タンタンとの出会いは、高校生。
9つ離れている妹がいるので、中学~高校生の時は、
書店に行っては、いっつも妹(私??かな)に絵本を選んでました。
絵本選び、任せてもらってたんです。
その時に、福音館シリーズに出会ったのです。
そういえば、その時から、読み聞かせやおはなし始まってましたね。
妹にですけれど。
高3の時、タンタンの腕時計を買ってもらいました。
黄色い皮のベルト、長針がタンタンで短針がスノーウィ。
とっても気に入っていて、大学生になってからもずっとつけていて、
「あっ、タンタンだ!」と、気づいてくれた人は、1人。
その頃は、こんなに親しまれてはいませんでしたね。たぶん。
ムーミンとかチェブラーシカとか、
お付き合いの長~いものは、大人になっても愛着キャラになって、
文具となるとすごく身近ですもの、
時々、ふらっと出会うと、お気に入りの仲間にしてしまいます。
このファイルと、ノートも、好きなシーンでして・・・
スピルバーグも好きみたい!
蝉のハーモニーは不協和音。
鳴き急ぐように夏を惜しむようにガチャガチャいろんな声で合唱していました。
暑いけれど、木々を揺らす風は、夏の風ではないなぁ。
学生さんが増えてきたようです。
みんな急ぎ足。
講習かな、学祭の準備かな。
夏休みももうすぐ終わりかぁと、つぶやきが聞こえてきそうです。
夕方涼しい風が吹いて、
近所のおうちの風鈴の音がからんからんと響いてきます。
よそから聞こえてくる風鈴もいいものです。
不意に聞こえてくるから、余計に風の音を楽しめるとこあります。
まだ、まだ、しまわないでほしいな。
今年の夏はどんな夏でしたか?
いろいろ想う夏でしたよね。
嬉しいことが多かったですか?
悲しいこともありましたか?
楽しいことがたくさんあったでしょ。
切ないこともありましたよね。
私もたくさん、いろいろ考えました。
「午前十時の映画祭」って知ってますか?
大好きな名画がいっぱいです。
「雨に唄えば」・・・映画好きになった1本。
久しぶりに映画館で観られました。
これからも、「ニューシネマパラダイス」「天井桟敷の人々」「ライムライト」などなど続々と。
味わい深い映像、美しい音楽が浮かんできます。
夏の終わりから季節が秋へと移る頃って、夏の名残りが心のどっかを揺らしますよね。
素敵な名画が、心を潤してくれそうですよ。
ロマンティックな風の通り道。
ふらっと立ち寄っても、きっと良い映画と巡り会えるはず
私の個人的な感想を少し書きたいと思います。
この映画の一番良いなぁと思ったところは、太宰の本のページをめくりながら読むように、ひとつひとつの台詞に耳を傾けて見聞きできたところです。
太宰の原作を何度か読んでいたので、文字が映像になって目の前に広がっても、本を読んでいるように思えました。
言葉が先に浮かんできました。
慌しくなく、映像に余裕がある感じです。
また言葉が丁寧で、落ち着けます。
主な登場人物の衣装が、あまり変わらず、時代・人物の背景に合わせていて着物・古い型の洋服が、目にも優しかったです。
「ヴィヨンの妻」を軸に、太宰の他の作品の「きりぎりす、桜桃、グッドバイ・・・」などを思い起こさせる言葉が随所に出てきて、太宰エッセンスを時折振りかけられているようでした。
つくづく文学の人だぁと深く感じるのと同時に、主人公のどうしようもないダメ男のはずの「大谷」に不思議な魔力が働いて、思わず、弱々しい「大谷」に男の孤独なロマンを感じ、すごく嫌だとは思えなくなってきます。
「大谷」が何を話すのか傍に寄り添ってしまうのです。
浅野さんは、上手く演じていたと思います。
泣いたり、歌ったり、酔っ払ったり、とんでもないことしたり・・・。
展開はいろいろあったんだぁと振り返ればゆっくりでもなかったかな。
そして、大谷の女房「佐知」役、松たかこさんの、憐れな涙のシーンはきれいで健気で胸を締め付けられました。
小説家を愛する妻。
さすがに舞台女優。
どこから見ても、体全部で演じているすごさを感じました。
と書いても、映画は趣味の問題ですからね。
私は『ヴィヨンの妻』が好きなんです。
最後のあの
「人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
の台詞がいいのです。
その言葉にたどり着くまでのお話は十分描いてあったと思います。
最後の二人の場面良かったです。
日常の中に不意にぽっと穴かできて、そこに、温かい細い光が射したら、きっと優しい気持ちになるような、反対なら悲しい気持ちになるような、作者の想像で、果たしてそれは決まるみたいです。
日常にあるようなないような心を描くのも文学ですね。
最近聴いているCDがこれ、『ウィーンのクリームケーキ』ボスコフスキー合奏団
ウィーンの踊り、ワルツ、ポルカでふわっとなります!
音楽を聴くと気分が良くなります。
その時の気分に合わせるように、よりいい気分になるようにCDを選びますね。
このCDは陽気が良くなりだし、軽やかに動き出すにぴったりの曲がいっぱいです。
このCDの最後の曲が大好きです
「ハンス・イェルゲルポルカ」ヨゼフ・ランナー
窓全開にして、掃除をしたい気分になるのです。
特に、拭き掃除におススメです
「♪ルンルンルルルルルー ランラーンラララララン~」
と鼻歌まじり。
たまには、こういう音楽もいいです
音楽に身を任せて心が躍ります
この会は、賢治の作品を読みながら、いろいろ語り合い学び、さらに賢治を愛する会です。
賢治の言う、透きとおった本当の食べ物を夕食として食べにくるメンバーが集まっているのだとひとり思っています。
さて、今回から『銀河鉄道の夜』を読んでいきます。まずは、1から4章まで。
(偕成社)
1.午後の授業~2.活版所~3.家~4.ケンタウル祭の夜までです。
導入部分とされ、現実と夢の狭間のような出来事、星の話の授業中というところから始まっています。そして、物語の主要メンバーがほとんど登場するところです。
今日の箇所が読み終わると、それぞれ、感想はもちろんですが、「賢治はどうして午後の授業から書き出したのか」「登場人物の名前の不思議」「ケンタウル祭とは」など、いろいろな質問を投げかけ、活発に意見しあいます。
年齢は様々ですが、学生の頃のゼミより活気があります。
星にとても詳しい方がいて、星の話もたくさん聞けましたし、すばらしい天の川の大きな写真も持ってきてくれました。
先生は、生徒の台詞、ジョパンニの様子、言葉から、賢治の孤独、愛別離苦についてお話をされ、賢治の童話全般に見える影の薄い母親像、母親と牛乳の意味なども考えてみる点だとお話ししていました。
この物語は考え出したら限がない、深いもの、また未推敲の作品とも言われているので本当に不思議で分らないことも多いです。
想像することでひとつひとつ納得していくしかないものです。
これから年内くらいはこの『銀河鉄道の夜』のことを、歩いては考え、夜がきて星空を見上げては考えることが多くなりそうです。
毎年、りんどうがきれいに咲くような頃は、賢治の星のでてくる作品を読みたくなるので熟読するにはとてもいいし、この作品を読み進める中で賢治を想うのは非常に良い機会を与えられました。
この作品は私も小学校5年生の時から何度も読んできています。
読んでも読んでも読むたびにいろいろ想うのですが、ここ最近、自分が賢治作品を語りだして思うことは、この作品の書き出し部分のことです。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだといわれたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
という先生の台詞が、どうしても賢治が言っているように私にまっすぐ響くのです。
「この川のように見える星ぼしは、子を生んだ母が流す涙のようなこの星ぼしは、この世界全体の死んでいった者たちの魂なのではないか、それは、幸福の光なのか飢えや貧しさ悲しみの光なのか、この星の世界のどこかに本当の幸いがあるのか、本当の幸福は何ですか?みんなはそれを知っていますか。」
と投げかけているように思えるのです。
この物語が、銀河系宇宙の壮大なファンタジーを書いたことじゃないことは確かです。人間誰もがひとり生まれてひとり死ぬという一生。誰もが一つの命で生きるということはみんな同じこと。
その中で、賢治が求めていたものを追いながらまた、私は考える日々。
賢治が37歳で死んでしまったから、その想いを想像して心に留めていくしかないです。
でも、賢治がたくさん詩や童話を水とじゃがいもしか食べないような生活の中で、林や野道で拾い集めて私たちに残してくれていたから、私はじっくりそれらと向き合えます。
どこをどう好きか語り尽くすことのできる賢治ではないけれど、どうしても好きなので、本当に優しい賢治の姿を、想いをこれからも静かに静かに追い求めていくつもりです。
うなぎ食べました?
暑さに負けず、夏バテしないようにしなくちゃいけませんね。
今日は久しぶりに、体いっぱい汗をかきました。
実は、生れて初めて、ダンスを習い始めました!
語りを始めてから、良い姿勢で、体の芯から響くいい声を出すことは最大の課題でした。
踊りというのは、軸がしっかりしていないと踊れないものですし、体を支える筋肉もついていないといけないものです。もちろん柔軟性も大事です。
語りに必要な要素もいっぱい盛り込まれているので、トレーニングのつもりで、思い切って始めることにしたのです。
でも、ダンスなどしたことのない私に何ができるでしょう。
友人のバレエダンサーにも相談しました。
「今から始めて、体が固い私でもできるダンスってあるかな?」
友人は、「好きな音楽にのって踊れば体が喜ぶよ。続けることで、体も柔らかくなる。踊ることで、内側からのエネルギーが沸きでてくる。語りにも絶対活きてくるよ。」
おまけに、「腰痛や肩こりの予防にもなるよ。がんばれ!」とアドバイスをくれました。
「よ~~し」と思い、決めたダンスの種類は
・・・「ベリーダンス」
あのエキゾチックな異国情緒たっぷりの民族音楽、好きなんです。
エジプトやトルコのロマン溢れる物語もいいですね。
今、ちょうどアラビアンナイトを読み進めているタイミングもあります。
そして、もうひとつ、初めて購入したフランスアニメ映画のDVD「アズールとアスマール」のアラブ的な素敵な色彩美。
魅惑的な衣装と音楽が大好きで、ずっと残っていたのです
前置きと、言い訳が多かったですが、とにかく始めました。
このブログを読んでくださっている方は、私と同じ最近巷で耳にするアラフォー世代の方も多いですね。
どうでしょう、何か新しいこと始めて細胞を活性化させませんか?
ベリーダンスのファラーシャ先生がおしゃってました!
「ベリーダンスの発祥は古代エジプトにまでさかのぼり、出産を助ける女神を奉り、繁栄と多産、豊穣を祈った女性による女性のためのダンスです。ベリーダンスは心も体も美しくするアラブの魔法です。インナーマッスルも鍛えられますよ。皆さん!はい、笑顔でね。」
お腹をだした衣装、ヒップスカーフを巻き、裸足で踊るのが基本です。
ベリーダンスのベリーはおなかの意味ですからね。
お腹に変化がでてきたら、徐々にみなさんお腹をだしてくるそうです。
私はいつのことやら・・・。
明日は、筋肉痛がでるでしょう。お腹、腰、お尻、つけ根がピリピリです。
これから、時々ベリーダンスのことも書いていきたいと思います。
皆さんもいかがですか?
夏本番!一緒にベリーダンスビューティデビューしませんか
今日の感想は、ひとこと
「楽しかった」です
みなさんご存知でしたか?
もちろん!かな。
ロシアでは、国民的人気を誇る人形童話のキャラクターです。
このキュートでかわいい子は何者?サルでも熊でもありません。正体不明なのです。
ある日、果物屋さんに運ばれて、そこのおじさんに名づけられたのは、起こしてもすぐに倒れてしまうので、「チェブラーシカ(ばったり倒れ屋さん)」!
公開される映画は全四話のチェブラーシカ完全版です。
どこか切なくて、哲学的なんです。この物語。
「この街には、いったいどれくらいいるんだろう。ひとりぼっちの人が。」
人間の心が注ぎ込まれた人形たちが織り成す、歓び哀しみの世界。
一度見たら、皆さんも、きっとこの子のファンになると思います。
近くの映画館で上映されることがとても嬉しい。
東京では、渋谷と立川です。
いま、立川ECUTE3Fで、チェブラーシカフェスティバルが開催されています。
かわいいグッズがいっぱいです
手が磁石でくっつくようにできていて、どこにでも、ぴたっと。
とっても可愛くて、思わず買ってしまいました。
愛くるしさは格別。どことなく、姪っ子に似てるな・・・。
今日は、オークラ音楽賞の授賞式でした。
村治佳織さんが受賞し、その記念演奏会が開かれました。
村治さんは赤いドレスで登場しました。
とても美しかったです
最後にギター独奏曲、またトレモロ奏法の美しさで有名な「アルハンブラの思い出」を演奏してくれました。
やっぱり待っていました。この曲を
私の中の、ギター曲といえばこの曲ですから。
スペインのグラナダの丘の上。今も静かに姿の残る「赤い城」と呼ばれる「アルハンブラ宮殿」。
実際に見たことがないので、テレビの映像や本で見たものから想像することしかできませんが、演奏を聴いていて、伝説を秘めたこの城壁を吹きわたる風や、その歴史のどこかに私が佇んでいるような懐かしい記憶を遡るような心地になりました。
生のギターの演奏は、まったくCDで聴くのとは違います。
もっと繊細でゆらぐ響きがあって、胸の底にすーっと入り込んでくるような音。
ギターの音色もまた、心に真っ直ぐはいってくる音ですね。
その演奏姿勢も、体とギターが一体で、その指で人の胸や腹から音を拾い出していくような、体の内側にある心が美しいメロディになってあふれてきます。
語りに近い楽器。
益々ギターが好きになりました。
中央線沿線の桜がもうずいぶんほころんでいました。
増田書店のおはなし会の日は、大学通りの桜は満開かしら
夜、ちょっとした作業をしながら聴くお気に入りなCDってあるものだと思います。
好きなアーティストのあの曲が聴きたいから、やっぱり何度でも聴く。
何度でも聴くからどんどん好きになっていく。
曲の並びも、全体の雰囲気も充分わかっているから、耳も心も落ち着くのだと思います。
大事な夜の時間にマッチしなっかたらひとりの時間を楽しむことはできませんものね。
乱暴にしたつもりはないのに、ケースにヒビが入っていたり、はずれていたりしてる。あら~。ごめん。
1枚の中の数曲のお気に入りの曲を聴きたくて今宵も。
ギタリスト村治佳織さんの「CAVATINA」は、大のお気に入りです
タイトル曲が特に好きで、静かに書き物をする時や、制作に耽る時はいつも聴いています。もう、随分前に出たものですが、ここにある、小野リサさんも、二村英仁さんもやっぱり年月はたっています。
もちろん他のCDも持っているのですが、繰り返し聴くにはやはりこれというように、またまたかけてしまいます。
明日は、村治さんの生演奏が聴けるのです。楽しみ~~
暖かいといいのだけれど・・・。
三寒四温とくれば、リズムもつくれそうですが、全くわからない。
鼻もむずむずするし、目はかゆいし、襟巻きもとれません。
寒寒温温くらいに考えていたらいいのかなぁ。
地球温暖化を取り上げた話題の「アース」
観にいってきました。
見たこともない、目の当たりにすることもない自然の営み、太陽の恵み、陸地で、海で、空で、生きるために繁殖の地や餌を求めて移動し、力の限り生と死の狭間を、一瞬の油断も許されない状況で旅をする動物の姿がスクリーンいっぱいに映し出されました。
美しい地球の姿は変わらないように思えたり、生命の息吹を感じる地球を崇高する思いもしました。でも、忍び寄る温暖化。これ以上気温の上昇が続いたら、動物は絶滅し、やがては私たちも、そして地球も死んでしまうでしょう。
脅威はそこまできているような危機感を強く感じます。
そして、素晴らしい生命を生み出す地球、動植物たちとの共存、私たちに何ができるのかを考え、地球に生きるものとしての責任を担っていることを痛感しました。
マックがすごく薄くて軽い新機種を発表しました。携帯電話は数ヶ月もしないで新機種が発売され、運動はモニターを見ながら、子どもの遊びはゲーム機、歩くより車、
スピード化、合理化、社会混乱、事故犯罪多発、時々わけがわからなくなります。
「人はどうして生まれてきたの?」
人は地球に生まれた人、地球上の生命がみんな仲良く生きていくために人はどうやって生きていくのか、何ができるのか、心をそのことに向かせて、恵みいっぱいの地球を守っていくための使者となるためといいたいです。
詩集をたくさん。
その中からひとつ。
「月夜の浜辺」 中原中也
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂にいれた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれは抛れず
浪に向かってそれは抛れず
僕はそれを、袂にいれた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
とても有名な詩ですが、私にとってはこの詩と巡り会えたのは20年ぶりくらいです。忘れていたといってもいいくらいです。
でも、今日はなぜだかこの詩が心に残りました。
たったひとりで、月夜の浜辺を歩いたことがあります。何回か。
貝殻は拾ったことがあります。無数にあったから。きれいな貝殻をポケットに入れてその旅の思い出にしました。
でも、このたったひとつのボタンっていうのは、また、切ないですね。
自然とか神秘ではなくて、人に巡り会うような偶然です。
浜辺を歩いていた人か、海の向こうからやってきたのか。
どこからともなくここにやってきたものを、薄い月明かりでこのボタンを拾ったら、私は何を思うだろうと考えました。
独りの時間を求めてここへやってきたが、やっぱり、誰かに側にいてほしい。
優しいことばがほしい。人恋しい・・・かな。
11月は私は「人恋月」とよんでいます。
師走の前に、ふと、少しだけゆっくり今まで出会った人のことを思ったりする時間があります。大好きだったあの人に会いたいな。とか今はもういない大切なひとにもう一度会いたいななんて思ったりします。
詩を読むとは、心と心が一瞬触れ合う出来事のようですね。
11月の語りの会はそんな気持ちの宿る物語
安房直子さんの『きつねの窓』語ります。
みなさんのもう一度会いたい人は誰ですか?
最近この曲で瞑想しています。
実は、私は祖父が天台宗のお寺の住職で、父も元僧侶。
小さいときから、禅ということばが身近にありました。
お仏壇の前での、座禅や般若心経は日課でした。
でも、東京に出てきてから、父との約束事のようなことは、ことごとくしなくなりました。
ところが、今、知らずにお香を焚いて瞑想したりする時間をなんとなく作っている自分がいるのです。
私が今、好んで聴いているのは、友人宅で聴いて気にいってしまったスティーブン・イッサーリス版です。
何度聴いても何度聴いても、体に染み渡る魔法のような調べ。
とてつもなく大きく、深く、優しい。
そのうちに、脳天からじわじわと沸き出でる泉のように清らかに魂が浄化されていくような感覚をもつことがあります。
もちろん、毎回ではないですが・・・。
また、このCDの特に気にいっているところは、私の大好きな「カタルーニャ地方の民謡 鳥の歌」が入っているところであります。
瞑想後にこの曲を聴くと、本当に今日一日に感謝という気持ちになります。
寝る前にも聴きます。
時には自分自身で調子を整えたり、頭を空っぽにする作業もしないといけませんね。
お経は嫌だけど、バッハならね。
お香でもバラでもコーヒーでも、どんな香りをも最高の香りに変えてくれます。
この無伴奏は魔法の曲だと私は、思っています。
素敵なプレゼント。
銅製のしおりです。
きっと、一生ものですね。
大切にします。
最近お気に入りの新橋文化劇場で「善き人のためのソナタ」観て来ました。
映画好きの私にとっては、ここは、安く観られることと、なんとも古びた感じが心地良い空間です。見逃してしまった話題作にも出逢えます。週代わりなので、チェックしてみてください。ペアで行くと、700円で観られます!
この映画はドイツ映画です。壁崩壊直前の東ベルリンが舞台で、その非常な監視国家体制の中枢を担っていた秘密組織シュタージについて初めてその内幕を知らしめた歴史ドラマです。
シュタージの忠実な局員ヴィースラーは任務で、劇作家ドライマンとその恋人で舞台女優のクリスタが反体制である証拠をつかむため、部屋に盗聴器を取り付け、完全監視に入ります。
そのヴィースラーが、監視を続ける間、盗聴器を通して知るものは、自由、愛、音楽、文学でした。ドライマンの奏でたピアノ「善き人のためのソナタ」を聴いた時、ヴィースラーの目からは、涙がほとばしり、非人間的な氷の心が少しずつ溶け始めます。そのラストは、あまりにも哀しい場面を展開していきますが、最後の最後は心の奥からこみ上げてくるような人の善の息を吹き込まれる感覚を持ちました。
この映画は盗聴器監視という緊迫が続くような設定ですが、血なまぐさくなく静かな無常の織り成す、切なく美しい旋律が胸に響いてくるようでした。
愛し合う二人が非常な権力に、引き裂かれたり、絆を不信に変えさせられたりする社会は本当に嫌です。
哀しい社会は本当に嫌です。
この映画の帰り道ベートーベンの「ムーンライトソナタ」が響いてきました。
少し前の映画で、よい映画に出会うと、行過ぎた季節を懐かしめるような感じがあって嬉しいです。
映画の後は、よく散歩します。
高田の馬場まで行って、早稲田松竹の近くの大好きな文房具店マルシメさんで来年度の手帳買いました。その後、ゆっくり神楽坂の方をまわり、飯田橋まで歩きました。
家の近くでは、あちこちの庭先から、金木犀の香りが漂ってきました。
煮物の甘じょっぱい匂いも。
みんなちょっと懐かしいにおいです。
ほっとします。
可愛いです。秋桜。
吹く風も爽やかで、これからは本当に、散歩には最適な季節ですね。
先週、奥多摩に行きましたので、来週は、御岳山にハイキングの予定です。
日曜の朝に、私が小さい頃から時々見ているTV番組があります。
今朝はピアニストの中村紘子さんが出演されて、公開ピアノレッスンなるものをしていました。
中村さんには、思い出があります。
私が、初めてコンサートに行ったのが、「中村紘子ピアノリサイタル」だったのです。
中学生でした。
初めて、本物のピアニストを見ました。
その時のことで覚えているのは真っ赤なドレス。素敵な声。ショパンの名曲。
小さい頃からピアノは習っていましたが、その頃は、、クラシックの1枚のレコードも持っていず、どんな演奏家がいるのかも知りませんでした。
クラシックは、学校の音楽の授業で聴く程度です。
初めて、自分でレコードを買いました。中村さんのサイン入りです。
この時が、私のクラシック音楽との出会いだったと思います。
因みに、次に買ったのは、ベートーベンの交響曲第5番です。
番組の最後の生徒さんには、ピアノ協奏曲の弾き方というすごいものです。
とても、愉快な大らかな指導をされていて、中村さんの動きやお話がとっても楽しかったです。
曲は、私の大好きなピアノ協奏曲のベスト3にはいる「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」です。
実際に弾いてみせながら、曲のダイナミックな弾き方繊細な弾き方を通して、それぞれの作曲家の弾き方ができるようにしていくことが、表現力につながるというお話をされていました。作曲家それぞれの箱を持つこと。
迫力ありました~。
来週も引き続き中村さんがベートーベンピアノ協奏曲「皇帝」をお話されるそうです。
楽しみにしたいと思います。
昨夜はオペラ曲を聴きに行きました。ピアノ伴奏によるものでしたが、大変おもしろかったです。
カルメンやフィガロの結婚、ファウストなどの名場面の形ですが、ひと時音楽に酔いしれることができ素敵な時間をもてました。
余韻が今も残っています。
散歩しながら、フィガロの結婚口ずさんでしまいます。
秋は、芸術の秋、食欲の秋です。
たくさんの秋満喫しましょう。
つづきは、月宵でお話いたしましょうね。