この二日、久しぶりに、喉を休めています。
今日は、雨が降って、肌寒いですね
ホットミルクに蜂蜜を入れたり、紅茶にしょうがの絞り汁を入れたり、温かい飲み物が美味しいです
そして、押入れの中をごとごとやり始めて2日目突入。
ダンボール箱を用意し、さあっとばかりに押入れのものを外に広げ、今も、畳2畳分は、使えない状態。
休み休みぼちぼち片付けています。
娘達が帰ってくる前に
!
押入れの奥の棚のそのまた引き出し棚の中から、写真がばさっと。
引き出しごとに年代を分けて未整理のままです。
でも、すこしだけ・・・と見ると、今年亡くなった祖母の写真が、1枚、まぎれていました。
とってもふくよかで、少し恥ずかしそうに口をくっと微笑んでいる写真。
これ、おばあちゃんのしぐさ・・・。
隣には、上の娘を抱っこしている私がいます。
よかった。いい写真残っていて・・・。
1枚よけて、フレームに入れ、飾りました
怖かったけど、あったかくて優しい私のおばあちゃん。
私が滋賀に帰った夏の間、お月様を一緒に見上げて、毎日、おばあちゃんが歌ってくれたわらべうた。
ある時は、おんぶしてもらって、ある時は、抱っこしてもらって、歌ってもらいました。
「おつきさん えらいの かがみのようになったり くしのようになったり はるなつあきふゆいちねんじゅうをてらす~♪」
「のりやぁ、いつでもおばあちゃんは、見てるで・・・」おばあちゃんの声。
おばあちゃんの、山椒こんぶ、ごりのたいたん、かしら煮・・。
美味しい香り
「ごちそうさま」の後の「はい、よろしゅおあがり」。
「おぶのみやぁ」と冷ました番茶の美味しかったこと。
私の五感を育ててくれ、血となり骨となった・・・。
ありがとう。おばあちゃん。
私もこうして、子育てしています。
ここ立て続けにこの言葉を聞いたり、見たりしています。
季節は、センチメンタル高まる秋だからかでしょうか。
友人が贈ってくれたCDの歌詞の中にもこの言葉がありました。
「Out of sight, out of mind」
諺で言うと、「去る者は日々に疎し」(死んだ者は、月日が経つにつれてだんだんと忘れられていくし、親しかった者でも遠く離れると、しだいに疎遠になっていく)
直訳に近い訳は「自分の視界からいなくなったら、心からもいなくなる」くらいでしょうか。
もちろんいろいろ広い意味もありますが・・・。
「去る者は日々に疎し」とは、兼好法師、徒然草30段「人の亡き跡ばかり、悲しきはなし」にでてきます。人生の無常、また、人情のはかなさを嘆いています。
確かにそうです。多くの古典、書物に溢れています。
いえ、そうでなくとも、この現実の世の中のどこをみても、無常観、はかなさに埋もれています。
歳とともにそれを強く感じるようにもなってきます。
大切な人との死という別れも、深く心を通わせていた人々との別れも、歳とともにその数も増してきます。
「去った者」の悲しみはいつしか確かに消えます。
けれども、悲しみが消えたその後に、見えないけれど、確かに芽生えるものがあります。
月日が経てば経つほど、純粋に素朴に美しく、かけがえのない日々の、感謝の気持ちが溢れます。
私の体のそこかしこの中に、清らかな良い気流となって宿り、それは、何度も私を勇気付けてくれ、元気をもたらしてくれるものです。
言葉、音楽、読書、語り・・・それぞれの、心を傾けるその時に、見守って支えてくれた、忘れ得ぬ大切な人がいます。
みな私の人生の恩師。
だから、兼好曰く私も然り「つゆとも忘れぬ人々」です。
人生の続く限りです。
「Out of sight, out of mind」とは、よく言われますから、なるほどそうでしょう。
でも、世の中が、無常でもはかなくても、いろいろ見えなくなっても、見えないものでも、日々に疎しではなく、私に残ったものを日々大切にしていきたいです。
「去った者」へ礼をつくせることは、それだけです。
ありがとうと一緒に