打越通信

日記ふういろいろ

コロナの休日

2020-03-29 21:35:31 | 桜前線
先週の3連休、そして今回の土日の休日、テレビでは「不要不急の外出」は控えるように呼び掛けている。
どこかで聞いたフレーズ、そう台風や大雨の時に出されるメッセージだ。
まあ土曜日は雨で家でゆっくりとテレビを見たり音楽を聴いたり本を読んで過ごしたが、天気の良かった日曜日はさすがに家で過ごすのはつらい。
運動不足の解消と部屋にこもっているストレスの解消と理由はどうあれ、そう修理上がりのEOS6Dの事もあり、リックにカメラを投げ込んで近くの公園に行ってみた。
天神や博多駅周辺にはさすがに近づけないが、公園なら良いだろ。
東陵公園といって博多駅近くの高架近くにある公園だ。
桜はまだ五分咲き程度だったが子供を連れた家族連れだったり、少年たちがキャッチボールなどしていた。



さくら(新幹線)と桜を一緒に撮れないかと考えたが、ちと新幹線が遠すぎたようだ。
いったん家に帰りクルマに乗って出かけた。
空港近くの郵便局に用事があったので、そこで用事を済ませ、 粕屋町にある駕与丁公園(かよいちょうこうえん)に行ってみた。



ここは去年も来た所なのだが、桜はまだ早いようだった。
コロナの影響か気持ち人出は少ないような感じだ。
さすがにシートを張って酒を飲んでいるグループはさすがにいなかった。
池の湖畔をゆっくりと散歩して一周して再びクルマに乗り込む。
途中で昼食を摂り、今度は春日にある白水公園に向かう。



初めて行くところだがこれまた大きな池がありぐるりと一周できる散歩道が整備されている。
こちらの桜の方が満開に近い。
一周(約2km)をのんびりと半周、途中でアイスを買いベンチで頂く。
桜の中から鳥たちのうるさいような声が聞こえる。



池にはカモやガンなどの水鳥たちが気持ちよさそうにぷかぷか浮かんでいる。
よっこらしょっとベンチから腰を上げ桜を見上げながら帰路についた。

福岡では新しく患者が増え、26人になった。
日本中で患者が増えていて、都市圏(特に東京や大阪)では5,60人単位で増えている。
世界に目を向ければとんでもない状態になっているわけで、福岡は東京や大阪に比べれば小さな都市なのだが、狭い(コンパクト)土地に密集しているのでこれからも注意が必要だ。
明日からまたどこまで続くかわからないコロナ対策と並行しながら業務をこなさなければならない。
そんな中、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすことが出来た。

博多仁和加(はかたにわか)

2020-03-25 19:58:13 | 日記ふう
櫛田神社の参道に博多ふるさと館なるモノがある。
はじめて中に入ってみたが、奥の方で三味線の音が聞こえてくる。
何かいなとみていると派手な和服に数人の人たちが準備をしているようだ。



しばらくすると皆さんお揃いで町屋(ふるさと館)の前に出て呼び込みを始めた。
公演があるようでそれの宣伝だ。
ちょっと観ていこうかと思い一番いい席に早めに着き、そうしているうちにみるみる観客が増え、中にはどう見てもインバウンドだろうという人たちも集まった。
公演が始まる。
雰囲気はどう見てもプロらしい感じではなかったが、それがよかったのか、なかなか面白かった。



博多弁丸出しの話口調で
「よかったい」とか「・・・くさ」、「・・しよんしゃる」
まあ熊本弁からすりゃなんともおしとやかな博多弁だ。
そういや肥後にわかはプロ集団(ばってん荒川をはじめ)うるさいような肥後弁ではやし立てる。
にわかも場所によって雰囲気と気品(?)がかなり違うものだ。

博多仁和加の解説を引用すれば

博多仁和加は、福岡市指定無形民俗文化財として、長い歴史と伝統を持つ郷土芸能です。

「ぼてかずら」に「にわか面」と言われる半面を着け、博多弁を使い、会話の最後に面白いオチをつけて、話をまとめるもので、題材として世相を反映させたユーモアな即興笑劇です。

博多仁和加の起源については、諸説があります。黒田如水・長政父子が播磨国一宮・伊和大明神の「悪口祭」を移入し、藩政に資する手立てとしたことに始まるとする説や寛永年間に藩侯黒田忠之公の頃に始まったとする説などがあります。

「にわか」は全国でも二十を超える地域で継承されていると言われていますが、「にわか面」など江戸時代以来の装いを継承している、博多を代表する民俗芸能です。

仁和加の種類としては、次のものがあります。

1.「一人仁和加」  一人で演じるにわか
2.「掛合い仁和加」 二人(複数)で演じるにわか
3.「借物仁和加」  借り物にかけて演じるにわか
4.「即席仁和加」  お題を頂戴して演じるにわか
5.「段物仁和加」  芝居形式で演じるにわか



となる。
春の陽気の中でほのぼのとした時間を過ごすことが出来幸せだったのだ。

壊れかけの6D

2020-03-23 21:10:34 | 写真投稿
前回、石川旅行の時に持って行ったCANON EOS 6Dだったが、バッテリ装着の所の蓋が途中で折れてなくなっていた。
これではさすがに電源が入らないので使い物にならなかった。
6Dの故障(というかキズ)は今回が初めてでなく、最初は液晶部分のガラス割れ(カラス割れだけで液晶には問題がない)から始まって、その次は撮影モードを選択する丸いガイドがいつの間にか無くなっていた。
それでも撮影には問題なく使えていたのでそのままだった。
予備機にCANON EOS 5DマークⅡがあるのでいざとなればそれを使えばいい。
いやいや本来はCANON EOS 5DマークⅡの予備機でCANON EOS 6Dを買ったのだが、CANON EOS 6Dの方が重たくなく使いやすかったの本来の想いと逆になってしまっていた。
天神のキタムラに修理に出し、後日修理屋さんから連絡が入る。
「部品が新型コロナの影響で中国から遅れ気味になっているので1か月ほどかかる」
とのことだった、修理見積は2.5万円ほどだという。
6Dだと中古を探しても4、5万円はするだろうし、新しい機種に買い替える(頭の片隅にもなかった)方法もあるが、二つ返事でお願いすることにした。



今日、修理が出来て手元に戻ってきた。
電池を入れていろいろと操作してみたが、液晶は素晴らしく美しく、操作ガイドは正確(今までは感でセットしていた)だった。
私の取り扱いが荒くて、壊れかけていた6Dが復活してくれた。
このブログにもこの6Dの写真が出るかもしれないが、今は個人的な事の方が活躍すると思う。

コロナに振り回され

2020-03-20 21:34:03 | 日記ふう
福岡市内は日替わりのように北風が吹いたり南風が吹いたり、春の嵐だったりと、季節の変わり目にあるようだ。
博多駅近くにる人参公園の桜(この桜は去年も早々と開花した)はすでに3,4分咲き(もっとかな)になっている。



桜の木にはメジロが数十羽集まり蜜を吸っている。
コブシの花も白い花を咲かせていて、いよいよ春へと季節は変わりつつあるようだ。



さて新型コロナの問題で、職場も大変な対応を迫られている。
近くのビルに臨時に事務所を借り、人員を2班に分ける対応になった。
片方で感染者が出ても業務の遂行がストップしないようにするためだ。
それでも今ではパソコンなしでは業務は回らないわけで、新しい事務所へファイルサーバー(NAS)やプリンタ(レンタル)そしてLANの開設など慌ただしくしている。
それでもネット回線の開設には時間がかかるわけで、業務用に渡しているスマホのテザリングやレンタルのポケットWi-Fiで何とか開設までは凌ぐことになった。
テレビ会議の開設やテレワークのテストなどしなければいけないことは多々とある。
テレビ会議のほうは、Office 365のTeamsやLineworks、Skypeなどのコミュニケーションツールを使い各人やっているようだ。
というのも社内だけではなくグループ会社との会議、取引先との会議などあり先方に合わせる必要があるため、設定などで困った場合のみの手助け程度しかしていない。
テレワークの方はというとリモート用のソフトを試していて、我が家のパソコンからは問題なく接続できているのだが、テレワーク対象者(自宅)の環境では繋がらい現象(セキュリティでポートがふさがれている)が出ている。
ルーターを変えたり回線業者から支給されている機器(回線終端)にポート開放を試みているが改善していない。
回線業者へ問い合わせ、ポート開放を回線業者側からのリモートで出来ないかと依頼すると、出来るという。
ただ手続きが面倒(回線契約者自身が手続きをする必要がある)で保留になっている。
新しく回線を引いた方が早いのかもしれない。
他にもVPNを使った方法などありそちらも並行している。
まあ、こんな緊急事態での突然の対応なので仕方が無いが、オンラインストレージなどを使いうまく情報を共有できたとしても、そもそもが紙に印鑑をペタペタ押した伝票を回しているのだからそこいらから変えていかないとどうしようもない。
テレワークにしても出来る範囲と出来ない範囲があるわけでそこいらを分けないとあまり意味が無いようだ。



まあ新型コロナの影響でいろいろなことを考えさせられる今日この頃、それでもそんなことは関係ないよと季節は桜へ移っていくのだ。

とことん金沢

2020-03-06 23:41:37 | 旅行
宿は海岸べりにあり、素敵なペンションのような宿だった。
地元の人で元漁師という人が大量のズワイガニや毛ガニを持ってきてくれた。
まな板と包丁で食いやすいように切れ目を入れてくれる。
特性のタレで頂くとこれは旨い。
九州では味わえない(というか食ったことのない)味に
「外で食えば○○円くらいするんでしょうね」
などとえらそうな事を言った。
旨いものを食って夕日を見に海岸線に出た。
日本海に沈む夕日、感動だった。
翌日は近江町市場に直行した。



市場としては規模が大きな市場でありとあらゆる海産物が並んでいる。
ズワイガニや毛ガニが並んでいる。
その値段を見てびっくりだった。
昨日、地元の元漁師さんが持ってきたくれたものがここに並んでいるが、値段は桁が一つ違っていた。
知ったようなことは言わない方が良いようだ。
ほんとに失礼だった。





市場内にあるおでん屋で金沢おでんを朝食として頂いた。
梅貝(バイガイ)があったのでそれも食う。
人気の店のようで平日の朝からかなりの人手だった。
一昨日、香林坊あたりをぶらついてありつけなっかたが、これで満足した。
のどぐろは人気のようで、これまた高価な値段で取引されている。
お土産に何点か買い、武家屋敷に向かう。



九州の各地にある武家屋敷(石で囲いを固めたり、威張った門構え)と違い、土塀と水が流れる用水路と石畳の道、気品が違う。
壁を雪から守る薦掛けが延々と土塀にかけられていた。
そして庭木にはゆき吊り、なんとも情緒ある風景だった。
その後、人気のすし屋に行き、初めてのどぐろの寿司を頂いた。
口の中に広がる幸福感は忘れられない味になった。



北陸石川を旅して思ったことは、文化や風習の優れた(高い)地域だと思った。
それを古くから守り続けている所だ。
今回はかなり深く旅して思い出に残る旅だった。

チャンカレと8番ラーメン、鳥野菜(これは食った)、金沢おでん(これも食った)、和菓子もうるさいようだ。
次回のお楽しみにしたい。

能登へ

2020-03-04 19:49:12 | 旅行
朝、早めにクルマに乗り込む。
金沢市内から海岸線を北に向かう。
天気は昨日とうって変わって晴天、海岸線はそれでも高い白波がたっていた。
行けども行けども砂浜が続く海岸線はさすがだ。
千里浜という砂浜をクルマで通行できる場所があるが入場規制がかかっており行けなかった。
自動車専用道路のようなきれいな道を能登輪島に向かう。
漁港のような所に朝市客用の駐車場がありそこに駐車する。





朝市通りに出ると多くの露店が軒を連ねていた。
活気があり大勢の客でにぎわってた。



イカやカニ、以外にもフグなど海産物、野菜、工芸品など売られていて元気な女性(売り子)の声が飛び交っている。
しばらく活気ある通りを歩いていると輪島ドラマ記念館がある。
輪島を舞台にした映画やドラマ番組が数多くあったのにはびっくりだった。
朝市通りを抜けキリコ会館に向かった。
最初に「キリコ」と聞いて、ガラス工芸の「江戸切子」「薩摩切子」を思い浮かべ、ガラス細工の会館と思い混んでいた。
中に入ると巨大な屏風(というのか)切子灯籠が所狭しと並んでいた。
高いものは10mを起こるモノあり、これを担ぐのだから相当人数が必要だ。
おまけにこの大きさだから風が吹けば大変だろう。
誰が思いついてのか知らないが歴史もかなり古いようだ。
2Fでは能登の祭り用様子が紹介されていた。

日本遺産 能登のキリコ祭り


輪島市内でブリ海鮮丼を楽しみ、千枚田に向かった。



小さな棚田が海に向かって斜面一面に広がっている。
見事な風景だった。
能登の文化、風習を楽しんだ一日だった。
「能登よさらば」
の一声であとにした。
帰り際、千里浜が一部解除されているという事で行ってみた。
砂浜近くまでクルマで行ける。



クルマを降りるとそこは波打ち際、日本海を見て大きな奇声を上げる。
これが九州からわざわざ来た者の挨拶のようなものだ(前回社員旅行来た時、みんなでそうしたからだ)
天気にも恵まれ、能登を堪能した一日だった。

もう少し続くかな・・・。

金沢へ

2020-03-02 21:36:33 | 旅行
福岡から石川県の小松へ空の道があることを初めて知った。
おまけに一日4便(往復)も飛んでいる。
行きはボーイングの737-500、737クラシックと呼ばれる古い航空機だった。
機内アナウンスでは今年3月(ラストフライトだ)には現役引退をするとのことだった。
それでも行きも帰りも満席だったのも驚きだ。



帰りはボンバルディアのプロペラジェット機でわくわくだった。
100席ほどの小さな飛行機だったが、新幹線ーサンダーバード(雷鳥)を乗り継いで6,7時間かかるより1時間20分で行けるのは魅力だった。
しかし、行きも帰りも天候(気流)があまり良くなく、かなり揺れた。
小松空港に着き、霰(あられ)に見舞われたのにはびっくりだった。
厚手のコートにするかウインドブレーカータイプのコートにするか迷ったが、嵩張って荷物になるなと思って薄いほうのコートにしたのだ。
北陸の地をなめていたわけだ。
さすが暖冬とはいえ1ランクも2ランクも違う寒さだった。
金沢市内に着き、ひがし茶屋街を散策した。



戦火の被害が無く江戸時代からの建物が今でも残る雰囲気のある街並み。
北陸新幹線開業のあおりもあるのか多くの観光客でにぎわっている。



店店には金沢名産の金箔、銀箔のお土産品や九谷焼、輪島塗りの品々が並んでいた。
中でも金箔に塗られた蔵にはさすがに金沢(きんのさわ)といった感じだった。
浅野川沿いを歩き、主計町(かずえまち)へ、中の橋という有名だという橋を渡る。
ひがし茶屋街にも劣らず雰囲気のある街並みだった。
主計町からてくてくと道を歩く、かなり古臭い様式の建物がある。
文芸館のようだが、そこに「五木寛之記念館」という文字を発見した。
えっ、五木寛之といえばあの「青春の門」で有名な福岡出身の作家なのに、なぜ。
「浅の川暮色」はじめ多くの金沢に関する作品を書いているようだし、奥さんがこの地の人のようだ。
意外な発見だった。
21世紀美術館まで歩き、奇想天外な美術館にこれまたびっくり。



館内は多くの人で賑わっていた。
美術館を出て玉泉院という雪つり庭園に行く。
地元の人が兼六園よりきれいな庭だという、確かにきれいに管理され、夜はライトアップされるという。
ライトアップにはまだまだ時間があるし、薄いコートで寒いので、香林坊、片町の繁華街に夕食を探しにさまよった。



有名どころの金沢おでん屋には長い行列が出来ていて、それで手ごろな居酒屋に入り食事をして、タクシーを飛ばし宿場に向かった。
・・・続く