂はかなり急な下り坂でした。北区教育委員会の掲示板によると、高低差は4・69メートルということですが、見た目はそれ以上です。



 ポプラ坂を下り切って右に曲がると、法華宗陣門流の大久寺がありました。

 小田原にある大久寺(日蓮宗)のホームページによると、天正十九年(1591年)、小田原城主・大久保忠世が一族の菩提を弔うために創建したのが前身です。寺名の「大久」とは大久保の「保」を省いたといわれています。
 忠世の長子・忠隣は、二代将軍・秀忠のとき、老中となりましたが、本多正信と対立。改易されてしまいますが、同時に寺も衰退したので、石川氏の養子となっていた忠隣の二男・忠総が江戸・下谷車坂への移転させたのち、明治三十六年に当地に移転。
 一方、前身である小田原の大久寺は大久保忠任という人が石塔・位牌を戻して、小田原の地に再興した、とあるのですが、私の調べが行き届いていないのかどうか、いまのところ、忠任という人物は見あたりません。




 今日の目的地・光明院(真言宗豊山派)に着きました。大久寺門前から50メートルもありませんでした、が……。



 門は閉ざされたまま、ほかに通用門らしき入口もありません。
 境内に付属の幼稚園があります。園児の安全を守るため、門をオートロックにしている旨の断わり書きがありました。



 私用に過ぎないのに、案内を乞うて門を開けてもらうのも忍びなく、山門の格子の間にカメラのレンズを突っ込んで撮影。
「北区史」によると、本尊は大日如来で、薬師堂に聖徳太子作の薬師如来が祀られている、とあります。
 開基創立は不詳ですが、天正十九年(1591年)七月の検地水帳に「光明院」という記載があるので、安土桃山時代にはすでに存在していたことになります。
「江戸砂子」には「薬師は府内の七薬師の第二番として、昔は大に世に著はれた」と記されていますが、そもそも府内七薬師とはどこどこなのか。「江戸砂子」を手に入れたいと思って入るのですが、現状で手に入れられるのは和綴じの古書しかありません。手に入れたとしても、読めるかどうか、はなはだ疑問ではあります。

 格子の間から望めるお堂は本堂のようなので、どこに薬師堂があるのかわかりません。カメラ撮影のあと、扉越しに手を合わせて辞去します。

 庵に帰ったあと、境内に入った人のブログを見つけましたが、薬師堂については触れられておらず、画像もありませんでした、


 
 光明院横の緩い坂を上り、八幡坂と呼ばれる坂道を横切ると、大龍寺(真言宗霊雲寺派)がありました。
 創建は慶長年間(1596年-1615年)。「新編武蔵風土記稿」には「右(大龍寺)は不動院浄仙寺と号せしに、天明の頃僧観鏡光顕中興して今の如く改む。本尊大日を置く」と記されています。
 僧・観鏡光顕とは湯島にある霊雲寺の僧でありました。



 本堂は周囲を圧するような堂宇です。
 門前の石柱には「真言宗大龍寺」とあっただけなので、霊雲寺派の寺院だとは知りませんでしたが、湯島にある霊雲寺本堂をコンパクトにした感じで、よく似ています。



 門前に建てられた案内には正岡子規の墓があると記されていたので、お参りして行こうと思いましたが、墓域に通じるらしき門は鉄扉がガッチリと閉じられていました。



 かつて大龍寺が別当だった上田端八幡神社。
 祭神は先の田端八幡宮と同じ応神天皇。ただし、こちらでは誉田別命(ほんだわけのみこと)。



 光明院から大龍寺へ行くときに横切った八幡坂を上り切って少し歩くと、東覚寺を出たあとで上った緩い坂の坂上に出ました。



 まだ我が地方では開花を見ないのに、ここではすでに白木蓮(ハクモクレン)が咲いていました。

この日歩いたところ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶林寺の河津桜(4)

2018年03月07日 18時20分20秒 | 

 ずっと暖かかったのに、今日は一転して寒くなりました。



 慶林寺が近づいてくると、最初に目に入るのは参道入口の河津桜ですが、私がこのお寺に日参するのはお参りするのが目的ですから、河津桜を愛でる前に、まずお参りです。



 門は閉ざされていましたが、通用門が開いていたので、境内にお邪魔して、河津桜を撮影。



 椿も満開。



 白梅も満開です。



 参道入口の河津桜です。

 わざわざ見にくる人はいない(?)かもしれませんが、道行く人の多くが足を止め、スマホを出して撮影して行きます。



 見事な咲きっぷりですが、去年は二月中にこれぐらいの状態になっていましたから、一週間以上遅れました。寒かったからでしょうか。

 本家・伊豆の河津町でも例年に較べて開花が遅かった、とテレビニュースで報じていました。



 満開か、と思わせているのに、まだ開き切らない蕾がたくさん残っていました。



 かと思うと、ところどころですでに葉が出ています。



 参道沿いに二本あるうちの一本。こちらもほぼ満開。



 参道沿いのもう一本は幼木のようで、なかなか花が咲かないと思っていたら、あっという間に咲いて、葉も出しました。他の木と較べると、葉の割合も多いようです。

 
明日八日は恒例の薬師詣での日ですが、どうも天気が悪そうです。
 茨城県の美浦村か、つくば市の吉沼方面へ行ってみたい、と常々考えていながら、天気に恵まれないとなれば、別の場所に変更しなくてはなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶林寺の河津桜(3)

2018年03月03日 18時30分03秒 | 

 三月に入ってようやく暖かくなりました。



 去年に較べると、開花が遅かった慶林寺参道入口の河津桜も満開期を迎えつつあります。



 しかしよく見ると、まだ固そうな蕾もあります。



 かと思えば、参道の石畳には落花もちらほら。



 メジロの番(つがい)が何組も花の蜜を吸いにきていました。
 カメラに収めようとしたのですが、動きが非常に細かく、かつ素早い。レンズをズームにしている間に逃げられてしまいました。



 境内にある河津桜です。ほぼ満開の咲きっぷりです。



 参道中ほどにある二本のうち、高木なほう。



 もう一本は低木。まだ細くて弱々しく、花もほんの数輪。右の卵型をした樹木は紅花常磐万作(ベニバナトキワマンサク)です。



 これは本土寺参道に何本かある辛夷(コブシ)のうちの一本です。



 芽もふっくらとふくらんでいます。

 NHK総合テレビに「サラメシ」という番組があります。本放送は毎週火曜夜ですが、私が視るのはいつも木曜昼の再放送。
 一昨日(一日)も視ていて、いつだったか、島倉千代子さんの昼ご飯が紹介されたことがあったのをふと思い出しました。

 東京・神宮前のイタリアンレストランにコンサートのスタッフを引き連れて現われ、注文するのは季節の野菜を入れたトマトソースのパスタとピザ・マルゲリータ。
 大蒜(ニンニク)の臭いを気遣って、注文するのは打ち合わせが終わるころだったそうです。



 たまさか近所の無人野菜直売所に菜の花があったので、買ってありました。調理方法はおひたしぐらいしか思いつかなかったので、毎春食べるのはおひたし。
 島倉さんの昼ご飯を思い出したので、今年は春野菜(ほうれん草・絹莢豌豆・菜の花)とベーコンを入れたスパゲッティをつくってみました。



 島倉さんが好んだというパスタはトマトソースでしたが、私には打ち合わせをする人もいないので、ガーリックをたっぷりと効かせた、コンソメ味にしました。

 You Tubeで島倉さんの「サラメシ」を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=0Sh8truDwgM

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする