打越通信

日記ふういろいろ

国勢調査に思う事

2020-09-21 17:21:41 | 日記ふう
郵便受けにはクレジット会社からの請求書や熊本自宅や実家の役所からの固定資産税の通達など支払に関する書類だ。
福岡市の広報誌、チラシ類が多いのにはうんざりする。
郵便受けの横にはチラシ用のごみ箱が置かれていて、その場で処理されたチラシが常にいっぱいになっている。
ほとんどがゴミだからといってただ捨ててはいけない、重要な書類ごと捨てるわけにはいかない。
面倒なことだ。
5年に一度の国勢調査票が投函されていた。
中身を確認するとネット回答が便利ですよという。
ネットでアクセスして回答しようとするが、妻を呼び頭を突き合わせてノートパソコンの画面を読むには煩わしい。



テレビをモニター代わりに映し出し、回答を続ける。
10分くらいで処理は終わった。

23から25インチくらいのモニターが欲しいが置くべき場所がない。
今ではネットショッピング(商品購入や旅行やホテル予約)などお互い確認しあう事が多いのでモニターは必要なのだ。

妻のバースディ

2020-09-20 20:39:22 | 日記ふう
昨年の誕生日は熊本の自宅で家族そろってお祝いをしたものだ。
あれから1年、息子夫婦には子供が生まれ、本格的に家庭を作っていくことになった。
娘は今年2月に入籍をして、こちらも新しい家庭を持つことになった。
そういうわけで大きく変化のあった一年だった。
これで親としての務めは終わったわけだ。
たまにケーキなどを買いに行くLA VIE EN ROSE(ラ・ヴィ・アン・ローズ)という店でケーキを買ってきて祝った。
しかし2人では食いきれない。
2日か3日に渡ってバースディは続くのだ。

そうこうしていると娘から妻へのプレゼントが届いた。



うなぎの特上蒲焼だった。

食いしん坊の妻への意を得たプレゼントに、クスっと笑みがこぼれるのだった。

山の幸を求めて

2020-09-18 18:17:12 | 日記ふう
今年は春先から果物を良く食べることが多くなった。
苺にバナナ、パイナップル、スイカ、メロンなど、秋になり梨の季節になる。
豊水、幸水に始まり新高や二十世紀のシャキシャキした梨が出始めてきている。
近ごろは毎日のように食卓に出てきていて、シャキシャキした梨を食っていると豊水の柔らかい食感が欲しくなったりするものだ。
そんな山の幸を求めてでは無いが、田川市から嘉穂市あたりに出かけてみた。
飯塚や田川はいつも通り過ぎる町で市内をぶらりと訪れるのは初めてだ。



家人にナビを田川の駅にセットするように指示し、ナビの案内で来たのがJR田川伊田駅前だった。
これはなんだと叫びそうになるような立派な駅だった。
駅駐車場にクルマを入れ駅周辺を散策する。



伊田商店街がすぐ近くにあり中に入ってみた。
あれれと思うほどシャター通りになっていた。
入ってすぐに将棋倶楽部のような建物があり、ご年配の方々が数名熱心に将棋をされていたが、商店街の方は人影すらなかった。
細長く先の方まであるようだったが途中で引き返すことにした。
炭鉱の町として栄えていた時代とはずいぶんと変わってしまったのだろう。
駅の裏手の方に高い煙突があるのが気になって、その方向に行ってみた(行き道がわからずグルグル探した)。





田川市石炭資料館というらしく、高い煙突が二本、竪坑櫓(たてこうやぐら)がそのままの形で保存されていた。



その当時の炭鉱住宅や蒸気機関車まで展示してあり、かなり広い敷地だった。

クルマに戻りナビに「嘉穂」をセットする。
田園地帯に思わずここだと写真に収める場所が何度も表れるが通過してしまった。
道の駅うすいに着き果物を探す。
やはり梨が安い、栗はまだ出始めのようで少し高めかな。
梨とリンゴを買って帰路に着いた。
もう少し秋も深まれば多くの山の幸が並ぶと思う。

福岡の海

2020-09-11 21:47:43 | 日記ふう
気分がすぐれなく、部屋にいると気が滅入る。
部屋を出てエレベータで降り、立体駐車場からクルマを出す。
ちょっと走れば海がすぐ近くにある。
今宿まで走り今津へ向かう。
海なのか干潟なのか橋一本でつながれた道を進む。
橋の右手には自然でできた細長い洲があり、小さな港がある。
プレジャーボートがずらりと並んでいる。
少し進むと干潟に浮かぶ小山が見える。
ふもとまで家が密集している。
はじめて糸島に来た時、不思議な光景にいつか撮ろうと思った風景だった。
小山を超え海岸線に出た。



いつか来た所だった。
モータバイクやシーカヤックの基地のような所だ。
沖にはヨットが数十台浮かび、その先には福岡タワーやドームが見える。
しばらくその風景を眺め、浜風を受ける。

台風10号の経過

2020-09-07 19:50:34 | 日記ふう
風が強くなり始めたのは午前0時を過ぎてからだった。
ゴーという音が激しくなりヒューという風切り音とカランとかバタンという何か飛ばされている音がする。
クーラーの室外機に風が吹きつけているのかカラカラという音もしていた。
自宅(熊本市内)と実家(熊本県南)の家の事も心配でしょうがなかった。
特に自宅は去年の台風で屋根の一部が飛んで、修理したばかりだったし、熊本地震での劣化の事もある。
結局、明け方の4時近くまで寝れずに悶々と過ごした。
8時半ごろに目覚めたが風は相変わらず吹いていた。
8階の部屋なので風の影響を受けるのか、鉄格子の入った強化ガラスを少しでも開けようなら突風が吹き込んでくる。
そんな状況は午前中くらい続き、夕方散歩に出た。



コンビニは営業をしていたがガラスには養生テープが張り付けられ異様な風景だった。



24時間営業のスーパーは臨時休業の張り紙が貼ってあった。
住吉神社までの道のりだったが、街路樹の小枝や葉っぱに実が散らばっていた。



イチョウの実が散らばっていて、季節的にもうそんな季節なのかと驚いた.。
神社の境内には木々の小枝や葉っぱがかき集められ所々に山を作っていた。
木々のおかげで神社本殿は守られているが、この木々が吹き倒されると逆に本殿に被害を出す。
そんなことを思いながらパンパンと参拝した。
「台風からよくぞお守りいただきありがとうございます」

西よりの吹き返しの風が気持ちよく、公園でしばらく休憩した。
この台風の中、どこで過ごしていたのかハトが近づいて来た。
腹が空いているのだろう、すぐ近くまで寄ってくる、しかし食べ物は何もない。
実家も自宅も無事だったようで、妹や親せきにも被害が無かったことを確認した。
事前に注意警告が出ていたより被害は最小限で済んだようだ。
でもこういう形での肩透かしは良いことだ。
でも安心はできない。
次の台風、11号の話も出ているようだ。

一週間の雑記

2020-09-06 13:37:50 | 日記ふう
この一週間近く体調不良で苦しんでいた。
熱はなく咳が出るといったことは無く(だからコロナではない)、食欲不振と倦怠感だった。
医者は夏バテだろうという。
カロリーメイトのジェルやビタミン剤などでしのいだ。



だんだんと良くなりつつあり、思い切ってステーキなど食って体重を戻している。

ここ一週間を振り返ると、8月28日の安倍総理の突然の辞意表明、これには驚くばかりだった。
病気が原因という事で致し方ないと思ったが、今後どうなるのだろうと思っていたが、翌日だった翌々日だったか菅官房長官の総裁出馬の表明が出た。
周りから押されての出馬なのだろうが、良く決断したと安心した。
テレビではああだこうだと色んな論調が出るのでしばらくテレビは切っていた。
31日の深夜に妻にメールが届いた。
妻の親友の旦那が突然亡くなられたという。
翌日は告別式に出るため熊本の自宅に向かう。
運転するつもりだったが気力がなく、妻が運転した。
告別式は妻だけ出席し、私は自宅で赤ん坊と戯れていた。
赤ん坊はつかまり立ちが出来るようになっていて、泣いたり笑ったり、意思が出てくるまで成長していた。
台風9号を避けるように福岡に戻った。
体調も少しずつ良くなってきて、帰りの半分くらいを運転した。

パソコンを開く元気もなく、本を読んで過ごした。
芥川賞作品を2本読んだ。
「朱里の馬」ボーっとした頭で読んだので一気に読むにはかったるかった。
色んな要素(空想、発想)が出てきて、結局、題の「朱里の馬」とどうつながるか良くわからなかった。
「破局」はまるで村上春樹の世界に入ったような感じを受けた。
芥川賞も随分と変わってきているな。



色んな事が起きる今年(令和2年)だが、大型の台風10号が近づいてきている。
福岡は今の時点(9月6日13:30)の時点では雨も風もふいていない。
明日の未明にかけて最接近といわれているが、被害が出ないこと祈るばかりだ。

お盆

2020-08-16 18:24:41 | 日記ふう
13日から15日までお盆のため実家へ帰省していた。
コロナ渦のなかいろいろと考えたが、ご先祖様の事を考えると帰省せざるおえなかった。
福岡での感染者数の増加、熊本でも規模の大きなクラスターが出ていて、地域(帰省先の町)では神経を使っている事もわかっている。

直線距離で200km、福岡県と熊本県をほぼ縦断する。
高速を使っても3時間はかかるが、別に急ぐことも無いので一般道をゆっくりと帰省した。
福岡を午前6時に出て昼過ぎに着いた。
家のすべての窓を開け空気を入れ替える。
仏壇のある和室の掃除から始める。
仏壇の整理と掃除、ろうそくや線香の確認、仏具をすべて出し、ひとつひとつを拭き上げ並び変える。
遺影の入った額を拭き上げ、部屋も掃除機をかけ畳を拭き上げる。
灯篭を一つ組み立て電灯をともす。
奇麗になった仏壇に手を合わせ一息をつく。

各部屋の掃除をして、庭に出る。
草との格闘が始まる。
草刈り機の調子が悪く、裏庭の雑草をカマで除草する。
そして一番手こずったのが庭木に覆い被る蔦の除草だった。
木々の横から立ち上がっている蔦を切り、覆いかぶさっている蔦の葉や花を取り除いていく。
木々にくるくると巻き付いていて、大きな蔦は指ほどの大きさになっているものもある。
張り付いた蔦をはがし、地中では横に伸びた根を切っていく。
なかには3mもある下の川から伸びているものもある。
すべての除草が出来たわけでは無いが、やはり管理が出来ていないとこんなことになってしまうのだ。
熱中症にならないように気を付けながら、そんな作業をしながら過ごした。

本来は16日の送りまで居たかったが一日早めに福岡に帰ることにした。
鹿児島までドライブしながら帰る事も考えたが、天草経由で帰る方法もある。
さっそく天草本渡のホテルを調べるとビジネスホテルにツインが一つ空いていた。
昼過ぎに出て、長島の蔵之元港(長島ー牛深フェリー)を目指したがホテルの確定が出来ないのと時間的に少し無理があるようなのであきらめた。
自動車道で熊本市まで戻り、国道57号線で阿蘇に向かった。
57号線はまだ地震の影響で交通止めになっていた。
通称ミルクロードで外輪山に出た。





阿蘇五岳が出迎えてくれた。
雄大な風景に一休みした。
ここ阿蘇神社の近くで生まれ、幼い頃をすごしたところだ。

小国から杖立温泉、松原ダム、日田を抜け福岡の日宅に戻った。
行き6時間、帰り8時間の移動だった。

混乱の免許更新

2020-08-08 10:55:53 | 日記ふう
コロナ渦のなか5年に一度の運転免許証の更新案内が届いた(5月の事だ)。
ネットで免許センターの状況を確認すると当面の間閉鎖とあった。
合わせて「運転免許証の有効期間の延長手続」という項目があり、調べていくと「更新手続開始申請書・郵送依頼書(PDF形式:103KB)」というPDFに行きついた。
さっそくダウンロード(USBメモリ)してコンビニで印刷(自宅プリンターが故障中のため)した。
免許証のコピーをとり、簡易書留(返信用)の切手代(404円)を買った。
印刷した申請書に免許証のコピーを張り付け、返信用の封筒に自分の住所と切手を貼り同封して郵送した。
しばらくして返信用の封筒に更新期間延長のシールが同封されており、免許証の裏書欄にそのシールを貼る。
めんどくさいがそういう手続きを経て、本来6月までの更新期限が3ヵ月延長され9月までに更新すれば良いことになった。

更新はどこに行けばいいか調べてみると渡辺通りに「ゴールド免許センター」というのがあり優良ドライバーはここで更新手続きができるという事だった。
歩いて15分もかからないところだったので少し早めに行ったつもりだったが、すでに長蛇の列が出来ていた。
長蛇の列の最後尾に並び受け取った番号は「164」、講習は2,30人単位にグループ化され、私の講習時間は午後12時40分(最終組)にやっと滑り込めることになった。
私の後にもかなりの人が並んでいたが、その人たちが係員に詰め寄っていたがどうなったかはわからない。
講習まで2時間半もあるので一旦自宅へ戻ることにした。

講習の前に申請書を書き窓口に提出、OKが出れば次は視力測定(これには少し不安があった)。
2回ほどCマークがどこを向いているか聞かれ、おぼろげながら(確信ではない)応えるとOKが出た。
写真をとり、あとは講習とビデオ(10分程度)を見て終わりだった。
・あおり運転の罰則が新しく出来た(一発取り消し25-35点)
・携帯電話使用等の罰則強化
細かなところはいろいろあるようだが大まかには上の2点がポイントのようだ。
自動運転に関しても記載があるようだが良くわかない(わからなくて良いのだろう)。



ゴールド免許センターも再開して数日という事もあってものすごく混んでいた。
完全な3密状態だったが、全国の一般の免許センターでも同じような状況ではないかと思う。
コロナ混乱はこういうところでも発生していた。

名越祭(夏越祭)

2020-07-31 18:31:24 | 日記ふう
梅雨が明け一気に夏空が広がる。
強い日差しと、まだ午前10時前というのにかなり暑い。



鳥居には笹が飾られ、境内に入ると宮司さんと氏子さんが本殿で神事をされていた。
「茅(ち)の輪」は新しい茅(かや)で作り替えられていた。




<住吉神社夏越祭の開催です。夏季に流行する悪疫を除去して人形(ひとかた)にたくして払い除いてもらう行事です。

清々しい気持ちで毎日を無事に過ごすことが出来るよう祈りを込めた神事を行っていただけます。

また炎熱の夏を迎えて荒廃しがちな心を清め、夏越の祓をする人は千年の命を保つと言われているほど信念的に行われ心身的に清らかになり暑い夏を乗り越えてあとの半年を新たな気持ちで迎える準備を夏越祭で行います。>

住吉神社からの案内だった。
また、夏越の祓の日に和菓子「水無月(みなづき)」を食べて邪気を祓う風習がありました。
茅の輪の横では水無月が配られ、茅も配られていた。
茅はお守りになるらしい。



夏の日差しの中、神事は厳かに終わり、私たちもいつものように八の字をかいて茅の輪をくぐり、参拝した。
古来から伝わる神事だろうが、ほのぼのとした中にも、威厳があり、日常の穢れが落とされたような気がする。
コロナの年、全国の神社で行われていることだろう。

ぶらりと宗像

2020-07-30 19:25:26 | 日記ふう
朝から雲の隙間から青空が少し見える。
海でも見に行こうか、糸島唐津、志賀島、福津宗像と考えたが福津宗像方面に出た。
自宅を出てキャナルイーストビルあたりから急に黒い雲が出てきて、国道に出たとたんに大雨になった。
前が見えず行列を作るクルマの列は徐行だった。
少しずつ雨は小康状態になったが、まるでスコールのような雨だった。
香椎から海岸線の道を進む。
宗像の道駅まで約1時間ばかり、途中に津屋崎漁港があり、直売所と食堂がある。
宗像道の駅から岡垣町までの海岸線が気に入っていて、まずは道の駅の「おふくろ食堂 はまゆう」で昼食にする。



私は決まってあら煮 410円とごはん、味噌汁、小鉢(2,3皿)、煮付けでなくあらの煮付け(あら炊き)、でも結構身が‏ついていて気に入っている。
何度か来ているが大体食うものは決まってきたようだ。
さてと海岸線の道からさらに海岸線の道(大垣玄海線というらしい)を進む。



たまには道を間違え「織幡神社(おりはたじんじゃ)」に出た。
いかにも海の神社らしい階段がすごい。
海岸線は松林が続く。
途中に駐車場があり、クルマを置いて海岸線に出る。



目の前に海が広がり宗像大島と地島が浮かぶ。
ベンチに座り浜風を受ける。



それだけで大満足。
パワーをもらい、海の幸まで頂く。

天神のちゃんぽんと・・・

2020-07-27 23:15:18 | 日記ふう
8時前に自宅を出たが着いたのは予定時間の9時を過ぎてしまった。
別に寄り道をしたわけ(ベンチ休憩は増えたな)ではなく、まあ途中のコンビニでパンと缶コーヒーを買って食ったくらいだ。
中州のベンチでパンを食いながら撮った風景だ。
今にも降りそうなどよついた空雲だった。
この地点がおよそ中間地点になる、それからてくてく(いや、「よたよた」かな)というわけで上記の結果だった。
用事を終え、2時近くだった、例の天神名大<花びし>に行って、今度こそとちゃんぽんを頼んだ。





写真を見ても一般的な感じだが、これこそ食ってみないとわからない。
とんこつではないと思うし、麺もこれといった新しさはない。
注文して待っている間にテーブル席はいつの間にか満席になった。
若者3人、女性2名グループいずれも若い人たちだった。
料金が安い(ちゃんぽん650円(税別))という事もあるだろうが、そうではないようで、定食で頼んだり、定食の大盛、、カツ丼にざるそばといった単品の2品や3品の注文も聴く。
ちまたにあふれる斬新な味に飽きた連中なのか、本能的にこの味が好きでここに来ているのか、これは個人の問題だ。
食い終えた感想は、なんだろうな、幸せ感みたいな曖昧な感想だ。
てくてく(よたよた)歩いて博多区役所に行った。



ある申請と写し(証明書)が必要だった。
一階の受付は人であふれていた。
申請に1時間、証明書の発行にさらに1時間、かかりすぎだろう。
世間では三密などと言っているが、行政自体がこのありさま、いったいどうなっているのか。
しかし良く見ていると、マイナンバーカードを申請している人たちが殺到しているようだ。
受付の番号の桁でそうではないかと思った。
そして電光掲示板での呼び出しと別に、係員がアルファベットの頭文字と番号で呼んでいる。
コロナ関係とかの特殊な受付のようだ。
そんな超過密な環境で2時間以上、やっと解放された。
駅中のほろ酔い横丁でビールを、と思って歩いていると、コンビニがやっている角打ちがあった。
『ポプラ博多駅前店』と一時期有名になった店だ。
そんなことはどうでも良い。
さっそく生ビール(キリンだった)、次にカティーサークのハイボールを注文する。
生ビール一杯だけのつもりだったが、学生時代良く飲んだ酒(バイトで金があった時だけだ)があったのと、バーテンさんとの話からだった。
彼も熊本出身だようで、それから一気に話が進む。
開店(午後五時)だったばかりで客は私一人、いろいろと彼と話をしていると、カティーサークのキングダムとやらを出してきた。



しかしサントリーのロイヤルにした。
オヤジの棚からくすめて飲んでいた酒たちの中で子供心のなかで一番興味があった、それだけだ。
世の中に出てスナックなどで飲んだ最高の酒はオールド(ダルマ)が最高だった、とてもロイヤルまではね。
あれいらいの事だ、誰かさんを思い飲んだ。
3杯でてくてくと自宅に戻った。
<なんだろうな、幸せ感みたいな>そんな一日だった。

福岡へ

2020-07-26 18:32:42 | 日記ふう
朝8時、自宅をあとにして福岡に向かう。
4連休の最後の日という事もあり混雑を覚悟していたが、九州道(高速)はいつも通り流れていた。
休憩で立ち寄った広川サービスエリアは帰省で帰る時とは違い閑散としていた。
まだ時間的に早かったのかもしれない。
昼前には美野島の自宅に戻り、部屋で待っていた娘夫婦と合流した。
4日間部屋を貸したような感じになってしまったが、娘にとっては永年暮らした街だ、友達も多く大いに楽しんだようだ。
昼食を食べにどこに行くかとなったが「資さん」とダンナが言う。
他県の人にはインパクトが強いのだろう、かしわうどんをうまそうに食っていた。
北陸の地方ではうどんという文化はあまりないようで、どちらかといえばそばだという。
博多駅前で彼らを降ろし自宅でゆっくりと過ごした。
夕方になり福岡市内は雷雨になった。
帰省の疲れなのか何もする気が無い。

今回はコロナ渦に初めて泊りがけで帰省したわけだが、実家の墓参りにも行けたし、熊本市内の地震からの復興も目にしたた。
今回の県南水害もきっと復興していくだろう。

帰省(雨の一日)

2020-07-25 18:04:14 | 日記ふう
やはり自宅は良い。
庭仕事などするべきことは多いが、狭いながらも解放感が違うようだ。
朝早くから庭木の剪定を行った。



アジサイは葉がほとんど無くなるまで切りこんだ、ハナミズキ、モミジ、枝垂れ桜は今年延びた分を切る。
途中で雨が降り出し中断となった。
妻と嫁に赤ちゃんとでミスドに朝食に行く。
嫁が新婚の頃3人で良く行っていた、そんな話をしていると、行こうとなったわけだ。



久しぶりのポンデリングにカレーパン、私の好きなミスドコーヒー、懐かしい朝食だった。
自宅に戻るが雨は止まず、音楽を聴いて過ごした。



ラックからまだデータ化していないCDが無いかチェックしリッピングをする。
昼からも雨が止む気配がなく、暇をもてあそぶ。
しょうがないので打ちっぱなしに行くことにした。
練習場には結構多くの人が来ていた。
2時間のほとんどを30ヤード先のネットめがけて遊んだ。



自宅に戻り雨も止んだようだったので、さあと松を見上げたが、あまりにも大きくなりすぎて、今日は止めにした。
天気も持ち直すかと思いきや断続的な強めの雨だった。
気温も上がらず肌寒いくらいの気候、もう7月も終わりそうなのに、今年の梅雨は長い。

帰省(大雨の熊本)

2020-07-24 23:01:57 | 日記ふう
朝からものすごい雨が降った。
2階の寝室はベッドのすぐ横に窓がある、まだ薄暗いうちから窓をたたく雨の音がすごかった。
そのうちに光が走り雷が鳴る。
一時間に72mmという大雨(ニュース)が降ったようだ。
午前中はそういう状態が続いたが、正午前から小降りになったので、新しく合志町にショッピングモールが出来たという嫁からの情報で買い物に出かけた。
鹿児島から進出した会社のようだが、広大な敷地にホームセンタや食品スーパーなど充実した商業施設だった。
熊本もショッピングモールの激戦地なのにさらに新規参入でこういった商業施設が市内から離れた場所に出来ていることにもびっくりさせられた。
食品スーパーの品揃えも豊富で家族4人と赤ちゃんの3日分の買い物をした。
買い物をして外に出ようとするが雨は激しく降ったり、小康状態になったりとタイミングを待つ状態だった。
買い物を終え自宅に戻り昼食を終えたころには雨は上がった。
庭に出て庭木を見渡せばどの木も大きく枝を伸ばしていた。



芝生を見ると雑草がかなり生えていて、先に草取りをすることにした。



長雨の影響で芝生の成長が遅いようで、その分雑草が蔓延っている。
結局、芝生の雑草取りで今日の作業は終わった。
終わったころにさらに激しい雨が降ってきた。
最後の大雨だったようで、夜中には星が見えるほど天気は回復していた。
そろそろ梅雨明けの気配がするがどうだろう。
明日は庭木の剪定のつもりだ。

帰省(墓参り)

2020-07-23 22:31:07 | 日記ふう
県南の実家に墓参りに行くことにした。
実は明日から熊本県内には大雨注意報が出ていたので急遽出かけることにしたのだ。
九州道の宮原サービスエリアすでに多くのクルマで混雑していた。
4連休とGotoキャンペーン(トラベル)の影響なのか、これがコロナ渦の緊張した状態か、と疑うほどだった。
売店や出店はどこも賑わっていて、まるでゴールデンウイークや盆正月の頃を思い出させるような風景だった。
実家には正午過ぎに到着した。
九州道からの南九州西回り自動車道が実家のすぐ近くまで伸びていたので混雑もなく着いた。
実家は今回の豪雨による被害もなく、甥っ子のジュンが庭の草刈りをしていた。
妹たちも来ているようで、昼食を食べに市内に行っているようだった。
それではとこちらも昼食を食べに出た。
今回は息子夫婦と赤ちゃんも一緒だったので、あまり迷惑にならず静かなレストランが良いだろう。
行きつけのレストランに向かった。



それぞれに好きな料理を注文し、私はここでは魚料理(プロバンス風)を注文した。
この町はそれぞれにうまい店があり、ちゃんぽんだったらこの店、中華だったらこの店といった特徴がありこの店もその中の一つだ。
食べ終えて店の外に出ると、この町独特の浜風が吹いていた。
天気は午後から下り坂という事もあり、実家に戻るなり墓参りに出かけた。
コロナの影響で墓参りも半年ぶりくらいになる。
前回の豪雨の影響もないではないが、納骨堂への道もきれいにあと片付けがされていた。
先祖にお参りをし、新しい赤ちゃんを紹介し、近況の報告など、一通りの挨拶をした。

実家を後にして、今回の豪雨でかなりの被害を受けた芦北町に立ち寄ることにした。
国道を離れ、20数年来お世話になった工場の前を過ぎる。
この辺りは河口からまだ上流域にあるためかほとんど被害らしき形跡はなかった。
そこからさらに山道に入り母の実家のあった地区(今回土砂災害のあった)へ向かう。
ところ処に土砂崩れが発生していて片側通行や、危険場所を表す標識などがあった。
土砂災害のあった場所近くにさしかかると遠目にもその規模の大きさが分かった。
現場はすでに救助活動は終わっいて、災害が起きた状態のままだった。
芦北町のほんの一部しか見ていないが、家の周りには水に浸かった家具などが出されていた。
それでもかなり復旧は進んでいるようで道路の周りの土砂などはきれいの撤去されていた。
芦北インターより自動車道に乗り熊本自宅に向かった。