打越通信

日記ふういろいろ

野母埼へ

2020-08-27 17:33:23 | 小旅行
稲佐山からの急坂を降りて橋を渡り、長崎市内の幹線道路に出た。
行先は野母崎方面、出来れば樺島という最先端まで行ってみたい。
はじめてのところで運転が気になったがナビもあるし家人が運転することになった。
昨日の私の運転(あまりにキョロキョロするようで)を見ての事だった。
市内は少し渋滞気味だったが、そこを抜けるとスムーズに進む。
伊王島の看板が見えるがパスしてクルマは進む。
しばらく走ると右手にいくつか島が見えてきた.。
高島や端島(軍艦島)だと思うが、黄沙のようなカスミがかかっていてハッキリとしない。



望遠を取り出して確認してみるがそれでもぼやけていた。
何枚か撮ってモニターで確認するが明るすぎて全く確認できなかった。
そうこうするうち野母の町に着いた。



樺島の看板に向かっていくと海岸線から赤い橋の架かった樺島が見える。
地図で見ると平たい島かと思っていたが結構山が高いようだ。
島にかかる赤い橋を渡る。



橋を渡ると、どこにでもあるような漁村だった。
町の堤防の一番先まで行ってしばらく歩いてみた。
庭先で一服しているお爺さんたち、船の中で漁が終わって後片付けをしている人、のどかなものだ。
街中をバスが走っている(唯一の公共機関なんだろう)。
長崎市内もそうなんだけど(いやいやここも長崎市内なのだ)、お墓も山の中腹近くまで広がっている。



小学校の横に「樺島灯台公園」の看板を見つけた。
しかしあまりにも道が狭い、クルマでは無理だ、歩きだと3kmはこの暑さではあきらめるしかない。



島を後にして、野母町の権現山展望公園に向かった。
外国船を見つけると狼煙を上げて知らせた場所だという。
眺めは良いのだろうが今日はあまり視界は良くない。
岬の下は絶壁になっていて、切り立った瀬や小さな瀬がいくつもあった。
風光明媚な野母岬を後にして長崎市街地に向かった。



向かう途中にも所々の風景を写真に撮った。

続く

202号線を進む

2020-08-24 16:23:24 | 小旅行
ウィキペディアによれば国道202号線の起点は博多区堅粕1丁目交差点(国道3号線)から始まり長崎市の江戸町交差点 の 国道34号・国道57号終点までとされている。
福岡市内では国体道路、けやき通りを通り、糸島、唐津、伊万里、有田、佐世保(早岐)、西海市から長崎に入るルートだ。
今宿道路から西九州自動車道に入ると伊万里市内のすぐ近くまで延長されている。
妻の実家(佐世保)に帰るとき使う道なのだが、インターチェンジが一つ先まで出来ていて、ナビにも載っていなかった。
伊万里で左折し陶器で有名な有田町に入る。



佐世保市早岐より針尾(針尾送信所で有名)の巨大な電波塔を見ながら西海橋までくる。
さてここからが初めて通るところで、大村湾の反対側(西海岸)へと進む。
しばらく山道が続くがそのうちに海岸線が見えてくる。
島が見えてくる。
大きな橋が架かっているので島なのだろう。



大きな橋を渡り、ここが大島といわれる所だと知った。
結構大きな島のようで、その沖合に五島列島がある。
しばらく美しい海岸線を走ってると再び大きな島が見えてくる。
松島といわれる島のようで、こちらには橋が架かってなく離島になっている。
町営なのだろうかフェリーが行き来しているようだ。



大瀬戸といわれる町からは海岸線を走ることになるのだが、遠目に島らしきものが見えてくる。
クルマを停め写真に収める。



望遠レンズを取り出し撮る。
海から突き出したような島でとても人が住めるような場所も無いような島だ(いやいや瀬かもしれない)。
あとから調べてみると母子島という島だった。



ローソクのように突き出た島(瀬)があちらこちらに見ることが出来る。
そんな美しい海岸線を見ながら進むと、集落が所々に現れる。
その集落の中心は教会だ。



休憩所のような所で休憩、その場所から出津川の集落を見ると出津教会があった。
休憩所の下には遠藤周作文学館なるモノが出来ていて、彼の代表作「沈黙」の舞台となったところのようだ。
しばらく走ると黒崎という町に出た。



ここにも黒崎教会という堂々たる教会がある。
残念ながら中は撮影禁止となっていて写真はない。
黒崎を出てだんだんと長崎市内に近づく、稲佐山の反対側なのだろうか、高層のマンションが立ち並ぶところに出た。
それからものすごい坂を上り、稲佐山中腹のホテルに着いた。

続く

飯塚の商店街とcafe

2020-08-19 20:31:16 | 小旅行
ウィキペディアによると飯塚市は人口12万人の筑豊で一番中心であり大きな町だ。
冷水道路から飯塚を目指す。
長い長い冷水トンネルを 抜けると桂川(けいせん)に出る。
原田からの筑豊本線と博多からの篠栗線が合流する場所だ。
この駅から福北ゆたか線となり黒崎駅まで電化されている。
ちなみに福北とは福岡の「福」、北九州の「北」と筑豊の「ゆたか」をとって名付けられてるようだ
桂川からしばらく走ると飯塚市の看板が表れる。
道路わきには飲食店や商業施設が立ち並びだんだんと都市化してくる。
いつも飯塚は通り過ぎてしまう町なので、今回は中心部の商店街を目指す。
ナビが言うように201号線の高架下を過ぎ、しばらくして右折すると商店街らしきところに出た。
市営の駐車場があったのでそこに駐車し商店街を目指す。



アーケイドの入り口には東町商店街の看板が出ていた。
気温は35度は遙かに超えた暑さだったが、アーケードに入ると幾分(直射日光が当たらない)と和らぐ。
平日だからなのだろうか、シャッターを閉めたままや空き家になった店が多いようだ。
人影も少なく、店番をしている人たちもさすがに活気がなかった。



長崎街道の宿場町だったようで飯塚宿として栄えた場所だ。
その後、炭鉱の町として栄え、閉山により衰退といったところなのだろうか。
それもあるのだろうが、クルマ社会で郊外の国道沿いには先ほど見た商業施設が林立していた。
どの街の商店街も同じような状況だ。
暑い中、一通り歩き、食事処を何店か見つけた。
家人が好きそうな店に入ることにする。



「つむぎ」というcafeで商店街から一歩中に入った、かくれ家的な所だった。
メニューを見ると、日替わり、カレー、ナポリタン、飲み物、ケーキなど喫茶店ならではの内容だった。



家人は日替わり(アジの南蛮漬け)、私はナポリタンにした。
意外とそのナポリタンがおいしくて、一気に平らげた。
追加でアイスコーヒーを頼んだが、セット料金にしてくれた。
こじんまりとした感じで雰囲気は良く、料理もなかなかな感じだった。
麻生太郎や井上陽水など著名人を輩出したまち、ぶらりと訪れたところだけど、今度はしっかり調べて再度訪れてみようと思う。

猫の島へ

2019-06-16 20:50:00 | 小旅行
このたびいろいろと福津に用事があり福津、宗像あたりに興味を持ち始めた。
特に沖に浮かぶ島々に興味を持ち始め、いろいろな離島をネットで見ていた。
世界遺産になった大島や沖ノ島、遠見が鼻から見えた女島や男島(これは島の半分が人工建物で異様な風景だった)、その他にも離島がある。
たまたま週末からの雨がやみ娘にも連絡を入れ出かけることにした。
新宮漁港に向かうが次の船までは2時間近くある。
漁港には釣り人がたくさんいて家族連れが多く、本格的な釣り人ではなく、レジャーでのんびりと釣りらしき格好をしている人たちだった。
大きな堤防がありそれを登ってみる、
沖に相島(あいのしま)がすぐ近くに見える。



福岡方面を眺めると海の中道(砂浜が続いている)が見え、その先に志賀島が見える。
北九州方面を眺めると宮地嶽(津屋埼)の海岸線や大島が見える。



堤防のテトラの上にさっそく猫が出迎えてくれた。
相島をバックに記念写真だ。
そうこうしていると相島から渡船が来た。
いよいよ渡船に乗り込み相島を目指す。
風が強く波が出ていたが20分もすれば島に着く。
釣り客(といっても本格的な釣り人はいない)、若いカップルと若い女性たちのグループ、それとインバウンド(ここまで来るかってかんじだ)と地の人たち。
島に着きさっそく腹ごしらえだった。
島に飯を食い来たわけではないのだが、なぜか腹が減ってしょうが無かった。





島で唯一の食堂でちゃんぽんだった。
食ってさっそく眼鏡岩とやらを見るため海岸線から山道を歩く。
途中に看板があり相島積石塚方面に出る。
岩が積み上げられていて古墳群になっているという。



その場所に立つと目の前に眼鏡岩が見える。
大きな岩の中が侵食され巨大な穴があいている。
これがこの島のシンボルなのかな、岩がゴロゴロしている海岸、しかしそのすぐ横は湿地帯が続き、その横は切り立った山がある。
港にいる娘から連絡が入る。
「船に乗る人が多くて乗れない。臨時便が3時に出るのでそれまでゆっくりいいよ」
しかし1時50分の船に乗るため急ぎ港に向かっていたのだ。



港に着き一時間ばかりある。
島からは志賀島、その間に能古島、糸島半島や沖に目をやると壱岐の島がかすかに見える。
香椎浜の高層ビルや福岡タワーや金色に輝くドームまで見える。



民家が連なる路地をを歩くと、まあ猫が至る所にいる。



その中で島一番の美人(いやいや美猫)を見つけた。
それでもなかなかうまい写真は撮れない。
午後3時の臨時便に乗り新宮に向かった。

七ツ釜

2019-05-14 21:47:42 | 小旅行
船頭はスキンヘッドのいかにも俺は漁師だというオッサンで、ガイドはその息子らしきまだ若いオニーチャンだった。
乗客は若いカップルとこれまた若いおねーさん2組だった。
漁船だがちゃんと船の前方にベンチのような椅子があり、救命道具もあった。
しかし完全にオープンカー(いやいやオープン船)なので船がスピードを上げると水しぶきが降りかかってくる。



少し沖に出るとライバルの観光船がいて、20人くらいは乗れそうな船で、船室がちゃんとあり優雅に観光していた。
こちらはというと少し波があるとスコーンと落ちたり一気に盛り上がたっりとジェットコースターのようだ。
若い女の子たちはそれを楽しんでいた。



像の鼻という場所に来たが、像が寝そべっているように見えると案内していた。
しばらく行くといよいよ七ツ釜に入った。



先客の豪華観光船に先を越されしばらく七ツ釜の沖で待たされる。
どうもこのガイドは豪華観光船にライバル意識があるようで
「さあ観光船に皆さん手を振りましょうね。こちらが楽しいことをあちらの皆さんに見せつけましょうね」
と言っておもしろいガイドをしていた。



沖から見るとブラタモリ的にいうと玄武岩の柱状節理が波に侵食されて出来た釜となるのだろうか。
少し風があり時化っていたが、それがまた良いのかもしれない。
イカ丸(豪華観光船)が出ていくとその釜の一つに小型船は入っていく。



棒状の柱状節理でおおわれていた。
この船(小型船)しか入れない場所があるという釜に入った。
中が空洞になっていて先の光が見える。
岩陰が仏様に見えるという。
その時はそうなんだと思った程度で、自宅に戻り写真を確認すると、なるほどねと感心した。
船での遊覧は20分程度だったが、なかなか面白いガイドと安い料金でありがたかった。
「ぜひSNSで拡散お願いします」
膨大な資金力に対抗する我が弱小観光船のガイドの悲痛な叫びに答えることにした。

佐賀は山ありこんな海岸線の観光地あり、嬉野や武雄温泉に有明海には干潟あり、そして有田や伊万里の焼き物など見どころが多いのになぜブレークしないのか、不思議なところだ。

呼子に

2019-05-13 20:25:03 | 小旅行
令和に入っても時間の流れは早く、半月ばかりの時間があっという間に流れてしまう。
連休明けの五月晴れの休日、ふらりとクルマで自宅を出た。
どこに行こうと決めていたわけでもなかったが海を見たいと思った。
そういうときは熊本にいたときは間違いなく天草方面に向かったはずだ。
福岡にいると行くところが見つからない。
糸島でも良いが、ついついその先となってしまう。
呼子には惹かれるものがあり、ちょうど一年前にも行ったような気がする。
家人の実家が佐世保なので呼子には何度も行っている。
呼子の朝市やイカソーメンといったことではなく、この近辺はなぜか魅力的な海岸線があるようで、それを求めての事だ。
今宿街道(国道202号線)で海岸線に沿って道は続く。
都市高速から西九州自動車道を使ったほうが早くて行けそうなのだが、晴天のドライブには海岸線が気持ちいい。
たまにはJPOP(MayJや徳永英明)など聴きながら、でも最後はJAZZを鳴らしながら、割と空いている海岸線を順調に進む。
唐津の町に入りちょうど昼飯という事で回転すしに入った。
唐津の町の道もわかりにくくナビに呼子をセットする。
ナビのセットというか「呼子」を入力すると長崎県の呼子が一番上に来る。
これは確か去年もそうだったようで、危うく長崎まで行くところだった。
慎重に呼子をセットし約30分ほどで呼子の町に着いた。
前回と同じように道の駅にクルマを停める。



多くの人たちが来ていた。



道の駅のバーベキューを覗いてみると、なんと入場料(炭代)200円とあった。


スマホの写真(上3枚コントラストがドギツイね)

道の駅にある食材(海産物)を買ってここで焼いて食えるのだ。
貝や魚などかなり安い値で売られていた。
しまった!スシローよりこちらのほうが全然いいではないか、と嘆いたが遅かった。
海岸に出てみると海の色が全く違う。
心地よい磯風が吹き、気持ちが良い。



呼子大橋を渡り、風の見える丘公園に行ってみた。
展望台からの眺めは素晴らしく、呼子大橋と呼子の町が一望できる。
反対側は畑が続き、その先端には海に突き出た牧場がある。
しかし今日はそこまで行く時間が無い(自宅を出てくるのがちょっと遅かった)。
引き返し七ツ釜(ななつがま)というところに行くことにした。
初めて行くところでほとんどクルマの行き来が無い204号線を走る。
七ツ釜の看板が出ていて左折した。
これまたほとんどクルマの行き来が無い細い道を行くと駐車場があった。
駐車しているクルマの数にホッとした感じだ。
割と人気のあるところのようで数多くのクルマが駐車していた。
海岸べりに歩いていくと船からの遊覧が出来るようだった。
料金を聴くと1000円だという。
即決で金を払い待合所のような所で待つ。



船着き場には漁船が停まっていたが、まさかこれではないだろうと思っていたのだが
「さあ、出ますよ」
という声で船に乗り込む。
その船だった。

長崎の夜

2019-02-11 17:28:14 | 小旅行
3連休の初日は疲れがたまっていたのか体調が良くなかったのか、朝飯を食って横になっていたらそのまま寝てしまった。
気づいた時には午後3時を回っていた。
こんなこともあるもんだと自分でもびっくりするくらい眠りこけてしまった。
結局、翌日も午前のゆっくり目に目が覚めた。
コーヒーを飲みながら時計を見るともう午後になろうかとしている。
自宅を出て博多駅に向かった。
途中のチケットショップで格安切符(博多長崎)を買い、弁当を買って、12時55分発のかもめ21号に飛び乗った。
長崎駅には午後3時頃に到着、市電に乗ろうかと思ったが駅前の歩道橋を渡るのがめんどくさいのと、市電の駅に多くの人がいたのでやめにした。
てくてくと歩いて海岸べりの遊歩道らしき道を歩く。
夢彩都という看板と展望デッキという案内板に惹かれ階段を上ってゆく。
広い板張りの広場が表れ、スケボーをする若者とダンスの自撮りをしている女の子たちのグループがいた。
大きなボールを抱えた展望デッキに出たがこれはいったい何だったんだろうか。
商業施設に通じる道があったのでそれを渡って店内に入った。
港の待合室に行ってみると乗船を待つ乗客たちでにぎわっていた。
近くの離島への連絡船や軍艦島クルーズといった切符売り場があり、いろいろな航路があるようだ。
出島ワーフで一休みして公園らしき遊歩道を歩く。
県立美術館などがあり広々とした公園だった。
そこを抜けるとグラバー園の看板が見える。
えっと思って行き過ぎていることに気が付いた。
長崎市内の地図は頭に入っているつもりでいたが、海岸線を歩くのは今回が初めてだった。
電車通りから新中華街を目指して歩いていると湊公園に着いた。
会場は人であふれんばかり、中国民族踊や太極拳などをやっていた。
新中華街までの道はとても歩くという状態ではないくらい人であふれていた。
ゆっくりゆっくりと人の波に合わせて何とか中華街をやり過ごした。
浜んまち商店街を抜け眼鏡橋に向かった。





しかしまだ時間的に少し早かったので近くの喫茶店らしき店に入り時間調整をした。
30分ばかり時間をつぶし、商店街を少し散歩しながら眼鏡橋に向かった。
例年のように暗くなりかけた眼鏡橋周辺にはランタンの火が映えていた。
例年と比べ暖かいが人は多い。
眼鏡橋周辺で写真を撮り、中央公園に向かった。





ここでは胡弓の演奏があっていた。



ステージが変わり沖縄からのエイサーのステージが始まった。
時計を見ると8時近くになっていたのでその場を離れ、夕食をとるところを探すことにした。
中華街はとても人が多いのでだめだろうと思い、思案橋に行ってみた。



横丁に入れば何とか食う場所は見つかるだろうと思ったがとんでもなかった。
どの店の前でも人だかりが出来ていてとても無理のようだった。
新中華街まで戻ってもここも同じ状況だった。
市電に乗って駅に向かうことにした。
しかし市電の駅にも多くの人だし、通り過ぎていく電車も満員の状況だった。



仕方なく出島の横をすり抜けて海岸べりの道を歩く事にした。
はっと海のほうを見ると稲佐山が輝いて見える海べりに出た。
手持ちではぶれるのでISOを高めに設定して塀にカメラを押し付けるようにして夜景を狙った。
例年のランタンフェスタであまり良い写真は撮れてなかったが今回はこの夜景がお土産になるぞ、とその時は思った。
駅に着き弁当やを探すがもう閉店まじかだった。
過去にもこんなことになったような気がするが、弁当はほとんど売り切れで、サボテン(とんかつ屋)に何とかロースカツとチキンカツが残っていた。
弁当にしてもらい何とか夕食は確保できた。
午後9時52分のかもめ48号で博多駅にはちょうど午前0時に着いた。
歩数は24000歩を超えていた。
駅から自宅までの歩数は日付が変わったので翌日分にカウントされていた。

紅葉と温泉と(長門峡)

2018-11-21 20:47:41 | 小旅行
長門から萩までは自動車専用道路(無料)が出来ていて、前回来た時の海岸線とは違う道だった。
標高のかなり高いところを走っているようで眼下に海岸線や海に浮かぶ島々が見える。
萩市内のかなり郊外のような所からナビは川沿いの道に案内する。
地図を確認すると阿武川と出ていた。
萩の町の三角州を作った原因の川のようだ。
しばらく川沿いを走っていると球磨川(熊本)と似た風景が続く。



河口近くなので流れは穏やかで水量豊かな風景だ。
何度かクルマを停めその穏やかな風景にカメラを向ける。
長門峡(ちょうもんきょう)の看板が出ていてそこからは細い登り坂が続く。
山が深くなり川は遙か下に行ってしまった。



カーブを曲がると大きなダムが出現する。
阿武川ダムの麓にクルマを停めるが観光客は誰もいない。
ダムの管理人らしき人がやってきて
「ダム中央の立入禁止のところまでは行けますよ」
と教えてくれた。
何せ高所恐怖症なので、どうしようかと思ったのだが思い切ってそこまで行ってみた。



ダムの下流はかなりの高さで遙か下に川が見える。
反対側はダム湖になっていてかなり広い湖が出来ていた。
尻のあたりが落ち着かないのですぐにクルマに戻り細い道を進む。
観光遊覧船があるようでのぼりが何本も立っていた。
しかし今日は平日で客はほとんど見当たらない。



くねくねとした細い道を進むと何本もの赤い橋が出てくる。
ダム湖らしい風景だがなかなか絵になっている。



さらに山が深くなり、川は180度曲がりくねった場所に出た。
クルマを降りるとちょっと冷たい新鮮な空気があった。
山全体が紅葉というわけではないが所々に赤や黄色の紅葉が見える。
静かで鳥のさえずりだけが聞こえる。



さらに進むと奇怪な岩が突然現れ一気に神秘さを増してくる。



しばらくは岩山が続き、深い青い色の淵に出た。
水がきれいでその先に赤や黄色の紅葉が見えた。
その先が長門峡の中心部のようで道の駅や温泉のような施設があった。
それからも落葉の中の細い道が国道9号線の交差点まで続いた。
初めて訪れた場所だったが目を見張るような風景に驚きと感動だった。
山口市内で遅めの昼食をとり、中国自動車道で帰路についた。

本吉山 清水寺

2018-11-15 21:34:32 | 小旅行
隣に座る先輩社員からこの時期にカメラを持って行くならここが良いよと教えてもらったところがあった。
ちょうど実家(水俣)で法事があり、前泊で熊本の自宅に帰る途中に立ち寄ってみることにした。九州道で久留米を過ぎ、ナビに場所を入力する。
広川SAで降りるように案内があり一般道を進む。
古い家(造り酒屋のような)が建ち並ぶ街並み(八女市)の中を結構な距離を走った。
山の麓らしきところに案内板が出ていて、そこからいよいよ坂を登っていく。
しばらく登ったところに駐車場があり結構多くのクルマが駐車していた。
しかしナビではまだ本堂は上のようなのでそのまま細い山道を進んだ。
途中では登山(いやいやハイキング)の格好(恰好?)をした年配の夫婦連れがたくさん登られていた。
本堂近くに数台止められる駐車場があったのでそこに停めた。
案内板を頼りに本堂のほうに歩いていく。
深い山、澄み切った空気が気持ち良く、比叡山を思わせるような雰囲気だった。



しばらく行くと突然、三重塔が現れる。
ちょっと時期的には早かったようだけど紅葉の始まったモミジが出向かえてくれた。



下からの参道を見ると途中に大きな山門があり、年配の人たちが登って来られるところだった。
本堂はそれから少し奥まったところにあった。
本堂の中では何かあっているようでお経が読まれ線香の香りが漂っていた。
由緒あるお寺のようで境内には多くの石仏がある。
石仏もかなり古いもので顔もわからないような仏像が多く、歴史の古さを感じる。
本堂を後にして途中の駐車場にクルマを止め庭園に行ってみた。



雪舟が造った庭園と云われるようだが中は人が多いようなので門のところで引き返した。



時期的には少し早かったようだが今からがシーズンを迎えるのだろう。
今日のニュースで紹介されていた。
紅葉の季節も良いようだが桜の季節も良いようで、地元では憩いの場所になっていると先輩社員が言っていたことを思い出した。

大分へ(続)

2018-11-06 23:05:16 | 小旅行
ホテルにも大浴場(当然温泉だろう)があったが食事がてらクルマに乗り温泉施設に行った。
しかし、それが外国観光客たちが押し寄せていて大混乱していた。
しばらく様子をみて、その集団が去った後にゆっくりと入ることにした。



一時間ばかり湯船につかり、同じ施設に食堂があったのでそこでとり天定食だった。
大分の名物料理だが安いわりにボリュームがある。
これでもかと温泉たまごまでついてくる。
食事を終えて夜の別府をぶらつくことにした。
別府の町は坂になっていてその坂の一番下に国道と鉄道が通ってる。
海岸線の国道を走っていると別府タワーが見えてきた。
タワーの駐車場にクルマを止め登ってみることにした。
昭和32年の建設というから古い建物だ。
別府湾を囲み対岸には大分市内の夜景が見える。
タワーを出て別府駅までブラブラと歩いてみた。
細長いアーケードがあったが人通りは少なかった。
やっぱり観光地なのでメインストリートは鉄輪温泉などの温泉街なのだろう。



駅前にはもう一年を切ったラグビーワールドカップ大会のオブジェが置いてあった。
翌朝はホテルの最上階にある大浴場で朝風呂だった。
目の前の別府湾に朝焼けが見える。
遠くに大型の船が見えたが、湯船をあがるころには接岸するところだった。
阪神方面からのサンフラワーフェリーだった。
ホテルを出て今日は大分市内に行く。
その前にアルゲリッチで有名になったビーコンプラザを確認する。
大分駅がリニューアルして大型施設が出来ているというのでそれが目的だった。
真新しい駅舎と並行して建つ高層のホテルが目に入る。



駅ビルは博多のアミュプラザと同じつくりだった。



駅の食堂でりゅうきゅうという郷土料理を頂いた。



地魚の刺身を醤油を中心にしたタレに漬け込んだものだ。
昨夜のとり天でどっかりした後にはあっさりと料理で満足だった。
大分市内をテクテクと歩く事も考えていたが、やっぱり明日の仕事の事が頭をよぎる。
玖珠町まで一般道で行って後は高速で自宅を目指した。

大分へ

2018-11-05 20:40:28 | 小旅行
自宅を出て百年橋通りから国道3号へ201号線で飯塚、田川を経て行橋方面に向かう。
雲一つない晴天の秋晴れで以前から行きたかった大分を目指す。
福岡から大分へは高速でも行けるが、昔仕事で良く来ていたこの道を選んだ。
椎田道路を走るつもりだったかナビは国道10号線を選び、懐かしさも思い出す暇もなく過ぎてしまった。
いつの間にか豊前、中津を過ぎ宇佐まで来てしまう。
休憩を兼ね宇佐神社に寄ってみた。



初めての来る神社だったがかなり広大な敷地に厳かなところだった。
全国にある八幡宮のかなり高位の位の神社のようで、日本三大八幡宮の一つとされているようだ。
参拝客も多く、ちょうど七五三の時期ともあり着飾った子供の手を引いた両親の姿も見られる。



小高い丘の頂点に本殿があり巨木(楠)が大きく張り出していた。
いざ参拝しようと貼りだしてある作法を見ると二拝四拍手一拝とある。
出雲大社と同じ作法だった。
参拝を終え時計を見るとすでに11時を過ぎていた。
まあ、今回は温泉でゆっくりすることが第一目的、国東半島の石仏もと思い、出かける前に一眼レフも持ってきたわけだが時間的に無理のようだ。
片道3車線に整備された国道を日出から別府市内に入る。
こんな道を見ると熊本市内やその周辺の道路整備はかなり遅れていると思う。
別府も久しぶりとなるが国東半島方面から入るのは初めてだったので新鮮な感じだ。
まずはぐるりと街中を走り、やはり地獄めぐりが妥当なところだろうと一番上の海地獄にクルマを止めた。
やはり有名な観光地とあって観光バスが何台も停まっていた。
ボランティアの人からパンフレットをもらい説明を受ける。
ここから何軒かは歩いて回れるようなのでてくてくと歩くことにした。
途中、古い食堂があったので昼食にした。



郷土料理のだんご汁(熊本ではだご汁という)をいただいた。
歯ごたえのあるだんごと味噌味が素朴で美味しかった。
それにしても外国人が多いのにはびっくりする。
地獄めぐりも結局、海地獄と血の海地獄の2か所だけを廻った。
過去に何度か来ているはずだが記憶になかった。



池の周りに人が群がりしきりに写真を撮っているが、いったい何を撮っているのだろう。



たぶん白い湯けむりしか写ってはないのか、などと考えていたが、そういう私も観光用の写真を撮っているようでなんとも・・・。
今回は久しぶりに楽天からホテルを予約した。
以前仕事で使っていたIDを持っていたが忘れてしまった。
それでも何とか復活させることが出来き予約まで行ったのだ。
土曜日の予約は観光地ともあり高い。
それでもかなり安いビジネスホテルを取ることが出来た。
鉄輪温泉の端っこで国道10号と九州横断道路(やまなみ道路)の交わるところだった。
長くなるので続く・・・。

祐徳稲荷神社

2018-05-08 22:51:56 | 小旅行
連休開けの休みが欲しい今日この頃、会社に出ても明るい顔より疲れ切った顔ばかりだ。
連休最終日には久しぶりに「さざえさん症候群」とやらになってしまった。
連休前に山陰へ旅行に行ったので最初の連休はゆっくりと福岡で過ごした。
狭いアパートで何をするでもなく散歩がてら天神や周辺をぶらぶらして過ごした。
さすがに3日もあるとちょっと近場にでも出かけてみるかと、佐賀方面に出かけてみた。
筑紫野から国道34号線に出てさらに左折して海べりの道を探す。
有明湾岸道路(自動車専用道路)が所どころ工事中で、熊本県荒尾から伸びていたあの道路が有明海をぐるりとまわりこむように建設されているようだった。
佐賀平野(いやいや筑紫平野というのか)の広さには何度来ても驚くばかりだ。
はるかに続く畑や麦畑(今頃の時期だけかな)と遠い先に集落がところどころに点在している。
のんびりした風景を眺めながら鹿島市に到着した。
行先は祐徳稲荷神社だ。
全国の稲荷神社の中でも結構位の高い神社のようで広い駐車場に広大な敷地のようだ。
どうもタイの国ではこの神社が有名のようで、タイからの観光客は必ずここに来るようなことを言っていた。
タイで人気の映画がここで収録されその影響とか言っていた。
初めて来るところなのでナビ任せで迷うことなくついた。
広い駐車場にさすが連休とあって満車に近い状態だった。



大きな鳥居をくぐり桜門に来た。
日光東照宮を思わせるような鮮やかな装飾には驚いた。
門をくぐり中に入ると広々とした庭に出る。





右手の高台に本殿があり堂々とした姿を見せていた。
門から正門にも拝殿があり、最初はそこに参拝した。
階段をのぼり本殿に着くと神社全体が見まわたせる。
本殿に参拝し、爽やかな五月の風に吹かれながら下を眺める。
多くの人が参拝に来ていた。
タイ人らしき外国人も多く見受けられたがそうであるかは定かで無い。



奥の院の看板が見えたので稲荷神社独特の赤い鳥居が立ち並ぶ中を進んでいく。
頂上までの距離が書いてあるがなかなかの急坂だった。
途中は階段ではなく、ごろごろとした岩の中を汗をかきかき登ること数十分、やっと頂上(奥の院)に着いた。



どうも小山の頂上らしく、周りが一望できる。
ベンチに座りしばし休憩、ちょっとした登山気分だった。
来た道と違う下り道を神社の中庭まで降りて境内を後にした。



参道には店が軒を連ねお土産屋や食堂があった。
ちょっとした観光気分を楽しんだ。
帰りはひと山越えて嬉野温泉に向かった。
大正屋旅館に行こうと思ったのだが、昼食処を探していると温泉と食事ができるところがあったのでそこに駐車した。
当然食事は温泉豆腐の書記事だった。
久しぶりの嬉野の湯はさすがにぬめりがあり温泉という感じだった。

遠見ヶ鼻

2017-11-09 20:30:45 | 小旅行
朝から北九州に向かった。
国道3号を北に向かおうと思ったが、飯塚経由のほうが紅葉の色づきを確認できるかも知れないと思った。
ゴルフがあった朝倉方面から冷水峠と思ったがナビは違う道を連れて行く。
山道に入るが紅葉は見られなかった。
飯塚市に入り黒崎に向かう。
黒崎に入りしばしコンビニで休憩をとる。
黒崎に住む友人に電話してみたが出なかった。
九州でも有名企業に勤めていて、熊本に単身赴任で来ていた時の友人だった。
あることで知り合いになり、家にも泊りがけで何度も飲みに来ていた時があった。
あれからもう10年以上も経つ。
電話も呼び出し音は鳴るのだが出なかった。
突然の電話でもう電話帳にも登録さえされていないのだろう。
さてどうするか、皿倉山に登ろうかとも考えたが、北九州の街を散策するのも面白いかもしれない。
スペースワールドの横を抜け若松区の方に行きたいのだが、ここは洞海湾があり若戸大橋を渡らなければ行けない。
洞海湾に沿ってぐるりと回り道をして若戸大橋を渡る。
ここから海沿いをドライブして福岡市に戻るのも良いかなと思った。
途中に大きな湖があるところがある。
グリーンパークというのかその横を抜けると海に出た。
そこを左折して海沿いの道を走っていると「遠見ヶ鼻」という看板が目に入った。
どうも灯台があるようで風光明媚な予感がした。
行き止まりのところにかんぽの宿があったのでそこにクルマを停めた。
その横の細い道を抜けると青い海が広がっていた。



青い海に白い灯台、絵にかいたような風景が見えてきた。
海の先には水平線がただただ平行に広がっている。



そして少し風があるようで磯に打ち寄せる波が白い飛沫をあげ砕けていた。
しばし近くにある岩に腰掛け海を眺める。
心地よい潮風が気持ちよく、しばらく風に吹かれていた。



横を向くと宮崎の青島の鬼の洗濯岩のような海岸があった。
そして座っていた岩を見ると一枚岩のようだが土地色の丸みを帯びた変わった岩だった。



帰り際にあった立て看板を見ていると、どうもここにはかつて日本が大陸と陸続きだった形跡がみられる貴重な場所のようだ。
大陸から切り離れ、今日本の形を作り上げた何万年も前の話だ。
ロマンを感じた。

清水の滝

2017-11-06 21:17:42 | 小旅行
那珂川町から385号線で佐賀に向かった。
佐賀に向かうには脊振山超えが一番早いだろうとこの道を選んだのだが、那珂川町を過ぎ山道に入るといきなり田舎の風景が広がっていた。
紅葉にはまだ早いようだった。



しかし田舎ののどかな風景が心を豊かにしてくれる。
山道を登って行くと大きなダム湖が現れる。
新幹線通勤していた頃はこの真下を毎日通勤していたわけで、いまその真上にいるわけだ。
ダム工事もだいたい終わったのか、前回この道を通った時はまだまだ道もクネクネした山道だった。
長いトンネルを抜けると目の前には佐賀平野が広がっていた。
山道を下り降りると吉野ケ里に出る。
古代遺跡で有名な吉野ヶ里遺跡のあるところだ。
佐賀は紅葉の名所が多いと聞いていたが具体的にどこに行けばいいのかはまったくわからない。
とりあえず川上峡に行ってみることにした。
川沿いを少し山の方に入っていくと道の駅があった。
とりあえずそこで休憩を入れ、地図を手に入れる。
ここも紅葉にはまだまだのようだ。
川辺にコスモスの花たちが咲いていたのでそこに座ってキラキラと輝くコスモスの花を眺めていた。
地図でそれらしき場所を探していると「清水の滝」というのが目に入った。
早速クルマに戻りナビに目的地を入力する。
川にかかる赤い橋を渡り、佐賀平野の山側の道を進み、山道に入ると小さな温泉街のような集落に入った。
温泉街と思ったのだが鯉料理店が軒を連ねる所だった。
駐車場にクルマを停め、皆さんが歩く方に歩いていくと、大きな楠がある。





その周りには数体の石仏が所狭しと並んでいた。



急な坂道を登って行くと清水山見瀧寺宝地院という神社に着いた。
そこから急な階段を下りて行くと清水の滝が現れた。
結構落差のある滝で滝の前には立派な石仏が経っていた。
どうも修行場であったようで、この滝で打たれて修行をしていたのだろう。



高さは75mあるようでさらさらと落ちる水に滝壺には虹がかかっていた。
滝から流れる川沿いに数本の紅葉があった。
まだ紅葉には早いようだった。
名水に恵まれ鯉の養殖が始まった場所だったようで鯉料理屋が多いのはそういう事らしい。

糸島の海

2017-08-27 21:08:21 | 小旅行
8月最後の休日だった。
週末の買い物や月に一度の通院のため病院へ出かけたりと2日休みも一日は完全につぶれてしまう。
特に病院は人も多く、検査までの時間と監査結果が出るまでの時間で3時間以上も待たされた。
カテーテル治療から3ヶ月目という事もあるのだろうが検査結果は順調のようだった。
あと3か月後には再び入院してカテーテルを入れて検査が控えている。
まあ病気にならなければこんなこともしなくて良いのか、と思えばやはり健康が一番だと思う。
結局2日休みもそんなことで熊本や実家に帰ることもできす、休日2日めを迎える。
福岡県内の地図を広げてどこか行楽地にでも出かけようかと行き場所を探す。
北を見ても南を見ても別段行きたい所が無い。
結局のところ海でも見に行くしかないので糸島に出かけた。
天気も良く、ナビに「二見ヶ浦」をセットして出かける。
福岡市内の道も随分と詳しくはなったつもりだが、結構複雑な場所が所々にありナビ無しでは最短の道のりはまだまだだ。
1時間ばかりで目的地に着いたが、すでに多くの人たちがいた。
夏休み最後の日曜日でもあり、家族連れやバイクでのツーリング、サイクリング仲間などで駐車場は賑わっていた。
福岡に来て一番気に入っている糸島だが、ここもいつも素通りしていた場所だった。
クルマを降りてジーパンのすそを織り上げ海に向かった。



結構風があり波もあるが海の中にサンダルのまま入った。
小さな波だったが結構足を取られる。



例のごとくデジカメを水面すれすれに写真を撮る。
それでも波をかぶりそのたびにハンカチできれいにふき取る。
しばらく波打ち際で水遊び(といってもくるぶしまでだが)をして砂浜への階段に座り込み海を眺めた。
海岸線を芥屋に向かった。
バスやクルマが多くなり一時渋滞があった。
そうか今日は男子プロゴルフの大会があっているのだった。
半島の先端の公園にクルマを停め展望所まで登ってみた。





日本三大玄武洞の1つと云われるが陸地からは見ることは出来ないが展望所からの眺めは素晴らしかった。





洞窟へは遊覧船で行くことが出来るようだが人が多いだろう。
展望所を降りて海岸線を南に向かう。
最初は島かと思ったがどうも半島のようだ。
行ってみると漁港があり、漁港の横にはカキ小屋が並んでいた。
しかし今は季節では無いようですべてしまっていた。



漁港には漁船が列を作って並んでいる。
ここには 記念碑があり旧海軍航空隊玄界基地があったところだった。
ここにも戦争のつめ痕が残っていたのだ。

初めてゆっくりと糸島半島をまわってみた。
玄界灘に面したこの地も自然が残り、心をいやしてくれる場所となった。