桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2015年初薬師・千葉県栄町

2015年01月08日 22時04分17秒 | 薬師詣で

 2015年の初薬師は千葉県栄町へ行くことにしました。最寄り駅はJR成田線の安食(あじき)です。



 出かける前に地元の慶林寺にお賽銭をあげて参拝して行きます。



 安食駅で降りました。
 目的の龍角寺までは少々距離があるので、千葉交通のバスに乗ります。事前に調べたところ、龍角寺入口というバス停があるようですが、そこを通るのは栄町のコミュニティバスで、一日に七便しかありません。一方、千葉交通バスは毎時一便あります。ただ、このバスは龍角寺から離れたところしか通りません。私が使っている地図ソフトにはバス停の表示はあっても、停留所の名前がないので、どういう名の停留所で降りればいいのかわかりません。運転士に訊ねるしかないと思って、とりあえず竜角寺台車庫行のバスに乗りました。




 竜角寺台車庫行のバスに乗って、風土記の丘北口という停留所で降りました。道路は成田安食バイパス。画像奥が安食駅方面。画像の右手に向かって歩き始めます。



 成田ヒルズカントリークラブというゴルフコースの入口を通過して行きます。
 出かける前に、パソコンで地図を視ていたときの淡い記憶を辿ってみると、途中にゴルフコースはなかったような……と、訝りながらも、完全に訝ることはなく歩きつづけています。
 不慣れな土地でお寺を巡るとき、タブレットの端末があれば、と思うことしきりです。私はいまだにガラケーしか持っていません。
 しかし、薬師詣では月に一度。そのうち、不慣れな土地を訪れるのは、年に二度か三度。そのためだけに高い料金を払うのもなぁ、と考えるので、ずーっとガラケーのまま。

 径は杉林の中を抜けるようになってきました。下草はありますが、適当に手入れが施されている様子です。そんな中に「成田市」という標識が見えて、仰天しました。
 途中で龍角寺を示す標識を見かけていました。その標識に従って歩いたつもりですが、どこかで道を間違えたようです。おっとり刀で標識のあったところまで戻ることにしました。



 行きがけに見た標識です。ちょっと歩いただけだと思っていましたが、往復3キロほど、〆て四十分も歩いていました。改めて眺めてみると、確かに「←」と方向が示されているのに、なぜか「↑」と勘違いしてしまって直進したのです。
 降りたバス停から見ると、改めてここを左折。



 標識から谷を一つ越えて歩くこと十分。やっと私が携行していた地図に載っている、龍角寺入口というバス停に辿り着きました。



 その先、結構長い参道がありました。




 これがお寺(?)、と思うような佇まいでした。参道を挟んで左右に二つずつある礎石は仁王門の跡です。



 龍角寺の薬師如来、国の重要文化財です。元禄年間の火災によって体部をなくし、頸部から下は江戸時代につくり直されたものです。
 画像は2013年、千葉市美術館で開かれた「仏像半島 ― 房総の美しき仏たち」から拝借しました。



 横に廻ってみました。お寺というより、神社を思わせます。


 


 金堂跡を示す標識と校倉づくりの資料庫です。
 七世紀後半に、この地域の豪族が仏教を取り入れて「氏族の寺」として創建したもので、東国では最古級の寺院だと考えられています。
 本尊の薬師如来坐像(国重文)は、東京都調布市深大寺の釈迦如来坐像とともに、白鳳仏として著名。創建当時の伽藍配置は法起寺式で、東に塔、西に金堂が並ぶ壮大なものだったとされています。




 金堂跡の右に残されている三重の塔の心礎。



 三重の塔の心礎礎石で、「不増不滅の石」といわれているそうです。
 これは心礎中央の大きな穴にたまった水がどんなに大雨が降っても増えることがなく、夏の日照りがつづいても、枯れることがなかったことに由来しています。

 龍角寺には竜神伝説があります。ある大干ばつの折、釈命という上人が雨乞い祈祷を行なうと、一人の男が小竜となって天に昇り、七日七夜雨を降らせました。その後、大竜の怒りに触れて身を三つに切られた小竜の頭が当地に落ちたことから、寺の名を龍角寺に改めたといわれています。三つに切られた竜はこの龍角寺のほか、龍腹、龍尾と地に落ちて、それぞれ龍腹寺、龍尾寺となりました。
 このうち龍腹寺は印西市にあって、私は2013年四月の薬師詣でで訪れています。残念ながら門が閉ざされていて入ることはできませんでしたが、龍尾寺は旧八日市場市(現・匝瑳市)と少し遠いので、いつの日にか行けると夢見ることにします。


 

 浅間山古墳の説明板。
 一帯には百十四基もの古墳があり、龍角寺古墳群と呼ばれています。中でも浅間山古墳は墳丘長78メートル。龍角寺古墳群中最大の前方後円墳で、後世に改変を受けているものの、ほぼ原形をとどめています。



 径の右手には八坂神社やら浅間神社やらがあるようなのですが、こんな光景を目にしながら歩いていると、行ってみようという気にはなりません。周辺には寄り道をするような寺院もないので、今日の薬師詣では龍角寺だけでおしまい。ひたすら帰りを急ぐのみです。




 径をさらに進んで行くと、小さなトンネルがありました。上を走っているのはくるときにバスが走ってきた成田安食バイパスです。恐る恐る抜けると、道路に上る小径がありました。
 時刻表を見てみると、きたときと同様に一時間に一本しかなく、次のバスがくるまでに四十五分もありました。出発した安食駅まで歩くことにしました。