打越通信

日記ふういろいろ

真夏の三大交響曲

2020-08-09 17:53:09 | イベント
天神に出るたびにアクロス福岡のコンサート情報を見ている。
いろいろと情報はあるが延期や中止の情報ばかりだった。
たまにはあるが、ミニコンサートみたいな独演会らしきものだ。
それでも良く見ていると「九州交響楽団」の案内を見つけた。
「真夏の三大交響曲」シューベルトの「未完成」、ベートーベンの「運命」、そしてドボルザークの「新世界より」だった。
前にもこの題目でコンサートに行ったような気がする(読売交響楽団だったかな)、ドボルザークの新世界がやっぱり引っかかる、公演日を見ると8月8日、チケットをとるにはあまりにも近すぎるのだ。
家に帰り家人にそのことを言うと、さっそくネットで調べ、直接九響のチケットサービスへ電話をしている。
何枚か席があるようで予約を入れ、コンビニから振り込んだ。
数日してチケットが送られて来た。



開場は14時、開演は15時、わくわくで出かけた。
14時半ころ会場に着いたが、皆さんなかには入らず、入り口近くで待っているようだった。
開演ちょっと前に会場に入る。
今まで2階か3階の隅の席だったが、今回は夢のような1階席だった。
チケット見ながら席を探すと、前から4列目の左から5席めの席だった。



えっと思った、あまりにも近すぎるし目の前はバイオリン軍団だ。
ピアノだったら一番いい席になるのだろうが、オーケストラでは全体が・・・。
最前列はクロースされ、席も1席ずつクローズされていた。



定員の半分しか入れないようなのだが、後ろを振り向くとほぼ満席の状態だった。
クラシックファンも結構いるもんだ。
開演になり楽団員が出てくる。
あまりにも近い。
未完成が始まるが目の前にいるバイオリンの女性の指の動きまではっきりと見えるのには驚きだった。
指揮者の後ろ姿からこちらを見たときの表情まで確認できる。
演奏は未完成2楽章、運命4楽章が終わり15分の休憩をはさみ、いよいよ新世界が始まる。
第二楽章が好きで「家路」のあとのざわざわとしたビオラとバイオリンの掛け合いがなんともたまらない。
バイオリンも細かな音に神経を使っているのが目の前の演奏者を見るとわかる。
そして演奏会はすべて終了し、会場は拍手の渦になり、オーケストラと会場が一体になった。
コンサートマスターは前を向けず、私の席の方へ顔を傾ける。
感涙が見えたような気がする。
コロナの影響で苦しかった数か月を思っての事なんだろうか。
めいっぱいの拍手を送ったがアンコールは無かった。
これもコロナ対応の事だろう。
やっぱり音楽は生が良い。
そして今回は指揮者、演奏者の人を感じることが出来たのだった。
立春(8月7日)を過ぎ暦の上では秋、「真夏の三大交響曲」は無いだろう、などと細かいことは良いではないか。

必見

2019-03-18 23:33:39 | イベント
博多座に初めて行った。
歌舞伎と聞いても、そうねあまり興味もわかないけど何事も必見かも知れないな、そんな感じだった。
息子夫婦が久しぶりに遊びにやってきた。
それがきっかけだったわけだ。
タクシーに乗り(これもあまり我が家にない光景だが)博多の街中に筋を通すような事だ。
歩いてもそれほど遠くない道のりだが、まるで人力車で演劇でも見に行く雰囲気だ
博多座は、入るなりその光景というか雰囲気に違った世界観を感じた。
まず匂い、これまた昔風の感じで懐かしい落ち着いた、土の匂いのような感じを受けた。



そして昔風の賑わいを演出した出店だった。
演劇場とはこういうのもかとふと昔を思った。
学生時代に歌舞伎を一度か二度ほど見に行ったことがある。
もう何十年も前の事なので、当然昔の歌舞伎座という事になる。
銀座の少し外れた場所にあったと思う。
そのころ確か歌舞伎がブームで連れの連中に腕を引かれていった記憶がある。
演目(あらすじ)も役者が誰かも覚えていない。

演劇場はすでに入るなりその世界が広がっていた。
福岡の天神やキャナルでは見かけない世界だった。
まず誘導されるのは料理だった。



逆らうこともなく料理を注文して劇場に入る。
今回は通し狂言なので長い演目なので途中に30分ほどの時間が出来る、その間に昼食をとるようになっている(ようだ)。



演目は「鯉つかみ」という題目で博多座開場20周年記念の演目とのことだった。
えっと思った、博多座が出来て20年にもなるのだ。
新幹線が全線開業して8年(これは東北大震災と同じだから覚えているが)、博多座が20年、そんなになるのかびっくりだった。



幕が開くと色とりどりの舞台、そして派手やかな役者の登場、後ろのほうから屋号を叫ぶ声が飛び交う。
うるさいなと思いながらもだんだんと引き込まれていく。
学生時代に見た時と違い、筋もわかるし言葉も理解できる、
それよりも仕草や間合いといったことがなんとも素晴らしい。
太鼓や三味線、長唄、これにやはり興味を持った。
歌舞伎役者のすごさもわかったが、わき役たちのしっかりしたところが素晴らしい。
すべてが完全に出来上がった(練りこまれた)領域だった。
歌舞伎のすごさを感じた。
日本舞踊、長唄や浄瑠璃、三味線や太鼓などすそ野の広いその頂点のようだ。
何事も必見のようだ。

10周年の中州ジャズ

2018-09-15 23:01:24 | イベント
今年で10回目という中州ジャズ、出かけるのは5回目になるのかな。



2日とも仕事だったけど時間的にはちょうど仕事帰りに立ち寄るには良い時間だ。
初日は雨が降りそうな雰囲気だったが、たまたま行ったステージがキャナルの横のレッドステージだった。
天気のせいもあったのか人はそんなに多いとは思わなかった。
ステージ近くで見ていたが<クリア・マコト>とそのバンドがラテンのリズムで盛り上がっていた。
どこまでテンションが上がるのだろうというような盛り上がり。
そしてラッキーにもその次が<日野皓正クインテット>というプログラムだった(残念ながら撮影は禁止という事で写真なし)。
演奏が始まるなり何とも異様な雰囲気で、ふてぶてしくも日野皓正が出てくるがなかなか演奏にはいかない。
さすが日野皓正のバンドというだけはあり、音はかなり濃厚でしまっている。
特にドラムはまだ若いようだが力強くリズムを刻んでいた印象を受ける。
やっとトランペットを構え吹き始めると独特の音が響きわたるのだ。
とても75歳とは思えない迫力に圧倒される。
一人一人のテクニックもかなりのレベルだが全体の調和がとても良かった。
ステージの最後にはほかのステージで演奏していたミュージシャンたちも出てきてそれぞれにセッションを始めた。
日野皓正の息子の日野賢二がベースに入ると音全体がさらに厚みと凄みが増し最高のエンディングとなった。
そしてあのふてぶてしいと思っていた日野皓正と出演者全員が深々と頭を下げて初日は終わった。
何ともカッコ良いではないか。



それに感動をもらい次の日も出かけた。
<日野皓正>のステージもあったが、今日は<小沼ようすけトリオ>を目的に出かけた。
ラテン系のリズムの効いたバンドが多い中、アコースティックな音がこれまたしびれる演奏だった。



パーカッションとベースというトリオでここまで聴かせてくれるのかという感じだ。
そのあと<日野皓正>のステージに行ってみたが武田真治とローリーのステージがあっているようで物凄い人だった。
次が日野皓正のステージだったがあきらめて帰ることにした。
この二日間は何とも贅沢で幸せな時間をもらった。
強烈な個性とテクニック、そしてジャズという独得な世界に触れた2日間だった。

夏祭り

2018-07-22 21:03:02 | イベント
この数か月、平日は朝7時半に出社している。
月に一度の土曜出社の日はさらに早く7時には事務所の机に座っている。
朝が早い仕事なので必然的に事務所も早く出て各現場からの連絡の取次などがある。
その分早く帰れるので、早起きが苦にならない私にとってはありがたい。
しかし夕方の4時というと、まだ日も高く灼熱の時間帯というのが辛い。
仕事場から自宅までは歩いて20分程度、ムッとする中を自宅近くまで来ると通行止めの看板が出ていた。
狭いがクルマや人通りの多い道が今日に限ってはガランとしていた。
エレベータで8階の廊下まで来ると商店街から賑やかなバンドの演奏が聞こえる。
部屋に戻りしばらくクラーにあたり熱気をとってから商店街に出かけてみた。



美野島商店街の交差点を中心に四方が交通止めで歩行者天国になっていた。
角のステージではロックバンドの演奏があっていて威勢のいい音楽が流れていた。



四方の路地(商店街)にはいつもはない出店が出ていて賑やかだった。
みんな手作りの店で、飲み物や焼肉、焼き鳥、たこ焼きや焼きそばといった食のブースが並んでいる。
いつもは割とガランとした商店街だがこの日ばかりは人であふれている。



路地のさらに細い路地にもテーブルなどが並べられそこにも人がいる。
ちょっとした夏祭りなのだがこれだけの人であふれるのだからすごい。
ここに来て3年目の夏祭り、やはり人の多さには驚かされる。



この美野島も古い家が何件も残っており路地も人がひとり通れるような道が入り組んでいる。
それと対照的に10階建て以上のマンションが何件も立ち並ぶ所、新旧が入り乱れている。
私のマンションも部屋数は200は超えるのではないだろうか、そんなマンションが立ち並んでいるわけだから一体住民は何人くらい住んでいるのだろうか。
こんな祭りでもない限り実感できないだろう。
いざ地震だ大規模な火災だといったら一体どんなことになるのだろう。
そんなことをふと考えさせられた。

平成最後の追山

2018-07-15 21:09:30 | イベント
ワールドカップ3位決定戦が始まり開始早々にベルギーが先制、しばらく見ていたがイングランドは攻めあぐんでいた。
これは決まりだな、と思って眠りに就いた。
結局、起きたのは4時過ぎだった。
あわてて着替えて住吉神社、キャナルの横を通り櫛田神社入り口付近に着く。



道路は完全に封鎖され櫛田神社から出て来る山を見ようと多くの人だかりができていた。
みんなスマホを頭上に挙げ撮っている。
去年は櫛田神社の中に入り込み身動きできなかったことを思った。
山鉾が次々と出て行っている。
思い切って集団の中に入ってみたもののこれまた身動きができなくなった。
満員電車の中にいるような状態で周りは酒の匂いがする。
これでは気分が悪くなる、そう思い大博通り方面への人の流れの中に入った。
しかしこれもまた大渋滞のようで少しずつしか進まない。



おまけに自転車を押したおばあちゃんの後ろだったのでなかなか進まない。



やっと大博通りに出たが、これまたここも大勢の人の行列ができていた。
呉服町の細い路地まで行けば良いかなと思い大博通りを横切り山が進む方に行ってみた。
しばらくは進んだが人の流れが止まってしまった。
ここは山がいったん細い路地に入り、博多祇園山笠発祥之地へ挨拶を行う場所のようで流れがいったんこの場所に入り、再び出て行くところだった。
人垣は二重三重になってはいるがすぐ横を山が過ぎていく。
流れの先頭を走っている勢子たちもかなり神経を使っているようで、人垣の最前列にいる人たちに注意をしていた。



見る方は入ってくる山と出て行く山を二度見ることができる。
結局そこで身動きができないまま最後の流れが過ぎて行き追山は終わってしまった。
去年もそうだったが薄暗い(夜明け前)のでなかなか早いシャッターが切れないのでピンボケの写真ばかりだった。
それよりも沿道に大勢の見物人が出るため撮影できる場所が無い事だ。
そしてフットワークをよくしたいと思うのだがやはり人が多すぎて身動きできないし、山笠のコースを横切ることができないので制限されてしまう。
なかなか難しいものだ。
そういうわけで平成最後の追山は終わった。

明日の追い山へ

2018-07-14 22:44:57 | イベント
台風7号の通過そしてそれに伴う西日本の豪雨、広範囲にわたり被害が出ている。
梅雨末期の豪雨は、今までも何度も経験しているがこんなに広範囲な被害は初めての経験だと思う。
これが一週間前の出来事で、梅雨が明けたと思ったら一気に気温が上がり灼熱の夏に突入してしまった。
自然の前にはなすすべもない。



博多の町は博多祇園山笠で一色に染まっている。
駅前には16番山笠の飾り山が出ていた。



その当時の流行りを取り入れ、今年は大河ドラマの「西郷どん」が表だった。
篤姫、斉彬、糸、大久保利光といった大河ドラマそのままのキャスティングだ。
鹿児島が舞台の「西郷どん」がなぜ博多の祭りにと思ったが、まあ良いではないか今では新幹線に乗れば1.5時間(隣町に行く感覚だ)、それに鹿児島の良い宣伝だ。
博多の街も今日は35度近くまで気温が上がったようだ。
しかし常に浜風が吹いていて熊本の暑さからすれば体感はそれほどでもない。
博多の町は連日の山笠(追山ならしや集団山見せなど)で盛り上がりを見せている。
そしていよいよ明日は最大の見せ場の追山となる。
自然の前になすすべもないが、吹き飛ばすような心意気がここにある。
さてさて明日は追山で早いので
「今日はここらでよかろかい」
となるのだ。

たまにはコンサート

2018-07-08 21:10:11 | イベント
台風7号が通過し、その後の豪雨の影響で福岡でも川の氾濫や道路陥没の被害が出ている。
熊本に帰る時によく利用する筑紫野ICも付近が道路陥没の影響で利用できなくなっていると聞く。
今日も午前中は食料品の買い出しやいろいろな事務手続き(ほとんどが支払ばかり)で時間が過ぎた。
平日はなぜか疲れていて、そんな書類(おもに請求書)に目も通したくなく溜まってしまっているのだ。
午後3時からは待ちに待ったコンサートだったので出かけることにした。
雨が降る可能性もあり、コンサート後もちょっとした用事があったのでクルマで出かけることにした。
会場のアクロス福岡の駐車場まで来てみたが満車の赤い電光掲示板が目に入る。
付近の駐車場も何件か探してみたが空いていない。
自宅まで戻ってバスで出直そうと思ったが、それでは時間が間に合いそうになかった。
渡辺通りから日赤方面に向かうとすぐに駐車場が見つかったのでそこにクルマを置いた。



そこからテクテクと歩いていると飾り山笠があった。
台風の影響も大雨の影響もなかったようで周りにはたくさんの人が集まり写真を撮っていた。
「第十四番山笠 渡辺通一丁目」の山笠だった。
クライマックスの追い山は15日なのであと一週間となる。
博多の町は山笠祭りの真っ最中だった。
雨も降りそうだったので地下街を通り会場を目指した。
開演まであと5分というギリギリで滑り込んだ。
席は今や指定席となりつつある3階の左側、一度は一階正面の席で聞きたいものだが裕福でない私には倍以上のお金を払う勇気はないわけだ。
席に着くなり演奏が始まった。



今日はドヴォルザークで統一された内容だ。
スラブ舞曲が始まり、次はバイオリン協奏曲と続く。
そして今日のメインの交響曲9番だった。
バイオリンの高く細い音はしびれるほど最高だったし、もっともポピュラーな交響曲の9番は迫力ある演奏だった。
久しぶりの「新世界」の生演奏に思わずスタンディングオベーションだった。



退屈な日常にたまにはこういった感動で刺激をもらうのも良いものだ。

法事を終えて

2018-06-26 21:03:04 | イベント
仕事を終え待ち合わせ場所のデパ地下に向かう。
5時ちょっと過ぎのデパ地下も人通りは多い。
食品売り場と言っても贈答用の売り場に用事があり出向いた。
お中元時期の走りとあってか売り場は結構にぎわっていた。
祖母の13回忌、両親の7回忌法要のお土産品の品定めのためだった。
再び来るのもめんどくさいのでその場で決め日程に合わせ送ってもらうことにした。
法事の準備もこれといったことはしていなかったが、遠方に住む高齢の叔父叔母をどうするか決めかねていた。
彼らにとっては自分の母の法要であり、連絡はすれど来ていただくにはちょっと苦しいのではないかと思いあぐねるのだった。
それで近辺に住む叔父叔母に話をして法要をすることだけを連絡してもらうようにした。
関西に住む叔父はすでに80歳を超えているが一人新幹線で来るという。
先日の大阪北部の地震で心配したが被害はそれほどでもなかったようだ。
何とか人数も確定して確保する品数が確定したわけだ。
今回は近所の親せき関係は遠慮していただくとして身内だけの法要になる。
それでも人数は27人になった。
法事の前日に博多を出て昼過ぎに実家に着いた。
着いた瞬間に「喪服を忘れた」と妻の声。
一緒に博多を出た娘が一人新幹線に乗り取りに帰ることになった。
その間にこの家に住む甥っ子の淳と二人で雨が降る中草刈り機で庭の草を刈った。
部屋の中も物を片付け、掃除機をかけ拭き掃除まで何とか終わった。
当日はなんとか天気も持ち直し、午前10時過ぎから熊本市内や鹿児島からみんなが集まり小山にある納骨堂に墓参りに向かった。





今回はお寺で法事をすることにしていたのでそのまま皆で移動して法要は始まった。
法事は一時間ほどで終わり、お寺の中庭では久しぶりに会う親戚同士の会話でにぎわった。
会食はお寺から程遠くない市内の料理屋で行った。
法事の主催者(私)が福岡からということもありうまく行くか心配はしていたが何とか無事に済ませることができた。
今月はこれで2回目の法事となる。
月初めの法事は母の家関係の法事だったが、10月には再び親父の弟の法事の予定がある。
こんな事を楽しみにするのは如何なものかと怒られそうだが、会社関係の集まりや友人との集まりとは違うほのぼのとした集まりは良いものだと思うのだった。

debut 10 years

2018-02-24 22:21:45 | イベント
クラシックを本格的に聴き始めて2年くらいになるのかな、親父が残したホロビッツのCDを聞いた衝撃からすっかり虜になってしまった。
色々なピアニストのCDを集め始めショパンやリスト、ラフマニノフ、ベートベンなどの曲を飽きもせずに聞いている。
日本のクラシックピアニストは辻井信行と内田光子くらいしか良いなと思うピアニストはいない(私の中で)。
それでもやはり日本調というのか感覚的にそれが気になってあまり聴かなかった。
辻井信行の場合もテクニックは素晴らしいものがあると思うが、録音のせいなのか低いほうの音が気になりいまいちだった。
ピアノ教師である妻にその話をするとどうしても左手が強くなってしまう(というか同じ強さになる)らしい。
まあそんな事はどうでも良く、若いころの彼はそれなりに良かったのかも知れないが、デビューから10年となると円熟した演奏が聴けると思った。
娘の手配でチケットが取れたので3人で久しぶりにアクロスにあるコンサートホールに向かった。



夕暮れの中、キャナルからの那珂川沿いに屋台が立ち並ぶそばをてくてく歩いて会場に向かう。



開演は午後7時、開場は6時半というので6時半頃に会場に着いた。
すでに多くの人が入場していたが、やはり女性が多いようだ。



安いチケットなので定位置化してしまった3階席なのだ。
このシンフォニーホールも今回で3回目なのだが、一回目は3階席の舞台に向かって右側、二回目は左側だった。
なんと今回は真正面だったので少しは裕福になった気分だった。
演奏が始まるとショパンやドビッシー、リストなどの有名な曲で第一部は終わった。
会場に向かっての深々と頭を下げる辻井信行らしい挨拶に彼の人柄を思った。
それにしても生で聞くメロディの澄み切った音には感心させられた。
一つの音だけでもこの音を出すにはかなりの時間と苦労が必要なのだろう。
それを繰り広げて演奏することはとんでもない熟練が必要なのだろう。
2部はジャズがかったクラシックで初めて聞く曲が続いた。
2部では彼の話も聞くことが出来たが、ピアノを進めるにあたってクラシックに進むのかジャズピアニストとして進むのか悩んだ時期があったという話が出ると、会場はざわめいた。
そういう彼がデビュー10周年にジャズっぽい曲を選んだ事がわかった。
アンコールも2回も応えてくれた。
この10周年の記念コンサートも全国各地を3月まで続けるそうで、そのバイタリティにも感心させられた。
会場を後にして娘の話を聞いていると同じ歳だという。
まだまだ若いのだ。
これからもまだまだ精力的な活動が期待できる。
辻井信行らしいほのぼのとした温かい演奏だったねと娘が言っていた。

さりげなくジャズ

2017-09-09 06:38:13 | イベント
早いものであっという間に一週間が過ぎて行く。
何事もなく過ぎて行く事はもったいない事なのか、はたまた、幸せなのか、凡人にはわからない。
気候も良く、会社帰りにぶらりと中州方面に歩いてみた。
「中州ジャズ」があっている。



キャナルに入るとさっそく電子ピアノと何だろ(フルートっぽい管楽器)の演奏があっていた。
ボーカルはあまり良く聞き取れない感じだったが良い雰囲気で会場を包んでいた。



キャナルを出てレッドステージと言われる場所ではビッグバンドらしきグループが重量感のある音を出していた。
何せ人が多くて通路には係員がいて立ち止まり禁止となっている。
会場はすでに人が一杯で入る隙もない感じだ。



重量感のある音を聞きながら進んでいくと中州屋台が並んでいる。
人通りは多いがまだ時間が早いのか客はまばらだった。
出会い橋を渡ったところの会場でも管楽器とピアノをそろえたバンドが演奏をしていた。
去年も確か昔の会社の連中と飲んで来た。
今年で9回目というからそんなには歴史は古くない。
それぞれに名前のある人たちなんだろうがさっぱりとわからない。
人が多くて真正面からは見ることが出来なかったので、舞台の横(というより後方)から演奏を見ていた。
まだ若い細めの外人のドラマーが目に留まった。
きっちりとした背広姿でいとも簡単にドラムを叩いていた。
これがまた見事なスティックさばきでリズムを作っていく。
さりげない技を随所に散りばめる。
これには感動した。
トランペットの人が指を2本立て合図を送ってくる。
うなずきながらも正確なリズムを刻んでいた。



世の中にはいろんな人がいるものだ。
音楽にすべてをかける人たち、それでも名前が売れる人たちは一部なのだろう。
ジャズの良さは、クラシックのようにかしこまった形式ではないところが良いのだろう。
いつ始まったかわからないうちに音が鳴り始め、その音にみんなが引かれていき、各パートのテクニックで頂点をのぼりつめるような感じかな。
まああまり音楽(ジャズ)は詳しくないのだが、そんな感じでさらりと楽しませていただいた。
秋風が吹きだしたなか、ジャズの音と満月に近い月がとてもあっていた。

打越夏祭り

2017-08-14 21:23:15 | イベント
盆休みというか暦通りの休みで3連休だった。
盆も正月もない仕事なので今日は平常通りの出勤なのだが、世の中は休みなのでほとんど電話もなく過ぎてしまった。
初日はジローからの連絡で沖縄からの知人(泳げない海人さん)が来るというので熊本に帰る予定だった。
それでも午前中は何とか時間が作れるだろうと、福岡と下関の友人とゴルフに出かけた。
ゴルフの結果は散々の内容だった。
午後から熊本に向かったが筑紫野インターまでの一般道が混んでいた。
高速はそれほど混んでなく夕方までには熊本の自宅に着くことができた。
久しぶりにジローさん宅でゆっくりとゆんたくだった。



次の日は打越町の夏祭りとやらで、朝早くから会場つくりの手伝いだった。
ここ数年は会場も打越台団地内にある打越公園に固定されたようで、テントやそのほかの夏祭り用の道具は公園内のプレハブの倉庫に保管されている。
以前は公民館の倉庫から軽トラで運んでいたがその分は楽になった。
それでもテント5張りの組み立てや電灯の配電には人手が必要となる。



慣れたもので5張りのテントもあっという間に組み立てが終わり、着々と準備は進んでいった。



一通りの基盤が出来上がり後は各ブースの人たちの準備があるのでいったん自宅に戻った。
叔父から連絡があり、お参りに来たいという。
叔父にとっては両親と兄夫婦の仏前となるわけで、我が家が本家となる。
ふらふらとした本家だがそれなりにお参りを受け久しぶりに近況報告などの雑談で過ごした。



夕方になり公園に行ってみるとかなり多くの人たちが公園に集まっており賑やかに夏祭りは始まっていた。



町内役員の人々はもとより我が団地の人たちや町内の懐かしい人たちと会話を交わす。
熊本を離れ1年と4ヶ月ほど経つが熊本地震をはじめいろいろな事があり、時の変化を感じる。
通年と変わらない行事なのだが、人それぞれに年を取り時代は若い人たちに継がれていくものだ。



そんなことをこの場を離れていると感じてしまう。
公園にも子供たちの明るい声が響き、次の世代が育っている事を嬉しくも思う。



この子たちも大きく育ってこの場を離れても、この故郷の夏祭りが頭の隅にでも残ってくれればありがたいものだ。
10年後も20年後も続いてほしいのもだ。
そんなこんなで初日2日と過ぎて行った。

夏祭り

2017-08-05 19:05:37 | イベント
土曜出社の帰り、博多駅近くの人参公園で地域の夏祭りが始まろうとしていた。



「東住吉校区夏祭り」と看板には出ていたので校区の祭りのようだ。
熊本にいた頃は町内役員を20年ばかりやっていた関係でどうにも気になりちょっと覗いてみた。
会場の公園は都心にあっては結構広い公園だ。
博多駅のすぐ近くにあり、住吉神社の名前のように住吉地区がかなり広がっている。



私たちが住む美野島の隣町にあたり、JRの高架をまたいで住吉は広がっている。
東住吉小学校や中学校(隣どうし)はJRの高架の反対側にあり、確か住所は博多駅南だったと思う。
住吉小学校や中学校はこれまた離れた美野島にあり、どうも町名と学校名が一致してない所が面白い。
こちらの夏祭りも町内(いやいや校区内)の有志(自治会なのか?)の手作りイベントのようだ。



焼きそばに焼き鳥といったバザーはどこも変わらないようで青年部や婦人部といった組織が運営しているのだろう。
それとも社会福祉協議会や体協などの組織別になっているのかは不明だった。



同じように音響もかなり古い器機を駆使しているようでいかにも素人イベントが丸見えだった。
我が打越町(熊本)でも夏祭りの計画と音響に携わっていたものとしては苦労がわかるってものだ。



集まる人たちもかなりの人数になるのだろう、焼きそばはすでに作り始めていてパックに詰めた焼きそばが山積みになっていた。



アルコールの方は缶ビールの箱が山積みになっていて、こちらはわが打越町の本格生ビールとは違っていた。
広いとはいえ都会の、それも博多駅のすぐ近くの公園でこんな催しがあっているとは思いもしなかった。
なんとなく親近感を覚えしばらく準備作業の様子を見入ってしまった。
台風5号も近づいていて、主催者の開催判断も難しい所だったと察する。
終わり次第後片付けも大変だろう。
熊本の打越町の夏祭りも今月12日と聞いている。
東住吉夏祭りを感じながら、熊本を離れて2年目、わが打越町の夏祭りが懐かしく思える。

みのしま夏まつり

2016-07-23 20:45:50 | イベント
日頃の疲れからだろうか早めに寝てゆっくり目に目が覚めた。
窓を開けると割と涼しい風が吹いてきた。
やはり熊本の夏と違うな、海が近いせいか浜風が吹いている。
蒸し蒸しとした熊本とは違うのだ。
朝から買い物に出かけマンションの前の道に戻ってくると通行止めになっていた。
道路封鎖の横におにいちゃんが立っていたので声をかけるが×のマークを送るだけで話も聞いてくれない。
しかたなく反対側から入り込む。
オニーさんに行き先を言うと閉鎖の立て札を空けてくれた。



マンションにクルマを置き、通りに出てみると美野島商店街で夏祭りをやっていた。





道路を十字に封鎖してその交差点がメイン会場になっていた。
行って見ると近くの精華女子高校の吹奏楽部が演奏をしていた。
細い路地の狭い交差点は人で溢れていた。
吹奏楽部は全国でもトップクラスのレベルでわざわざ吹奏学部に入部するため進学するほどだという。
学校は美野島商店街の通り沿いにあり、1kmといったところだろうか。
前回は博多どんたくで先頭を切ってパレードしていた。



何曲か演奏しているようでマーチングで活躍するダンスも披露していた。
この狭い通路に人だかりが出来ている。
ほとんどが近所の人たちだろうか?



通りには出店が出ていて、金魚すくいやヨーヨー、ビールや焼き鳥といった店に人気が出ていた。
日頃この商店街で買い物をする妻もこの人通りの賑わいにはひっくりしたようすだった。



午後2時から夜の8時までの催しなのだが、この狭い場所に、さすがに博多は人だけは多い。
吹奏楽部の演奏に割れんばかりの拍手が鳴り響く。
さすが全国でもトップレベル、なかなか観客を楽しませるのは美味いようだ。



そして地元の人たちも熱烈な歓迎といったとところだろうか。
そういえば打越町の夏祭りも気になるところだ。
主催する方も参加する人たも一緒になって盛り上がる。
何とも夏らしい風景を見た。

餅つき

2015-12-20 18:11:55 | イベント
冬眠中の生活の中、朝7時に起床し公民館に向かう。
当然餅つきの準備はすでに出来ていて、餅米は前日から研ぎ浸け置きされており、火熾しもすでに出来ていた。



恒例の町内会恒例の年末餅つきだ。
長年の恒例行事のようで町内会に入ったずうっと昔から行われているようだ。
しかしここ数年、餅をつく若手の人が少なくなり、この伝統も怪しくなって来ている。
餅つきをする家庭も今では少なくなり、餅をつく臼も杵も、またつく手順も伝統も無くなって行くのだろう。



そういえば我が家でも母が餅つき器なるものを買ってきて、機械でついていた。
それでもやっぱり年末には餅つきをし新年の鏡餅を作ろうとしていた。
父の実家でも母の実家でも家族総出で餅つきをしていた事を覚えている。
まあ、昔は家族も多く、またつき手もいたので続いていたのだろうが、少子化になりそんな伝統もすたれかかっているのだろう。
それと同じで町内でもやはり餅つきと言うとあまり関心が薄いのだろう。
参加者は少ない。
それでもあえて子供たちには残したいとオジサン達(いやいやオバサン達もだ)は頑張る。
つき手はやはり60代70代のオヤジ達が中心になるのだが、気合いの入り方が違うのだ。



テラのオヤジもその一人で、やってくるなり杵を掴みつき出した。
懐かしさもあるのだろうが、あまりに気合いを入れてついているので、周りからは寝正月になるぞ!と声がかかる。
火熾しの火で芋を焼き、焼いた芋が回ってくる。



朝飯も食っていないので、この芋が旨い。
右手が痛くなければ一つきだけでもつきたい所だが今年は遠慮した。
小学生やまだ幼い子供達も来ていたが、やはりお母さんと一緒のようで、若き父親の参加は少ない。



つきあがった餅は公民館で形を整え、まずは町内の独居老人の方へ配り、残りは販売となる。
あっという間に売り切れ、今年の餅つきは無事終了した。

文化の日

2015-11-03 20:39:06 | イベント
デモ。
主催者発表によると3万人規模、しかし実際には15人ずつ手を広げて丸い輪を作れば10個ほどだった。

文化の日だから平和集会とか憲法改正反対集会などあるけど、そんなものじゃない、みんなで歩こうという行事だ。
高平台校区の健康づくり推進協議会が主催するウォーキング大会だ。
校区には色々な団体(連合自治会、体協、社協、青少協など)があるがその一つなのだ。
各自治会は各団体に対し団体協力費(だったっけ)を戸数分を町会費から負担している。
校区行事となればその団体だけで行うというのではなく各種団体が補助を行う。



高平台小学校に集合しすぐ近くの壷井川遊水公園までウォーキングを行う。
その道には交通指導員が立ち交通整理を行う。



参加者は各校区のナンバープレートに並び、そのプレートを目印に行動する。
参加者はおもに子供連れが多い。
中にはベビーカーでの参加もある。
当然父兄同伴ということになるので家族単位での参加になる。
私たち各町内会はその参加者のお手伝いのようなものだ。



しかしそれもあまり必要としないようなので、参加者に混ざりてくてく歩くだけなのだ。
壷井川遊水公園に着くと簡単なレクレーションなどあり15人ほど手を広げ輪を作ることになるわけだ。
そこでその輪の数を数えたのが冒頭の数字なのだ。
わが打越町(第二町内)の会長(セイのオヤジ)が肥後ちょんかけ独楽の保存会の会員をしている。



そこで保存会のメンバーが駆けつけ独楽回しの演技を披露していた。
技があるようでそれをセイのオヤジが説明をしながら、他のメンバーが披露していた。
技が決まるたび参加者から拍手が沸いていた。
レクレーションを行いながら弁当(団体から支給)を頂きお開きになるとの事だ。
セイのオヤジから弁当を、といわれたが、睡眠不足の影響で眠くなりそこでお別れだった。
そういうわけで11月3日の文化の日は、我が高平校区では何故かウォーキング大会の日なのだ。