猛暑が戻ってきました。
高血圧と狭心症の薬が切れてしまっているので、病院に行かなければならないのですが、毎日朝十時になると、テレビから流される天気情報は「熱中症に注意云々」。そういう暑さの中を出歩いて、熱中症に罹ったのでは……と考えると、出かけようという気を削がれてしまいます。
が、要は何かにかこつけて、病院へ行きたくないだけなのです。
慶林寺上空の今日の空と雲です。
柿の実が随分大きくなってきました。
散策途上の道端で見つけた花です。白い花に見えますが、実際はすみれ色です。
強い陽射しの許、コンパクトデジカメで撮影したので、色がとんでしまいました。葉っぱはハーブのレモンバームに似ていますが、レモンバームではありません。手許にあるハーブ図鑑で調べていますが、まだ正体不明。
この日、我が地方の最高気温は34・9度。
気象庁のアメダスがあるのは近辺では船橋と我孫子。34・9度というのは船橋の数値を引用しました。いつもなら我孫子のほうが幾分気温は低いのですが、この日は奇しくも34・9度でした。
明日も暑いみたい。明後日も暑いみたい。
今日は二十四節気のうち処暑です。
天明七年(1787年)に刊行された「こよみ便覧」には「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とありますから、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、という意ですが、実際はなかなかそうはなりません。
朝の内に日課の慶林寺参拝を、と思っていましたが、九時半ごろにはかなり烈しい雷雨となりました。そのおかげもあって、正午の気温は25・8度と処暑にふさわしい凌ぎやすさです。しかし、あすからはまた暑さがぶり返すらしい。
雨が上がるのを待って参拝に出ました。
観音像前にあるハス(蓮)の花の開花が盛んです。仏様にはどういう花が合うのかというと、やはりハスにしくものはありません。
ピンクの蕾もふくらんでいます。
花期はもう終わったと思っていたボタンクサギ(牡丹臭木)ですが、まだこれから咲こうという蕾がありました。ただ、蕾はこじんまりとしていて、夏の盛りに咲くような大輪にはならないようです。
イチジク(無花果)も熟してきてそろそろ食べごろ。このお寺の住持様と顔を合わせることができたら、と物欲しそうな顔をして見せるのですが、このところそういう機会がない。
散歩径でカラスウリ(烏瓜)が実を結んでいるのを見かけました。
まだオレンジ色になっていないカラスウリを見るのは初めてのような気がします。イノシシ(猪)の子どものことを「うり坊」といいますが、この縞模様は本当にそっくりです。濃い赤色に熟せば、緑の中に紅一点、という感じになって目立ちますが、いまはよほど注意していないと見過ごしてしまいます。
猛暑つづきです。暑さに間断がないので、ちょっと涼しい(と感じられる)風が、そよ、とでも部屋の中に入ってくると、やっと涼しくなったかと騙されます。
時刻もそろそろ六時になろうかというときだったので、このところ慶林寺と東漸寺への参拝と買い物以外の散歩は手控えていたのですが、外に出ました。
風があります。
富士川べりの田んぼでは水もすっかりなくなって、稲穂がこうべを垂れ始めていました。
北の方角を眺めると、こんな雲が見えました。左は切れ込んだところが何かの動物の口のように見えます。
歩きながらときおり見上げると、ちょっと前まで切れ込んで口のように見えたところは閉ざされ、真ん中あたりからアルファベットの「U」の字を、右に90度倒した形「⊂」型に空が覗く形になって、まるでクロワッサンが空に浮いているようになりました。
食パンは結構頻繁に食べるけれど、そういえばクロワッサンやバケットは何年口にしていないのだろうと思いながら、カメラに収められるアングルを捜しました。クロワッサンが現われたとき、私が歩いていたのは、電柱がニョキニョキと建ち並び、幹線に近いぶっとい電線が垂れ下がって、カメラに収めるのには邪魔になるような場所であったのです。
毎日のように歩く散歩径です。次の角を曲がれば、いまはオクラを植えている畑があり、さらに進むと二棟並んだビニールハウスがある……と、目に入ってくる景色は空で憶えていても、その径の電線の配置はどうであったか、などということは記憶していません。少し遠くを眺め透かしたり、右を見たり左を見たりしているうちに、クロワッサンは姿を消してしまいました。
先考の祥月命日(十九日)が近くなったので、先考が好きだった芙蓉(フヨウ)の花を捜して歩きました。
いつごろまでであったか、私には芙蓉と木槿(ムクゲ)の見分けがつきませんでした。ともにいまの季節に咲き、花もよく似ています。それも道理で、両方ともアオイ科フヨウ属という、親戚同士なのです。
あるとき、区別の仕方を憶えました。なるほど、と思いながら、散歩径でどちらかが咲いているのを見つけると、クイズの答え合わせをするように悦に入っていましたが、ひと夏が過ぎ、次の夏がくるころには、サテ、どうやって見分けるんだったっけ? という始末です。
今年は花を見るのではなく葉っぱ、それと茎の立ち姿で見分ける、という方法を憶えました。
じつは何年か前に同じ方法を憶えていたのに、すっかり忘れてしまっていた、という気もしないのではないのですが……。
それはともかく、右のこんもりとした感じが芙蓉。左のスックとした感じが木槿。
見分けながら歩いていると、木槿は結構見かけますが、意外と芙蓉は尠ない。
これは木槿。
今日は今夏四度目の猛暑日。
阿弥陀様の縁日です。東漸寺へお参りに行かなければならないので、できるだけ朝早いうちに、あまり暑くならないうちに……と、考えていたのですが、早朝は昨日の温気がそのまま立ち込めているようで、六時の気温はすでに28度を超えていました。
前日のもくろみでは、まだ過ごしやすいであろう八時過ぎに出かけると、帰るころは駅前のスーパーが開く九時。その日の買い物を済ませて帰ってきましょう、と考えていたのですが、温度計の目盛りはグングン上がって、八時には30度を超してしまいました。
灼熱の昼をやり過ごして、結局出かけたのは午後三時過ぎ。堂内には卒塔婆が並べられて、お盆の時期ならではの光景です。
本堂へのお参りを終えたあと、開山の經譽愚底上人の卵塔にも参拝します。
墓所入口には野生の鶏頭がありました。
どなたのお墓か存じあげねど、墓前には鬼灯(ホオズキ)と竜胆(リンドウ)のお供え。
鬼灯は種、竜胆はポット植えを買ってきて、我が庭で育てようとしたことがありますが、ともに土と相性がよくなかったみたいです。
東漸寺の参拝を終えて、慶林寺に向かいます。
普段はついでに参拝して帰るようなことになるのは失礼だと思えるので、ハシゴのようなことは決してしないのですが、この日はともかく暑い! 少しは涼しい夕方なら出かける気になっても、慶林寺のほうは門を閉ざしてしまいます。やむなく帰り途にお邪魔することと相成りました。
時刻は午後四時過ぎ。PCに画像を取り込んでみると、穏やかそうに見えますが、実際は強烈な西日が照りつけていました。
鹿島神社に寄ると、実際は少しも涼しくないのですが、昨日までは啼いていなかったツクツクボウシの声が聴こえて、気分的にはちょっとは涼しい。
そろそろだろうか、と終息を期待していた新型コロナ禍。治まるどころか、我が地元でも感染者数は増加するばかりです。
薬師詣での日がやってきましたが、電車やバスの混み具合、県を跨ぐ移動の是非……いろいろ頭を悩ませた挙げ句、今月の薬師詣でも地元の慶林寺しかないということになりました。これで五月から四か月つづけて遠出は自粛です。
全国各地で猛暑日が頻発している中、我が地方は今日まで辛うじて猛暑日に到らずに済んでいます。が、30度を超せば、猛暑日だろうとなかろうと、なんの違いもありません。
三年前、本土寺裏に藪茗荷(ヤブミョウガ)が咲いているのに気付き、同時にそういう花があることを識りました。昨日、そういえば、今年の花の状況はどうだろうかと思い立って散策の足を延ばしたら、咲いていましたが、三年前に見たところから数メートル離れたところでした。すでに満開期は過ぎていましたが、その少し先には臭木(クサギ)も花を咲かせているのに、初めて気付きました。
普段の散歩で持つカメラといえば、パナソニックのコンパクトデジカメとスマートフォンのカメラだけなので、藪茗荷を撮そうと、この日はソニーのサイバーショットを持って出かけました。
今日は香炉後ろにある、この小鐘を撞いてお賽銭をあげます。
観音像前の水盆では連日蓮(ハス)の花の開花がつづいています。
観音像前には蒲(ガマ)もあります。湿地帯の植物です。プランターに植えられているので、水が絶えることはないだろうかと気がかりです。
慶林寺へのお勤めを済ませたあと、「6」の字を描くように歩いて、本土寺裏の藪茗荷(ヤブミョウガ)と臭木(クサギ)を見に行きます。
慶林寺から1キロ弱、十分少々歩いて本土寺仁王門前に出ました。
前の画像の仁王門に突き当たって右へ……。左手に本土寺の森を見ながら、寺域の外を巡る細い径を歩きます。
本土寺の仁王門前から250メートルほど歩いたところで、本土寺があり、我が庵もある平賀中台という台地が終わります。その先は急な下り坂か石段。
それぞれ下から眺めた画像。
急坂を下った少し先に藪茗荷(ヤブミョウガ)の花が咲いています。
さらにその先には臭木(クサギ)。
秋海棠(シュウカイドウ)も咲き始めていました。
そういえば昨日が立秋。
とはいっても、それは暦の上だけ、というのが常套句になっていますが、不思議なことに毎年毎年暑かろうが涼しかろうが、立秋の日に秋海棠が花を咲かせます。
暑さは衰えを見せませんが、ふと気づくと、蜻蛉(トンボ)が飛んだりしています。