打越通信

日記ふういろいろ

戦い終わって

2017-06-09 20:07:13 | people
3年ぶりにむかし仕事を一緒にした人と会った。
以前の会社の同僚ではなく仕事で出向いていた会社の担当の人だった。
ようはユーザだった会社の担当者だった人だ。
歳も同じくらいで、気が合うというか話が合う人だ。
ここの会社は倉庫業という担当した業種では初めての業種だった。
一般的な卸売業や小売業、はたまた海運会社や都市ガスなど変わった業種も経験してきたが、この業種は作業との絡みなどあり難解だった。
一般的に倉庫業といっても製造業や輸入業、流通会社などが持つ自社倉庫ではなく、各会社が営業ように在庫を持つ営業倉庫の部類に入る。
したがって倉庫に在庫を持つそれぞれの会社の出し入れの指示によって出し入れを行わなければならない。
指示はFAXだったり電話連絡だったりオンラインだったり先方の端末で行ったりさまざまな形態があった。
現状分析にかなりの時間と労力を要した。
担当の彼もユーザSEということでシステム的なことは根底でわかりあえていたが業務となると彼の方が詳しい。
それゆえにこの担当の人とは多くの話し合いを必要とした。
問題の解決はシステム的な事だけではなく、物をどうやって受け入れ、どうやって保管するかそしてどうやって出荷するかや、それぞれの検品をどうするかなど多岐に渡った。
現状では山崩し的な、今ある作業をこなすのが最優先的なところがあり、ロケーションや効率よいピッキングなど理屈や理論的な事は後回しといった感じだった。
ほかの仕事もあったが3年くらいこの会社に通い続けた。
以前一緒に大きな仕事をした息子くらいの同僚とはたまたコンビを組んでこの担当の人と対峙した。
自分の会社には出勤せず、熊本から福岡のこの会社に直接出勤してそのまま帰るといった事をしていた。
担当の方とは一日中一緒にいるわけで、仕事以外の事もいろいろ話が出来た。
たとえば親の介護の問題や、息子たちの将来の事などさまざまだった。
そういう意味で心底分かり合えるようなはだかの関係になったのだ。



博多駅で待ち合わせをして居酒屋で一杯やり、自宅マンションまで来ていただいた。
何せこの人は幼いころから美野島で育った方で、自宅があった場所も今住んでいるマンションのすぐ近くだった。
自宅で一杯やりながら午前様近くまで話は続いた。
積もる話はきりがなく、またの再会を誓って、筑紫野のご自宅までクルマで送った。
3年間のブランクを感じさせない彼に再び親近感がわくのだった。

ぼたん鍋

2017-05-13 22:05:06 | people
博多駅近くまで同僚たちを迎えに行く。
博多に来て初めて先輩の家にお招きを頂きみんなで押しかけることになった。
年齢的には随分と先輩にあたられる方で同じ課で仕事をしている方だ。
以前から
「奥さんも連れて遊びにおいで」
と声をかけて頂いていた。
前回の飲み会の時にイノシシの肉があるから「ぼたん鍋会」なるものをしようと急きょ決まり、今日になったという訳だ。
ご自宅は早良区の郊外にあり、隣同士の席のときにストリートビューなるもので一回訪問をしたことはある。
しかし実際にお伺いすることは初めてなのでナビに住所をセットして出かけた。
自宅付近まではナビが案内してくれたが、閑静な住宅街に入ると道は迷路になっていた。
ストリートビューの画像を思い出し、すぐにご自宅はわかった。
広い敷地(分譲区画2個分)に2階建ての大きな家だった。
敷地内には木々がたくさん植えられていて鬱蒼とした趣のある家だった。
玄関を入り奥の和室にすでにぼたん鍋が用意されていた。



皿には大きなイニシシ肉が用意されていてその量には驚かされた。
奥さんは初めてお会いしたが人当たりのいい感じの方で、私たちの訪問を大変喜んでおられた。
その他にも刺身や小鉢の料理が盛りだくさんに用意されていて熱烈な歓迎だった。



先ずはイノシシ肉を鉄板で焼く肉でいただく。
イノシシの肉は何度も食ったことはあるが、今回のイノシシ肉は臭みがほとんどなく癖もなく美味かった。
大量のイニシシ肉もあっという間に減っていく。
ぼたん鍋も味が出ていてホントにおいしかった。
食が細い事を知っている先輩も、私の食いっぷりに大変喜んでいたようだった。
いつもは都会の雑踏の中での飲み会ばっかりで、こうやって閑静住宅の和室の雰囲気はなかなか落ち着くものだ。
ワイワイと話も弾み5,6時間の時間があっと言う間に過ぎて行く。
何のゆかりも縁もない福岡で初めてご自宅に招待を受けこうやっておもてなしを頂くことなど思ってもみなかったのだ。
いろいろな話の中で福岡の事も随分と教えていただき、今福岡に住んでいるのだと実感したのだった。

花より食い気

2017-04-15 21:59:32 | people
木曜日から妹の娘が福岡に遊びに来ていた。
彼女は3人姉妹の真ん中で地元の短大を出て社会人2年目になる。
まあ姉妹でも性格は様々のようで、次女というと割と活気があり活発なのかと思うが、割とおっとりした子だ。
幼いころから可愛がってきた分だけなついてくれていた。
まあ今回は私たちを頼りにという訳でなく、娘を頼って来たのだった。
夕方仕事が終わり近くの公園で待ち合わせをして駅中の居酒屋で食事をした。
ここは通勤時代によく同僚たちと使っていた店だったが、久しぶりに来てみるとメニューも雰囲気も少し違った感じだった。
それぞれに飲み物と料理を注文する。
みんな生ビールのなかノンアルビールで乾杯となる。
遅れて娘が合流し、仕切り直しで再び注文となる。
それにしても良く食うし、よく飲む。
まあ成人だからそれも良いだろう。
その日は娘の部屋に泊まるというので久しぶりに娘の部屋に行く。



高層からの眺めは同じマンションでもこうも違うのかと改めて眺めた。
彼女もその日は娘の部屋にお世話になり、私の勧めでもう一泊することになった。
ふたたび駅近くの公園で待ち合わせをして、もつ鍋を食いに出た。
マンション近くの「おおいし」というもつ鍋屋で会食をした。



ふたたび遅れて娘が合流して、これまた食う。
さすがの娘もついてはいけそうにもなかった。
その日は我が家に泊まり、次の日は天神や大名といった若者に人気の店と次々とおつきあいとなった。





まあ、若い子ならではの店でもこんな機会が無いと来ることは無い。
そんな店を何件かはしごして、バスセンターまで送り届けた。
妹の家庭のエンゲル係数が高いことは話に聞いていたが実感した次第だ。
そろそろ年頃だと思うのだが、まだまだ色気より食い気とショッピングといった感じだ。

2017-03-05 21:19:05 | people
いてもたって居れず急きょ熊本に向かった。
前日の夜、ジローさんからメールが送られてきた。
手術のあと術後の痛みで地獄のような日々が続いたようで、ベッドに寝そべった彼の顔写真付きだった。
腫れも取れいつもの彼の顔だったし、苦痛の日々も峠を越えた様子だった。
「命拾いしたくせに何を泣きごと言ってるんだい。会えるんだろ!会いに行くから待ってろ!」
そんな返事を返した。
病院は白河沿いにある大学付属の病院だった。
ナースステーションのすぐそばの病室のベッドの中に彼の姿を見つけた。
顔色はと真剣な眼差しで見つめたが、そもそもゴリラのような顔つきなのでそうは衰弱している様子には見えなかった。
ヒトミちゃんが付き添っていて、彼女も普段通りにしていたので安心した。
「ああ、ケンちゃん、俺も酒は飲めなくなってしまうのかな」
などとのんきなことを言っていた。
しかし彼の顔をしげしげとみると頭を横切って顎まで手術の傷跡があった。
鼻から大量の出血が数回ありそのたびに緊急搬送され処置を受けたが止血の処置で家に帰されたそうだ。
今回の搬送でこの病院に運び込まれ、耳鼻科の医師だけではなく脳外科の医師まで加わって徹夜の検査の結果、原因が判明し、その翌日には緊急手術だったという。
手術も17時間にわたる長丁場だったようで体力的にもきつかっただろうと想像がつく。
細かなことはよくわからないが、彼と話をしている分にはそんな大手術をしたという素振りも感じなかった。
出血が外に出たことが何よりだったということだ。
後遺症もなく、あとは傷口が無事に塞がり、落ちた体力を取り戻すリハビリを受ければ退院の運びとなりそそうだ。
前向きに今後の事を話していたが
「ケンちゃん、早く福岡から帰っておいでよ。ヒトミも○○さん(私の妻)がいると心強い」
と言ってくれた。
福岡への帰り道、その言葉が気になってしょうがなかった。



好好爺

2015-10-23 12:06:45 | people
いつものように早朝の散歩は続いている。
今日は方向を変え壷井川遊水公園の北側を歩くことにした。



町内役員になって大変お世話になった方がいる。
なりたての頃、新しい会長(たぬきオヤジ)のもとで会計をされていた。
たぬきオヤジは、私たちの面倒を良く見るオヤジで、何かあるたび
「かしわの鳴くまで」
が口癖で、ジローさんやグッチなどと家に押しかけては朝まで飲んだ事もよくあった。
そのたぬきオヤジが言うには
「○○さんが会計だけん俺は会長ば出来ると!」
そう言っていた。
自衛隊上がりの方で誠実そのもの、その誠実さでひょうきんなところもあるので皆からの人気というか信頼も厚かった。
町内餅つきではもち米の仕込みから蒸しあげる順番まで番号札を使った方法で指導を頂いた。
生活に関する知識もあり、しめ縄の締め方などあらゆる面で指導を頂いた。
飲むと陽気で赤ら顔で色んな事を教えていただいた。
お子さんが小学校の先生をしておられ、私の義弟と同じ職場だったようで、妹たちが台湾の日本語学校に赴任したときは台湾まで遊びに行ったと聞いたこともある。
なにかの縁といえばそれまでだが、そんなこともあり親しくさせて頂いた。
奥さんも民生委員などをされており、また娘さんも子供会の会長などをされ、一時は役員会に三人で来られた時期もあった。
夫婦仲も大変よろしく、おそろいの服を着られグランドゴルフなどをされていた。
2日前会長のセイのオヤジから訃報が入った。
ラジオ体操の仲間に聞くと、ここ1ヶ月で緊急入院し一時は良くなられたが急変したとの事だ。
まったく知らなかったとはいえあまりの急な訃報にビックリした。
壷井川遊水公園のお花畑も夫婦でされていたと聞く。



今日はその場所を散歩した。
コスモスは満開で鶏頭の真っ赤な花が朝日に浴びて綺麗だった。



立田山の先には阿蘇の噴火が見えた。

さて今から告別式に行かなければならない。
好好爺と最後の別れだ・・・。

電信柱

2015-10-06 18:16:01 | people
ラジオ体操のあとその場に残ってストレッチをすることにした。
脚のストレッチから腕、特に右手のストレッチを入念にする。
ある日ストレッチをしているとおじいさんから声をかけられた。
手帳に入れる名刺大のカレンダーをくれるという。
カレンダーの裏には西暦と昭和平成の対比表がついている。
おじいさんの生まれた年を聞くと昭和5年という。
今年は昭和で言うと90年になるわけで85歳になられるわけだ。
坪井(熊本市内より)から毎日色んなところを自転車で散歩されているという。
遠くは植木辺りまで脚を伸ばすといわれる。
自転車を見ると、なんと電動アシスト付きの自転車だ。
話は進み、14歳から三菱関係の会社で仕事をしていたそうだ。
年齢から考えると第二次世界大戦の終わりから終戦にかけての話になる。
社会に出て先ずはクルマの運転免許を取らされたという。
仕事は何かというと毎日毎日電信柱を建てて回ることだったそうだ。
熊本市内もまだ電気や電話の普及が遅れていたのだろう。
そういう仕事をただひたすらしてこられたのだろう。
社会のインフラに無くてはならない電信柱、今では地中化が進み日本国内の主要都市の市街地は電信柱を見ない。
NTTの人間から聞いた話だと電信柱にはNTT(通信)が立てる柱と電力会社が建てるものとがあるそうで1本1本に番号がついていると聞いた事がある。
いったい日本国内に何万本の電信柱があるのだろう。
気の遠くなるような話だ。



そういえば我が団地でも電信柱の建替えが行われている。
古い柱とすぐ横に新しい柱が立っている。
しばらくは両方経てて色んな装置の付け替えを行っているようだ。
電信柱を見てみると昭和62年の柱が交換対象のようだ。
台風や地震などによる耐用年数など決まっているのだろう。



交換が済んだ電柱はトラックで運ばれた行くのだが団地内をギリギリで切り返し運んでいる。



熊本電鉄の柱は未だに木の柱だ。
大丈夫だろうかと思うけど、これまたレトロな感じで良いではないか。

ラジオ体操指導 なんと81歳!

2015-09-21 21:12:47 | people
いつものように壷井川遊水公園でラジオ体操を終えた。
「あんた写っとらんばってん、荒木さんからタイ!」
と言ってヨネさんからDVDを一枚貰った。
荒木さん?
DVDのラベルを見ると「みんなのニュース」とある。
町内役員会で話をしていたヤツだ。
9月10日放送とある。
そしてTKUのロゴが印刷してあった。



家に帰りさっそくパソコンに入れ再生してみた。
なんとラジオ体操の指導員のヨネさんを取材した内容だった。



観終わりTKUのホームページからアナウンサー、彼のページにBlogがあったのでチェックしてみた。
記事の中に壷井川遊水公園でのラジオ体操の写真入の記事が2つあった。



ラジオ体操に来るメンバーの名前を知っているのはヨネさんを含め3人程度、それも打越町の人なのだ。



そのほかの人は顔もあまり知らないし、当然名前も知らない人ばかりなのだ。
そういえばこの前の雨の日、ラジオ体操のみんなはどこに行ったのか探していると東屋に集まっていた。
遅れて参加した私を
「打越の○○さんです」
と紹介されたっけ、そのときカッコイイトレーニングシャツを着ていた人が彼だったのかも知れない。
となりで体操をして一言二言会話をした覚えがある。
彼がヨネさんを見つけ出し取材をしたのだろう。



番組の内容は良く取材してあり、ヨネさんのありのままが紹介されていた。
ヨネさんも飾りの無い人なので取材もしやすかったのではないだろうか。
しかし歳が81歳とは知らなかった。
知り合ってもう十数年になる。
町内会で知り合ってラジオ体操でも仕事が忙しかった時期を除けば長い付き合いなのだ。



番組を見ながらあらためて思うことだが、随分と歳の離れた先輩だけど元気の良さには驚かされる。
今日は敬老の日なのだが、歳の差なんか関係ないように思えるのだ。

先輩

2014-10-04 21:02:39 | people
久しぶりに上熊本駅まで妻に送ってもらった。
時間帯は全然違うが、通勤していた時以来の上熊本駅のホームだった。
今日はハマさん(会社の先輩だった人だ)と熊本駅近くで飲むのだ。
約一ヶ月ぶりの熊本駅に来た。
通勤の頃は在来線のホームから新幹線のホームには連絡通路を使って行っていたので、白川口に出るのはずいぶんと久しい。
熊本駅は新幹線側のフレスタと在来線側のフレスタがあるが、落ち着いて飲める店が少ない。
どちらにもビールセットなどのメニューはあるのだが、店自体が狭くてゆっくりと落ち着いて飲める雰囲気ではない。



そしてフレスタの名前も「駅前一丁目」という名前に変わるそうだ。
JR九州のホテルがありその一階に「うまや」という和食系の食事処なのか居酒屋なのかわからないところがあるのでそこにしようと考えていた。
ハマさんからのメールでは午後の4時くらいとのことだったので、上熊本3時31分の在来線だった。
熊本駅には約3分で着く。
しばし熊本駅周辺をブラブラした。



熊本駅の新幹線側の駅前広場も開業当時は何も無かった所だったが住宅やマンションが出来少しはにぎやかになっていた。
そして白川口のほうも高層のマンションあり銀行が出来たりと昔に比べれば様変わりの様相だった。
4時になりハマさんにメールを送る<今熊本駅にいます>すると<5時を少し過ぎる>とのメールが帰ってきた。
しばらく本屋で時間を潰しているとケータイが鳴った。
白川口の改札前で待ち合わせをして「うまや」に向かった。
店に入り先ずはビールで乾杯だ。
ハマさんとは仕事を始めてからの付き合いになるのでかなり古い。
歳は私より5歳上なのでもう定年を向かえ別の会社で再雇用中でまだ現役で働かれている。
「今日は何事ですか?」
と切り出すと、彼の実家は八代市の日奈久という所にあり、お父さんは早々と亡くなられお母さんが今一人で暮らされているとの事、近くにハマさんのお姉さんが住んでおられるようなのだがお母さんもずいぶんと歳をとられて介護認定が2程度の事のようで介護施設に入られているようだ。



しかし痴呆が進みいったんは介護施設を出て医療施設に入り、今日退院だったそうでそれに近親者の立会いがいるようでそれで今日となったようだった。
私たちの年代になると、子供たちがやっと巣立って行き、今からが私たちの自由があると思いがちなのだが、さらに歳を取った親の面倒はやはり子の責任でもある。
私も両親を見て来て、妻が言う
「おとう、何で休みに実家に帰らんと行かんと?」
と口ぐせだった。
門司港や小倉に出張で出っ放しの時の土日は休息の時間、帰らないと母や妹から叱咤の言葉が飛んだ時期があった。
そんなことを思い出しながら彼の話を聞いていた。
福岡にマンションを買い、もう実家には戻る事は無いようだ。
私も同じような環境にいるのだけど実家に帰るのか熊本の今の家にいるのかはまだ判断できない。
妻が嫌がっていることもあるのだけど、そっちのほうがはるかに経済的であることは明らかなのだ。
先輩の生き方、私の生き方、今後真剣に考えないといけない事のようだ。

お礼

2013-10-13 23:54:49 | people
ヤスのオヤジが久しぶりに遊びに来た。
前回も書いたが、この人とは子供がサッカー部で一緒だったので知り合った人だ。
家族ぐるみの付き合いというわけでもないのだが、なぜか気が合うし奥さんも、お母さんとも顔見知りなのだ。
たまにやって来てはコーヒーを飲んで帰っていく。
今日はずいぶんと暇そうで、それでやってきたのだ。
この人は昔、県内でも有名なガソリンスタンドで店長をしていた。
なのでクルマについてはある程度の知識がある。
知識があるというより、クルマ関係の修理屋さんに顔が聞くわけだ。
妻がクルマ止にぶつけた前方の修理、いつも車検を出す所(ここもヤスのオヤジの照会)から連絡が入ってこない。
その間にこの前、私がぶつけた右後方の修理も必要だ。
それでケータイ(いやいスマホだった)を取り出して別の修理屋に電話している。
せっかくの休みなのに出て来るという。
一時間ばかりして彼がやってきた。
これまた修理に何度か出している人だった。



ぶつけた右前のバンパー、そして左後方のバンパー。
さっそく家にあがってもらいいくら位かかるか値段を聞いた。
妻が任意保険の証書を持ってきて車両保険を確認する。
車両保険は年間に1度目の修理は全額出るが、2度目は10万円までしか出ない。
それで保険屋に電話をすると保険証は7月で新しい証書に切り替わっていたのだ。
それで修理屋の人に代わってもらいなんとか保険処理が出来そうなのだ。
前と後ろ同時にやってもらう事になった。
ありがたいことだ、こういう友達を持っているとこんな便利な事もある。
修理屋さんが帰ったので、お礼をこめて郷土のデパートに食事に出た。
しかしこの日はとてつもなくクルマが多く、10階の屋上にたった一台分しか空いてなかった。
そこの止めてデパートにはいり食堂街に行くと、そこもまた行列が出来ていた。
たまたまそば屋に空きがあったのでそこに入った。
天ざる、鴨そば、鱧そばなどそれぞれに注文していただいた。
そうそう、ヤスのオヤジもつい最近おじーちゃんになったそうで、それも含めてお祝いなのだ。

先輩

2013-08-28 20:28:06 | people
先輩に今週はウィークリーに泊っているので飲みに行こうとメールを投げた。
先輩からは
<今日は、一杯の前に運動しましょうか?ボウリングを2ゲームほどやりませんか?奥さんも一緒に>
とメールが返ってきた。
指定されたボウリング場に着くと妻がすでに来ていて、先輩を待つが来ない。
ケータイを見ると少し遅れるとメールが来ていた。
エレベータで受付に行くと結構な人たちで賑わっていた。
2ゲームと思って料金を見ると、1ゲーム620円だった。
2ゲームの料金とシューズ代が300円、結構な値段だ。
パックは無いか聞くと、3ゲームでシューズと飲み物が付いて1、580円というのがあったのでそれにした。



ビールを飲みながら3人でワイワイとと投げた。
奥のレーンでは職場の慰労会なのだろうか、大会が始まった。
何しろこのレーン、油が全然無くて、まっすぐに投げてもフックがすごい。
結局、わが妻だけがやっとこさ100UP、私も先輩も100すら届かなかった。
でも久しぶりに運動とやらでスッキリした気分になった。



先輩の行きつけの居酒屋に行った。
生ビールと活きの良い魚料理でたのしいひとときだった。
先輩とは家族同士の付き合いで、もう何十年になるのだろう。
同じ職種で別々の会社で知り合って、一つの仕事を一緒になってやっていた時期があり、しばらくして今度は同じ会社で仕事をした仲間だ。
今は定年されて嘱託で別の会社で仕事をされている。



彼の終電が近くなったようで、今日はこれでお開きとなった。
次回の再開を約束して博多駅で見送った。



妻と二人夜更けの大博通りをトボトボと歩いて帰った。

先輩

2013-04-23 17:12:42 | people
<転勤からもうすぐ3ヶ月、通勤も慣れたころでは・・・。明日くらい一杯やりませんか?>

と先輩同僚で定年して、今は違う会社でがんばっているハマさんからのメール。
飲みに行くとなれば買う切符の問題もあるし、当然、帰ることはできないので娘の都合も調整しなければならない。
そういう返事を送っていた。
先月は送別会などありバタバタした感じだった。
それで今週の中でやりくりすることにした。
娘のマックもネットへ繋がらないようで、早く来てほしいようなメールをもらっていた。
土日は家でゆっくりしたいので木曜日で娘とは調整がついた。

<木曜日呑みに行きませんか?>

とメールを送ったら、OKのメールが帰ってきた。



指示された博多駅筑紫口の居酒屋で待ち合わせ。
先輩同僚だけど付き合いは長く、もう30年の付き合いだ。
早速、新幹線通勤の件、同じ要介護の母を持つ身で話は盛り上がった。
そして長年のラン友でもある。
今、私は走っていないが、彼は玉名横島のイチゴマラソン、天草パールマラソン、福岡の春風マラソンなど走り狂っているようで、ハーフのタイムが2時間前後らしい。
どのタイムも1分以内の誤差のようで、安定した走りのようだ。



そんな話などで3時間近くも話し込み店を出た。
博多駅の地下に行き、娘さんにと言って有名店のケーキをもらった。
それではと彼と別れて美野島で娘にお土産にたこ焼きを買った。

かえるの子はかえる

2012-07-15 10:48:29 | people
娘のアパートには7時を過ぎてからだったろうか。
1Kの部屋に入ってビックリ、部屋の模様がすっかり替わっていた。
テレビとパソコンがすっきりと片付いていて、ベットが入っていた。



そしてなんと電子ピアノがあるではないか。



楽譜にはいろいろと書き込んであるが、どうも彼女が言う、部活動のためだとか・・・。
ダンスグループに入り、ダンスをしたりコーラスをしたりやっているようだ。



そのコーラスの伴奏をするため、楽器を買ったそうだ。
娘は物心ついた時から母である妻にピアノを習っていた。
当然ながら譜面も読めるし、ピアノの基礎はあるわけだ。
ヘッドホンをつけて練習していると、キーボードのカクカクという音と、ペダルの音がリズム良く聞こえる。
そんな娘も仕事に部活動、それに努めている会社で土日のアルバイトも頼まれて喜んで引き受けているようだ。
なんともバイタリティあふれる生活に頼もしい限りだ。

検索

2012-05-04 06:52:17 | people

連休中あまりにも暇だったのでblogのテンプレートでも更新しようかとパソコンの前に座った。
実はタグも書いて遊んでみようかと考えたがめんどくさくなってしまった。
パソコンの電源を入れると私のパソコンはgoogleがポータルサイトに設定されている。
よし、blogの登場人物をそこに入れてみた。
<ケイのオヤジ>
ええ、すると「打越通信」が先頭に登場した。
<テラのオヤジ>
次に
<ノボルのオヤジ>
またまた先頭に出た。
<マーのオヤジ>
先頭だ。
<セイのオヤジ>
これまた先頭だ。
今度は
<ヤスのオヤジ>
またまた先頭近くに上がってきた。
<グッチ>や<ジロー>では一般的すぎて、全然ダメでした。

つぎは趣を変えて
<八代の美女>
おお、これもいったか

いやはや上の7名の方に感謝しなければならない。
今度
「あなたのblogは何で検索すればいいのですか?」
と聞かれたら、誰の名前を言おうかな。

とんだ暇つぶしでした。


住民会

2011-11-20 13:11:18 | people
朝から打越公民館で住民会の寄り合いだった。
打越町は小高い丘の町でこの公民館も小高い丘に建っている。



老人会の人達もこの丘に登って来る。
公民館は打越菅原神社の裏にあり、ちょうど我が団地の造成と同じ時期に建て替えられた。
ここには巨大な銀杏の木があり市の指定木になってる。



熊本市内から3kmという割と都心から近いのだが、鬱蒼とした環境もある。
住民会はマンションでいう管理組合みたいな組織で、話し合いは駐車場の事と路上駐車の問題をどうするかと言った内容だ。
路上駐車の問題にしても話し合いはするが強制力もなく、あとは個人のモラルの問題でしかなくなんとも。
しかし問題は問題として話し合いを続けなければならないのだ。



会議のあとマーのオヤジが釣り道具の修理をしてくれた。
穂先の折れた釣竿を専用の道具で修理してくれる。
おまけに竿を全部引っ張り出して拭いてくれた。
なんともない事だけど、こういう事が近所付き合いの始めなのかも知れない。

頼もしい娘だ

2011-08-14 10:14:02 | people
娘のアパートの部屋から素晴らしい夕日が見える。
キャナルシティや博多港の方角だ。
娘のアパートに世話になりながらの生活だった。
長期出張に出るときに妻に3泊と伝えると4日分の下着にワイシャツ、靴下を用意してくれる。
それでも10日などの長期になると、当然着替えがたらなくなってしまう。
娘はそんなオヤジの下着まで洗濯してくれる。
梅雨が続くとなかなか乾かなく、室内にはオヤジの洗濯ものがつるされていた。
朝に朝食を作ってくれたこともあった。



娘は毎日、シロップときな粉をまぶしたバナナを食べていた。
私にはざるそばや味噌汁を作ってくれる。
夕食もだご汁を作ってくれたことがある。
料理も結構決まっていた。



ホテル嫌いな私としては、なんとも頼もしい娘なのだ。
そんな娘が言うには
「こんな娘はいないよ」
なんとも、その通りだと思う。
ありがとうネ。