打越通信

日記ふういろいろ

中華街

2010-10-31 01:21:38 | Weblog
福岡空港から上海まで一飛、いま上海の中華街にいる・・・といきたいところだが、そうはいかない。

博多駅でバスに乗り込ん九州道を南下、鳥栖JTから長崎道を終点まで来た。
どうもこういう集団行動の旅行は苦手なのだがしょがない。
ひとりぶらぶらするのが好きなのだ。

そうは言ってもこういう時は他人と行動を合わせなければならないのだ。
宴会が終わって、オジサン達は長崎の街に繰り出してたった今ホテルに帰って来た。
詳しい報告は後日になるが、近場でも、なかなかの感動があった。

マングッチのダンパチ

2010-10-30 13:26:10 | people
日曜の夕刻、グッちゃんが「ウチのバリカンを充電しても
動かん。ジロちゃんのば貸して。」といってきた。
バッテリーがアウトなのだろう。
家に呼んで刈ることにした。
夏祭りのとき青空の下、会場横の路上で 頭を刈ったとき以来だ。

「・・外でせんと?・・」
そのつもりだったらしい。

ポーチと防犯灯の明かりで、イスに座ったオッサンが頭を刈ってる姿は、

(なんしかバイ)


家の中に準備して、ゴミ袋をかぶって・・

ほーら・・薄暗い外で、バリカンが見えなかったら、
(通報される)



息子の学生時代 やっていたので、我ながら上手いものだ。
足元に落ちた髪の毛を見て「こぎゃん伸びとったんなー」
といっていたが、
夏以来である。
グッちゃんも50を超え、髪の伸びる速度が遅い。
「牛乳石鹸」をこよなく愛し、それで頭も洗う。
そのおかげで頭髪が濃くなったと信じている。



上熊本駅にいるケンちゃんから連絡があったので、
そのまま飲み会に移行した。
洗面所で頭を洗いに行ったグッちゃんは、しばらくして
血だらけでテーブルについた。
持参した一枚刃のカミソリで失敗したらしい。
故に終了後の写真は割愛する。
群を抜くキャラクター、ちょっとヌけた 愛すべき男だ。

写真&文 ジロー

集団旅行

2010-10-30 05:38:59 | 旅行
昨日、会社帰りの熊本の空。
東の方角に雲の集団が見えた、台風14号の雲なのか。
熊本は雨も降らずカラッとした天気、しかし風が強く、それもかなり冷たい風が吹いている。
さてさて、今日から例の集団行動の旅行に出る。
台風14号の影響で一時はどうなるのか心配していたが大丈夫のようだ。
過去は海外が中心だった集団旅行、だんだん近場になって行く。
6時台の特急に乗ってとりあえず博多まで行く。
苦手なケータイ投稿もあるかもしれないが、あまり期待は出来ないと思う。
そういう訳で、頼んだよ・・・ジロー!

戦友

2010-10-29 16:44:01 | 日記ふう
                    <門柱の上で>

 雨の中 すし屋の駐車場で(みー)は、濡れそぼりトボトボと近寄ってきた。
今まですし屋の残飯をもらって生き延びてきたのか・・。
やせた体で歩きながら、(微笑んでいる)ように見えた。
ネコぎらいだった僕が、何かにつき動かされるように忽然と(みー)を抱き上げ、
「オレん家に来い。」声をかけ、家人があ然とするのを尻目に
車中に保護し、連れ帰った。
ひとみは元々ネコ好きであったので、何も心配はいらなかった。

熊本からはるばる沖縄まで連れて行ったが、フェリーの中で
仲良しだった(マロ)が行方不明になり、寂しかったに違いない。
(マロ)は二週間後、フェリーの船内で死んでいたのを船員が発見し、
連絡をくれた。
沖縄新港に着いた船のエスカレーターを上がっていくと、
体をきれいに包み、丁寧に線香をあげてくれていた。
そのやさしさに、心から感謝した。

写真は奥武島の家の門柱の上で撮った。
家の中で静かにしていることが多かった(みー)だが、
外でも、かなりの間ここから動かなかった。
もともと体が弱かったが、四月頃からだんだんと食が細り、水しか飲めなくなった。
沖縄を去らねばならないことが決まって、あと数日で引越しという時、
(マロ)と一緒にいたかったのだろうか・・



庭の花のそばに並んで眠る2匹のネコは、
僕の<沖縄行>の犠牲になったと思いたくない。
大仰ではなく、(戦友)だった。

いつもなぐさめてくれたっけね。
奥武島はあったかいかい?来たら必ず一番に会いにいくよ。
今になって 涙がとまらん・・

写真・文 ジロー


沖縄タイムス

2010-10-29 06:39:28 | 島への便り
朝起きて朝刊を取りに庭に出る前にパソコンに向かう。
お気に入りから「情報機関」というフォルダーを開く、ここには朝日毎日読売日経など全国紙のほかに琉球新報沖縄タイムスも入っている。

全国紙は沖縄県には参入規制があり、無いそうだ、だからこの2紙で100%近いシェアーがあると言う。
ジローちゃんの引越しで沖縄の奥武島に行ったとき、家の事や食事などお世話頂いた方が
「お堅い琉球新報か、柔らか沖縄タイムスか」
と言われた事を思い出す。
調べてみると、琉球新報朝日系、沖縄タイムス毎日読売系のようだ。

ちょっと話がそれそうなので、朝起きてこの2紙のオンライン版には目を通すようになった。
今朝も開いてみると、台風14号の記事が全面に出ていた、他には九州高校野球の沖縄県勢のセンバツへの出場が厳しくなった事など書いてあった。
沖縄タイムスをもっと見ていくと「タンカー座礁」の記事が出ていた。

なんでもない記事なのだが、重油流出の影響が南城市まで広がっているとあった。
そういえば、泳げない海人さんのシンさん家は「もずくそば くんなとぅ」というそば屋さんをしているといっていた、そしてもずくの養殖もされている。
それですぐにgoogleから地図をひっぱりっだして位置関係を調べてみると、島の反対側だった。

台風14号も直撃か、と思ったが沖縄の東にそれてくれた、九州への上陸も無いようでホット安心。

なつかしき我が学び舎

2010-10-28 12:18:23 | 日記ふう
僕の人生最初の学び舎、<第一幼稚園>である。
園児は当時から角帽をかぶり、ボンネットバスでの送迎だった。
洒落ていた。

昔の建物は木造で、一部二階建てであったと記憶している。
その二階建ての<一部>が職員及び園長室だった。
園長は若いときの(石坂浩二)のようなハンサムな人だった。
ただ、少し猫背でやせていた。

ある時、家で「園長が<ケッカク>らしい・・」と耳にはさみ、
<ケッカク>は胸の病気で、近づくと うつることを知った。
昭和35、6年ごろのことであり、当時はそんなに珍しくもなかっただろう。
ただ僕はその時の話を、<ケッカク>の人に近づく時には、
(息を止めなければならない)と、理解した。

朝の体操の時間など(園長)の顔をじっと見た。
病気と聞けば、なんとなく元気がないようにも見えた。

何日か経ったころ、園庭で誰かがケガをした。
女の先生が、そばにいた僕に「園長先生を呼んできて!」と叫んだので、
走って園長室の階段を3,4段上ったろうか、開いたドアの向こうに
(園長)が座っていて、目が合った。
「・・?」と腰を浮かす園長に
僕は立ち止まり、懸命に息をこらえていた。


幼い頃の記憶が、どれほど正確かは知れない。
が、新しくカラフルになった外観を見ても
昔そこにいた自分を思い出し、懐かしさは変わらない。
(・・ここでケンちゃんから「オチをつけんかい」と、携帯で指令が入る・・
酔っているふうではなかったので、素直に応じる。)

最近、よく昔のことを思い出すのは何故、と自問自答。
「トシのせいよ」と 山ノ神。ニベもない・・

写真・文 ジロー




特急有明

2010-10-28 06:49:56 | 日記ふう
肥後大津・光の森・熊本から博多・小倉・門司港を一日15往復する特急有明、九州新幹線が前線開業すればどうなるのだろう。
リレーつばめは廃止になるのはしかたないとしても、いつも満席で博多-熊本間のドル箱路線なのだ。
787系の列車が投入されてもう18年になる。
リレーつばめも787系なので、車体へは「ARIAKE」のマークと、先頭車両に四角い赤の有明のマークが付いている。



月一回の博多までの会議や北九州への出張で、この有明かリレーつばめを良く利用したのものだ。
もし廃止となれば玉名、荒尾、大牟田などは特急列車が無くなることになる。
いつもは博多までしか利用しないのだが、博多からの乗車も多いように思う。
そうなると博多から先の赤間、折尾、黒崎、戸畑の各都市も困るのではないのだろうか。
いくら新幹線の利用が増えたとしても並行運転で十分採算が取れそうな気がするのだが、はたして存続か廃止か、5ヶ月後には決定する。



そして博多駅でのこんな光景もなくなってしまうのだろう。

秋の九州高校野球 3

2010-10-27 12:02:53 | 野球
野球場まで歩いた。
現在のお城の北の入り口、<新堀橋・しんぼりばし>



新堀橋から下をうかがう。
築城の際、新しく造った堀の規模が解る。



左に<二の丸>、右に<三の丸>を見つつ、しばらく行くと・・



藤崎台県営野球場がある。



試合前のシートノックを終える沖尚ナイン



はやる気持ちを抑えながら、アップに余念のない(タカヒロ)



先行され、逆転し、再逆転を許し、センバツの夢は消えた・・。
オセロの表と裏のように、白か黒かでは割り切れない、
「惜敗」という観念があるから(ここをこうすれば、
次は雪辱できるのではないか)という気が芽生え、
人は努力するのではないだろうか。
「惜しくも、敗ける。」という表現は、日本特有の美学のように思う。

スタンドにつめかけた観客は、ひいきのチームの応援にのみ
来ているのではない。
選手がグラウンドで発する、<香り>に酔いしれたいのだ。
僕の後ろの年配者が小声でいった。

(野球はおもしろか。どっちもガンバレ)

写真&文 ジロー




八代港

2010-10-27 06:59:59 | 熊本の風景
国土交通省から重要港湾の一つとして熊本で唯一選定されえた港だ。
全国103の重要港湾の見直しで約40港湾の中の一つになった訳だ。
残念ながら熊本新港は選ばれなかった。



だいたい八代港は球磨川の河口にあり、木材や八代平野で取れた米の流通拠点として発達した経緯があり、その港を求めて製紙会社やワイン工場が進出して八代の発展に貢献している。



また八代インターまで、地元の人は臨港線と呼ばれる新しい道も整備されかなり便利にもなっている。
現在、国際定期航路が週2便運行されている。



この日は、大連からの貨物船が鉱山石を荷揚げしていた。
ますます大型化する船舶に対応できるよう、今後も整備が強化されるのだろう。

うめのや

2010-10-26 12:43:08 | 食事
以前は芦北出張となると必ずここで食事をしたものだ。
芦北グルメをしている相方とどこに行こうか考えた。
芦北カレー街道があっているのでカレーを食いに行こうか迷った。
もう芦北の食事処はほぼ食いまわったカンがある。



それで昔良く言っていた「うめのや」にお邪魔する事にした。
ここはある会社の忘年会で何度も来ている、かなり広い宴会場もある。
そして法事などで仕出しも取った事があるのだ。



店内に入りメニューを見てビックリ。



500円ランチが復活していた。
一時このランチが無くなり三太郎ランチとして750円くらいにあがっていたのだ。



平日だけなんだが貧乏なサラリーマンとしてはありがたいことだ。



刺身も新鮮でこれで500円とは素晴らしい。
またまた芦北出張が楽しくなった。




秋の町内一斉清掃

2010-10-26 06:55:23 | イベント
24日は町内一斉清掃の日だ。
700以上の世帯がある打越町で、1世帯一人が奉仕作業に従事する。
5班の打越台団地は公園・駐車場・調整池の清掃を分担する。
朝 8時から一時間程度の作業になるのだが、この内<調整池>の
中にたまった堆積物の除去が、他班にはない苦労を強いられる。

沖縄・奥武島で、同じ13班だった元校長先生の
中本氏(親しみをこめて、チューポン先生・と呼んでいた)が、
日頃から受け持ちの範囲の草を刈ってくれていたので、当日は
早く作業が済んでいた。



上の写真左の郡山氏(こおりやま・通称 マーさん)は同じ5班2組の
方で、この<調整池>を日頃から、まさにチューポン先生のように
夫婦で管理されている。
郡山夫婦のおかげで、他の団地のように(セイタカアワダチソウ)の
群生を免れ、景観が保たれている。





       清掃が終わりきれいになった、調整池(上)と駐車場(下)


調整池は約20人、上の駐車場と公園はそれぞれ30人ほどで作業をしたが、
カメラのご機嫌が悪く、撮影を断念した。
見出しの写真は、バケツリレーよろしく皆で運び上げた<堆積物>。
120余袋あった。
作業にあたった皆さん、本当にご苦労様。

奉仕活動の終了を待っていたかのように、雨が落ちてきた。
・・高校野球の様子が気になる・・


写真&文 ジロー



バーディー

2010-10-25 13:18:13 | ゴルフ
380ヤードのミドルホール、珍しくドライバーが飛んで残り距離を9番アイアンでかぶせ気味に打ったらなんと2オン。
5mくらいのバーディーパットなのだ。



芝はベントで今が更新時期なのかエアレーションしてある。
わずかにフック、これを入れればバーディーなのだ。
コツンと打って、なんと入ってしまった。
団地のオヤジ達との決め事で、バーディーはいくらと決めてある、今日は人数が多いのでかなりな金額になる。

今日はマーのオヤジが4人分のサービス券をもらったというので、団地のオヤジ達7人とゴルフなのだ。



朝5時50分に私の家の前に集合し2台のクルマで阿蘇に向かう。



ゴルフ場には7時前に到着、2組の分かれてスタートした。
いつも行くゴルフ場とは違う本格的なゴルフ場なのだ。
フェアウエイといいグリーンといい管理が徹底されている。
ノボルのオヤジにとっては初めての本格コース、興奮気味なのがそばにいて伝わってくる。



カートは2人乗り、なんと電気カートだった。
音も無くペダルを踏み込むとかなりのパワーがあるのだ。
おまけにフェアウェイ走行がOKなので、右に左に楽チンだった。



スコアは?
と聞かれても、いつもはキャディバックはゴルフ場に預けてるし、練習場にはほとんど行ってないので良いスコアが出るわけが無い。
18ホールを通しで周り、ゴルフ場を後にして、途中のそばやで天ぷらの盛り合わせに大量のおでんに上天丼、もちろん生ビールもだ。
一人1,000円出し、私のバーディー賞は天ぷら、おでん、生ビールに消えて行ったのだ。

秋の九州高校野球 2

2010-10-25 07:47:26 | 野球
                <試合前の練習>

藤崎台県営野球場での開会式の後、約一時間かけて八代高校の
グラウンドに移動し、アップする沖尚ナイン。
試合会場の県営八代野球場から10分の場所だ。

グラウンドの、土と石灰と グラブのワックスの香りが混じりあい
しばらく佇むと、野球に明け暮れた昔を思い出し、胸が高鳴る。



(タカヒロ)が緊迫した練習が続く中、ベンチに水分補給にきた。
「がんばれよ。応援しているぞ!」
「はい、がんばります!」
目と目で会話を交わした。



一足先に球場に着き バックスタンドにいくと、熊本(国府高校)と
福岡(久留米商業高校)が試合中だった。



5対8で敗れはしたが、(久留米商業)はその応援がすごかった。
300人はゆうに超えようか、吹奏楽部を従え夏の選手権大会をほうふつとさせる
堂々の応援だった。

さて、我が沖尚は・・



国府ー久留米商の試合が長引き、予定より50分遅れ 15時20分の
試合開始となり、16時過ぎにナイター照明に灯が入った。
詳細は新聞等の報道に譲るとして、
結果は、2対1 僅少差の見事な逆転勝ちを収めたのである。
(タカヒロ)の成長した姿がうれしかった。


八代高校の校内ですれ違った学生の、張りのある挨拶、伸びやかな肢体
目の前のグラウンドで勇躍する選手たち・・
まちがいなく、彼らは<青春>の真ん中にいる。

次回、再び<青春>の香りを味わう場所は<藤崎台>だ。

写真・文 ジロー















甥っ子

2010-10-24 17:29:32 | people
実家に帰って芝の手入れをしていると、鹿児島から甥っ子の亮がやって来た。
今、鹿児島大学の教育学部の3回生、先生を目指して猛勉強中との事。



同級生の結婚式に出席するためバイクで帰って来たという。
高校時代は野球部のキャプテンを務め、大学も現役一発合格の文武揃った好青年。
この子と上の淳がまだ幼い頃、2家族でキャンプに良く行ったもんだ。
もうこんなに大きくなってしまった。
大盛りの焼き飯を旨そうに食っている姿を見て、微笑む私なのだ。
ところでこのブログのカテゴリーに入っている兄貴の淳はいったいどうしているのだ?
おーい!
と呼んでみたが返事は無い。

秋の九州高校野球

2010-10-24 12:26:50 | 野球
               <沖縄県営北谷野球場>

沖縄にいる頃、よく野球を見に行った。
プロのキャンプは来るは、年中野球はできるは、
内地で野球に携わってきた僕には、夢のような環境だった。
ある年 選手権大会の一回戦で、八重山商工高校の
伊志嶺監督に、球場入り口で出会った。
前年活躍した教え子が、後輩の応援に来ているのを見つけ、
「今年の子は野球を知らん」といって笑っていた。


           <元気の塊>

127回目となる(九州地区高等学校野球大会)が、
23日から藤崎台県営野球場と県営八代野球場で開催される。
(八商工)は県大会のベスト8で敗れたが、
先日、第二代表(沖縄尚学高校)の選手の親から、
「タカヒロ・息子の名・が、ベンチ入りして熊本に行きます。」
と上気した声で連絡をよこして来た。
野球の指導暦を買われ、トレーニングを頼まれた子だ。
中学時代は(こりゃ時間がかかる・・)お世辞にも上手な選手
とはいえなかった。ただ、性格はいたって真面目で、頭脳明晰。
練習に取り組む姿勢は素晴らしく、どんどん吸収していったものだ。

開会式後、11:00から八代高校のグラウンドで調整し、
14:30から宮崎第一代表の延岡学園と試合予定だ。
明日は、その成長した姿を見に、八代へ出張る。

チバリョー・沖尚!
チバリョー・タカヒロ!

写真&文 ジロー